リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 良い助言者を得よう(歴代誌下 22章)
    アハズヤは42歳で王となり、1年間エルサレムで王位にあった。その母は名をアタルヤといい、オムリの孫娘であった。この母が悪い勧めを与えたので、彼もアハブの家の道を歩んだ。
    (歴代誌下22章2節~3節)
    民からも見捨てられた王ヨラムが死んだ後にユダの王となったのは、他民族の襲撃からただひとり生き残った最年少の子アハズヤでした。アハズヤの母アタルヤは、「オムリの孫娘」、つまり北イスラエルの王アハブの娘です。アハブは「彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った」王であり(王上16章30節)、預言者エリヤは、このアハブのもとで盛んになったバアルの偶像礼拝と対決しました。その娘アタルヤも当然父親の影響を受けており、その影響はユダの新たな王にも及びました。アハズヤは母アタルヤを助言者としましたが、その実質は傀儡のようなものでした。その母の悪い勧めにより、アハズヤもまた「アハブの家の道」、すなわち神に背く道を歩んでしまいます。それに対する神の裁きは、イエフの反乱による死でした。
    私たちも人生において、助言者を必要とします。その多くは、私たちの身近な人物、家族や友人でしょう。しかし、身近な人が必ずしも良い助言を与えるとは限りません。かえって私たちを誤った道、神に背く道へと誘う場合もあるのです。神に従う者としてその道を踏み外さないよう良い助言者を得たいものです。
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  • 麻の衣と血の衣(ヨハネの黙示録 19章)
    「小羊の婚礼の日が来て、
    花嫁は用意を整えた。
    花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。
    この麻の衣とは、
    聖なる者たちの正しい行いである。」
    (ヨハネの黙示録19章7節~8節)
    「小羊の婚宴」と呼ばれる、終末における喜びの光景が描かれています。小羊イエスが花婿であり、教会が花嫁です。婚礼のとき、花嫁は輝く清い麻の衣を着せられます。その麻の衣は、「正しい行いである」とありますが、それは、行いによって花嫁と認められるという意味ではありません。この衣は「着せられ」るのであり、信仰によって救われた者が、さらに恵みによって正しい行いへと導かれるという意味です。
    ある牧師は、この麻の衣に約束された神の恵みを思いながら、生まれた娘に「麻衣」と名前を付けたそうです。
    恵みによって着せられるということは、このために救い主が犠牲を払ってくださったということです。黙示録はこのあと、救い主は「血に染まった衣を身にまとって」いたと記しています(13節)。キリストは十字架上で血を流し、その犠牲によって救いを与えてくださいました。人の目には不思議なことですが、小羊の血で洗われて、衣は白くなるのです(7章14節)。そのような麻の衣を着せられる婚宴の日を待ち望みつつ、十字架の主イエスを仰いで歩んでいきましょう。
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  • 真に人間らしく(ヨハネの黙示録 18章)
    地上の商人たちは、彼女のために泣き悲しむ。もはやだれも彼らの商品を買う者がないからである。その商品とは、金、銀、宝石…奴隷、人間である。
    (ヨハネの黙示録18章11節~13節)
    信仰者たちを苦しめたローマ帝国が「大バビロン」と呼ばれています(2節)。そこには、暴力的な力だけではなく富の力がありました。地上の王たちと共に多くの商人たちが、ローマ帝国にある数々の商品を求め、自らその支配下に入ったのでした。
    もちろん富や商売そのものが悪いわけではありません。しかし、思わず息を飲むのは、金、銀、宝石というぜいたくな商品のリストの最後に、「奴隷、人間」とあることです。人間が物のように扱われる世界がそこにはあり、ローマ帝国と商人たちの罪をはっきりと見ることができます。
    このような現実は、かたちを変えて今日の私たちの社会にもあるのではないでしょうか。しかし、神の力によって大バビロンは滅ぼされます。そして、「わたしの民よ、彼女から離れ去れ」と命じられます(4節)。キリストの救いにあずかる者は、物のように扱われていた生き方、また誰かを物のように扱ってしまっていた生き方から解放されて、真に人間らしく生きるのです。だからこそ御言葉は私たちに語りかけます。「私の民よ、離れ去れ」と。
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  • 秘められた意味を知る(ヨハネの黙示録 17章)
    すると、天使がわたしにこう言った。「なぜ驚くのか。わたしは、この女の秘められた意味と、女を乗せた獣、七つの頭と十本の角がある獣の秘められた意味とを知らせよう。
    (ヨハネの黙示録17章7節)
    獣とそこに乗った女を見て驚くヨハネに対して、天使はその秘められた意味を知らせようと言います。それは神を冒涜する悪しき力であり、教会を迫害する力でした。信仰者は、悪の現実をしっかりと見つめなければなりません。当時においては、ローマ帝国がまさにそのような力をふるっていました。
    しかし、ただ悪しき力の正体だけが知らされるのではありません。そのとき信仰者には、小羊イエスがその悪しき力に打ち勝たれること、さらに、「小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者たちもまた、勝利を収める」ということが明らかにされます(14節)。秘められた意味を知るとは、何よりも「神の秘められた計画が成就する」ことを知るということなのです(10章7節)。
    私たちも恐ろしい力を前にして、これは一体何なのか、なぜこのようなことが起こるのかと驚き戸惑うことがあります。しかし、聖書を開くとき、神の計画が知らされます。どれほど大きな力が押し寄せようとも、私たちには小羊イエスの勝利が約束されているのです。
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  • 愚かな王の末路(歴代誌下 21章)
    民は、その先祖のために火をたいたようには、彼のために火をたくことをしなかった。
    (歴代誌下21章19節)
    ヨシャファトの次にユダの王となったのは、子のヨラムでした。ヨラムは、彼以前の王たちにもまして悪く愚かな王でした。彼は王座を奪われることを恐れて、自分の兄弟すべてと国の高官の何人かを退けました。その統治においては、ユダの支配下にあったエドムやリブナの離反を招き、ユダの国力を低下させました。信仰面においても、父ヨシャファトが取り除いた聖なる高台を再び造り、民にも偶像礼拝をそそのかしました。こうした彼の行いは、やがてその報いを彼自身にもたらすことになります。
    神は、預言者エリヤを通して、彼の愚かさに対する裁きを告げます。その内容は、災いが彼の周囲の者たちを襲うこと、そして、彼自身が病に苦しめられることでした。災いは現実のものとなり、彼の子はひとりを残して失われます。そして、内臓を襲った不治の病によってヨラムは苦しみの中で死にました。彼は民からもその死を惜しまれることはありませんでした。まさに神からも人からも捨てられた王であったのです。神と人を愛することをキリストから教えられた私たちは、神と人とに愛される人生を歩みましょう。
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  • 神の戦い(歴代誌下 20章)
    彼は言った。「すべてのユダよ、エルサレムの住民とヨシャファト王よ、よく聞け。主はあなたたちにこう言われる。『この大軍を前にしても恐れるな。おじけるな。これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである。』」
    (歴代誌下20章15節)
    ヨシャファト王がアハブ王と同盟を結んだことを悔い改めた直後、モアブとアンモンとエドムの連合軍が攻めて来ました。三大宿敵が攻めて来たのですから、これは一大事です。ヨシャファト王は神に祈ります。「神よ、…わたしたちには、攻めて来るこの大軍を迎え撃つ力はなく、…ただあなたを仰ぐことしかできません」(12節)。すると、これは神の戦いだから恐れるな、との主の御声を聞きました。勇気を得たヨシャファト王が、神を賛美しながら敵軍に向かって行くと、「主はユダに攻め込んできたアンモン人、モアブ人、セイルの山の人々に伏兵を向けられたので、彼らは敗れた」のでした(22節)。
    私たちの信仰の戦いも神の戦いです。私たちが神を信じ、神をほめたたえて進むとき、神がすべての事を成し遂げてくださいます。「そのときあなたたちが戦う必要はない。堅く立って、主があなたたちを救うのを見よ。ユダとエルサレムの人々よ、恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出て行け。主が共にいる」(17節)。きょうもこの御言葉を心に刻み、勇気をもって世の戦いに出て行きましょう。
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  • 真実の友(歴代誌下 19章)
    先見者ハナニの子イエフは、ヨシャファト王の前に進み出て言った。「悪人を助け、主を憎む者の友になるとは何事ですか。そのため、主の怒りがあなたに下ります。」
    (歴代誌下19章:2節)
    ヨシャファト王はアハブ王と同盟を結び、愚かな戦争に協力したために、危うく命を落とすところでした。預言者イエフは、そのような彼を「悪人を助け、主を憎む者の友になるとは何事ですか」と責め立てました。このイエフの言葉をどう受けとめるべきでしょうか。
    私たちは、もともと神を信じないばかりか、むしろ神を憎む者たちでした。そのような私たちを神が愛し、私たちの友となってくださったからこそ、私たちは救われたのです。そうであるなら、私たちも、今神を憎んでいる人であっても、その人のために祈り、友となるべきではないでしょうか。
    しかし、ここでの問題は、そういうことではないのです。真実の友とは、自分の利益のために相手の悪に目をつむり、互いに利用し合うような関係ではないはずです。しかし、ヨシャファト王は、アハブ王の悪には目をつむり、お互いの利益のためだけの馴れ合いの関係に終始したのでした。これは決して神の御心ではありません。私たちもこの過ちを繰り返さないよう注意しましょう。
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  • 受け入れ難くても(歴代誌下 18章)
    イスラエルの王はヨシャファトに答えた。「もう一人、主の御旨を尋ねることのできる者がいます。しかし、彼はわたしに幸運を預言することがなく、いつも災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます。イムラの子ミカヤという者です。」
    (歴代誌下18章7節)
    ヨシャファト王は神の言葉に従ったので、神に祝福され、富と名声を得ました。ところが彼は、北王国のアハブ王の娘アタルヤを息子ヨラムの嫁に迎えた、というのです(1節)。アハブと言えば、カナン人の神バアルの信奉者で預言者エリヤを迫害した悪名高き王です。
    なぜそのような王と縁を結んだのでしょうか。それは同盟のためでした。ヨシャファト王は、たとえ信仰に反しても仲間を得ようとしたのです。またアハブから戦争に誘われた時、彼は相手に不快な思いをさせないように、心にもないことを言いました(3節)。
    それと対照的なのが預言者ミカヤです。彼は二人の王の前で、戦えば必ず負け、王は死に、兵は散り散りになると、王たちが一番嫌うことを言いました(7節)。
    み言葉に従うことは、自分の思いとみ言葉が重なる時にだけ従うというのではありません。時として、耳の痛い、受け入れ難いことであったとしても、与えられたみ言葉に従っていくのです。主の御心と一つになって生きる道こそが、まことに幸いな道です。
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  • 悔い改めのない恐ろしさ(ヨハネの黙示録 16章)
    人間は、激しい熱で焼かれ、この災いを支配する権威を持つ神の名を冒涜した。そして、悔い改めて神の栄光をたたえることをしなかった。
    (ヨハネの黙示録16章9節)
    七つの鉢に盛られている神の怒りが地上に注がれます。出エジプトの際にファラオの頑なさの故に十の災いが起こったように、七つの災いが引き起こされます。
    第三の災いは、水が血に変わったナイル川のように、すべての川とその源を血に染めます。これは、殉教者が流してきた血への裁きです。彼らの血はこれまで人びとの目から隠されていましたが、今や大地がその血を吸っていたことが明らかにされます。そして、天の神殿では「あなたの裁きは真実で正しい」と賛美の歌がうたわれます(7節)。
    地上では、竜、獣、偽預言者の口から出る蛙のようなもの(悪霊)は、王たちを惑わし、「ハルマゲドン」に集結させます(12~16節)。王たちは滅びに向かっていることを知らず、そこに至るまでの災いにより悔い改めることはありません。人びとは、災いを支配する神の名を冒涜します(9、11、21節)。
    ここに記されている恐ろしさは、悔い改めがないことです。裁きを受けて、悔い改めることができるなら、本当に幸いです。神の正しさへの賛美は、必ず、自らの罪深さへの悔い改めを生み出します。
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  • モーセの歌と小羊の歌(ヨハネの黙示録 15章)
    彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とをうたった。
    「全能者である神、主よ、
    あなたの業は偉大で、
    驚くべきもの。
    諸国の民の王よ、
    …
    聖なる方は、あなただけ。
    すべての国民が、来て、
    あなたの前にひれ伏すでしょう。
    あなたの正しい裁きが、
    明らかになったからです。」
    (ヨハネの黙示録15章3節~4節)
    「神の怒りがその極みに達」し、「神の怒りが盛られた七つの金の鉢」は、天使の手に渡っています(1、7節)。神の怒りは、竜に対して、また、獣の像を拝ませる人間とその像を拝む人間に向けられています。そして、神の怒りが極みに達するとき、獣に勝ち、その像に勝った者たちが、天の神殿で声高らかに「モーセの歌と小羊の歌とを」うたいます。
    この賛美は、天の神殿の歌声です。地上においては、七つの災いが到来しようとしています。しかしキリスト者は、この地での壮絶な戦いの最中に、天上の歌声を聞くことを許されています。賛美の内容は、神の裁きの正しさです。すべての国民が、神の裁きの正しさを知り、神にひれ伏すときが、必ず到来します。
    「モーセの歌」が、紅海を渡ったモーセがうたった歌であるなら、「小羊の歌」とは十字架で死の海を渡り、復活され死に勝利された小羊であるキリストがうたった歌となります。天上では今もモーセもキリストも、神の裁きの正しさをほめたたえています。
    キリスト者は小羊をたたえ、小羊は神をたたえ、栄光はすべて神に帰されます。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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