徒手空拳日記
2022年1月1日土曜日
サラリーマン時代にもらった、最後のカレンダーを捨てる時期になり、せいせいします。酒を一滴も飲まない私にとって、こころのカレンダーをそっとかけかえるだけのこの時期はなんとも、世の中が、ごちゃごちゃうるさいなあ、って思います。
今はまだまだ冬のまっただなかであり、西暦の切り替わりと、もともとは冬を無事生き抜いたことを祝う、アジアの正月文化を無理くりくっつけた、間抜けな明治レジームの狂気しか、日本の正月には感じません。
ファシズムの本質とは、大衆が権力によって、沈黙を強いられることではありません。ファシズムとは、逆に、大衆が権力によって、お喋りハイにされることです。キリンビールの一番搾りのCMみたいに、日の丸オピオイドであるエタノールを、ぐいぐい飲まされて、あーしあわせ、などとほざくことこそ、この極東に確立された、エタノールを活用した統治の技法そのものです。キリンビールとは、国民国家による薬物統治を担う、三菱の政治組織です。
つまり日本では、エタノールは権力から恵まれる命の水です。組織の飲み会に出ないとは、その恩恵を拒むことです。つまり御恩と奉公の関係を切ることです。現代では、体質としてお酒が飲めない人を、下戸と呼びますが、もともとは、酒も配られないくらい貧しい身分の民のことです。つまりまだまだ日本では、エタノールを飲めない、と、飲まないを社会が区別できず、どちらも賤しい民、権力に守られない除け者であると短絡する魯鈍さが、残っています。
政財官学マスメディアから、おためごかしにあてがわれる酒なんて、一滴も飲まない、いわゆるムテキの人で今年もやっていきましょう。さあ、Dry January のはじまりです。大げさではなく、もはやエタノールなしで生きたほうが、全然持続可能です。エタノールを飲んで、ドーパミンでランランとするよりも、エタノールを飲まないことによる自愛の心地よさによって出てくる、セロトニンの快楽でまったりしたほうが、QOLは高まります。
コロナ禍対策一辺倒のウラで、エタノール中毒の裾野も、深みも、どんどん悪くなっています。今年のキチガイ、今年のうちに、で年末に死んでしまった、曽根崎ジョーカーも、アルコール依存症だったようです。エタノールの泥沼から這い上がる方法はいくらでもありますが、町田康は、酒を飲んでも飲まなくても、人生は寂しい、と書いてます。
戦争で酷い目にあった敗戦国民は、敗戦後も一貫して政財官学マスメディアを心底で憎んでおり、今も昔もずっと信用してませんが、カネとエタノールだけは、信じてきました。敗戦による喪失を紛らわしてくれたのが、カネとエタノールでしたけど、それらがあってもなくても、寂しいことに変わりはない、そのことに気づく人が、増えてきたのではないかと思います。
ものの本質が、時間の経過とともに表に現れることを、しかびと言い、それが転じて、寂びになったとウィキペディアにはありますが、寂しいとは、時間の経過とともに現れる、己の本質です。寂しさを、自愛と捉えることで、エタノールはやめられます。寂しさを、カネや薬物で散らすのではなく、寂しさを大切なものとして愛でることによって、エタノールは意外に簡単に、手放すことができると思います。
本日は以上です。ありがとうございました。
人のゆく裏に道あり花の山