リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 平和の土台(イザヤ書 32章1-8節)
    見よ、正義によって
    一人の王が統治し
    高官たちは、公平をもって支配する。
    彼らはそれぞれ
    風を遮り、雨を避ける所のように
    また、水のない地を流れる水路のように
    乾ききった地の大きな岩陰のようになる。
    (イザヤ書32章1節~2節)
    イザヤ書のこの個所では、新しい王の登場が語られています。新しい王がもたらす統治は公平です。そして、その公平な統治は、あたかも過酷な自然現象の中で深い困難を覚えている人たちにとっての逃れ場のようである、と続いています。
    これは比喩的な表現ですが、それほどに公平の確立という事実に大きな力があることを示しています。イザヤ書では、この個所に続いて悪しき統治の様子が描かれます。その困った支配の一例が6節です。「飢えている者をむなしく去らせ、渇いている者の水を奪う」。正義と公平がないところでは、具体的に苦しむ人たちがないがしろにされていくと、預言者は指摘しています。
    改めて確認したいことは、平和とは確かな具体的土台を必要としているということです。このところに従って言えば、公平な統治があることで、困難にある人たちも助けを期待できます。そして、確かに助けてもらえるという信頼のあるところにこそ、心からの平和があります。
    私たちは、この日、自らと教会と社会に公平の実現を祈ります。
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  • 満ちている神(ヨハネによる福音書 1章1-18節)
    言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。…わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
    (ヨハネによる福音書1章14節、16節)
    キリスト者の立場で平和について考えるとき、「シャローム」という言葉を避けて通ることはできません。シャロームを単に平安ないし平和と直訳して良しとするのではなく、言葉の根本精神を尋ねたいのです。そのために、ヨハネによる福音書の短い言葉に目を留めます。これは主イエスから「平和があるように」という言葉を聞いた人たちの証言です(ヨハ20章19節)。
    言であるお方が肉となった、すなわち人となって、私たちの間に宿られた、これがすべての土台です。そこで、特に注目したいのは、著者の「受けた」という言葉です。「わたしたちは…恵みの上に、更に恵みを受けた」のです。
    次に、二度も繰り返して「満ちる」という言葉が用いられています。恵みと真理に満ちているお方から、その満ちあふれる豊かさの中から、恵みを受け取ることで、彼らは満ちあふれるほど豊かなものになりました。
    私たちがシャロームを考える土台も同じです。私たちが満ちている方と共にあるとき、私たちも満ちたりた欠けのないものとなります。そこに本当の平和であるシャロームが実現します。
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  • 礼拝生活によって備える(ルカによる福音書 12章35-40節)
    「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。」
    (ルカによる福音書12章35節~36節)
    40節の「人の子」とは主イエスのことです。ですからこのたとえの主人とは主イエスであり、僕とは弟子です。ユダヤの婚宴は1週間以上続きました。その間に、いつ主人が帰って来るかはわかりません。真夜中かもしれません。しかし、いつ帰って来ても「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」と主イエスは言われました。すなわち、準備をして大切なことに備えていなさいと言われます。
    主イエスはもう一度、僕である弟子たちのところに帰って来られます。その時は誰にもわかりません。遅いと思って、主イエスのことを忘れて、世のことに忙しくしている時、主イエスは突然帰って来られるかもしれません。主イエスの言葉に日々耳を傾け、祈る弟子、主の日ごとに主イエスにお会いする礼拝生活を続ける弟子が、腰に帯を締め、ともし火をともしている弟子ではないでしょうか。
    世の忙しさは巧みに弟子たちに迫ってきます。礼拝生活から遠ざけようとする力は本当に巧みです。そのような時にこそ、「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」との主イエスの言葉を思い出し、備えてください。
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  • 主にあって喜ぶ(フィレモンへの手紙 )
    そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。
    (フィレモンへの手紙20)
    監禁中のパウロの元に、オネシモという人がやって来るようになりました。実はオネシモはフィレモンの奴隷でしたが、そこから逃亡してきていたのです。どのような理由があったにせよ、当時、奴隷が逃亡することは重い罪であり、発見されれば死刑に処せられるのが一般的でした。フィレモンにとってもオネシモの逃亡事件は苦々しいものだったでしょう。
    そのオネシモがパウロの元で信仰を持って大きく変わりました。その変化は、パウロがオネシモを自分の助け手として傍に置きたいと思うほどでした。しかし法律上、オネシモはフィレモンのものです。またこの二人の関係には亀裂が生じたままです。そこでパウロはフィレモンに、、オネシモをわたしと思って、また一人の人間として迎え入れてほしい、と懇願するのです。
    パウロがこのようにするのは、自分自身が罪人だったにも関わらず、キリストに救われたからです。このキリストの福音に生きてほしいとフィレモンに願うのです。
    キリスト者は、キリストに無償で救われたという感謝に促されて、新たな歩みを始めます。
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  • 神に感謝します(フィレモンへの手紙 )
    わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。
    (フィレモンへの手紙4-5)
    パウロはキリストを証ししたために囚われてしまいました。監禁状態の中でパウロは、近い将来、自分と、主にある兄弟姉妹たちに、何が起こるだろうかと、恐れを感じていたのではないでしょうか。また彼らに直接会って励ますことができないもどかしさも覚えていたでしょう。
    そのような中、兄弟姉妹たちの様子が、パウロの耳に入って来ます。その一つとしてフィレモンの働きがありました。フィレモンは、奴隷を持つほどの裕福な人で、家の教会を主催していたようです。それは、パウロのように捕らえられる危険があることでした。それでも彼がその働きを続けたのは、これは主イエス・キリストが望んでおられることだ、と信じたからでしょう。またそこに集まる主を信じる多くの人びとを、励ましたいと願ったからでしょう。
    この知らせを聞いてパウロは大変喜びました。自分がしてきたことが無駄ではなかったばかりか広がりを生み出したことを知ったからです。そして、それはキリストが働いてくださっているからだと知ったからです。神はこのようにして喜びと慰めを与えてくださるお方です。
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  • 全く自由に何の妨げもなく(使徒言行録 28章)
    パウロは、自費で借りた家に丸2年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。
    (使徒言行録28章30節~31節)
    パウロたち一行は、冬の間、マルタ島に3ヶ月滞在した後、2週間ほどでローマにたどりつきます。
    パウロは、ローマの宿舎で、自分の無実を証しし、皇帝に上訴せざるを得なくなった経緯をユダヤ人たちに伝えます。そして、朝から晩まで、「神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しよう」としました(23節)。このとき、ある者はパウロの言うことを受け入れ、他の者は信じようとはしませんでした(24節)。パウロは、互いに意見が一致しないまま立ち去ろうとする者たちに、預言者イザヤの御言葉をもって、その心のかたくなな様を嘆きつつ、「神の救いは異邦人に向けられました。」と告げます(28節)。
    使徒言行録はその後、パウロが、自費で借りた家で丸2年の間、「全く自由に何の妨げもなく」伝道したことをもって閉じられています。パウロの身は捕らえられていましたが、神の言葉はつながれることなく、御国は進展していきました(2テモ2章9節)。主の御力に守られて、きょうも、怯え臆することなく、主の福音を伝えましょう。
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  • たとえ嵐の中でも(使徒言行録 27章)
    そのとき、パウロは彼らの中に立って言った。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。」
    (使徒言行録27章21節~22節)
    パウロは、皇帝の前で弁明するためにローマに向かって船出することになり、276人が乗った大きな舟に乗り込みました。冬の始めの頃、悪天候の中、ようやくクレタ島の「良い港」と呼ばれる所にたどりつきます。
    ここで、パウロはこれ以上の航海は危険であることを警告しますが、百人隊長は、船長や船主の方を信用し、無理に船を出させます。それは、航海の素人であったパウロよりも経験者を信用したということでした。しかしまもなく、「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろし、幾日も命の危険を感じる航海となります。
    しかしこのとき、神がパウロを励まします。そして、パウロは人びとに、「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はない」と、神がこの航海を守っておられることを伝え、元気づけます。
    教会の歩みも、時に、嵐の中の船のように先の見えない不安が生じます。しかし、主イエスが本当の船長として、御言葉という羅針盤をもって絶えず正しい航路を指し示し、御国に至る航海に導いておられるのです。
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  • 主が備えられた弁明(使徒言行録 26章)
    「ところで、私は神から助けを今日までいただいて、固く立ち、…預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。つまり、私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。」
    (使徒言行録26章22節~23節)
    パウロは、アグリッパ王の前で弁明する機会を与えられます。それは、自分の無実の主張にまさって、主イエスのことを、忠実に弁明するものでした。
    パウロは、ダマスコ途上で、天からの光の中、主イエスの呼びかける声を直接聞き、回心し、使徒として召し出されます。それは、「わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす」という、主の召しを約束するものでした(17節)。
    使徒言行録においては、皇帝の前での弁明は出てきませんが、このアグリッパ王の前での弁明において、キリスト教の福音が、ローマ帝国とその法に照らして無罪であることが明らかにされます。
    「主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。民の契約、諸国の光として、あなたを形づくり、あなたを立てた」(イザ42章6節)との主の預言をもって、パウロは、主の召しを証言するのです。
    受難と復活の主は、パウロと同様に、今日も世界の教会を勇気づけ、だれの前においても福音を弁明する機会を備えておられます。
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  • ここにある勇気(使徒言行録 25章)
    パウロは言った。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。…私は皇帝に上訴します。」
    (使徒言行録25章10節~11節)
    使徒パウロがカイサリアで2年間不当に監禁されていたとき、ユダヤの総督がフェリクスからフェストゥスに交代します。
    しかし、以前からの祭司長たちやユダヤ人のおもだった人びとのパウロ暗殺の陰謀は続きます。陰謀ゆえのパウロのエルサレム返送の依頼は通らず、カイサリアで裁判をすることになります。それは、法的な手続きを装いながら、その実態は人の悪意から出た偽証の連続でした。
    主イエス・キリストご自身が十字架を前にして不当な裁判を忍ばれたように、このときパウロも、立派に自分の無実と主は生きておられることを証しします。それは、どのような機会、法廷においても変わることない、パウロの一貫した姿勢そのものです。
    主イエスはかつて、「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と、パウロを励ましてくださいました(23章11節)。
    今もさまざまな形で霊的戦いがあります。たとえ、人の悪意の中でも、目を覚まして祈りつつ、主の復活と栄光をあらわして歩みましょう。
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  • 神に委ねて生きる(ルカによる福音書 12章13-21節)
    「しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。」
    (ルカによる福音書12章20節)
    人は財産という目に見えるものに頼って生きています。目で見えるがゆえに、安心することができるからです。しかし、人には目に見えない大きな不安があります。それはいつ死ぬかわからないという不安です。だから人は死を忘れるかのように一生懸命に働き、財産を蓄え、「ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と自分に言い聞かせます(19節)。
    人生の壮年期を過ごした人は、やがて老年期を迎えます。死の存在がリアルになる時です。しかし、人は蓄えた財産で相変わらず「食べて飲んで楽しめ」と自分に言い聞かせます。そして死を忘れるかのように生きるのです。主イエスは言われます。「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」と。
    人に命の息を吹き込まれた神は人の死の時をも定め、その人にふさわしく息を取られます。人が最も恐れる死を、その人にふさわしく備えられる全能の神の存在を知る時、私たちの人生はその死をも神に委ね、神の栄光を現す、賢い価値あるものへと変えられます。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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