熊本聖書教会の20分

熊本聖書教会の20分

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熊本聖書教会の20分 episodes

  • 神の命令を受けよう

    列王記上19章1節~16節から。何もやる気が起きない時はないでしょうか?何もしたくない・・・。身体が病気の時にやる気が起きないのは自然なことです。「休みなさい」という合図です。お布団に入ってゆっくり寝るのがいい。でも身体はどこも悪くないのに、何もやる気が起きないのはどこかおかしい。生命の本質は何かやることです。生きているものは何かやります。というか、生きているということと、何かやるということは同じことです。だから日本語では、身体は生きているのに何もやる気が起きない状態を「生ける屍」と言います。生ける屍状態から神はどうやって救ってくださるのか?

    21 min
  • 現状維持で叱られた

    マタイによる福音書25章14節~29節から。何かに挑戦したら失敗するかもしれません。でも失敗は失敗じゃありません。失敗は学びのチャンスです。やってみないと見えてこないことがあります。「やってみて無駄だった」。いや無駄じゃありません。少なくとも無駄だということを経験で学べます。すべては教訓になります。失敗はいつか活きます。神さまはこういう人を用います。成功するためじゃなくて、学ぶために挑戦する人です。天の御国は打率じゃありません。天の御国は打席に立つ回数です。空振りしても、凡打になっても、打席に立ってバットを振り続ける忠実さです。

    14 min
  • 悩みの整頓術

    ヨブ記21章1節~3節から。悩みというのは、頭の中が整理ができない状態です。悩みとは、整理できない考えのことです。頭の中で考えが整理できないと人は苦しみます。言ってみれば、頭の中がカオスになっているわけです。混乱しているわけです。頭の中がゴミ屋敷状態です。何から手を付けていいかわからない。何をやっていいかわからない。頭の中の秩序のなさ、混乱、これが悩みの原因です。これが辛い、これが人を苦しめます。では悩みの整頓術とは?

    18 min
  • いま自分にある最上のもの

    サムエル記下19章1節~9節から。今週のお話が教えることは何か?いま自分にある最上のものがわからなくなるのが、私たちの人生最大のピンチだということです。普通は、「いま自分にある最上のもの」は誰でも大切にすると思ってしまいます。でも実際は逆です。私たち、価値が分からない物はいつか失くしてしまいます。

    16 min
  • 黄色信号のおかげ

    エペソ人への手紙4章26節から。怒りとは感情の1つです。神は人間を怒るように造りました。怒りというと良いイメージではありません。でも神が人間を怒るように造ったということには何か意味があるはずです。もしかして怒りには必要な面もあるのではないか?そうだとしたら、怒りを上手に扱えばいいんじゃないか?役に立てればいいんじゃないか?今日は怒りがテーマです。

    19 min
  • やった後悔、やらなかった後悔

    コリント人への手紙第二7章8節~9節から。さて、みなさん、人生でやり残したことはないでしょうか?私たちも迷う時があります。やろうか、やるまいか?後悔しない選択をしたいものです。もし、これだけはやっておきたいという強い思いがあり、やろうか、やるまいか、どっちかで真剣に迷う場合、今日のお話を参考に判断してみてはいかがでしょうか?

    15 min
  • 運んだ水はぶどう酒に

    ヨハネによる福音書2章1節~10節から。努力しても結果がなかなか出ないとだんだん息切れしそうになります。「何も変わらないんじゃないか」、そう思いだすと徒労感が出てきます。大きな水がめに無意味に延々と水を入れている感じです。すぐには結果が出ない時、思い出しましょう。運んでいる水はいずれぶどう酒に変わると。私たちが流す汗はぶどう酒に変わる水です。

    15 min
  • 小さいものが大きく

    「真珠を見つけた時には喜びがある」、イエスさまはそう言います。真珠はすでに私たちの生活にあります。しかも豊かにあります。あとは見つけるかどうかです。小さく見えることの中に真珠があります。

    14 min
  • ちゃんと言い返す

    ネヘミヤ記6章5節~13節から。今日は私たちが強く生きるために絶対必要なことをお話しします。実は無意識にやっていることです。今みなさんが元気なら、それをやってきたおかげです。そして、これからもやり続けなきゃいけないことです。

    22 min

About 熊本聖書教会の20分

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語り手は長澤牧人。米国ニューヨークのユニオン神学大学院(Union Theological Seminary in the City of New York)で博士号(Ph. D)を取得。牧師であり神学校でも教鞭を取っている。