リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • ダビデの祈り(歴代誌上 29章)
    「わたしたちの神よ、今こそわたしたちはあなたに感謝し、輝かしい御名を賛美します。このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。」
    (歴代誌上29章13節~14節)
    神殿建築の準備を終えたダビデは、全会衆の前で祈ります。それは、彼の心からあふれ出て来た祈りです。
    まず神への賛美が出て来ました。「わたしたちの神よ、今こそわたしたちはあなたに感謝し、輝かしい御名を賛美します」。その後に続いたのは、驚くべき告白です。「このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません」。
    ダビデは、多くのことを成し遂げたにもかかわらず、自分は何も成しえていない者として、神への賛美と感謝に満たされています。確かに信仰によって確認するなら、その通りでしょう。しかし、それをそのままに知ることができるのは、神の恵みです。神殿建築の準備を通して、ダビデは、さらに、その心に多くの富を得たように見えます。
    神を知れば知るほどに、自分の貧しさを知る者として、神を仰ぎ続けます。「この地上におけるわたしたちの人生は影のようなもので、希望はありません」(15節)。望みは神にあります。
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  • 勇気をもって行え(歴代誌上 28章)
    「わが子ソロモンよ、この父の神を認め、全き心と喜びの魂をもってその神に仕えよ。主はすべての心を探り、すべての考えの奥底まで見抜かれるからである。…今、よく考えよ、主は聖所とすべき家を建てるためにあなたを選ばれた。勇気をもって行え。」
    (歴代誌上28章9節~10節)
    ダビデは、神殿建築を託したソロモンに対して、「今、よく考えよ」と勧めます。それは、人のことではなく、神のことをよく考えよということです。「主は聖所とすべき家を建てるためにあなたを選ばれた」。
    主なる神が神殿を建てるために、ソロモンを選ばれたのです。ですから、大切なのは、神殿建築の事業に向き合う前に、神に向き合うことです。すべてのことが神から出て、神によって成し遂げられます。これから先、順調に進もうが、いろいろと悩み苦しもうが、神と心を一つにすることに、事業の成否がかかっています。
    そうして、もう一つの勧めが続きます。「勇気をもって行え」。ダビデの準備は行き届いたものでした。神も必ず助けてくださいます。しかし、肝心のソロモンが勇気をもって神を信じなくてはなりません。「勇気をもって雄々しく実行せよ。恐れてはならない。おじけてはならない。わたしの神、神なる主はあなたと共にいて、決してあなたを離れず、捨て置かず、主の神殿に奉仕する職務をことごとく果たさせてくださるからである」(20節)。
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  • こぞって主を賛美せよ(詩編 150編)
    息あるものはこぞって 主を賛美せよ。
    ハレルヤ。
    (詩編150編6節)
    150編は詩編全体の結びにふさわしく、圧倒的な迫力で「主を賛美せよ」と私たちに迫ります。主こそ唯一の賛美されるべきお方であり、息あるものはこぞって主を賛美するよう呼びかけられています。
    「聖所で」、「大空の砦で」賛美せよ、と呼びかけ(1節)、「力強い御業のゆえに」、「大きな御力のゆえに」と賛美の根拠を挙げています(2節)。まことに主は力ある創造主であり、万物の保持者です。イスラエルを力強い御業によって救われた救い主であり、あらゆる楽器によって賛美されるにふさわしいお方です(3~5節)。
    詩人は最後に「息あるものはこぞって主を賛美せよ」と、主に命を与えられたものすべてに賛美を呼びかけます。私たちの創造主、救い主、主なる神は、その御業と御力のゆえに、あらゆるものから賛美を受けるにふさわしいお方です。
    主の日に同じ信仰をもつ兄弟姉妹と共に、聖所でこの主を賛美できる私たちは何と幸いでしょう。この特権と恵みを覚え、感謝し、心からの賛美を主にささげようではありませんか。
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  • 主イエスは我らのただ中に(ヨハネの黙示録 1章)
    ある主の日のこと、…後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。
    わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。
    (ヨハネの黙示録1章10節、12節~13節)
    ヨハネの黙示録は、一世紀末、キリストからヨハネに与えられた啓示(「黙示」という言葉は「啓示」とも訳せる)です。激しい迫害下にあったアジアにある七つの教会へ、この啓示が書き送られました。今、降り注ぐ迫害は厳しいけれども、やがて終わり、キリストが最後の勝利を得てくださるという、希望の信仰に堅く立つことを勧める書です。
    ヨハネは、礼拝をささげているとき、七つの教会を表す燭台と、その明かりを灯された方、主イエス・キリストが、燭台の真ん中に立っておられるのを見ました。主は、足まで届く衣を着て胸高に帯を締めた大祭司の服装をしておられました。
    主イエスは、サウロが主の弟子たちを殺そうと追う中、彼に「なぜ、わたしを迫害するのか」と問い、弟子への迫害を自分の事として受け止めてくださいました。黙示録では、大祭司の装いで教会のただ中に立ち、苦しむ人びとと共に居てくださるお姿に、ヨハネや七つの教会の人びとは、どれほど励まされ、希望を与えられたかと思います。その主が、今、さまざまな困難に喘ぐ私たちのただ中にも居てくださるのです。
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  • 神との和解から人との和解へ(フィレモンへの手紙 )
    だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。
    (フィレモンへの手紙17節~18節)
    オネシモのように逃げた奴隷は、当時のギリシア・ローマの社会の中で、誰からも庇護を受けられませんでした。オネシモは本当に困りました。逃げたことで非常に傷つきやすくて、脆い人間になりました。実は、主人のフィレモンがオネシモを見つけたら、彼を殺す権利を持っていました。ですからパウロもこの命に関する問題に関わりました。
    奴隷オネシモは、使徒パウロの良い影響でイエス・キリストに出会って、回心していました。パウロは彼の協力者フィレモンに、オネシモをただの逃亡者としてではなく、キリストにある兄弟として新しく見なした上で、改めて受け入れるように、手紙を書いています。
    パウロは、「神は、キリストを通して、わたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けにな」ったと語ります(2コリ5章18節)。神との和解は、キリスト者を人との和解の奉仕へと誘います。神は和解の言葉を私たちにゆだねられたのですから、私たちは、そのメッセージを実践し、世に伝え、世に和解をもたらしましょう。
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  • 教会の一致(フィリピの信徒への手紙 4章)
    だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。
    わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。
    (フィリピの信徒への手紙4章1節~2節)
    当時フィリピの教会にはエボディアとシンティケを中心に葛藤が起こっていました。パウロはこの二人の婦人を支えてくれるよう願います。福音のためにパウロと共に戦ってくれた婦人だったからです。おそらく、この二人はパウロを助けて、最初のころから熱心に教会に仕えたのでしょう。そのような二人が今、互いに争う関係になりました。
    この問題を解決するためにパウロはこの二人に「主において同じ思いを抱きなさい」と勧めます。「主において同じ思い」とは何を意味するのでしょうか。パウロはフィリピの信徒への手紙2章2節で同じ思いについて教えています。「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください」。
    抱くべき同じ思いとはイエス・キリストの心です。キリストを模範とし、キリストに倣ってキリストのような心を抱くことによって教会が一致します。へりくだって互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことに注意を払うことによって一つになることができるのです。
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  • 第一の秩序(歴代誌上 27章)
    イスラエルの子らの数は次のとおりである。家系の長、千人隊と百人隊の長、役人たちは、王に仕えて、一年中どの月も、月ごとに交替する各組のあらゆる事柄に当たった。1組に2万4千人いた。
    (歴代誌上27章1節)
    ダビデの時代、イスラエルの秩序はとてもよく整えられました。指導者として「家系の長、千人隊と百人隊の長、役人たち」が立てられました。また、彼らは王に仕えて、その職務を担いました。さらに、その指導者の下に、12の組分けがなされ、2万4千人ずつが割り当てられました。さらに、その12の組は、月ごとに責任を分担して担い、無理のない仕方で働きに従事したように見えます。 主の恵みによって、ダビデ王の下で、イスラエルは指揮力が整えられ、さまざまな課題に応じることができるようになりました。
    しかし、ダビデは整った指揮力に依り頼むことはありません。なぜならダビデは神を畏れ、神に信頼する者だったからです。やはり、頼むべき御方は神のみです。「富と栄光は御前にあり、あなたは万物を支配しておられる。…その御手をもっていかなるものでも大いなる者、力ある者となさることができる」(29章12節)。「王の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない」(詩33編16節)。神と心を一つにすること、これこそすべてに先立つ第一の秩序です。
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  • 門衛の勇気(歴代誌上 26章)
    彼らは皆オベド・エドムの子らで、彼らとその息子たち、兄弟たちと共に奉仕にふさわしい力を持つ勇者たちであった。…メシェレムヤには、息子と兄弟が併せて18人いた。皆、勇者であった。
    (歴代誌上26章8節~9節)
    この章で取り上げられる門衛の主な任務は、聖別されたものの保管でした(20、22、26、28節参照)。時代が下って、歴代誌下23章では、門衛は神殿の門を守って、ふさわしくない者たちや侵入者が入って来ないようにします。「主の神殿の門に門衛を立て、いかなる汚れであれ、汚れのある者は入れないようにした」とある通りです(代下23章19節)。神殿には聖なるものが保管されているからです。
    門衛の組分けにおいては、指導者として立てられた者たちが特に「勇者であった」ことが語られます。門衛は、ふさわしくないものを見分けます。そして、侵入しようとする相手がどのようなものであろうとも、断固として拒む勇気が必要です。
    このような門衛の勇気は、私たちが自分の心を守るときにも必要なものです。「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある」(箴4章23節)。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」(1コリ3章16節)。
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  • 平和を実現する人々(マタイによる福音書 5章)
    義に飢え渇く人々は、幸いである、
    その人たちは満たされる。
    憐れみ深い人々は、幸いである、
    その人たちは憐れみを受ける。
    心の清い人々は、幸いである、
    その人たちは神を見る。
    平和を実現する人々は、幸いである、
    その人たちは神の子と呼ばれる。
    (マタイによる福音書5章6節~9節)
    主イエスは、御言葉を聞こうと集まってきた人々を前に山上で説教をされました。よく知られた「山上の垂訓」です。「平和を実現する人々は、幸いである…」という御言葉は、第二次世界大戦後の平和主義運動に大きな励ましと力と希望とを与え続けてきました。
    この御言葉を、「戦争によって平和を実現せよ」というメッセージに読み替えようとする人は、さすがにいないでしょう。前後の文脈はそのような理解を許しません。「8月15日」に終止符を打ったあの戦争は、その破壊と殺戮の凄まじさにおいて、確かに、主イエスの指し示す平和とは対極に位置するものでした。
    主イエスの歩んだ十字架への道は、私たちすべてを神ご自身の和解と平和のうちに入れるためのものでした。その業の成就によって、私たちは御子の命を代価に「身請け」していただくことができたのです。それは、とてつもなく「高価な恵み」です。
    この恵みを受けた私たちキリスト者は、今、日本で、平和を実現する働きへと召されています。なぜなら、私たちは「神の子」と呼ばれる者たちなのですから。
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  • 主の慈しみに生きる人(詩編 149編)
    主は御自分の民を喜び
    貧しい人を救いの輝きで装われる。
    主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み
    伏していても喜びの声をあげる。
    (詩編149編4節~5節)
    詩人は冒頭で、主の慈しみに生きる人の集いで新しい賛美の歌を歌え、と主の民に呼びかけます。この詩編全体で「主の慈しみに生きる人」という表現が3回出てきます。この語は「聖徒」とも訳され、主との契約の慈しみに信頼し、献身と愛をもって応答している人を指します。
    主は一方的にイスラエルの民を救われ、彼らに救い主としてご自身を啓示され、彼らと契約を結ばれました。そして主は民の歴史の中で、その契約に基づく慈しみを示してこられました。主は人格的な神ですから、この慈しみは抽象的ではなく具体的です。預言者たちの言葉によって民を命の道へ導かれ養われました。彼らが契約を破ったときには「立ち帰れ」と呼ばれ、また悔い改めるとき喜んで受け入れられました。この主の不変の慈しみこそ、民の信仰の確信の根拠でした。
    この主の慈しみに信頼し、献身と愛をもって応答する人はまことに幸いです。「御自分の民」、「貧しい人」(4節)は「主の慈しみに生きる人」を指していると思われます。そのような人は主の栄光の輝き、勇気、また喜びと賛美の心を与えられるのです。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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