リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 小羊の勝利に連なる希望(ヨハネの黙示録 14章)
    また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に14万4千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた。
    ……この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。
    (ヨハネの黙示録14章1節、4節)
    この章は、厳しい戦いを強いられている者に、終末の完成を垣間見せます。海辺に立つ竜は敗北し、小羊がシオンの山に立ち、獣の像を拝むことをしなかった者たちが小羊に従っています。竜と2匹の獣は、どのようにしても、小羊に従う者をこの地から抹殺することはできません。
    14万4千人とは、文字通りの人の数ではなく、12の2乗掛ける千で、神の選びの確かさを表すものです。彼らの額には、獣の名の刻印ではなく(13章16、17節)、小羊と小羊の父の名が記されています。小羊の血によって贖い選び分かたれた人びとです。彼らは、小羊を愛し、小羊の行くところへは、それが十字架の道であっても、どこへでも従って行きます。この者たちは、「神と小羊に献げられる初穂」です(4節)。
    私たちは、この初穂に続く者です。小羊が勝利される時、必ず、小羊の勝利を喜ぶ神の民がそこにいます。私たちは、勝利の小羊をほめたたえるために神に選ばれた者、神と小羊に献げられた者です。ただし、勝利に連なるには、「イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要」です(12節)。
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  • 主の憐れみの結果(歴代誌下 17章)
    主への恐れがユダを取り巻く地域の国々を襲い、ヨシャファトと戦いを交えるものはなかった。
    (歴代誌下17章10節)
    アサ王の子ヨシャファトが南王国ユダの王となりました。ヨシャファトは神の言葉に従おうと努力し、また国民に神の言葉を教えるために指導者たちを町々に派遣しました。こうして王と国民が神の言葉に従おうと努力した時に、周りの諸国の民が主を恐れるようになりました。
    しかし、これは決してヨシャファト王の功績ではありません。この事態は15章3節を思い起こさせます。「長い間、イスラエルにはまことの神もなく、教える祭司もなく、律法もなかった」。神の民イスラエルが苦悩の中で主に立ち帰り、主を求めたあの日以来、主は彼らに御自分を示し続けてこられました。このような神の大いなる憐れみがあったからこそ、少しずつ環境が整えられ、やがてヨシャファト王が登場し、周りの諸国からも恐れられ、尊敬されるにまで至ったのでした。
    今、私たちが何度も失敗を繰り返しつつ、なお礼拝生活を続けることができているのも、私たちの功績によるのではなく、ただ神の憐れみによるのです。それゆえ私たちは神にのみ、栄光を帰して歩みます。
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  • 神と心を一つにする(歴代誌下 16章)
    「主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事について、あなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く。」
    (歴代誌下16章9節)
    アサ王の晩年のことです。北王国が国境を侵犯し、要塞を築いた時、アサ王はその北にあるアラムの国の王に金銀を贈りました。そして、北王国との同盟を破棄し、背後から北王国を攻めるように頼んだのでした。この作戦は成功し、北王国は撤退しました。しかし神は預言者を通してアサ王にこう告げたのです。「あなたはアラム王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった」(7節)。
    アサ王のやり方は神よりもアラムを頼るやり方でした。さらに「主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる」と語られました。アサ王の心が神と一致していたならば、神が力づけてくださるので、何も恐れる必要はありません。しかし残念ながら、アサ王は神と心を一つにすることができませんでした。
    私たちにとって、一番重要なことは、敵に勝利し、人生に成功することではありません。神と心を一つにして生きること、これこそ私たちが最優先すべき事柄なのです。
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  • 悩みの中で主に立ち帰る(歴代誌下 15章)
    長い間、イスラエルにはまことの神もなく、教える祭司もなく、律法もなかった。しかし彼らは、苦悩の中でイスラエルの神、主に立ち帰り、主を求めたので、主は彼らに御自分を示してくださった。
    (歴代誌下15章3節~4節)
    「長い間、イスラエルにはまことの神もなく、教える祭司もなく、律法もなかった」。耳を疑いたくなるような御言葉です。イスラエルとは神に選ばれた神の民のことです。今で言うならば教会のことでしょう。その彼らに、長い間、まことの神はなく、教える指導者もなく、神を示す書もなかった、と言うのです。
    このように教会が主から離れる時が確かにあるのです。しかし神は、そのような私たちに、絶えず「まことの神へと立ち帰れ」と呼びかけてくださいます。
    アサ王は礼拝の歪みを正し、まことの神のみを神とする礼拝を整えました。そして、その改革ぶりは、たとえ肉親の母であっても妥協することがありませんでした。では、どうしてこのような改革が進んだのでしょうか。イスラエルが神を見失い、神の教えから離れてしまい、礼拝も教育も失っていたからです。
    主は私たちが立ち帰ることを、ずっと待ち続けていてくださいます。そして、悩みの中で主に立ち帰る時に、主は今でも私たちに御自身を喜んで示してくださるのです。
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  • 神に対抗することができない(歴代誌下 14章)
    アサは彼の神、主を呼び求めて言った。「主よ、あなたは力のある者にも無力な者にも分け隔てなく助けを与えてくださいます。わたしたちの神、主よ、わたしたちを助けてください。…あなたはわたしたちの神、主であって、いかなる人間もあなたに対抗することができません。」
    (歴代誌下14章10節)
    アビヤの子アサが南王国ユダの王となりました。彼は敬虔な王でした。あるとき、クシュ人の王ゼラが百万の大軍を率いて攻めて来ました。アサ王は、軍勢ではゼラの足もとにも及びませんでしたが、彼は助け求める神を知っていました。彼は神に祈りました。神にとって、私たちが強かろうと弱かろうと全く関係ありません。かえって、私たちが弱い時にこそ神の力が現れるのです。また人間はどんなに頑張っても神と並ぶことができません。並ぼうとする人間の高慢を、神は必ず打ち砕かれます。
    私たちの人生にはさまざまな戦いがあります。私たちはそのような戦いの中で、アサ王が告白していることを本気で信じているでしょうか。「主なる神が天地の造り主であり、すべてのものを支配しておられる」ということです。私たちも、私たちを悩ませる敵も、すべては主のご支配の下にあり、「わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ロマ8章39節)。そのことさえ信じることができれば、私たちの人生は本当に自由で、平安です。
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  • 獣の正体(ヨハネの黙示録 13章)
    わたしはまた、1匹の獣が海の中から上って来るのを見た。…10の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。
    わたしはまた、もう1匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た2本の角があって、竜のようにものを言っていた。
    (ヨハネの黙示録13章1節、11節)
    12章は、「竜は海辺の砂の上に立った」で終わり、13章が続きます。そして、第一の獣は海から、第二の獣は地中から、この地に上って来ます。人びとの前に姿を現すのは獣です。この獣とは、「悪魔とかサタンとか呼ばれる」(12章9節)竜に操られている人間です。
    この2匹の獣は、「竜のように」、「神を冒涜する」言葉を語ります。第一の獣を介し、「人々は竜を拝」みます(4節)。第二の獣は、第一の獣と比べると、「小羊の角に似た2本の角」しかなく、穏やかに見えます。しかし、第二の獣が、第一の獣を拝ませ、先の獣の像を造るように命じ、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせました(12~15節)。
    第一の獣はローマ皇帝の力を、第二の獣は皇帝礼拝を定着させるように働きかける政治権力やマスメディアなどの力を暗示しています。彼らの背後に竜がいます。
    力を身に帯びた権力者は、人の像を拝まない者の日常生活を圧迫します(17節)。しかし、キリスト者は、目を見開いて彼らの正体を見抜き、日常生活で不便をきたしても、神のみを礼拝します。
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  • 自らの証しの言葉で勝利する(ヨハネの黙示録 12章)
    この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。…
    「我々の兄弟たちを告発する者…が、
    投げ落とされたからである。
    兄弟たちは、小羊の血と
    自分たちの証しの言葉とで、
    彼に打ち勝った。」
    (ヨハネの黙示録12章9節~11節)
    「年を経た蛇」は、エデンの園で神のようになれるとアダムとエバを唆す蛇を思い起こさせます(創3章)。悪魔とサタンは、ギリシア語とヘブライ語の違いだけで、内実は同じで、両者ともこの竜の別名です。
    「この巨大な竜」は、神に敵対し、神を悪し様に語り、神を信じないようにと人びとを惑わします。また、キリスト者の心に潜むどんな小さな罪をも見逃さず、暴き続け、神の御前にキリスト者を罪人として訴えます。自分は赦されない罪人であると、人に思い込ませ、人を神から引き離そうとします。
    この竜は、神の前には無力で、天上においては居場所がなく、天から投げ落とされます。しかし、地上において自らを巨大化させ、人に対して戦いを挑みます。
    竜の攻撃が如何に激しくとも、殉教の死を遂げることがあったとしても、私たちはキリストの血の贖いに感謝し、神をほめたたえます。私たちは、世の冒涜の言葉に悩まされ、自分の罪に苦しんでも、神を賛美し、自らの証しの言葉を手放すことはありません。神をほめたたえる者は、この竜に勝利する者です。
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  • 終末の到来の告知(ヨハネの黙示録 11章)
    さて、第七の天使がラッパを吹いた。…
    「この世の国は、我らの主と、
    そのメシアのものとなった。
    主は世々限りなく統治される。」
    …24人の長老は、…言った。
    「今おられ、かつておられた方、全能者である神、主よ、感謝いたします。
    大いなる力を振るって統治されたからです。」
    (ヨハネの黙示録11章15節~17節)
    「第七の天使がラッパを吹いた」。とうとう最後のラッパが吹かれました。いったい何が起こるのでしょうか。恐ろしいことが起こるのでしょうか。そうではなく、思いがけない天上の情景が示されました。それは天上の礼拝です。
    「天にさまざまな大声があって」(15節)。あらゆる民族、言葉の違う民が集まる礼拝です。「神の御前で、座に着いていた24人の長老は、ひれ伏して神を礼拝し」(16節)ました。そういう壮大な礼拝です。
    天上の礼拝を見たヨハネは、その後地上で次々と殉教の知らせを聞いたとき、あぁ、また天上の礼拝に群れの一人が加えられた、と思ったでしょう。今も、先に召された方々が、この礼拝の群れに加わっています。このようにして教会は天の礼拝に連なる地上の礼拝を営み続け、きょうもこの後も、主が再び来られる時までこれを続けるのです。
    そして天上の礼拝の声は言います。「この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される」と。
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  • 弱い時にこそ強い(歴代誌下 13章)
    このとき、イスラエルの人々は屈し、ユダの人々は勝ち誇った。先祖の神、主を頼みとしたからである。
    (歴代誌下13章18節)
    レハブアムの子アビヤが南王国ユダの王となりました。彼は北王国に戦いを挑み、両軍が向かい合ったときに、山の上から敵軍に向かって演説をしました。そして、自分たちこそが正統であることを主張しました。ヤロブアムを反逆者、その家来たちをならず者と決めつけたのです。さらに彼らが金の子牛を拝んでいることや祭司たちを追放したことを非難し、自分たちの信仰こそが正統なのだと主張しました。
    ところがアビヤが長々と演説しているうちに、敵軍が伏兵を迂回させたので挟み撃ちにされてしまいます。そこでアビヤと彼に従う者たちが主に助けを叫び求めたところ、奇跡的に敵軍を打ち破ることができたのです。
    なぜ、勝利したのでしょうか。その勝利は、彼らの力や、知恵によるのでもありません。また彼らの正しさのゆえでもありません。18節には「主を頼みとしたから」と言われています。本気で神に依り頼んだからこそ、神は彼らを救われました。私たちも、主に依り頼む者でありたいと思います。「わたしは弱いときにこそ強いからです」(2コリ12章10節)。
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  • 神に軌道修正を迫られて(歴代誌下 12章)
    イスラエルの将軍たちは王と共にへりくだって言った。「主は正しい。」主は彼らがへりくだるのを御覧になった。主の言葉がシェマヤに臨んだ。
    「彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさず、間もなく彼らに救いを与える。」
    (歴代誌下12章6節~7節)
    レハブアム王は神の言葉に従い、戦うことを諦めました。そのために彼は神からの祝福をいただき、力を増し加えられていきました。人間というのは悲しいもので、そうなると今度は驕り高ぶり、神を忘れてしまうのでした。
    神は、このレハブアム王の高慢を打ち砕きます。エジプトのシシャクという王が大軍を率いて攻めてきた時に、神は預言者を通して、こうお告げになりました。「あなたたちはわたしを捨てた。わたしもあなたたちを捨て、シシャクの手に渡す」(5節)。するとレハブアム王は自分の愚かさに気づかされ、素直に自分の非を認め、頭を垂れたのでした。
    すると神は言われました。「彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさず、間もなく彼らに救いを与える」。こうしてレハブアム王は、さまざまな過ちを犯しながらも、その都度、神に軌道修正を迫られています。そして、それに素直に聞き従って、少しずつ信仰の成長が与えられていきました。これは私たちの信仰の歩みとも重なります。神は私たちと共におられ、忍耐強く、行く道を導いてくださいます。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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