実験「近況どうですか?」GG「タコピーの原罪って感じですね」実験「大変すぎません!?」
・実験「この作品初出が1994年なんですね…28年前でこれ描けるの!?って作品有るなと思います」(「康子」など)
・表題作が実に傑作→面倒くさい掃除当番をサボる/サボらないを巡って、"恵まれた環境"に囲まれた子の隠された感情を暴く作品
・後ほどヒット作「鈴木先生」にてリサイクルされるエピソード→「鈴木裁判」編を読んでくれ!
・GGの好きな作品①「ポケットにナイフを」…中学生の破壊衝動、犯人探しのミステリ感、ヒロインのカッコよさ→GG「みんなストレス溜まってんな、って…」実験「なんかだいぶサックリした感想になっちゃったねぇ」
・実験「今の中学生にこの作品はピンとこないんじゃないかねえ?」→今の非行少年少女(歌舞伎町のトー横キッズ)とはあり方が違うかもね
・GGの好きな作品②「シャイ子と本の虫」…実験「シャイ子いいキャラだよね」GG「シャイ子は本当にいるんですよ!!」実験「過去になんかありました?」
・シャイ子のふてぶてしさが、主人公の期待する人間の美しさと大きくすれ違う…自分本位主義?
・シャイ子は竹富作品でもっとも可愛い女の子なのでは…?('99年の作品なのに…)
・主人公たちピュアすぎるっていう話→そのピュアを美しく思いながら、現実の醜さと折り合いをつけていく
・90年代の中高生の性経験率はやたら高かったらしい→GG「いわゆる恋愛戦国時代ってやつですかね…」実験「そんな単語存在します?」
・自分の人生は恵まれていたか?→恵まれていたので社会に還元したい、恵まれていたけどただ単に運が良かっただけなので還元するようなものでもない、などの考え方
・実験「自分は勉強ができるんですけど、そのきっかけは算数の授業で勘違いから自分は勉強ができると思い込んだことが起源にある気がするんですよね…」「大学の入試もなんかヤマが当たったし」→全体的に進路に関わるところで非常に運が良かったという印象がある
・実験「運が良かっただけなので、”やりたいなにかを我慢してやりたくないなにかに尽力する”という意味での努力はやったことない」
・GG「"勉強ができるバフ"ってどういうもの?」実験「人と話してて相手のことバカだと思うこと全然なくてむしろ頭いいな~って思うことばかりなんだけど、そういう人が自分より明らかに勉強ができないので、自分は勉強が得意なんだろうな、という考えに至りましたね」
・GG「自分はその辺はデバフかかってる感じですね…」→でも生きていけてるしなんとかなるよね、みたいな考え
・「掃除当番」では、「何らかの事情」がなにもない恵まれた人生によって、却って自分を追い詰めてしまう心の有り様が描かれている
○掃除当番の思い出と自我の確立、「掃除当番」の物語の面白さ
・GG「僕はサボりまくってましたが、あるときからちゃんとやるようになった」→大人になって自我を確立して、社会とうまくやってけるようになった
・実験「僕はどちらかというと周囲に流されるタイプの人間だったので、そういうのを無視できるようになったときに"自我を確立したな~"っておもいました」
・GG「最近は自我の再確立をやっている感じ?かもです」…今まで逃げていたことに挑戦してみたら意外とやれたので、人生の捉え方を見直すフェーズに入ってきた、具体的には他人のオススメに影響されやすくなったかも?(それは本来自分が好きだったものが何だったかを見失う危険性も孕んでいるように思われる)
・美学(自分なりの考え方)の構築:実験「美学とかって無いほうが生きやすくはあるよね…」GG「鈍感な自分には憧れがありますけどね」
・美学の理論化について:あくまで美学はプリミティブな感覚的なものとして活用して、それを言語化するものとして理論を活用するのが順序として正しいのであって、その逆をやると変なことになる気がする
・実験「僕はこの作品の良さをちゃんと言語化できていない感じはしますね…」GG「僕は共感ベースで読むのですが、掃除当番の主人公は共感は半分くらいですね」実験「でもこの作品には掃除当番に対するいろんな立場の人が出てきて解像度が高い感じがしますね」
・実験「色んな"事情"がある人々ではなく、何の事情もない人にスポットライトを当てるというのがいい」「掃除当番はエンターテイメントとは別の面白さをやっているよね」…「主人公が勝つことでスカっとする」とかではなく「読んだ人に"自分を見つけてくれた!"と思わせるような作品」→存在の承認と救い(現代文学ってこういうのですか?)、町田康『告白』や柳本光晴『女の子が死ぬ話』、『最強伝説黒沢』など?