リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 神への忠実さ(ルカによる福音書 16章1-13節)
    「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。」
    (ルカによる福音書16章10節)
    聖書の神は信仰者に、神に対する「忠実さ」を求められます。それを、ルカによる福音書では、この世の「抜け目のなさ」、「賢さ」と同等に捉えて語ります(8節)。
    たとえ話の中で、ある金持ちの財産を預かる管理人が、不正をして職を失おうとしていました。彼は失職後を考えて、主人に借りのある者たちの証文を書き換えてやりました。心証を良くして、友を作ろうとしたのです。その抜け目のないやり方を主人はほめました。施しや善行を奨励しているのではありません。焦点が定まれば何としてでも目的を達成する一途さを、信仰の「忠実さ」と重ね合わせているのです。
    何も持たず裸で生まれて裸で死ぬ人間が、この世で手にするものは一切、神からの預かりものです。富も家族も、自分の命すら管理するよう預けられたのです。神から預けられたものを、誠心誠意、真摯に管理することが、神を神として崇める信仰の忠実さです。二心なく唯一の神のみへの信仰を貫く結果として、「永遠の住まいに迎え入れてもらえる」ことを、神は約束してくださいます(9節)。
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  • 神の言葉を心に結びつけ、首に巻きつけよ(箴言 6章)
    わが子よ、父の戒めを守れ。
    母の教えをおろそかにするな。
    それをいつもあなたの心に結びつけ
    首に巻きつけよ。
    それはあなたの歩みを導き
    あなたが横たわるとき見守り
    目覚めればあなたに話しかける。
    (箴言6章20節~22節)
    ここで言う「父の戒め」、「母の教え」とは、「神の教え」、「神の言葉」と言い換えることができます。なぜなら、旧約の民イスラエルにおいて、神の教え、神の言葉を自分の子どもに教えることが両親の務めであったからです(出12章26節、13章8節、申4章10節)。イスラエルの民の両親に神の言葉を子どもに教える務めを託されたので、神は「あなたの父母を敬え」という御言葉、戒めを与えられました。
    ここでは、神の御言葉を「いつもあなたの心に結びつけ、首に巻きつけよ」という珍しい言葉で勧めをしています。これは、神の御言葉を心に焼き付け、また衣服のようにしっかりと身に着ける、そこにしっかりと立って生きることを勧めたものです。子どもたちは、御言葉を口ずさみ、繰り返し唱えて暗唱し、御言葉を心に刻み込むことに努めました。
    なぜなら、神の御言葉こそ、あなたの歩みを導き、あなたを見守るものだからです。神の御言葉は、あなたを幸いな道へと導いて足もとを照らし出す光、道しるベなのです(詩119編105節)。
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  • 皆、主の御目の前に生きている(箴言 5章)
    人の歩む道は主の御目の前にある。
    その道を主はすべて計っておられる。
    (箴言5章21節)
    私たち人間は皆、そのことを意識する意識しないにかかわらず、神の御目の前に生きています。また、神は私たちの歩むすべての道を御存じです。だれも主(ヤハウェなる神)の前に、自分を隠すことができません。ですから、人間は皆、その神に心を向け、心を開き、神を自分の目の前に置くべきです。
    神は御自身に心を開いて、御自身を信じて生きる一人ひとりを、怒りではなく、愛と赦しのまなざしで見つめてくださいます。このことを確信できる証拠が、イエス・キリストの十字架での死です。「キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ロマ5章8節)。
    神に心を開いて神の言葉に耳を傾け、神の言葉に従って人生を歩む、その中で私たちは誰でも驚きと喜びをもってこう言うことができるようにされます。「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。…御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる」(詩139編8~10節)。
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  • 命を得よ(箴言 4章)
    父はわたしに教えて言った。
    「わたしの言葉をお前の心に保ち
    わたしの戒めを守って、命を得よ。」
    (箴言4章4節)
    神の民イスラエルは世代から世代へとわたって、神のなされたこと、そしてまた神の御言葉をその子孫に告げて来ました。それは、神が彼らにそう命じられたからです(出12章26節、13章8節、申4章10節、6章6~7節など)。
    また、それ以上に神がかつて御自身の言葉を信じて歩んだ彼らの先祖アブラハムと「契約」を結ばれたからです。神の「契約」の言葉は、「わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる」(創17章7節)でした。神の契約の御言葉すなわち神の約束のゆえに、彼らは子どもたちに神のなされたこと、神の御言葉を教えて来たのです。
    神は同じ契約を今、イエス・キリストを信じる人びとと結ばれます(ガラ3章26~29節)。そして、そこに「命」があります(イザ55章3節)。
    教会に子どもたちが与えられています。その子どもたちがまことの命を得ることができるように祈り、彼らに神のなされたこと、神の御言葉を告げたいと思うのです。
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  • 主の道に歩む(箴言 3章)
    心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
    常に主を覚えてあなたの道を歩け。
    そうすれば
    主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
    (箴言3章5節~6節)
    人間は自分だけで立つこと、また何にももたれかかることなく生きること、物事を判断することなど決してできないものです。問題は、では何に、誰により頼んで、またもたれかかって生きるのか、誰の判断に従って行動するのかということです。このことは、人間の知性を否定するものではなく、正しい知恵と判断力を持って生きることが肝心なのだということです。
    主、ヤハウェなる神を知らされ、その神を信じて生きた人の知恵の言葉が箴言です。箴言は、「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け」と言います。「自分の分別に頼らず」とは、神が語られ、命じられる御言葉に耳を傾けて、神の御言葉に基づいて物事を見る、行動するということです。そこに、「主があなたの道筋をまっすぐにしてくださる」幸いがあります。
    「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」(ロマ8章28節)。信仰者には、あとから振り返って一つ一つが自分の益となることに気づく道が備えられています。
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  • 神を知ることに到達する(箴言 2章)
    銀を求めるようにそれを尋ね
    宝物を求めるようにそれを捜すなら
    あなたは主を畏れることを悟り
    神を知ることに到達するであろう。
    (箴言2章4節~5節)
    古代近東ではかつて金よりも銀のほうが価値あるものとされた時代がありました(イザ55章1節参照)。人間が人間として生きるために求めるべきもの、欠かすことができないものは、富でも名声でもなく、「主(ヤハウェなる神)を畏れる」ことです。これこそが人間が獲得すべき最も価値のあることです。というのは、「ヤハウェなる神を畏れる」ところに、人間が生きる本来の姿に戻ることができる糸口があるからです。
    人間にとって最も不幸なことは、主、ヤハウェなる神を知らずに生きることです。生きておられる神を畏れる、神を自分の目の前に置く、神をきちんと認めるときに、神を知ることになります。「神を知ることに到達する」とは、ただ知識として知るだけでなく、畏れ敬うべきお方として「神を知るに至る」ということです。
    愛と赦しに基づく深い関係に私たちを入れてくださる主、ヤハウェなる神を知ること、そこに永遠の命があります。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハ17章3節)。
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  • 立ち帰るのを待たれる神(箴言 1章)
    「立ち帰って、わたしの懲らしめを受け入れるなら
    見よ、わたしの霊をあなたたちに注ぎ
    わたしの言葉を示そう。」
    (箴言1章23節)
    「箴言」をはじめとして、知恵の書と呼ばれる「詩編」や「コヘレトの言葉」などは皆、「主(ヤハウェなる神)を畏れることは知恵の初め」であると教えます(詩111編10節、箴1章7節、コへ12章13節など)。「神を畏れる」ということは、神を目の前に置き、神の語られる御言葉に耳を傾けて、御言葉に従って生きることです。しかし、人間は心が頑なな者ですから、神を無視し、自分の思いや感情に流されてしまうことがよくあります。
    かつて神の民とされたイスラエルの人びとも、たびたび神に心を閉ざし、耳を閉ざして、自分の意のままに生きました。その民に対して神は繰り返し語りかけられました。神の民であったイスラエルの人びとにとって、「神を畏れる」とは、神が彼らと結ばれた契約を思い起こして生きることだからです。
    今、「神を畏れる」とは、御言葉に耳を傾けて、神の御前に立ち帰り、神が遣わされたイエス・キリストを信じることです。そうすれば、また、そのためにこそ、神は私たちに聖霊を注いで、御言葉を聞いて歩むことができるように整えてくださいます。
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  • 失われたものを取り戻す天の喜び(ルカによる福音書 15章1-10節)
    「言っておくが、このように悔い改める1人の罪人については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
    (ルカによる福音書15章7節)
    本来、私たち人間は、神の像に造られ、その命の息を吹き入れられた、神のものです。しかし、神に背を向けて、神共にいます喜びを捨てて、滅びの方向に歩んでしまいました。いるべきところを見失ったのは、神ではなく人間の方です。しかし、失われることを諦めきれない熱情の神は、私たちを「念を入れて捜」すほどに立ち帰ることを渇望されています(8節)。その失われた者を救おうとされる熱意ゆえに、ついに御子イエス・キリストをこの世に遣わされることとなったのです。
    だから、神に立ち帰る者が1人でもいたら、神の喜びは、「友達や近所の人々を呼び集めて」祝うような、天をあげての大喜びだと言います(5、9節)。
    わたしのために、「大きな喜びが天にある」など、おこがましくも大げさだ、と思いますか。もしそうなら、自分を低く見積もり、見誤ってしまっています。なぜなら神は、「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し」ていると言ってくださるのですから(イザ43章4節)。神の喜びを喜ぶ者となりましょう。
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  • 神のなだめの供え物(エゼキエル書 7章)
    終わりが来る。地の四隅に終わりが来る。今こそ終わりがお前の上に来る。わたしは怒りを送り、お前の行いに従って裁き、忌まわしいすべてのことをお前に報いる。
    (エゼキエル書7章2節~3節)
    終わりの日、それは背く者に神の聖なる御怒りがあらわされる日です。神への背信のゆえに契約の民イスラエルに終わりの裁きの日が来ると告げられたのです。それは神の義しい御怒りがあらわされる時でした。神の聖なる御怒りが臨むのであれば、人に救いの望みはありません。
    伝道者パウロも詩編を引用して、「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない」と言っています(ロマ3章10、11節)。人間による救いの道は完全に閉ざされました。しかし、そこに人間の業によらない、神から来る救いの道が開かれました。
    聖書の神は愛の神であると同時に、罪に対しては聖なる御怒りをもって臨まれる義の神です。私たち人間は誰も自らの背きと罪のゆえに神の聖なる御怒りに耐えられません。しかし、恵みの神は、御子イエスを十字架にご自分の聖なる御怒りをなだめる供え物とすることによって、赦しと救いの道を開いてくださいました。それゆえ、なお多くの古き罪を囲いつつ生きる私たちであっても、この御方にあって救いの希望に生きることができます。
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  • 残りの者を残す(エゼキエル書 6章)
    「しかし、お前たちが諸国に散らされるとき、わたしはお前たちのために、剣を逃れた者を諸国民の間に残しておく。お前たちのうちで逃れた者は、捕囚として連れ去られる先の国々でわたしを思い起こす。わたしを離れ去る姦淫の心と、偶像にひかれる姦淫の目をわたしが打ち砕くからだ。」
    (エゼキエル書6章8節~9節)
    神の民イスラエルは背きの罪のゆえに神の厳しい裁きを受けました。彼らは空しい偶像の神々に心を寄せ、契約の神を捨ててしまったのです。神は北の大国バビロンを用いて彼らを滅ぼし、民はかの地に捕囚されて行きました。自分たちこそ繁栄と祝福を約束された選びの民であるという誇りは完全に打ち砕かれてしまいました。
    彼らの信ずる神も大国の神々に敗北したように思われ、頼るべき御方を失い、絶望の淵に立たされたのです。
    そうしたときに、彼らに告げられたのがきょうの御言葉です。諸国民の間にあって剣を逃れた者を残す、お前たちのうちで逃れた者は、捕囚の地で主を思い起こすという約束です。それは神が彼らの心から、偶像に引かれる姦淫の心を打ち砕くと言われることによってです。
    預言者エレミヤも新しい契約を預言しました。「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(エレミヤ31章33節)。神は御言葉と聖霊によって私たちを新しく生まれさせ、自分の子としてくださるのです。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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