本編が終わった後に、2人とも話そうと思っていたのに触れそびえていたことに気づきました。Montelimaの楽曲「ワンダーランド」の2026年Handelicバージョンがリリースされたこと!オリジナルバージョンとのハンダさんのテンション感の違いに納得しつつ、新鮮に聴きました。ちょっとだけ僕が思ったことを以下に書きます。ジンの感想が知りたい方はジンに直接聞いてください。
以前のバージョンでは、ものすごく瑞々しくて、ちょっとだけ危うさを感じる、ひりつくような切実な青年がいて、「一人では寂しすぎる」と歌う。彼自身が辿り着きたい場所を、まるで幽体離脱して「君の行きたい世界」と俯瞰的に自分自身へと問いかけるような、それでいてそんな世界は幻想であると悟っているかのような、明るい曲調の中にある猛烈な切なさや哀しみがあった。どこかへ辿り着かなければならないのかもしれないが、世界は構造的にどこへも辿り着くことができない、ということを無意識下に知っている彼が、本当に大切にすべきものを大切にするのだ、それしかないのだ、という、決意表明のような。
だからときどき、聴いていて泣く。
でも今回のバージョンは、もっと清々しくて、この曲の歌詞が持つ意味がそのまま素直に僕たちの心へと入ってくる。キーが下がり、ベースラインは良い意味でより軽やかになり、曲自体のトーンは落ち着き、アルペジオは恐ろしいほどに澄み渡りピュアな響きを湛えている。そしてまるで、過去の彼自身へ伝えるかのように、さらっと、あくまでエモーショナルになりすぎず軽く、「心配ないよ」と歌われる。そこで、年月が明確に流れ去ったことにハッと気づく。ずっと少年のようなハンダさんの中で、色々なことが変わったことに気づく。全てがただ音楽的な心地よさの中に回収され、シンプルになっている。むしろアンサンブル的には少し複雑になっているのだけど、根底に流れる精神性の部分が恐ろしくシンプルになっている。僕たちを含めた後ろの世代への呼びかけのようでもあり、「ワンダーランド」というワードが、未来へ向けた言葉として、最後に歌い放たれる。
目を黒く塗り、違う世界へ到達してしまいそうなMontelimaのハンダさん、ではない。阿蘇という、人智を超えた美しさの中に佇む、僕らに馴染みのあるハンダさんがそこにいる。ロッキンチェアーにほぼ毎回やってきては最高に笑わせてくれるハンダさんがいる。
この曲は、メロディーと歌詞がとんでもない普遍性を持っているが故に、聴き手の聴き方や、歌う人や、当人であっても歌う時代によってこんなにも違う顔をみせるのだな、と。OasisのSupersonicをリリース直後に聴いてノエル自身に「この歌詞の意味がよくわかります、私のための曲よ!」的なことを言ったファンがいたらしく、それに対してノエルが、俺自身は歌詞の意味なんか何もわかっていないんだけどな、的なことを言っていて、今回の僕の駄文も、ハンダさんからすれば的外れで何言ってんだ、って感じかもしれませんが、僕が色々考えたことを一応ここに書いておきます。