
Sign up to save your podcasts
Or


大概の人は神様に助けを求めます。しかし人が求める助かりは一時凌ぎ的助かりが多いように思えます。例えばお腹が空いたからおにぎりを下さいと言うような感じでしょうか。一方天地金乃神様が氏子に授けたいのは永劫の真の助かりです。言わば田の耕し方、稲の作り方、収穫の仕方、ご飯の炊き方等々です。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
師匠大坪総一郎師は、願いの信心が最高峰と教えて下さいます。しかしその願う内容は、私利私欲やわがまま、我情我欲、を満たそうとする身欲身勝手な願いではありません。神様のおかげを頂かなければ何一つ出来ない私なのだと、吾無力を悟るがゆえのそこから生まれてくる願いなのです。更に神様の願いを受けて、それを我が願いとして願う願いでもあります。そう言う意味での願いの信心が最高峰なのです。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
一本筋の通った信心をしなければなりません。師匠大坪総一郎師は、信心は背水の陣をしいてのものでなければならないと仰っておられました。一つには、とかく人は生活のために働いてお金を得ようといたします。ところが師匠には自分の生活と言うものはあられませんでした。神様のお役に立つための全身全霊であられたのです。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
今、AIに師匠大坪総一郎師の御理解研修を誰でも聴けるようにするためのプログラム作成をお願いしています。しかし、1回お願いすればそれで完璧なものが出来上がると言うものではありません。何回も何回も修正が必要です。すなわち会話の積み重ねが要るのです。これは神様との間においても同様です。信心を深めるには神様との密なる会話の積み重ねが要ります。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
信心をさせて頂いていると、世界があたかも私中心に動いているかのように感じさせて頂く時が有ります。師匠大坪総一郎師の御理解研修の模様がオープンテープに昭和52年から57年まで録音されています。そのデジタル化されたものが有ります。それを日付別に聞きやすいようにAIが作ってくれました。AIもこの作業のために作り出されたのかと思います。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
今朝は、ハイの一言は我死するも同じこと、と頂きました。これは以前ある先生が神様から頂かれたものです。更に、信心修行の意義の一つは、私どもの思いのしら真剣さを神様に伝えようとするもの、と頂きました。修行という修行が大切ですが、私どもの願いの真剣さを神様に伝えようとするためでもあります。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
信心にも色々な信心が有ります。困ったときの神頼み的信心や、御礼の信心、お詫びの信心、願いの信心、普通の時は神様を忘れてしまい困った時だけの便利屋さん的信心などなど。御道の信心は真の信心です。真の信心とは人間の真の助かりを求めるものでなければなりません。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
信心とは自らの心の成長を目指すわけですが、その心を育てると言うことを具体的に言うと改まると言うことです。どう改まるのか、それは神様の御心に適う私どもの心になるよう日々に改まって行くことです。自らの心を改まって天地日月の心を身に着けようとする精進です。そこに真の助かりが有ります。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
御理解第一節に「今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ」とありますが、目を覚ますとはどう言うことなのでしょうか。何となくは分かりますが具体的にと言うと良くは分かりません。今朝はそこのところを、「自らの心を育てることに目を覚ます」と頂きました。先ずはこの目覚ましが必要です。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
神様と二人三脚と言うことは、神様が左、私どもが右側として、神様が右足を前に出そうとしておられるのに私どもが左足をそのままにしていたり、右足を出そうとすると転んでしまいます。私どもの思いを捨てて神様の歩調に合わせて足を運ぶとき初めて前に進みます。私利私欲、我情我欲を捨てなければ神様と二人三脚はできないと言うことです。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
From the publisher's feed

0 Listeners