徒手空拳日記
2022年4月21日木曜日
避妊手術された猫は、桜の花びらのように片耳の一部をちょん切られるので、さくら猫と呼ばれます。
TNR活動とは、Trap, Neuter, Returnの頭文字で、つまり野良猫を捕獲して、避妊手術して、元の場所に戻すことです。保健所が殺処分している猫の多くが、生まれたばかりの子猫です。子猫を殺すべきか、避妊手術をすべきか、アメリカの共和党と民主党の人工中絶論争と根っこは同じ、つまりそれは、人間と神の領域の論争です。
私も相変わらず、そのTNRさくら猫活動を、人間のエゴ全開で続けていますけれど、避妊手術を終えた野良猫を、捕獲器から野に放つ時、猫のその逃げ足の速さに、いつも感動します。野良猫からすると、捕まってからずっと、絶体絶命のピンチなので、千載一遇のこの逃げる機会を逃すまいと、それはそれはもう、必死なのです。
野良猫があまりにも全速力で、一直線に逃げるので、逃げる途中でクルマに轢かれたりしないよう、林の中の、クルマの通る道のない方向へ、捕獲器の出口を向けます。
いつでもまた遊びに来いよ、なんて、野良猫に言ってみるのですが、猫は完全にスルーです。逃げるか戦うかでいえば、多くの場合、逃げるが勝ちなんです。絶対に逃げるなと洗脳されている朱子学カルトからすると、逃げとはすなわち死を意味してしまいます。
文春オンラインによれば、同期の上司である、スーパーバイザーからのパワハラを苦にした、くら寿司の店長が、お店の駐車場に停めたクルマで焼身自殺を図り、死んでしまいました。なんかこれ、強い怨念を感じます。朱子学カルトの国だからこそ、逃げることと死ぬことがセットになってしまっています。本来は、逃げるなら、のうのうと生きないと意味がありません。生きようとするからこそ、火事場のドーパミンが出るんじゃないかな。
最近は、拡大自殺と言われる、関係のない他人をたくさん巻き込んで死んでしまう、心斎橋ジョーカーのような事件も多いですが、これもまた、逃げることと死ぬことがセットになっています。あるいは、無期懲役を勝ち取るために、新幹線車内で無差別殺人をした、小島一朗みたいな狂気も、刑務所への逃げと、おのれの死が隣り合わせです。
逃げることと死ぬことがセットになる、この救いようのない狂気からいかにして逃れるか、逃げることの正気を、どうやって身につければいいのか、読書くらいしかないだろうなと思います。巨人の肩から、身の回りを見てみれば、ほとんどのものは取るに足らないことです。
逃げることと死ぬことが近いのは、とくにSNSのなかではないかと思います。ゼレンスキーを祭り上げてしまったウクライナなどは、典型的な、逃げると死ぬが直結する、SNSのエコーチェンバーになったのだと私は思います。日本人は米軍の奴隷なので、ロシアが10ゼロで間違っていると思い込んでいますけど、これは、奴隷監獄のエコーチェンバーです。
本日は以上です。ありがとうございました。
人のゆく裏に道あり花の山