リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 主イエスの名を思い出すとき(マタイによる福音書 1章)
    「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
    その名はインマヌエルと呼ばれる。」
    この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
    (マタイによる福音書1章23節)
    主イエスの名前の意味は「神は我々と共におられる」です。これは神がわたしを愛しておられるということです。祈りの最後に、「主のお名前によって祈ります」というとき、きょうも神に愛されていることを思い出しましょう。そのとき、神がどのような愛で毎日わたしを愛してくださっているか具体的に思い出してみましょう。
    1、わたしは神に完全に受け入れられている。「拒否」されるとき、私たちの心は深く傷ついてしまいます。しかし、神はあなたをどんなときも受け入れてくださいます。
    2、わたしは無条件で愛されている。あなたがどのような状態でも、神はあなたを愛し続けてくださいます。
    3、わたしは完全に赦されている。神は生まれる前からあなたの最悪の罪をご存じです。神はその上であなたを愛して、選び出されました。
    4、わたしは最高に価値ある人間である。価値は誰のものか、いくら支払われたかで決まります。あなたは神のものです。あなたのために主イエスの尊い命が支払われました。
    きょうも主イエスはあなたと共におられます。アーメン。
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  • 行いの姿勢(ルカによる福音書 14章7-14節)
    「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。…そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」
    (ルカによる福音書14章11節、14節)
    主イエスはここで、謙遜の美徳をもっていないと恥をかく、という世渡り術を説かれているのではありません。相手を見てへりくだりの対応を変えるような相対的な姿勢ではなく、本来神の下にある自分を認めて、「主の前にへりくだりなさい」と聖書は言うのです。そうすれば、天の国の主である神が、私たちのあるべき場所を決めてくださいます(ヤコ4章10節参照)。つまり、自分で自身を査定するのではなく、神に委ねる姿勢を教えられたのです。
    その姿勢は、善いことの実践においても同じです。人から報いや誉れを受けることは悪いことではありません。けれども、人からのお返しを想定して行うのではありません。「返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。…人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい」(ルカ6章34、35節)と主イエスも教えられました。なぜなら、私たちの行いの査定をされるのは神だからです。
    その神からの報いが復活のときにあると信じることができれば、心の平穏な日々が過ごせるに違いありません。
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  • 神の民を満足させる神 (詩編 81編)
    主は民を最良の小麦で養ってくださる。
    「わたしは岩から蜜を滴らせて
    あなたを飽かせるであろう。」
    (詩編81編17節)
    詩人は、エジプトから救い出してくださった神をほめたたえて歌っています。出エジプトの出来事は、罪と死の力のもとにある私たちを解放してくださったことの象徴でもあります(ロマ8章2節)。
    9節の「わたしの民よ、聞け」とは、耳で聞くだけの意味ではなく、注意深く聞いて、聞いたことを心に受け入れ、行動に移すことまでを強調する言葉です。しかも命令形で書かれているので、必ず神の御言葉を聞かなければなりません。
    しかし、メリバの水の事件は、イスラエルの民が、神に不平不満を訴え続けて、全く恵みを受ける価値がないものであることを明らかにしました(8節)。
    神が試練を経験させる目的は、不従順な者を従順なご自身の民となさり、最良の小麦で飽き足りるほどに満足させるためです(17節)。この「飽かせる」という言葉は、途切れることなく与え続けるという意味の言葉です。
    神の御言葉に聞き従うのは簡単ではありませんが、私たちを選び、罪を赦し、神の恵みで満足させようとする神の力に期待しましょう。
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  • 植えられたぶどうの木(詩編 80編)
    万軍の神よ、わたしたちを連れ帰り
    御顔の光を輝かせ
    わたしたちをお救いください。
    (詩編80編8節)
    七十人訳聖書では、「アッシリアに関する歌」という表題が付けられています。3節のエフライム、ベニヤミン、マナセは北イスラエルを代表する部族です。紀元前722年にアッシリアによって陥落しました。それがこの詩の背景になっています。
    神はイスラエルの民がカナンに入る前に彼らと契約を結びましたが、やがて神に不従順になり、嘲りの的になると言われました(申28章37節)。それは、その言葉の通りになりました(7節)。
    9節で、イスラエルの民の象徴であるぶどうの木を神が一方的にカナンに植えられたと賛美しています。すなわち、詩人は、アッシリアによって陥落している状況の中で、一方的な神の恵みによって回復されるのを待ち望んでいます。契約を重んじられる主なる神を呼び求めて、詩人は、神の契約に基づいて神の救いを望んでいます。
    神はご自身の主権をもって一方的に働かれます。4節に「連れ帰り」とある通り、神は自ら選び、救い、赦し、回復へと導いてくださるお方です。その神が私たちの神となられました。神に栄光がありますように。
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  • 神の憐れみのみによって(詩編 79編)
    どうか、わたしたちの昔の罪に御心を留めず
    御憐れみを速やかに差し向けてください。
    わたしたちは弱り果てました。
    (詩編79編8節)
    紀元前586年、バビロニア帝国によってイスラエルは、聖なる神殿を含めて、滅ぼされました。神の裁きを受けたからです。しかし、この絶望の中でも詩人は神の救いを期待して歌っています。なぜでしょうか。
    詩人は、「あなたの嗣業」、「あなたの聖なる神殿」(1節)、「あなたの僕らの」、「あなたの慈しみに生きた人々」(2節)、「私たちの救いの神よ」(9節)、「あなたの民」、「あなたに養われる羊の群れ」(13節)と告白します。
    8節では、特に憐れみを期待しています。「憐れみ」とは本来、胎児を宿している母親の胎を指す言葉です。神の正しい基準で人間の罪を裁かれたら、誰も神の前に立つことはできません。しかし、母親が自分の胎内にいる赤ちゃんを守り憐れむような、慈悲深い神のご性質に希望を置いて、神の保護の対象である神の民であることを明確に歌うのです。
    神が、このような憐れみをもって、歴史の中で赦しを通して栄光を表してくださったように、きょうを生きる私たちの罪をも赦してくださり、必ず回復してくださるに違いありません。アーメン。
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  • 神の正しい選びと導き(詩編 78編)
    わたしの民よ、わたしの教えを聞き
    わたしの口の言葉に耳を傾けよ。
    …
    子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう
    主への賛美、主の御力を
    主が成し遂げられた驚くべき御業を。
    (詩編78編1節、4節)
    クリスチャンを神の民と呼びます。しかし、神にとって私たちはどんな存在でしょうか。神の目には、「人間は肉にすぎず、過ぎて再び帰らない風である」と表現されています(39節)。全く期待できない、欲望のままに赴く存在そのものです。人間に全く期待できないので、「神は憐れみ深く、罪を贖われる。彼らを滅ぼすことなく、繰り返し怒りを静め、憤りを尽くされることはなかった」と言われます(38節)。神の基準を満たして神の民になれるものは、この世には一人もいません。
    しかし、1節で、なぜ「わたしの民よ」と呼ばれるのでしょうか。神ご自身が神の民を選ぶからです。不平不満を聞きながらも、「神は上から雲に命じ、天の扉を開き、彼らの上にマナを雨のように降らして食べるようにしてくださ」いました(23、24節)。彼らがどれほど神に逆らったかに関係なく、です。
    ですから、詩人は神の導きを賛美します。たとえ不従順であっても、足りないままでも、神は必ず正しい道に選びの民を導いてくださいます。神を伝え、賛美するまで導いてくださるのです。
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  • 祈りが神に届かないと思うとき(詩編 77編)
    「主はとこしえに突き放し
    再び喜び迎えてはくださらないのか。
    主の慈しみは永遠に失われたのであろうか。
    約束は代々に断たれてしまったのであろうか。」
    (詩編77編8節~9節)
    2節から10節で、詩人は耐えきれない苦難と絶望の中で続けて神を呼び求めます。9節で、「主の慈しみは永遠に失われたのであろうか。約束は代々に断たれてしまったのであろうか」と絶望の中で神の応答を待っています。けれども、神からは何の答えもありません。
    私たちも、なぜわたしの神はこの苦しい状況から救おうとされないのかと、神を批判することがあります。しかし、11節から神を賛美する内容に変わります。状況が全く変わっていないのになぜ神を賛美し、希望を持つことができたのでしょうか。
    16節に、ヤコブとヨセフが出てきます。ヨセフは兄弟たちに裏切られ、エジプトに奴隷として売られました。父ヤコブはヨセフが野獣に殺されてしまったと思って長い間苦しんでいました。しかし、それは、モーセとアロンの手を通してご自分の民を乳と蜜の流れるカナンの地に導かれるためでした(21節参照)。
    神は必ずご自身の民の嘆きに応答してくださいます(イザ41章17節)。自分の期待ではなく、わたしの考えを遥かに超える神の導きに希望を持ちたいです。
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  • ヤコブの神である私たちの神よ(詩編 76編)
    ヤコブの神よ、あなたが叱咤されると
    戦車も馬も深い眠りに陥る。
    (詩編76編7節)
    詩編76編は、ギリシャ語七十人訳聖書では「アッシリアに関する歌」という表題が付け加えられています。
    列王記下18章によると、巨大な帝国であるアッシリアの大軍がユダヤに侵攻します。全く抵抗できなかったユダヤは滅亡寸前でした。王であるヒゼキヤはこの絶望に激しく嘆きながら、ヤコブ(イスラエル)の神に救いの祈りをささげることしかできませんでした。すると奇跡がおこりました。神が1人の天使を送ってユダヤの代わりに戦わせられたのです。「戦車も馬も深い眠りに陥る」と言われます。大軍でも寝なければならない限界がある被造物です。寝ると抵抗することは不可能です。それによって18万5千人のアッシリア軍が全滅しました(列王下19章35節)。
    神の救いは確かです。その神がヤコブの神であり、今を生きている私たちの神です。私たちも、この世で到底解決することができない問題や不安、そして苦しみに嘆くこともあります。しかし、私たちの神は必ず守り、勝利をお与えくださいます。きょうもその神に希望を置き、祈り求めたいのです。
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  • サタンの束縛から解かれる(ルカによる福音書 13章10-17節)
    「この女はアブラハムの娘なのに、18年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」
    (ルカによる福音書13章16節)
    主イエスは安息日に、腰がまがったままどうしても伸ばすことができない病の女をいやされました。しかし、会堂長は安息日に病をいやすことは働くことであり、律法に違反することだと考えて腹を立てました。
    これに対して、主イエスは「解く」という言葉に焦点を当てて言われました。「だれでも、安息日に牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いていくではないか」と。そうであれば、人々が安息日に飼い葉桶から解くことを実行しているのは、その行為が働くことには相当しないと考えていたことになります。主イエスは彼らの「解く」という行為に着目して切り返されました。「もし安息日に縛られている牛やろばを解くことができるのであれば、18年もの長きにわたって病に縛られていたアブラハムの娘、すなわち、罪から救われるべき娘を、サタンの束縛から解くことも当然できるではないか」と。
    律法の文字を実行することにではなく、安息日にこそ人がサタンの束縛から解かれて罪が赦される、という神の御心に目を留めなさい、と主イエスは言われたのです。
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  • わたしとわたしの家は主に仕えます(ヨシュア記 24章)
    あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、…主に仕えなさい。…仕えたいと思うものを今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。
    (ヨシュア記24章14節~15節)
    ヨシュアの死をもってヨシュア記は閉じられます。一つの時代が終わりました。これからも歩み続けて行く神の民にとって、大切なことは何か。それをヨシュアは、自らの生き方をもって指し示します。「わたしとわたしの家は主に仕えます」(15節)。主に背き、主を離れて滅び去るのではなく、心から主に仕えて、真実に生きるようにと願うのです。
    恵みをもって神の民を導いてくださった主は、同じようにこれからも御自身の民を顧みてくださいます。恵みの内に私たちを支えてくださいます。
    「わたしとわたしの家は主に仕える」との信仰告白を、私たちの心からの告白としましょう。この告白をもって、「主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え」、強く雄々しく歩みましょう。一人一人の歩みがそうなるように、聖霊の助けを祈り求めます。
    イエス・キリストはおっしゃいます。「わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる」(ヨハ12章26節)。主に仕えて生きることは、何と幸いなことでしょうか。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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