復興庁のホームページには、復興五輪とは、
東日本大震災に際して、世界中から頂いた支援への感謝や、復興しつつある被災地の姿を世界に伝え、国内外の方々に被災地や復興についての理解・共感を深めていただくこと
とあります。果たして、復興とはなんですか?
カレンダーの関係でしょうか、東日本大震災を振り返る特集番組が、この週末は目立ちます。10年ひと昔とはその通りで、あの頃の当たり前が、もういまとなってはほとんど身の周りに残っていません。放射能に怯えながら、地震の後もほぼ通勤していましたけど、あれはなんだったのでしょうか。
それにしても、カギカッコ付きの「復興」の結果としての、再建された東北の港町をテレビで見ると、防潮堤の無機質さばかりが浮き立って、阪神淡路大震災も東日本大震災も、出来上がった新しい街は、石の棺に見えてしまいます。
美談もノスタルジーも未来もなにも感じることのできない、政財官学マスメディアの利権ファーストの巨大なオブジェにしか見えません。津波で流された時が、一度目の喪失だとすれば、朱子学カルトの巨大オブジェがカタチになってしまった新たな街の完成は、被災者にとって二度目の喪失だろうなと思います。
いいようにやられてしまったという、どうしても悲しみばかりが漂ってきます。偉い人に復興の大きなパーパスがないので、お金にまみれる希望のない復興となってしまいました。顔のない年老いたシニアはみな異口同音に、若い世代にこれからを引き継ぐみたいなことをしゃあしゃあと言ってますが、そんな重荷を彼らに背負わせて、未来という美談にするのは、さすがにあり得ないなと思います。
戦争に負けてから、ひたすらモーレツに、金儲けのための組織や、場所や、時間ばかりが何よりも優先されて来ました。10年前の巨大津波が押し流したのは、経済至上主義に転じる前の街並みであり、居場所であり、人々でしたけれど、10年経って出来上がったのは、経済をまわすという名の金儲け以外の哲学がなんにもない、コンクリートの化け物にしか見えません。
これは、金儲けによる日本全土の劣化リノベーションだろうと思います。経済の役に立つためにだけ、存在している風景です。コスパとか生産性のために、役に立たないものは、ことごとく抹消されてしまいました。東北に限らず、あらゆる場所において、これから本当に求められるのは、ただそこにいるための場所です。役に立つかどうかなんてどうでもよくないですか?
やるためにいる場所ではなく、いるためにやる場所です。働かないために働くとは、いるためにやるということだと思います。やるためにいるばかりのファシズム国家として政治経済を勘違いしているので、なにもかも間違えて、醜くなってきます。
私には、代々木の新国立競技場もまた、神戸や東北と丸でおんなじの、コンクリートの棺のようにしか見えません。完全にコモディティ化された、無印良品のような、しょぼいデザインです。もはやこの国におけるあらゆるデザインやアートディレクションが、心肺停止状態です。