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インドネシア、クリンチマウンテンの麓
コーヒーの産地を訪れ、現地の生産者組合ALKO
海の向こうコーヒーチームと過ごす中で、
生まれた一つの問い
「人は土地から何を受け取り、何を返しているのか」
自然から多くの恩恵を受けながら暮らす私たち
コーヒー、森、水、土壌、気候、文化
私たちは何を返せるのか、
環境問題やアート、持続可能性について考えながら
クリンチマウンテンで見えてきたことを整理してみました
インドネシア・パダンに到着。
香港、ジャカルタを経由してようやく辿り着いたスマトラ島。
コーヒー栽培に適した土地とは何か。
人は自然をコントロールしているのか、それとも土地によって生かされているのか
漂着物を拾い続けてきた私が、
コーヒーの産地へ向かう道中で考えたこと
やっと頭が回り始めた!
土地と人との関係についての思索のはじまり回
東京出張中に「暇と退屈の倫理学」を読み始めた
まだ20ページくらいしか読んでない
なのにすでに色々考えてしまって止まらない!
止まらないおしゃべりは40分!
哲学?倫理学?アート?
ゆたかさとは、
人はなぜ旅をするのか
一冊の本を出張中のできごととひもとく
というほどの、出来事でもないかもしれない…
展示やイベントに行くたびに
いいなぁ、かっこいいなぁと思う人にたくさん出会う
それは憧れであり嫉妬
しかし妬みとは違う、ただ憧れているだけ
比較してしまう人間の性質はややこしい
私は私の表現でいいのだろうか?という揺れ、
私はじわじわ型、彼は彼女はパフォーマンス型。など
それぞれがもつ表現スタイル
優劣ではなく、
それぞれの「開き方」の違い
漂着物や空間、旅、境界、
いろんなものを行ったり来たりしながら制作してきた
毎年、来年こそ繋がる!
来年はきっと暇人だ。
などと言ってる気がするけど
今回は少し違う気がする、も毎年言ってるかも
よくあるいつまでも大成しない人みたいだ笑
アーティストは不思議な生き物と
我ながら思う時もあるけど
それは、アーティストだからとか
そういう話しではないし
「一緒に何かできそう」として
社会側と接続し始めた気がしてる
更新され続ける仮設空間
最近の制作と、
やっと噛み合ってきた感じ
それは相手がとかではなく
自分自身の感覚が、って感覚について
今までで一番グダグダしてます
言いたいことは言えばいいのに、
というか脱線を回避したかったのか
今回もまた取り止めのなさすぎる回。
タイに行った時、
私は「海ごみアーティスト」でも「環境活動家」でもなく、
自分の在り方さえ見失わなければ、
どこでも作品は立ち上がるんだという感覚
それこそ「無双モード」
所謂、ゾーンのようなも
最近は、モノそのものもさることながら
そこに滲み出る営みや痕跡、
存在の気配に興味が向いている。
そして山に登りながら感じる
何者かにならなくていい
ただのヒトである。という時間
私は何を作りたいのか?
もしかすると、
自然のような存在できる場をつくりたいのかもしれない
物理的なつくるというか立ち上げるとちうか
そんな最近考えていることを、
とりとめのないところを話してみたら
最長になりました
最近、「営み」という言葉をいしきしている
今までは、漂着物や素材、形や構造 モノそのものを見ていた気がする。
そのモノの中にある 「誰が使っていたのか」 「どんな暮らしの中にあったのか」 という、人の気配や痕跡
その背景に想いを馳せる
社会問題を説明することに意識が向いていた時期から、 今は場が立ち上がることや営みそのもの に興味が移ってきている。
という興味があったことに気づいた
私はそれを見ていた、惹かれていたのかと。
その営みは生き物に限らず万物に通ずる そんなことを観測している今日この頃
マルチタスクが苦手すぎる…。と改めて感じる
ぐらいに痛感というか
体感な今日この頃。
やることは山ほどあるのに、 ある一つのことが気になると、 その未確定感が頭に残り続ける。
わたしの中では確定だけど
GOサインを待ってるような
待ってる時間は待たずに
それはそれでやることあるのに
そんな地団駄を踏んではないけど
もちゃもちゃしてることが少なくない。
なんだこの状態は!と、調べていく中で 「オープンループ」や 「ツァイガルニク効果」という言葉に出会い 自分の脳内で起きていることが 少し整理された気がする
それに抗っていたはずなのに
人はやっぱり名前がつくと
安心する生き物のようで
しかし、この感覚は 制作や作品 意味を閉じないこと にも繋がっているのかもしれない
そんな最近の自分の頭の中について、 創作や場との関係も含めて話してみました
最近、同級生の近況や昔のコミュニティ、 コーヒーや旅の記憶を振り返ることが増えた
でもそれは、 「あの頃に戻りたい」という懐古ではなく、 今の自分が何でできているのか? を確認している感覚に近い気がする
思い出しているのは場所そのものではなく、 そこに立ち上がる空気や関係性なのかもしれない。
そんな振り返りを通して
自己の連続性の再編集をしてるらしい。 そして「物理的な場所」と「現象としての場」について
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