徒手空拳日記
2022年1月25日火曜日
日本におけるZ世代とは、阪神淡路大震災頃から、東日本大震災頃までの、2つの大きな災いのあいだに生まれた人々のことを、意味します。
バブル直前の米国との経済戦争に、竹下登政権が完全に負けて、その負けっぷりがじわじわと目に見えてきた、地下鉄サリン事件の起きた年、ウィンドウズ95の発売くらいから、iPhoneの発売とSNSの普及くらいまで、要するに米国のデジタルプラットフォーマーが日本人の魂を占領して、金融とITで日本が完全に米国の属国となってから、この日本に生まれた人々のことを、Z世代と呼びます。
私からすると、コメツキバッタのように米軍にひれ伏す、政財官学マスメディアのことを、正しくて、かっこいいとインプリンティングされている、のっぺらぼうの人々、それがZ世代ではないかと思います。
一昨日の名護市長選挙の投票行動をみても、Z世代ほど自民党支持が有意に高く、これはつまり、支配体制に対して反抗的な人間よりも、米軍に飼いならされている人間を、頼もしく、好ましく感じる特徴があるようです。
物言えば唇寒しで、反抗や批判する人間を、危険であり、野蛮であるとして警戒したり、排除したりする傾向は、私に言わせれば、己の意思では鍵のかかっていない檻から決して出てこようとはしない、一種のセルフネグレクターでしかなく、一瞥の価値もないなと思っています。
AKB48とか、ジャニーズのように、よりすぐりと言われる若者たちでさえ、元気で明るくちょっぴりエッチ、それなのにとことん謙虚なそふりもうわべだけのようで、私からすると世界の若者と比べて決定的に表情がなく、目が死んでいます。
つまり、日本のZ世代って、ほぼほぼセルフネグレクターではないかと思います。国家と家と企業と軍隊と学校と病院によって、動物としてのバイタリティを完全にひっこ抜かれています。
私から見ると、彼らは非行少年ではなく、政財官学マスメディアによって考えることを封じられた、非考少年です。壮絶ないじめ地獄を生き抜くために、悪目立ちしないように、いたずらに自己肯定感を強くして、落胆しないように、大人を信頼して騙されないように、五感をとことんにぶらせて、怒りの感情を忘れ去り、世界と己の間に頑丈な、真っ白い壁をつくりあげています。
人間の動物らしさを毛嫌いし、自ら進んでロボットのように生きていく、アルファベットのZとは、最後の文字であり、つまり何らかのリニアの行き詰まりですけれど、Z世代の行く末など知ったことではないし、彼らと対話するくらいなら、もうこの世に生きていない、死んでしまった変人、たとえば金子光晴の書いたものを読んでいたほうが、私としては、全然いいなと思います。
金子光晴 の「おっとせい」を引用します。
だんだら縞のながい影を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、
拝礼してる奴らの群衆のなかで、
侮蔑しきったそぶりで、
ただひとり、
反対をむいてすましてるやつ。
おいら。
おっとせいのきらいなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「むこうむきになってる
おっとせい。」
本日は以上です。ありがとうございました。
人のゆく裏に道あり花の山