リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 主の恵みはすべて実現した(ヨシュア記 23章)
    あなたたちは心を尽くし、魂を尽くしてわきまえ知らねばならない。あなたたちの神、主があなたたちに約束されたすべての良いことは、何一つたがうことはなかった。何一つたがうことなく、すべてあなたたちに実現した。
    (ヨシュア記23章14節)
    年老いたヨシュアの告別の言葉です。彼は主を愛し、右にも左にも逸れることなく、主に仕える生涯を歩み通しました。ぜひとも同じ信仰に生きてほしい、との最後の願いを告げています。彼は、神が恵みのうちにすべてのことを成し遂げてくださると確信し信頼しています。
    この信頼は、パウロがエフェソの教会の長老たちに告げた別れの言葉を思い起こさせます。長い訣別説教のなかで、パウロはこう語ります。「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです」(使20章32節)。神と恵みの言葉が、私たちをいよいよ確かな恵みの中で生かし、強めてくださいます。
    神が恵みをもって私たちを生かしてくださる。その事実を日々、目の当たりにしながら私たちは生きるのです。信仰者はなんと幸いなことでしょう。感謝して自分自身を、さらに、私たちが愛するすべての人たちを、神とその恵みの言葉に委ねていきましょう。
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  • 主がわたしたちの中におられる(ヨシュア記 22章)
    わたしたちは今日、主がわたしたちの中におられることを知った。
    (ヨシュア記22章31節)
    ヨルダン川の東の三部族が主に対する背信行為をしているのではないかとイスラエルの他の部族が疑い、一触即発の危機が生じました。しかし誤解は解け、彼らも自分たちと一つであり、自分たちと同じく主を愛し、主に仕えていく者たちであることをイスラエルは再確認することとなりました。
    主の民は一つです。私たちの間におられる主イエス・キリストにあって、一つです。主イエス・キリストを真ん中にして、一人一人が主に結ばれることによって、一つです。それは何よりも主イエス・キリストの贖いの血をもって一つとされている、ということです。
    ですから、主にあって一つであることをいろいろな折に、あらゆる仕方で実現できるよう祈り求めていきましょう。私たちは同じ一つの命の御言葉と、同じ一つの永遠の命の希望を共にしています。教会は、この大きな喜びの中で生きています。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」(詩133編1節)。
    教会において、主にあって私たちは一つです。そのような生き方へと私たちは召されています。
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  • 主が先祖に誓われた土地(ヨシュア記 21章)
    主が先祖に誓われた土地をことごとくイスラエルに与えられたので、彼らはそこを手に入れ、そこに住んだ。主はまた、先祖に誓われたとおり、彼らの周囲を安らかに住めるようにされたので、彼らに立ちはだかる敵は一人もなくなった。
    (ヨシュア記21章43節~44節)
    かつてアブラハム、イサク、ヤコブに嗣業の土地を与えると誓ってくださった主は今、確かにその地をイスラエルに与えてくださいました。
    この約束の地において、イスラエルはどのように生きたのでしょうか。「主はまた、先祖に誓われたとおり、彼らの周囲を安らかに住めるようにされた」。安らかに住むことができる。ここを口語訳聖書は「四方に安息を賜わった」と訳しています。神が与えてくださる安息の中でイスラエルは生きたのです。
    それは今、主イエス・キリストが私たちに与えてくださっている平和と喜びです。主と共にあって、いかなる時にも恐れはありません。主の安息は、今生きるこの時だけのことではありません。死の後にあっても、わたしたちは主の恵みによって安らぎを得ています。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る」(黙14章13節)。
    神が誓ってくださっている新しい地を仰ぎ見つつ歩み行く私たちには、常に主が共にいてくださいます。そして、真の安息へと導いてくださいます。主にすべてを委ねて、雄々しく歩み続けましょう。
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  • 逃れの町(ヨシュア記 20章)
    過って人を殺した者がだれでも逃げ込み、共同体の前に立つ前に血の復讐をする者の手にかかって死ぬことがないようにしたのである。
    (ヨシュア記20章9節)
    故意の殺人に対して、律法は血の復讐を許します。しかし、恨みなどによるのでない過失による殺人の場合、律法は血の復讐を封じます。
    命は神が与えてくださった大切なものです。「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創2章7節)。それほど大切な命を故意に奪う者は、自分の命を求められます。しかし、過って奪ってしまった場合、神は過失を犯した人の命を顧みられます。いたずらに人の命を奪うことが主の御旨ではありません。殺人という悪を正すのが正義であり、人の命を惜しまれるのが愛です。正義と愛とがぎりぎりのところで両立しているのが逃れの町の制度でしょう。
    主イエス・キリストは正義と愛とを貫かれて十字架の上で私たちのために死んでくださり、命の道を切り開いてくださいました。「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ロマ5章8節)。
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  • 賜物である嗣業の土地(ヨシュア記 19章)
    境界線を定めて、土地の嗣業の配分が終わると、…。土地の割り当ては、こうして終わった。
    (ヨシュア記19章49節、51節)
    イスラエルに与えられた嗣業の土地は神様からの賜物です。彼らは感謝して、そこで全力を尽くし、主に仕えて生きるのです。これが賜物を受けた者の使命です。
    私たちも今、賜物として霊的な祝福を受けつつ、歩み続けています。私たちは、「あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者」です(1ペト1章4節)。何と感謝すべきことでしょうか。絶えず喜んで主に感謝し、光の中を歩んでいきましょう。「光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように」(コロ1章12節)。
    これからも主の恵みと祝福を喜んで証しし、宣べ伝えていきましょう。これこそ救われた者の使命です。そして、ひとえにそれは聖霊の力によって果たすことのできる使命です。「あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい」(2テモ1章14節)。喜び、感謝しつつ、常に聖霊に依り頼みましょう。御霊は必ず私たちの賜物を、最もふさわしく生かしてくださいます。
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  • 今こそ福音を語る時(ルカによる福音書 12章49-56節)
    「偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」
    (ルカによる福音書12章56節)
    主イエスは「わたしには受けねばならない洗礼がある」(50節)という言葉を用いて、ご自身が受難の道を歩まれ、十字架の贖いの業を成し遂げられることを語られました。しかし、この道は皮肉にも、主イエスを救い主と認めない人びとのあざけりの中で成し遂げられました。人の罪を赦すという十字架の贖いが成し遂げられるまで、贖い主をあざける罪の力は止むことがありませんでした。
    これは同様に、私たちが贖い主を信じて罪の赦しが与えられる時にも起こります。しかも、最も親しい間柄である家族の中で、分裂という形で起こります。「父は子と、子は父と」対立するという分裂です。この分裂は今、既に起こっており、主イエスを信じるすべての人びとが、罪の赦しによって魂の平和を得る世の終わりまで、止むことがありません。
    聖書はこのような世の終わりを明確に語っています。それは私たちが明日の天気を知ることができるのと同じくらい明確です。今という時こそ、魂の平和を実現してくださる主イエスの福音を、愛する家族や隣人に伝える時であることを痛感します。
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  • 平和を実現する人たち(マタイによる福音書 5章3-12節)
    平和を実現する人々は、幸いである、
    その人たちは神の子と呼ばれる。
    義のために迫害される人々は、幸いである、
    天の国はその人たちのものである。
    (マタイによる福音書5章9節~10節)
    八つの幸いについて主イエスが語る有名な言葉です。私たち信仰者が「平和を実現する人々」と呼ばれています。その平和はどのようにして実現するのでしょうか。
    「平和を実現する人々」に続いて、「義のために迫害される人々は、幸いである」とあります。この迫害とは、皆が何の問題もないと思っている場所で、異なった思いを持つために存在しないかのように扱われてしまうことだと言えます。それはヘブライ人への手紙の、外へと追い出されるキリストの姿に重なります。「イエスもまた、…門の外で苦難に遭われたのです」(13章12節)。さらに、「だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか」(同13節)と続きます。
    主イエスを信じるゆえに、自分の存在が軽んじられ、疎外感を味わうことがあるかもしれません。けれども、それは主が受けられた辱めを共に担うことにほかなりません。そこに幸いがあり、その人こそ天の国の住人なのです。こうして私たちがただ主イエスと共にあるときにこそ平和が実現します。
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  • 自由を知る(コロサイの信徒への手紙 2章20節-3章4節)
    あなたがたは、キリストと共に死んで、世を支配する諸霊とは何の関係もないのなら、なぜ、まだ世に属しているかのように生き、「手をつけるな。味わうな。触れるな」などという戒律に縛られているのですか。これらはみな、使えば無くなってしまうもの、人の規則や教えによるものです。
    (コロサイの信徒への手紙2章20節~22節)
    ここでパウロは、私たちキリスト者はキリストと共に死んだものだと宣言しています。このことを改めて確認する理由は、その新しい事実を、私たちがなかなか現実として受け止めきれないからです。
    私たちを錯覚に導く存在があります。それが「世を支配する諸霊」です。そのような神話的存在が本当にあるのかと考える方もあるかもしれません。けれども、そのような存在が知らない間に私たちの考え方に限界をもたらすとパウロは言います。
    その支配は、ものについての私たちの関わり方に表れます。例えば、「味わうな」という禁欲主義や、その逆に「使えばなくなるもの」に心を奪われた状態です。具体的には、「より効率よく、かつ正当に」という一見正しそうな目標を第一として、それに合わないものをどんどん切り捨てるという考え方に、そのような存在の力の現れが見て取れるのではないでしょうか。
    私たちが真の平和に生きるために、キリストと共に死んだことを知り、自分にも他人に対しても、キリストから来る新しい自由に生きることを始めたいのです。
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  • 和解(エフェソの信徒への手紙 2章11-22節)
    実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、…双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
    (エフェソの信徒への手紙2章14節~16節)
    11節では、「あなたがた」と語りかけられています。それは異邦人キリスト者を指しています。しかし、14節では「わたしたち」という言葉に変わっています。その場合の「わたしたち」は、ユダヤ人キリスト者だけでなく、すべてのキリスト者にとって、という意味になるはずです。
    それは、全く新しい状態の現れです。そして、その新しい状態である「一人の新しい人」は、ただ十字架を通して実現した、とパウロは指摘しています。さらに、十字架において「敵意が滅んだ」と言います。私たちが生物として生きていく上で、敵意は必要なことにも思われます。「わたしとその他」、「我々とそれ以外の人たち」を区別して、自分たちのための平和を追求するという生き方の根深いところに敵意が組み込まれているように見えます。
    しかし、主イエスは敵対する者たちに一切逆らわないという十字架の死によって、この敵意に打ち勝ちました。それゆえ、十字架の死そのものが勝利なのです。
    私たちは、このキリストによって新しくされた人として、どこにあっても和解と一致を目指して歩みます。
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  • 偽りではなく(エゼキエル書 13章)
    「平和がないのに、彼らが『平和だ』と言ってわたしの民を惑わすのは、壁を築くときに漆喰を上塗りするようなものだ。漆喰を上塗りする者に言いなさい。『それは、はがれ落ちる』と。豪雨が襲えば、雹よ、お前たちも石のように落ちてくるし、暴風も突如として起こる。」
    (エゼキエル書13章10節~11節)
    エゼキエルは、神の言葉をイスラエルの預言者たちに向けて語っています。神の言葉を取り次ぐ務めであるはずの預言者が「自分の心のままに預言」(2節)して偽りを語っていると、神ご自身が指摘しておられるのです。
    その中でとりわけ問題なのは、安易に「平和」を約束してしまうことだと言います。そのことが「漆喰」にたとえられています。平和という言葉を使って白くきれいなイメージを作り出したとしても、それはただ現実を上から塗り隠すことにしかならない、と言うのです。
    さらに、そのようなごまかしの上塗りを神ご自身がはがしてしまわれると、はっきりと語られています。それは、神ご自身が私たちに関わって、神の恵みと真理で満たしてくださるという本当の平和の実現にとって、上辺だけの平和は妨げにしかならないからです。
    さまざまな立場から平和という言葉が語られるこのとき、まず私たち自身が神の平和にあずかることを求めましょう。そして、神との平和、また教会の平和を新たにしていただくことを共に祈り求めたいのです。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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