お間抜けな失政によって長引くステイホームで、矢鱈と家のなかにいる時間も長いので、昼間のあいだに居る場所を、がらっと変えてみました。大前研一の名言、
「人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。 この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは、『決意を新たにする』ことだ。」
そうだ、これを、ステイホームでもやってみたらいいのではないか、と思うのです。
これまであまり使ってなかった和室にオイルヒーターを入れて、16度くらいの、暑くもなく寒くもない空間で本を読んだり、ノートパソコンをいじったりしています。畳に座ったり寝たりする暮らしもいいものです。リビングにいないだけでも、世界から遠ざかることができるんだなと気づいて、そのことが改めて快適です。
リビングとは、アメリカ人がつくったものでしょうか、そこはどーんとテレビがある場所です。リビングから離れると、テレビをさらに観なくなります。リビングにいても、私の場合は、NetflixかYoutubeばかり見ていたので、よく考えればリビングにいなければならない理由は、丸でありませんでした。
アメリカ人にとって、テレビのネットワークというのは、防災無線みたいなものだったと私は思っています。ソ連からの核攻撃の恐怖がないかどうか、常にウォッチしておかないと不安だったろうと思います。コロナ禍が牛の涎のように続き、私の場合はより一層、マスメディアを遠ざけるようになりました。新聞や雑誌なども一文字も読まなくなりましたし、ネットでも新聞や雑誌の記事は最初から読みません。今日散歩がてら久しぶりに新刊書店に行ってみたら、売られている新しい本のシャビーさに、改めて驚きました。活字文化の衰退が加速しています。
時間配分やつきあう人は、会社を辞めて通勤がなくなることで、かなり変わりました。せっかくなくなった通勤時間に、朝のワイドショーを観てしまってはもったいないと思います。現場に行かないと、仕事した気にならない、その先入観そのものがもしかすると間違っているのかもしれません。
改めてステイホームの結果変わった生活によって実感するのは、あらゆる情報がもはやオンラインで手に入るということです。古い仕事観では、情報は一部の人が持っている貴重なもの、という前提がありましたが、いまはそんなことはありません。手にいれることのできる情報の質やスピードは、大企業であろうと個人であろうと実は大差ない気もします。
むしろ大企業のほうが、ステークホルダーが多過ぎて、政治に気を取られるばかりで、情報をまともに読解できていないことさえあります。情報の質や量よりも、それを独自の視点で読み込んで、いち早く行動に移せるかどうかが、ビジネスにおける勝負の分かれ目になっています。
大きな会社であればあるほど、まともな課題設定が、できなくなってきています。私が社会人になった頃から「マーケティング」って、ある程度規模のでかい市場に、あとから参入する時の差別化という名のチートを考えるだけの、超絶ブルシットジョブに既になってました。そんなものは、マーケティングでもなんでもないのです。インターネットによって、課題設定の民主化が起きています。クローズドな情報に気を取られて、正しい課題解決ができなくなっている企業がたくさんある一方で、インターネットと正気のインテリジェンスがあれば誰でも、鋭い課題設定ができる時代です。
何事も実は、シャープな課題設定さえできれば、解決できたも同然なのです。現在の政財官学マスメディアは、課題設定そのものができずに、重くなった図体が少しずつぬかるみにめり込んでいます。