台湾では間も無く「父の日」を迎える。日本も含め、世界中の多くの国では、母の日は5月の第2日曜日、父の日は6月の第3日曜日と決まっている。台湾でも母の日は日本と同じく5月の第2日曜日だが、父の日は8月8日である。これは華語の「八」の発音が「Pa」で、「八八」と連続で発音すると「PaPa」になる語呂合わせからだと台湾の友人から聞いたことがある。歴史を紐解くと、第二次大戦終戦間近の1945年の8月8日に、中華民国の愛国人士たちが発起人となり、祖国のために奮闘している父親たちを讃えるため「父親節=父の日」の形で祝ったのがそもそもの始まりで、その後制度化されたということがわかった。「八八」で「PaPa」の音に通じるから、というのはどうやら後付けの理由らしい。だが、台湾の「父の日」が戦前の抗日戦争勝利に関係していることを知っている人は、台湾の若い世代では極めて少ない。それでも、台湾では8月8日の父の日に向けて、父親にプレゼントを用意したり、会食をするためにレストランを予約をしたりする人は多い。
世界を見渡した時、「父の日」が最も早く定着したのはアメリカである。まず、1907年にアンナ・ジャービスさんが、ウェスト・バージニア州で南北戦争時代に看護師として活動した亡き母を記念して、教会で白いカーネションを捧げたのが「母の日」の起源となった。「父の日」が生まれたのは、それから2年後の1909年に、アメリカのワシントン州在住のソノラ・ドッド夫人が「母の日」があって、なぜ「父の日」が無いのかと疑問を持ったことが契機だった。ドッド夫人は子どもの頃、母親を早くに亡くし、5人の弟とともに、父親のウィリアム・スマートさんに男手一つで育てられた。ところが、この父親が長年の疲労の蓄積から、若くして世を去ってしまった。その後、友人の勧めもあり、世の中の偉大な父親へ感謝するため、父の誕生日の6月5日を「父の日」とするよう州政府と掛け合った。この結果、ワシントン州が6月の第3日曜日を父の日に制定。他の州でもこれに倣い、やがて徐々に世界に広まったったというのが、「父の日」が定着した経緯である。
李千娜(Nana Lee)さんの歌で『爸爸』をOA。
そして、「八八」と言えば、2009年8月6日〜10日にかけて台湾を襲った台風8号、国際標準のアジア名では「モーラコット(莫拉克)」の被害を想起せずにはいられない。後に「八八水害」と呼ばれることになったこの台風は、屏東県で大水害を引き起こし、高雄県甲仙郷では小林村という村落を土石流が押し流し、400人近くが生き埋めとなった。台東県の知本温泉では卑南渓が氾濫し、温泉ホテルが建物ごと押し流された。南投県の廬山温泉も川が氾濫し、温泉街は壊滅的な被害を受けた。嘉義県の阿里山では降り始めからの雨量が3,000ミリ以上に達し、道路や山岳鉄道が寸断した。
この時、実は日本から私の父と叔父が遊びに来ていて、台湾で「父の日」を祝おうとしていたところだった。北部の台北では風は強かったものの大雨は降らなかったが、テレビの画面越しに観た被害状況は余りにも甚大で大いに驚愕し、平安を祈らずにいられなかったことを覚えている。この年は忘れられない父の日となってしまった。この「八八水害」から数か月後に、被害にあった台南の関仔嶺温泉に赴いた私は、復興支援のライブコンサートを行った。この日以来、台湾では8月8日は祈りの日にもなった。
<第2セクション【真夏のバレンタイン「七七情人節」】>
台湾には「真夏のバレンタイン・デー」がある。旧暦の7月7日の「七夕節」だ。日本では今は「七夕」は新暦で祝うところがほとんどであろう。ただ、私の生まれ故郷の仙台や少年時代を過ごし、今の実家がある埼玉県の狭山市は、旧暦の7月7日に近い、8月7日前後に市内の目抜通りを装飾して「七夕祭り」を行なっている。とりわけ仙台の「七夕祭り」は、青森の「ねぶた祭り」、秋田の「竿燈祭り」と並んで東北三大祭りに数えられるほど規模が大きい。この3年間は新型コロナウィルスの影響で中止や規模縮小に追い込まれていたが、今年は相当賑わいが戻っていることだろう。
台湾の「七夕節」、今年は8月22日が旧暦の7月7日に当たる。七夕は、中国の神話に登場する織姫と彦星の逢瀬の物語が起源である。中国の七夕伝説では、天帝の娘で機織りの名手・織姫が牛飼いの彦星と結ばれ、機織りに精を出さなくなってしまった。このため天帝の怒りに触れ、天の川の両岸に二人は離れ離れにされてしまい、一年に一度7月7日の夜だけ会うことを許された。この神話が中国の書物で最初に触れられたのが、今から2,600年前に編まれた『詩経』と言われるが、物語として完成するのは漢代から六朝時代にかけてと言われる。琴座のベガに当たる織女星は裁縫や機織りを司り、鷲座のアルタイルに当たる牽牛星は農業を司る星と考えられていた。 この二つの星が旧暦7月7日に天の川を挟み最も輝いていたことから、この日が二つの惹かれ合う星が一年一度の逢瀬を許される日とされ、ロマンティックで壮大な七夕の物語が完成していった。
ところで、日本では「七夕」をなぜ「たなばた」と呼ぶのだろう。これは中国から織姫と彦星の伝説が入る前から、日本には「棚機(たなばた)」と呼ばれる禊ぎ行事があったことに由来するらしい。乙女が織った着物を棚の上の神様にお供えをして、秋の豊作を祈り、人々のけがれを祓うというものだ。 やがて仏教が伝わると、この行事はお盆を迎える準備として旧暦の7月7日の夜に行われるようになった。現在「七夕」という二文字で「たなばた」と読ませるのも、この風習から来ていると言われる。したがって、日本の「七夕」は、日本古来の禊の機織り行事と中国の織女と彦星の伝説が結びついて発展していったものだと分かる。
一方、台湾では、七夕は「七娘媽(織姫)」の誕生日とされている。「七娘媽」は、子どもの守り神である。また、閩南系の漢人が信仰する「床母」という幼児の守り神もいて七夕には「床母」を祭る風習があるが、いずれも子どもの守り神である「七娘媽」と「床母」が何らかの形で混同が起こったということかもしれない。いずれにせよ、伝統的行事を重んじる幼児のいる家庭では、七夕の夜に「紙銭」や「床母」が着る着物を燃やして、お供えをする姿が今も見られる。
また台湾では、「七夕」は「七七情人節」とも呼ばれ、西洋から伝わった2月14日のバレンタインデーと同列の扱いで、「真夏のバレンタインデー」として現代社会にも息づいている。恋人同士の祭典を祝うため、各地で政府主催の花火大会やカップル限定のコンサートなどのイベントが開かれる。また縁結びの神様、「月下老人」を祀る「台北霞海城隍廟」やその一帯の迪化街でも七夕に関連する様々な行事が行われる予定だ。この日は多くのレストランも「情人節」特別メニューを用意するところもあり、恋人同士や夫婦でお祝いの食事をする姿も多く見られる。
韋禮安(Wei Bird)さんの歌で映画『月老(邦題:月老〜また会う日まで〜)』の主題歌にもなった『如果可以』の日本語版『赤い糸』をOA。原曲は華語で歌われているが、台湾のAKB48 Team TPのメンバーとしてこちらで活躍している藤井麻由さんが日本語の歌詞を書き、韋禮安さんご自身がセルフカバーをしている。
<第3セクション【真夏のバレンタインデーを扱った映画『消失的情人節(邦題:1秒先の彼女)』の日本リメイク版『1秒先の彼』が日本で上映中】>
私も謎の和尚として出演した台湾映画『消失的情人節(邦題:1秒先の彼女)』(陳玉勲監督)の日本でのリメイク版『1秒先の彼』(宮藤官九郎脚本・山下敦弘(のぶひろ)監督)が、今年の新暦の7月7日から公開中。旧暦ではないものの、7月7日の七夕に公開日を設定したのは、日本のスタッフも台湾の風習を理解した上でのことと思われる。日本版では舞台が京都、主人公の男女の役柄が入れ替わり、このためタイトルも台湾版の邦題の『1秒先の彼女』から『1秒先の彼』となっている。
日本のリメイク版は台湾でも台北映画祭でプレミア上映されたが、チケットは秒殺であった。台湾版原作の陳玉勲監督は上映後の会見でこう感想を述べている。「ほとんど1秒ごとにサプライズの連続の連続だった。台湾版に比べると相対的に写実的で、それでいてユーモアを失ってはいない。特に男女の役柄が入れ替わったことで様々な観点違っていて、台湾と日本の二つの作品はちょうどレコードのA面とB面のようで、一緒に観ることでさらにその魅力が増す。」日本リメイク版は台湾でも9月に公開予定。今から映画館に足を運ぶことが楽しみだ。
『消失的情人節(邦題:1秒先の彼女)』の主題歌で主人公シァオチーを演じた李霈瑜(Patty Lee)が歌った『Lost and Found』OA。