
Sign up to save your podcasts
Or


使い切ることと、循環すること
滞留させない、出し切りたい
作品や素材だけじゃなくて、空間も同じ
人が出入りして、循環が生まれる
場所そのものが生きていく感覚がある
逆に、どれだけ綺麗でも
使われなければ、止まっていく。
そんな「使い切ること」と「循環すること」
作業場開放してみて思ったこと 今の自分の状態とか話してみました。
オープンアトリエ初日を終えての記録。 しっかり雨の中、来てくれた方々。 思っていたよりも“開かれた場”になり、
作品のこと、場のこと、人との距離感。 そして「共有しないを共有する」
というテーマについても、
少しずつ見えてきたことを話しています。
まだ始まったばかりのこの場所の、
最初の一歩の記録です。
最近、大きな魚の絵が完成しました。
この作品は今回のオープンアトリエで展示しますが、 撮影不可にしています。
骨董の世界に「めあかがつく」という言葉があります。 見られすぎることで、そのものの価値や在り方が変わってしまうこと。
この作品は、消費される共有ではなく、 その場で静かに出会ってほしいと思っています。
描いている途中で気づいたのは、 自分の作品の中に「3」と「6」という構造が繰り返し現れていること。
六つの目を持つ魚。 三つの時間軸。 そして三つの星。
この魚は泳いでいるというより、 思考の海を漂っている存在なのかもしれません。
今回は、そんな「神髄」という作品について、 今の自分の思考と感覚をそのまま話しています。
オープンアトリエ「存在と痕跡の祝祭」について。 今回の展示は、これまでの制作の集大成のようでもあり、 同時に、まだ途中にいるという感覚でもあります。
カラフルだった時代、 今の深いトーン、 取得物コレクション、 そして“層”という考え方。
終わりと始まりが同時にある、 その曖昧で確かな場所について話します。
最近、絵が“整いすぎている”ことに違和感を感じていました。 スキがない。呼吸ができない。
そこに金色の雲を置いたら、突然風が通った。
分断しているようで、ひとつの口を持つ魚。 構造と流動、完成と隙、そのあいだの話。
今日は制作の途中経過をそのまま話しています。
まるで名探偵コナン
「真実はいつもひとつ」
そんな言葉にも聞こえる、
ひとは日々、あらゆる瞬間に
たくさんの刺激を受ける
現在、没頭中の
アルミ線画の原点はメキシカンアート
そこにタイから持ち帰った
木との相性が抜群すぎる
アジアと南米、そして
装飾文化であり敬愛する画家の
ほとんどはオーストリアをはじめ
ヨーロッパに
線画の中にみる点描はアボリジニー
と、あらゆる民族・地域の
体現が詰まっている。
人は消える。
肉体は終わる。
でも関係性は終わらない。
私の原体験
・いないけど、いる
・見えないけど、通じている
・形はなくても、関係は続く
という存在論と世界観について
「作品」って聞くと、なぜか構えてしまう。
でも実際、誰かの作ったものを手にしたとき、心は確かに躍る。
これは答えを出す回ではなく、
“なぜそう感じるのか”を考えながら話す回です
金額では測れない価値について、
静かに、つらつらと
最近、経営者系のコンテンツをよく見ていて気づいたことがあります。
私はHow toやマネタイズに惹かれているのではなく、
「周りに理解されなくても貫く精神」に共鳴していたんだな、ということ。
アーティストは自己実現、経営は社会実装。
一見、水と油のようで、でも完全に分離しているわけでもない。
混ざるけど、溶けすぎない、そのあいだを探している感覚について話しました。
最近は「居心地の悪さ」ではなく「違和感」という言葉を使いたい。
消耗する違和感と、拡張される違和感。
私は後者のほうへ、ズンズン行きたいと思っています。
かわいいものを作る時間も、考えが止まっているように見える時間も、
全部、次の言葉と制作のための準備期間。
そんな最近の思考の記録です。
From the publisher's feed