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株式会社エムスリー・カンパニー代表取締役社長の
松本淳さんの言葉に、イノベーションの一つの型を教えて頂いた気がしました
曰く
「強固な“当たり前”があるカテゴリーや商品ほど、今までとは違う視点の新しい文脈を設計できたときに、大きな認識の転換が起こります。
その意味で、私はコモディティ化をまったく脅威だとは考えていません。
固定化した認識を動かすための、むしろ絶好の機会だととらえています。」
ここから私は思いました
1、誰も疑わないから疑いをかける
2、意味を変えることで、価値は生まれ直す
3、別の土俵の探索
1、誰も疑わないから疑いをかける
コモディティ化された市場では、誰もが差別化できなくなり、だんだん萎んでいく。そんなふうに考えてしまいそうなところに
だからこそ、そこにチャンスがあるのだという、逆転の発想に痺れました
「当たり前」が強いほど、そこには共通理解があり、誰も疑わなくなる
だからこそ、ほんの少し視点をずらしただけで、大きな違和感と発見が生まれる可能性があるというのは、目から鱗が落ちる話でした
しかし、強烈に当たり前なことは、誰もが気づかないほどに当たり前となっている
または、聖域として長い間誰も手を触れずにきている
ここに難しさがあると思います
しかしだからこそ、批判や大失敗を覚悟して、そこに取り組む覚悟と勇気
必要となるなあと思いました
2、意味を変えることで、価値は生まれ直す
モノそのものが変わらなくても、その意味づけが変わると、まったく別の価値として立ち上がることがあるのだなあと気付かされました
秋元康さんがアイドルを、成長を共に支えていく物語に変えたように、まったく別の価値として息づいてくることってあるのだなあと
コモディティ化とは、機能の差がなくなった状態。
でもそれは、意味の再設計がまだ残っているということでもある。といことなのかもしれないと
どんな文脈で語っていくのか
そこを変えた瞬間に、既存の商品はもう一度、新しく生まれ変わることができるのかもしれないと思いました
3、別の土俵の探索
多くの場合、コモディティ化すると、価格競争に入ってしまいます。
でも本質はそこではなくて、「どの土俵で語るか」なのかもしれないなと思いました
社会学者のピエール・ブルデューは、人の価値判断は「場(フィールド)」によって規定されると述べています。
つまり、同じものでも、置かれる土俵によって価値は変わる。
であれば、戦うべきは他社ではなく、文脈そのもの。
どんな意味の中に置くか。
どんなストーリーで届けるか。
ある意味、さまざまな土俵を探索することが、競争を抜け出す鍵になるのだと思いました
一言でいうと、
コモディティ化は絶好の機会ノベーション
そんな話をしています
参考: 本:ヒット商品を生み出す! 認識のからくり 二〇二六年二月一三日 発行 著者 松本 淳 発行元 株式会社 幻冬舎メディアコンサルティング
演劇と落語のコラボレーションした「演劇×落語=演劇作品」の舞台 死神を、観させて頂き、新たなイノベーションの生まれる瞬間を目撃させていただきました
脚本演出の倉持裕さんと、俳優としても舞台に立つ立川流・真打の立川志の春さんの言葉に考えさせられました
曰く
「落語の国っていうのは優しいユートピアで、最後は『バカだけど、それが人間だもん♪』で終わる。でも、この台本を読んだとき、業を肯定しきらないヒリヒリした感じを受けましたね。」
「落語は最終的には人間を信じているけれど、演劇の場合は、その瞬間、人間がどっちに行くかわからない。いい奴だと言いながら転落するかもしれないし、自分の欲を優先するかもしれない。その危うさが、演劇ならではのリアルさだなと感じます。」
ここから私は、落語と演劇のコラボレーションについて、思いました
1、制限と拡張
2、型と自由
3、コアコンピタンスの往復運動
1、制限と拡張
落語は、基本的に一人で世界を立ち上げていく芸です
語り手一人の中に、登場人物も、情景も、時間の流れもすべてが宿る
その制限があるからこそ、観る側の想像力が引き出される
一方で演劇は、多数の人間が関わることで
視覚的にも身体的にも、想像を超えてくる
ここで面白いのは、制限と拡張という、まったく異なるアプローチが共存していることだと思います
落語は想像力の拡張であり、演劇は身体と空間の拡張になる
その違いがぶつかることで、まったく新しい感覚が立ち上がってきたのかもしれないなあと思いました
2、型と自由
落語には「型」があります
話し方、間、構造、すでに磨かれてきたフォーマットがある
それは安心感でもあり、入口の優しさでもある
一方で演劇は、その都度つくられる自由さがある
どこまでいくのか分からないワクワクや、予測不能な展開がある
演劇理論家のピーター・ブルックは『なにもない空間』の中で、「空間があって、誰かがそこを横切り、別の誰かがそれを見るだけで、それはすでに演劇である」と語っています
つまり演劇には、厳密な“型”がなくても成立するという前提がある
むしろ、何もないところから立ち上がる自由こそが本質でもある
型があることで磨かれてきた芸と
型がなくても成立してしまう芸
この対比こそが、とてもイノベーティブな気づきをいただいた気がしました
3、コアコンピタンスの往復運動
今回舞台を見て感じたことは
「混ぜる」ではなく「行き来する」という感覚でした
オープンイノベーションの世界では、混ぜることによって新たらしい価値を生み出すという方向性になりますが
圧倒的なコアコンピタンスを持っているものは、混ぜていくよりも
むしろ異種格闘技のように、各々が異種の良いところを取り入れて、また更なるアップデートをしていく感覚なのかもしれないと思いました
混ぜることで新しいことが生まれることも素敵ですが、混ざり合わないんだけれども、影響し合う、という各々は失われないコラボレーションの形というものも、とても面白いものになるという気がしました
岡本太郎さんが、ピカソを観て、アンチピカソと言い切ったように、しかし、そのエッセンスを強烈に影響を受けて更なる進化を遂げられたように
落語と演劇の異種格闘技をファイトして、さらにそこから、新たな落語、新たな演劇が生まれるワクワク感
一言で言うと
落語と演劇の異種格闘技ノベーション
そんなことを思いました
参考:舞台 死神 作・演出 倉持裕 原案/三遊亭圓朝「死神」より [企画・製作]スマートリバー/ヒロ・カンパニー H &Aプロデュース 出演:水野美紀 牧島輝 など https://www.h-and-a-planning-shinigami.com
ドジャースの国際スカウティング部門ハイスプレジデントであるゲーレン・カーさんが、編成トップのアンドリュー・フリードマンさんについて語った言葉が、ずっと残っています
"アンドリューは「スカウトのグループとデータ分析の部門が一緒に働けるようにしてほしい」と(私の入団時に)言いました
つまりデータや数字を分析する人たちと協力させるということです
当時はスカウトとアナリストを一緒にするという考えはまだ新しいものでした
しかしそれこそがアンドリューの信念の一例でした
部門同士を結びつけ*協力させるということです
部門の垣根を越えて.協力すること
それが彼がとても大切にしていることの1つです"
参考:栗山英樹 ザ・トップインタビュー 特別編(2026年3月21日)
ここから私は思いました
1、ずっけーサービス
2、人材混合で価値創発
3、仕組み化が社内文化を創る
1、ずっけーサービス
スカウトとアナリスト。
感覚とデータ。
スペシャリスト同士なので、本来なら、ぶつかりやすいものです。
でもフリードマンは、それを分けるのではなく、あえて重ねた。
経営学者のピーター・ドラッカーは「組織の目的は、強みを結合し弱みを無意味にすることである」と語っています。
強みは、単体ではなく“組み合わさった時”に初めて価値になる。
だからこそ、違いを排除するのではなく、接続する。
NHKの元プロデューサーの小国士朗(おぐにしろう)さんの言われていたずっけーサービを思い出しました
コアコンピタンスを掛け合わせることで、他者が追いつけないサービスができるということを実現する
そこに、イノベーションの起点があるのかもしれないなあと思いました
2、人材混合で価値創発
このようなずっけーサービスを考えるのを、幹部や新規部門だけにしておくのは、とってももったいないと思います。
ほっとくと、人はどうしても、自分の正しさを守ろうとしてしまい
スカウトは「現場の目」を信じ、
アナリストは「データの裏付け」を信じる。
ここで重要なのは、どちらを勝たせるかではなく、
“どうすれば重なり新しい価値を創発できるか”を設計することで、それを社員全員で取り組めるようなアクティビティにできるかが大切かと思いました。
社会学者のエティエンヌ・ウェンガーは、実践共同体の中で「異なる知の交差点にこそ学習が生まれる」と述べています。
違いは衝突ではなく、学習の源泉。
混ぜたことによって、何が生まれるのか?この試行錯誤をしていく中で、新たな価値創発をする組み合わせを、具現化していく
ただ単に混ぜれば良いということではないし
それは千三つかもしれないければども、そこで生まれた価値を拾い続ける
その前提に立てるかどうかで、組織の進化は変わるかもしれないなあと思いました
3、仕組み化が社内文化を創る
社内文化を変えたいとは、さまざまな企業で言われていると思いますが、ミッションバリューを変えても、私はワクワクが足りないのではないかと思います
それよりも、みんなで混じり合って、混じったことで新しいことが生まれるんじゃないか?というアクティビティにみんな参加して
そしてそこから千に一つでもフラッグシップが出たら、そんなワクワクをみんなもやりたくなってくる
そこに、文化的なものがついてくるような気がします
組織論の研究でも、「構造は行動を規定し、行動が文化を形成する」と言われています。
イノベーティブな企業文化は、一夜にしてなりませんが、みんなを混ぜる仕組み化をして、それを継続し、さらに成果を出していくサイクルを回せた時、いつの間にか普通になっている
一言でいうと
違いをつなぎ、価値を生み出し、具現化する仕組みの設計こそが、勝ち続ける組織をつくる、ということになるのかもしれないなと改めて思わせて頂きました
社内越境ノベーション
そんな話をしています
参考:NHK BS「栗山英樹 ザ・トップインタビュー」特別編 ドジャース・常勝軍団の秘密に迫る(2026年3月21日)https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-615XJRJY38/ep/RK2V3QY75M
ドジャースの日本選手リレーションズ担当 佐藤弥生 さんが、編成トップの アンドリュー・フリードマン さんが変革した内容として語っていた言葉に、これからの組織戦略を見た気がしました
「ファミリープログラムという部署が編成の方にありまして
その部署の人間ともう 1人 2人体制でしっかりその家族、奥様、パートナープラスお子さんも含めて、しっかりケアをしていくっていうことを、ベースボールの任務としてやっている。
っていうところが一つ大きな変化だったなと思いますし、
それが本当に成果が出ていて、選手がドジャースを選んだ理由の一つとして、ファミリーをテイクケアしてくれるからだっていうこと、発言がすごく増えていると思うんですよね。」
ここから私は思いました
1、人は何のために働くのか
2、挑戦を支える仲間は誰か
3、組織の境界への挑戦
1、人は何のために働くのか
デシアンドライアンの内発的動機の話は、とても大切と思いますが、もしかしたら、人は、自分の内側から湧いてくる動機だけで働いているわけではないのかもしれません。
誰かのために何かをしてあげたい。
その“贈与の気持ち”が、人をより深いところで動かしている場合もある気がします
人類学者 マルセル・モース は『贈与論』の中で、人間社会は与える・受け取る・返すという関係の連なりで成り立っていると示しています。
家族や大切な人が守られている環境は、単なる安心ではなく、
「この人たちのために頑張りたい」というエネルギーを自然に引き出す。
内発的動機と、贈与したくなる関係。
その両方が揃ったとき、人は本当に力を発揮できるのかもしれないなあと思いました
情熱のポートフォリオで言えば、大好き、成長、個性パッションに加えて、利他パッションも見逃してはいけないと思いました
2、挑戦を支える仲間は誰か
チームメイトやスタッフ、ファン。
どれも間違いなく大切な仲間です。
ただ、本当にギリギリの場面で支えているのは誰か。
そう考えると、最も身近にいる存在という場合もある気がします
精神分析家 ドナルド・ウィニコット は『遊ぶことと現実』の中で、人が外の世界へ踏み出すためには、まず安心していられる「抱えられている環境(holding)」が必要だと述べています。
守られている感覚があるからこそ、人は未知に踏み出せる。
イノベーターリップルモデルで言えば、
パッションから始まり、仲間が集まり、大義へと広がっていく。
でもその根底には、
舞台の外でその人を支えている仲間がいる。
ドジャースは、その“見えない仲間”まで支えにいっている。
ここに、本当の意味で挑戦を支える仕組みがあるのだと思いました。
3、組織の境界への挑戦
通常、組織はプライベートにはあまり踏み込みすぎないもので、コンプライアンスや距離感も重要かとも思います
ただ、「人を生かす」とはどこまでなのか。
この問いは、もう一度考えてもいいのかもしれないなあと思いました
哲学者 ポール・リクール は『他者としての自己』の中で、倫理を「よき生を、他者とともに、正しい制度の中で目指すこと」と述べています。
ここで重要なのは、制度が目的ではなく、
「よき生」を実現するための手段であるという順序です。
欧米でも家族支援はありますが、多くは福利厚生の領域にとどまりまるのではないでしょうか。
一方でドジャースは、それを「勝つための戦略」として編成に組み込んでいる。
制度を守りながらも、その目的に立ち返り、境界を広げている。
この覚悟と仕組みこそが、
本当にイノベーティブな組織を生むのだと思いました。
一言でいうと、
福利厚生は、もはや戦略的に勝つための仕掛けへと進化しているのだと思いました。
ファミリープログラム・ノベーション
そんな話をしています
参考:NHK BS「栗山英樹 ザ・トップインタビュー」特別編 ドジャース・常勝軍団の秘密に迫る(2026年3月21日)https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-615XJRJY38/ep/RK2V3QY75M
P&Gジャパン社長の木葉慎介さんが、カンブリア宮殿で語っていた”消費者がボス”とさらに合わせて語っていた言葉に、マーケティングの真髄を頂きました
「そういうお客さんが当たり前だと思って
問題にすら取ってないことまでも解決していけるような商品
っていうのを作っていくことによって
新しいイノベーションが生まれていくのかなというふうに考えています」
私は3つのことを思いました。
1、現場100回
2、トップ自ら現場へいく
3、現場への権限委任
1、現場100回
P&Gジャパンの皆さんは、みなさん、とにかく日々、お客様へ出掛けていって、お話を聞きまくっているそうです
何度も現場に立つというのは、単に情報量を増やすことではないのかもしれません。
文化人類学者の クリフォード・ギアツ が『文化の解釈学』で示したように、人の行為は表面的な動きだけではなく、その背後にある意味や文脈の中で理解されるものです。
一度見ただけでは、ただの「事実」に見えることも、
何度も足を運ぶうちに、「なぜそうなっているのか」という意味が立ち上がってくる。
お客さんの「当たり前」も、その中に静かに埋もれているのだと思います。
現場に100回行くというのは、
情報を集めることというより、“意味に出会いにいく”行為なのかもしれないなあと、改めて思いました
2、トップ自ら現場へいく
現場が大切だということは、多くの人が知っていますが、
でも、それを誰が実践するのかで、見える景色は変わる気がします。
経営学者の ピーター・ドラッカー が『現代の経営』の中で述べているように、成果は組織の内側ではなく、顧客や社会といった外の世界との関係の中で生まれます。
トップが受ける報告書や数字は整えられた情報ですが
現場には、整理される前の違和感や、言葉にならない感情がそのまま残っている。
トップ自ら現場に行くというのは、
その“未整理の現実”に、自分の感覚で触れにいくことなのだと思います。
それが、とても重要な経営判断をささえている
そんなことを感じました
3、現場への権限委任
そしてもう一つ大事なのは、気づいたことを、その場で動かせるかどうかだなあと思いました
P&Gジャパンの皆様は、いわば商品ごとに社長がいるような体制なので、商品をどうにかする判断が非常に早いのかもしれないなあと思いました
経済学者の フリードリヒ・ハイエク が『社会における知識の利用』で指摘しているように、社会に存在する知識は中央ではなく、現場に分散しています。
だからこそ、その場にいる人が判断できる仕組みの方が、
状況に即した価値を生みやすい。
現場には、その瞬間にしか存在しない情報があって
その空気感や温度は、後からではどうしても再現できない。
権限を委ねるというのは、効率化というよりも、
「その場でしか生まれない価値」を取りこぼさないための在り方なのかもしれません。
消費者がボス、とP&Gでは言われているようですが、私は、さらに現場がボス、と言ってもいいのかもしれないなあと思いました
一言でいうと、
現場がボス・ノベーション
そんな話をしています
参考: カンブリア宮殿【消費者がボス!常識を覆すマーケティング術】 2026/4/16 https://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/smp/
7年前に閉園した幼稚園の園長の植村由美子先生の、元生徒皆さんへの言葉に感動で胸が詰まりました
"みんな綿毛で飛んでって、根付いてくれてるね。
立派に根付かないでも、迷っても、あなたはあなたた
みんな可愛いかった"
この言葉から、私はこんなことを思いました。
1、信じてくれる人がいること
2、そのままの自分を知ってくれる人がいること
3、同じ思いの仲間がいてくれること
1、信じてくれる人がいること
自分の幼稚園の先生は正直覚えていないのですが、自分のことを心から人事てくれてる人がいるって、本当に素敵だなあと思いました
本WBCの栗山監督が、大谷翔平さんや、村上宗隆さんを、はじめとしたメンバーを信じてくれてる、ということが伝わったから、優勝をすることができたということと同じように
誰かが信じてくれてるから、自分を信じることができる、ということがあると思います
もっというと、信じてくれてる人がいると、信じることができるかどうか、ということなのかもしれません
そのためには、まず自分から、誰かを信じる、そこからが始まりなのかもなあとも思いました
2、そのままの自分を知ってくれる人がいること
小さい頃の自分は、そのままの自分丸出しなので、その頃を知ってくれてる人って、とっても貴重だなあと思いました
いくら今カッコつけてても、お前は昔さあとか、言ってくれる人がいるって、結局カッコつけようがなくなる代わりに、本音で話せる関係かもなあと思います
今はSNSが発達してて、自分の小さいころが、天然色で記録されてる動画を見れるなんて、ある意味丸裸の自分を思い出すこともできるかもなあと思います
でも、小さい頃の自分じゃなくたって、今からだって、そんな関係を作りたいと思うなら、きっと自分から開いてオープンになってみる、ってことから始めてもいいのかもなあとも思います
もしそんな人がいるなら、本当に大切にしなきゃなあと、思いました
3、同じ思いの仲間がいてくれること
ゆみこ先生を中心にして、みんなが同じ想いでいられる、実は横でつながり合えていると言え構造が本当に素敵なことだなあと思いました
何か同じ目標で歩いたことがあるとか、同じ苦労をしてきたとか、そういう仲間は、今になって思うと、本当に大切だなあと思います
今は離れちゃってたかもしれないけど、でももしそんな仲間がいたなら、思い出してみてもいいかもなあと思いました
そして、それがなくたって、これからでも、そんな仲間を1人から作り始めるということも、やってみたいなぁとも思わせて頂きました
ということで、一言で言えば
みんな綿毛で飛んでくノベーション
誰もが綿毛で、これからだって綿毛になれる
そんなことを思いました
参考:NHK総合 Dear にっぼん ゆみこ先生の魔法の言葉 神奈川 横浜 2026/4/9 https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-P71P7Q379L/ep/4LX3ZZJR76
動画で観たい方はこちら
https://youtu.be/gZ3FR1segWQ
ミュージカル 奇跡を呼ぶ男は、ゴスペルに溢れ、会場一体となりながら、めちゃくちゃ感動しました。そのプログラムの中で、主演の竹内涼真さんの言葉について、"信じること"について深く考えさせられました
曰く
「僕が作品を作る時は、まず疑うことが大事だと思っていて。疑って、疑って、そして信じる。この信じるスピードが早ければ早いほど成功するんです。
信じられる時を待つ、そんな人任せにはせず信じるために自らその世界を作ってその役になる。
そして一緒に仕事する人を信じ切る。」
ここから私は思いました
1、疑い抜くことでしか信じられない
2、信じるために先にその世界を生きる
3、信じるとは他者に委ねる勇気
1、疑い抜くことでしか信じられない
最初から信じるのではなく、まず疑う。
この順番が、とても本質的な気がします。
たとえば、ルネ・デカルトが『方法序説』の中で示したように、いったん「あらゆるものを疑ってみる」という態度は、確かなものにたどり着くための出発点でした。
疑うというのは、壊すことではなく、
「それでも残るもの」を見つける行為なのかもしれません。
だからこそ、疑い抜いた先にある信念は、揺らぎにくい。
もしかしたら、信じる力は、疑う力の深さに比例しているように思いました。
2、信じるために先にその世界を生きる
「信じられる時を待つ」のではなく、
信じるために、自分からその世界に入っていく。
モーリス・メルロー=ポンティが『知覚の現象学』で、人は世界を外から理解するのではなく、その中で生きることで意味をつかむと語っているように、
つまり、信じるというのは頭の中で完結するものではなく、
身体ごとその世界に入っていくこと。
役になりきる、環境をつくる、関係を築く。
そうやって現実の側から信念を引き寄せていく。
信じるとは、未来を待つことではなく、信じられる世界を自らが作り、そこに先に生きてしまうことなのかもしれないなあと思いました
3、信じるとは他者に委ねる勇気
最後に残るのは、「人を信じ切る」ということ。
ここが一番難しいところかもしれません。
ニクラス・ルーマンが『信頼』の中で、「不確実な世界を生きるために人は信頼という仕組みを必要とする」と述べているように、
相手がどう動くかは、本当はコントロールできない。
それでも委ねる。
そこにはリスクもあるけれど、
信じなければ成立しない関係や創造がある。
一人で完結する世界ではなく、
他者に開かれた世界を選ぶということ。
それが「信じる」という行為の、もう一つの本質なのだと思います。
それこそが、イノベーターリップルモデルでの、仲間を獲得する鍵となる
一言でいうと、
信じるとは、「疑い抜き、自ら創り、他者に委ねること」なのかもしれません。
それはまるで奇跡に思えるかもしれないなあと
奇跡を呼ぶノベーション
そんな話をしています
参考:ミュージカル 奇跡を呼ぶ男 音楽 アラン・メンケン 脚本 ジャナス・サーコーン/ウォーレン・ライト 演出 ジェニファー・タン 主催 ホリプロ/キョードーファクトリー 出演 竹内涼真 昆夏美 真瀬はるか マルシアなど https://horipro-stage.jp/stage/leapoffaith2025/
料理研究家のコウケンテツさんの言葉が、普段の生活とイノベーションの関係性に考えさせられました
曰く
「できるだけ無理のない範囲でしっかり自分の時間も作って
家庭料理こそ持続可能な状態で
明日も元気に作れるような状態に自分のメンタルを保ちながらでも作れるような手軽さ
そして美味しいそういう料理を作っていただきたいんですよね。」
ここから私は思いました
1、続けられる形にこそ、本質がある
2、余白が創造を生む
3、日常の営みの中にこそ、進化がある
1、続けられる形にこそ、本質がある
コウケンテツさんの言葉を聞いていると、料理の話でありながら、どこか「創造の持続性」そのものを語っているように感じました
週末のお父さんがやりがちな、無理をして一度すごいものを作ることよりも、明日もまた作れる状態を保つこと。
それは、短期的な成果よりも、長期的な営みを重視する姿勢だなあと思いました
文化人類学者の クロード・レヴィ=ストロース は、『野生の思考』の中で、人間の営みは「その場にあるもので組み立て続けること」だと語っています。
特別な条件ではなく、今ある条件の中で続けていく。
そこにこそ、人間の知恵が宿る。
イノベーションも同じで、続かない無理のある仕組みは、一時的に話題になるけども、社会に根づかない、そんなことと似ているなあと思いました
2、余白が創造を生む
「自分の時間も作って」という一節が、とても印象的でした。
いくらやりたいことであっても、全部をそこに詰め込んでしまうと、いつか息切れしてしまう
余白があるからこそ、また次をやろう、もっと工夫してやろうと思えるということが大切だなあと思いました
哲学者の ハンナ・アーレント は、人間の営みを「労働・仕事・活動」に分け、その中で「活動」は余白の中から生まれると考えました。
ただ生きるための反復だけではなく、そこに少しの余裕があるとき、人は新しいことを始める。
料理も、仕事も、イノベーションも、
詰め込みすぎた瞬間に、ただの義務になってしまうのかもしれないなあと思いました
3、日常の営みの中にこそ、進化がある
家庭料理という、とても日常的な行為。
でも、人類の歴史を振り返ると、食の営みこそに、進化の鍵にあったのかもしれません
参考にあるNHKスペシャル「人間は何を食べてきたか」で描かれていた、ニジェール川の移動漁民たち。
彼らは環境に合わせて食べ方を変えながら、生き延びてきました。
特別な発明ではなく、日々の小さな工夫の積み重ね。
進化生物学者の リチャード・ドーキンス も、『利己的な遺伝子』の中で、進化は劇的な跳躍ではなく、微細な変化の積み重ねだと語っています。
つまり、
毎日の料理のような、一見ささやかな営みの中にこそ、
人間の進化の本質があるのかもしれないなあと思いました
ということで、
一言でいうと
最も原始的で、だからこそ人間の進化の源である
家庭料理こそ持続可能ノベーション
そんなことを思いました
参考:NHK 時をかけるテレビ 2026/4/10 NHKスペシャル 人間は何を食べてきたか サバンナの移動漁民~アフリカ・ニジェール川~ 1992年 放送
アニメ 葬送のフリーレン のある問いに、とても考えさせられました
「もしも人生をかけて探したお酒が、とんでもなく不味かったらどうする?」フリーレン
「うーん、そうですね。笑い飛ばします。不味い酒なんでしょう?なら皆で楽しまないと。」ハイター
ここから私は思いました
1、失敗も人生の彩りの一つである
2、人生を賭けたことに意味がある
3、どんな自分も出せる誇り高き関係性
1、失敗も人生の彩りの一つである
うまくいかなかった出来事を、ただの失敗として終わらせるのか、
それとも人生の一部として引き受けるのかで、その意味は大きく変わる気がします。
哲学者の三木清は『人生論ノート』の中でこう語っています。
「人生は成功や失敗といった個々の出来事で測られるのではなく、その全体において意味を持つ」
成功だけの人生だったら、どこか平坦な物語になってしまう。
不味い酒すらも、あとから振り返れば「そんなこともあった」と言える一つの色になる。
うまくいかないこともあったけれど、いろいろあって楽しかった。
そう思えたとき、人生は少し豊かに見えてくるのかもしれないなあと思いました
2、人生を賭けたことに意味がある
「それだけの時間をかけて、不味かったらどうするのか?」
この問いの奥には、結果への不安があるようにも感じます。
これは、大きな決断のときに誰もが感じることかもしれません。
個人で言えば、結婚、マイホーム、子育て、転職。
企業で言えば、大型投資、M&A、新規事業など。
でも、現状維持を続けるのではなく、
たとえうまくいかなかったとしても、何かに賭けて、精一杯生きた。
その事実そのものに、大きな価値があるのではないかと思います。
哲学者のウィリアム・ジェームズは『信じる意志』の中で、
「誤ることを恐れるあまり、真理を失うことのほうが、より大きな過ちである」と述べています。
確実になる時を待つのではなく、不確実な中であえて決断する。
その行為の中でしか触れられない世界があり、その時間そのものが、すでにかけがえのないものになっている。
ダニエル・カーネマンが『ファスト&スロー』で語るように、
人は直感(システム1)だけでなく、熟考(システム2)で判断してもなお、不確実さからは逃れられない。
だからこそ、その中で選び、賭けたという事実自体に意味があるのかもしれないなあと思いました
3、どんな自分も出せる誇り高き関係性
ハイターの言葉がさらに深く感じられるのは、
「皆で楽しむ」と言い切れる関係があることだと思います。
うまくいかなかったことも、
恥ずかしいことも、
取り繕わずにそのまま出せる。
心理学者のカール・ロジャーズが語るように、
人は「あるがままに受け入れられている」と感じたとき、はじめて自分でいられる。
そんな関係の中でなら、
不味い酒すらも、ただの失敗では終わらない。
むしろ、
「いやあ、人生かけてこんな不味い酒見つけてきたの、俺くらいだろ?」
そんなふうに笑いながら差し出せる。
自分の人生そのものを、
一つの“ネタ”として仲間に渡せる。
そこには、恥ではなく、どこか誇らしさがある。
そしてきっと、
そんなふうにすべてをさらけ出せる関係こそが、
最も誇り高い関係なのかもしれません。
一言でいうと
本気で人生を賭けたことは美しい。
そして、それを笑い合い、誇り合える関係があれば、なお素敵。
人生を賭けたノベーション
そんな話をしています
参考:アニメ 葬送のフリーレン シーズン2-33 北部高原の物流 原作:山田鐘人、作画:アベツカサ 監督 斎藤圭一郎(第1期)北川朋哉(第2期) 脚本 鈴木智尋 アニメーション制作 マッドハウス 製作「葬送のフリーレン」製作委員会
山口周さんの、これまでにないリーダーシップ論に目から鱗が落ちるようでした
曰く
“リーダーシップという現象は「行為そのもの」ではなく、部下による「行為の意味づけ」によって発現します。”
“結局のところ、実際に「任せる」と「丸投げ」のどちらに受け止められるかは、「行為そのもの」によって決まるのではなく、最終的には、その指示の受け手である部下が、その行為をどのように受け止めたか、つまり「意味づけ」によって決まります。”
“リーダーシップの本質が、当座の状況とそれまでの経緯によって規定されるのであれば、私たちが注意を向けるべきなのは「私自身」ではなく、「私・他者・状況・関係といったコンテキストのあり方」にならざるを得ないからです。”
ここから私は思いました
1、お互いのパッションの源の理解
2、自分軸と他人軸の「ベン図の真ん中」の理解
3、リップルモデルの大義の理解
1、お互いのパッションの源の理解
「任せる」が信頼になるか、丸投げになるか。
その分かれ目は、その人が何に動かされているのかを、こちらがどれだけ理解しているかにあるのかもしれません。
心理学者エドワード・デシは、人は内発的動機づけによって最も深く動くと言っています。
つまり、その人の中にある「やりたい」「意味がある」と感じる源泉。
そこに触れていない状態で仕事を渡せば、不安や負担になるのは自然です。
逆に、その源が見えていれば、「任せる」はその人の力を引き出す行為になる。
リーダーシップとは、仕事を配分することではなく、その人の内側にある動機の流れを理解すること、それがコンテキストを理解する、まずは第一歩なのではないかと思いました
2、自分軸と他人軸の「ベン図の真ん中」の理解
人は、自分軸だけでも、他人軸だけでも、生きていけないのだと思います。
どこかで、自分が大切にしたいことと、誰かに応えたいことが重なり合う場所を探している。
その“ベン図の真ん中”こそが、生きがいや意味の感覚につながっているのではないでしょうか。
心理学者ヴィクトール・フランクルは、「人間は意味を求める存在である」と語っています。
その意味は、自分の内側だけで完結するものではなく、他者や世界との関係の中で立ち上がるものです。
だとするとリーダーにできることは、「自分のやり方を押し付けること」ではなく、
相手がどんなベン図を描いているのか、どこに重なりを見出そうとしているのかを、丁寧に知ろうとすること。
そこを外してしまうと、「任せる」は孤立になり、「関わる」は侵入になってしまう。
リーダーシップとは、相手の“意味の交差点”を理解する営みなのかもしれない、それがまたコンテキストを理解していくことにつながるかもしれないなあと思いました
3、リップルモデルの大義の理解
そして、その一人ひとりのベン図の真ん中が、バラバラなままで終わらないために必要なのが、大義の存在だと思います。
哲学者ハンナ・アーレントは、人の行為は他者との関係の中で意味を持ち、世界に波紋のように広がると言いました。
これはいつも私が話しているイノベータリップルモデルととても呼応します
一人ひとりの意味が違っていても、「どこに向かって波紋が広がっていくのか」が共有されていれば、
その違いはむしろ力になる。
逆に、それがなければ、すべての行為がバラバラに解釈され、不信につながる。
リーダーシップとは、意味を統一することではなく、
異なる意味が、同じ方向に広がっていく場をつくることなのかもしれないなあと
そして、それをわかりやすい物語として展開していくことができる力、のことなのかもしれないなあと思いました
ということで一言でいうと、
コンテキスト・リーダーシップ・ノベーション
そんな話をしています
参考:本: コンテキスト・リーダーシップ 「最高の上司」と「最悪の上司」は文脈で決まる 2026年4月8日電子書籍版発行 著者―山口周 発行所―株式会社光文社
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