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天地金乃神様は教祖様に取り次ぎによる人助けを頼まれたわけですが、この原初の形態では人々に真実の助かりを渡すことが出来られなかったように思います。即ち取り次ぎによる人助けには質的にも量的にも限界があることになると思います。その次に試しておられるのが御理解による人助けと言うことではないでしょうか。氏子が御理解を頂き、自らを改っての助かりようです。
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(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
最初天地金乃神様は教祖様に氏子の難儀を取り次ぎ助けることを頼まれましたが、後の方では「此方のは氏子に信心の道教え、理解だけでよし」と仰られています。即ち御理解による助かりの世界が開けてくることになります。人助けの究極の御理解が天地書附と言うことになりましょうか。そこへ至る過程としての師匠大坪総一郎師の御理解で人が助かると言う世界が開かれることになります。
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取次者不要の時代が来つつあるように思います。いやもう既に来ているのかもしれません。それは教祖様の神前撤去、取り次ぎの業が差し止められ、その代わりのように生まれた天地書附。天地金乃神様の人助けの手段が取り次ぎをもってのものから天地書附をもってのものへと進化したのではないでしょうか。取次者による人助けは時代遅れだとも言えるのかもしれませんね。
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御道は通説として取り次ぎの宗教と言われることがある。氏子の願いを取次者によって天地金乃神様に取り次いでもらい、神様のおかげを頂こうと言うのである。しかし私に限ればそう言うふうにして願い事を叶えてもらった記憶は無い。師匠大坪総一郎師の御教え、成り行きを尊び大切に、に取り組んだ記憶しかない。
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御道での信心生活とは日常生活の中に天地金乃神様の御働きを体感させて頂きながら日々を過ごさせて頂くことだと思います。毎日の生活の中で些細なことでも神様にお願いをし、お繰り合わせを頂いたと実感する体験の積み重ねが大切だと思います。神様を便利屋のように使うのとは微妙に違います。
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なにごとも神の差し向けとも、成り行きは神様の御働きとも表現されますが、その私どもの身の上に起きて来る出来事、事柄、即ち成り行き、それは天地金乃神様が人間氏子の心を育て真実の助かりの世界へ導こうとされる神様の御働きです。ですからその成り行きを尊び大切にすることによって真の助かりの世界へと導かれるのです。
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私どもの身の上に起きて来る様々な出来事、事柄、即ち成り行きは神様のお膳立てです。金光教教祖生神金光様は天地金乃神様より、なにごとも神の差し向けとお知らせを頂いておられます。師匠大坪総一郎師は、成り行きは神様の御働きと教えて下さいます。私は昨日御心眼に、神様のお膳立てと頂きました。
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師匠大坪総一郎師の御教えの核をなすものは、成り行きを尊び大切にすると言うことです。師匠の許での具体的な信心の稽古は身の上に起きて来る様々な成り行きを天地金乃神様の御働きとして尊び大切にすることから始まります。その大切にすると言うことの内容が多くの御教えの中に教えられています。
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私どもの願いごとが叶ういう助かりようから、願いごとが叶わないという助かりようへと育って行かなければなりません。即ち、私利私欲の目先目先の願いごとが叶うことを良しとする信心から、天地金乃神様の願いが成就する真の助かりを求めての信心へと育って行かなければなりません。もちろん日々のおかげを頂いてのことです。
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師匠大坪総一郎師は、吾無芸無能無才にしてただ信あるのみ、と仰っておられた。吾無力とも。神様のおかげを頂かなければここ一寸動けぬ私。お茶碗の上げ下げ、箸の上げ下ろしに至るまで神様のお許しを頂かなければ何一つとして出来ない私とも。それが悟りともなりいよいよ謙虚な姿勢が身に着いたときはじめて無限の道は開かれるのだろう。
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