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福島県浪江町の「希望の牧場」で原発事故により出荷できなくなった肉牛を飼育し続けている、牛飼いの吉沢正巳さんの言葉に、深く考えさせられました
「絶望状況の中に何の希望はあるだろうかと考えたので、希望なんかありはしねえじゃねえかと。
だけど、希望っていうのはね、与えられるとか用意されるとか、くださるとかね。そういうことではないんだろうと。
希望というのはやっぱり自分から、希望とは何かを実現する行動、その道の中に見えてくる。それが希望じゃないかと」
「希望とは何かは、その現実の中にやっぱり格闘する、戦う、行動する。
自分からその努力するその中にさ、自分なりの考える希望っていうのはさ、いよいよ見えてくるんじゃないかという、そのことにだんだんなっていったわけ。」
(参考:NHK Eテレ「こころの時代」『185頭と1人生きる意味を探して』2026年3月29日放送)
1、直感に従う
2、まず動いてみる
3、意味と希望はあとから立ち上がる
1、直感に従う
もうお金にならない牛たちを、何故育て続けるのか、ということに、大変な軋轢や葛藤があったのではないかと思います
でも同じ立場の被災した牛たちを、吉沢さんのところで育ててほしいと持ってきて、一緒に世話をする人たちもいる
牛飼いってなんなのか?自分自身はなんなのか?という問いに、真摯に向き合っているなあと深く感動しました
その答えがわかるまで思い悩むよりも、自分としてなんだかわからないけど、こうしなくちゃいけない気がする
そんな理由もない直感に、まずは従ってみること、その大切さを教えてもらって気がしました
どれだけ状況が厳しくても、「これだ」と感じるものがあることがあります。それは論理よりも先にあるものかもしれないなと
アンリ・ベルクソンは、直感について「対象の内側に入り込み、それと一致すること」と述べています(『形而上学序説』)。
頭で整えた理由ではなく、どうしても気になってしまうもの。それに気づこうとするかどうか、その大切さを大事にする、そんなことを教えて頂いた気がしました
2、まず動いてみる
とはいえ、自分としても論理的に整理できないことを、信じて動くということは、相当なハードルがある気がします
ヘンリー・ミンツバーグは、「戦略とは、意図されたものだけでなく、行動の中から生まれるパターンである」と述べています(『戦略サファリ』)。
それを創発戦略と言われていますが、完璧な準備ではなく、小さく試してみること。そこから見えてくることが、次の手を示してくれる
シリコンバレーでよく言われるFast Failも、似た概念かもしれません
どうしたら良いかわからなくて動けない、何が正解なのかわからない、そんな時には、直感に従ってまずは動いてみる
そこからの状況に合わせて新たな行き先を創発していく、そんなアクティビティもあるのかもしれません
3、意味と希望はあとから立ち上がる
そうした行動をとることで、直感に込められていた意味が見えてくることが、あるのかもしれないなあと思います
最初から意味が見えているわけではなくて、動き続けた結果として、意味が輪郭を持ってくる
アウシュビッツを経験されたヴィクトール・フランクルは、「人生の意味は問われるものではなく、各人が具体的な状況の中で見出すものである」と述べています(『夜と霧』)。
だからこそ、最初は曖昧でもいい。直感に従って行動してみる。
その道の日々の中で、なんか違うと思えばまた違う道を行けばいいし、「もしかしたらこれが希望なのかもしれない」と見えてくる時が来るかもしれない
そんな順番でもいいのかもしれないなあと思いました
一言でいうと、
希望の牧場ノベーション
そんな話をしています
参考: こころの時代~宗教・人生~185頭と1人 生きる意味を探して 吉沢正巳 2026/3/29(日)PM 2:30~PM 3: https://cowgodzilla.com
グローバルキャピタルパートナーズの野本遼平さんの、「価値移転」というお話に感動して、めちゃくちゃ勉強させて頂きました
曰く
"「なぜ、価値創造や課題解決を志す誠実な事業ほど、資本主義のゲームでは評価されにくいのか」「一方で、なぜ巨大テック企業は、大きな成功と同時に、深刻な副作用をもたらすのか」。
この問いを探求した結果たどり着いたのが、マルクス、シュンペーター、岩井克人、ズボフ、ヒッケルといった先人たちが看破していた、資本主義のゲームで最終的に勝つのは、価値をゼロから創造する者ではないという冷徹な現実です。
この巨人たちの理論的基盤を前提として本書が提唱するのが、価値を巧みに「移転」する者が勝つという「価値移転」の考え方です。''
ここから私は思いました
1、安く仕入れて高く売る
「価値移転」という言葉は、始めて聞いたのですが、これが全てのビジネスの根幹にあるのかもしれないと、衝撃を受けました
一言で言えば、「安く仕入れて高く売る」という、本当に商売の原理原則なのですが、これが新たな技術などの台頭により、より巧妙に、ある意味、あまり見えない状況で、劇的に起こっている、ということなのだなあと、これまた衝撃でした
逆にいうと、この構造がうまく作れていないビジネスは、なかなかビジネスとして拡大していくことが難しいのかもしれないなあと、思いました
まさにビジネスモデルの良し悪しを見る観点として、いかに、「価値移転」がされているか、もっと簡単に言えば、「安く仕入れて高く売る構造がなされているか」
これがとても大切なのだと改めて教えて頂けた気がしました
2、真の課題を解決することは基本
「価値創造」と「価値移転」、これらは、ビジネスにおける両輪と言っても良いほど、関係性があると思いました
技術革新で、新たな技術が創発された場合は、「価値創造」になるかと思いますが、それを、ビジネスとして届ける際に、どう「価値移転」の仕組みが取り込まれているか
さらには、最終的に、誰の「真の課題」を解決する構造となっているのか、これについては、三つ巴で大切なピースとなるのかもしれないなと思いました
なので、「価値移転」も「価値創造」も、まずは、どこにどんな課題が潜んでいるのか、または、その違和感を紐解いていく、そこが、起点になるということは、変わらないのだと思いました
「真の課題」へのアプローチ、個々の精度を上げていくアクティビティは、相変わらず重要であると思いました
3、幸せな価値移転の模索
そして、野本さんの最初の問いにある、光と影の部分をどうすべきなのか、についても、大きな課題感としてあるということも、認識させて頂きました
それは例えば、温暖化のようなしっぺ返しとして、自然界からも「価値移転」の代償が、切迫してきていると思います
そこで大切なのは、孟子の言われていた「足るを知る」ということなのかもしれないと思いました
自然界においても、もしかしたら、弱肉強食の食物連鎖にしても、「価値移転」は行われているのに、自然界ではそれがうまく回り続けることができるのは
必要最低限の中での「足るを知る」ということが、全ての本能のの中に組み込まれているからなのかもしれないなあと思いました
マルクスガブリエルが言われている「倫理資本主義」みたいな話が、それにつながるのかもなとも思いながら
一人一人の中に「足るを知る」があるかどうかが試されている、そんなことも考えさせられました
その幸せな価値移転の模索はこれからも続けていきたいとも思いました
ということで
ビジネスの基本に「価値移転」が実はめんめんと織り込まれており、「価値創造」とともに、意識しておくべき重要な概念と思うとともに、幸せな「価値移転」の構造をイノベーションしていきたい
そんなことを思わせて頂きました
一言でいうと
価値移転ノベーション
そんな話をしています
参考 ゼロから創らない戦略 イノベーションを駆動する「価値移転」の法則 電子書籍データ作成日 2026年1月14日 第1版 著者 野本遼平 発行 株式会社日経BP
ミスチルの 桜井和寿 さんの言葉に、曲づくりの心持ちから、自然体でいることを学ばせて頂きました
曰く
「そもそもちょっとおこがましいと思う、こんだけ多くの曲聴いてもらってるのに、まだまだ俺聴いてほしい曲があるんだぜっていう自分をそんな好きじゃないから肯定したくない
だからこそなんか、あ、ふとした瞬間に曲が生まれたり、歌詞が生まれたりすると
あ、これ生まれたってことはなんか意味があるんじゃない
俺まだ音楽続けていっていいって、何かから何かからそんなことを言ってもらえてる気がして
だから意識的に曲を書くっていう行為をなるべくしないようにしてるのかもしれない。」
(参考:日曜日の初耳学 2026年3月22日放送)
ここから私は思いました
1、足るを知る
2、何かの声に耳を傾ける
3、自然体でいられること
1、足るを知る
何か桜井さんの人柄が本当に出ているお話しだなあと思いました。
プロのアーティストになると、次々とヒット曲を求められて、大変なんだろうなあと、勝手な想像をしていましたし
自分自身としても、もっともっとと、ついつい求めてしまうように思えます。
自分もちっちゃいながら、会社経営をしてますが、ついつい来た案件は断らないし、もっといろんなことができるんじゃないかと思ってしまいます
老子 が「足るを知る者は富む」と言ってますが、今の自分自身が満たされていることに気づけるかどうかが、大切かなあと
とはいえ、ついつい、このままで、生きていけるのだろうか、お金は持つのだろうか、何かあったら足りなくなるのではないか、ついつい考えちゃいます
今あるもの、今持ってるものを、もう一度見つめてみる
今持ってるもので、本当に足りないのか、持っているものを、本当に大切にしているか
そのうえで、それでもなお生まれてきちゃうものがあるのか
そんなことが、自分らしく生き切ることなのかもしれないなあと思いました
2、何かの声に耳を傾ける
絵を描く人が、自分で描いているというよりは、まるで何かに書かされているようだ、というお話も聞いたことがあります
ヴィクトールフランクルが、なんのために生きるのか、よりも、今生きている意味について考える、というようなことを言われていたことも思い出します
例えば、めちゃくちゃ並ぶ羽目になってしまった列の脇に、可愛いたんぽぽが咲き始めていたことを発見したとか
いろんなことが起きる中に、それが何かのメッセージなのかもしれないと思うことは、とても素敵な気がします
それが神の声なのか、自らの心の声なのか、繋がっている自然の声なのか、出どころは分かりませんが
それを自らが解釈して、自然と意味が湧いてくる、意図的に自分で意味づけていたとしても、それはこれからの自分を肯定してくれて、何かの支えになるかもしれないなと思いました
3、自然体でいられること
桜井さんのお話を聞いていると、ライブの前にサッカーの試合をしてから臨むとか、自分のやりたいことに正直に、とても自然体でおられるなあと思います
自然体であるからこそ、きっとこんなに素敵な曲が作られているんだろうなあと、勝手に思ってしまいます
それはもしかすると、京都大学名誉教授の苧阪 直行の言われるデフォルトモードネットワークのように、とてもリラックスされている状態を常日頃作られているからこそ
とてもクリエイティブなパワーが発揮されているのかもしれないなあとも思います
私にとって自然体であるとは、なんなんだろうと考えたら、好きなライブや舞台やドラマ見ることだったり
新しいことに出会える本やイベントや人にお会いしたり
自分が理解したことや、勉強になってことを、誰かになんらかの形で提供してみたり
身体を少し動かして汗をかいて、自分の代謝を確認してみたり
自分や仲間で作り上げたものを、誰かの前で披露する機会を作ってみたり
そんなことが自分の自然体なのかなあと、今は思いました
その中から、もしかしたら、なんらかの意味がそこに降ってくると、また違うことを始めたくなるのかもしれないなあと
そんな風に生きられたら素敵だなあと、思いました
一言で言えば
続けていいって何かから言われてるノベーション
そんなことを思いました
参考: 日曜日の初耳学【Mr.Children桜井和寿に林先生が・・・2時間半の・・・2026/3/22(日)TBS
数学者の 岡潔 の言葉に、創造のエネルギーの源を教えてもらった気がしました。
「私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは『発見の喜び』にほかならない。」
「アルキメデスが『わかった』と叫んで裸で風呂を飛び出したのは、正しさを確かめるためではなく、ただ嬉しさのあまりだったに違いない。」
参考:『春宵十話』
1、自分だけが知っている世界
2、自分だけが見えている未来
3、成長パッション、個性派パッション
1、自分だけが知っている世界
岡潔さんのように、数学というものをひたすら突き詰めている、その情熱の源は、どこにあるのか?とても興味がありました
このお話から、福沢諭吉 が適塾で裸同然で勉学に励んでいたときの話のように、「今、自分たちだけが世界の誰よりも知らないことを知っている」
そんな感覚って、すごく人を動かすものだなあと思いました
自分が知らないものを知るという喜び、さらには、それを知ってるのは自分だけかもしれないという感覚
これはイノベーション活動を進めていく中で、誰も発見できていない課題にたどり着いた時
オープンイノベーション活動で見たこともない課題の捉え方をしていて、そこに、独自のソリューションをしている企業を見つけたとき、と、とても似てる気がしました
“いまこの瞬間、自分が一番知っている”という感動
そこにパッションが生まれてくる。
オープンイノベーションで、よくパッションは引き継げないという話をするのですが、そのベンチャーと出会った時の感動、これをこれから進めるチームのみんなで一緒に味合わないと、みんなにパッションが乗っかってこない
そんなことを思い出しました
2、自分だけが見えている未来
ピーター・ティール が言うように、「まだ誰も気づいていない真実」を、自分で発見したと思える喜びは、格別だと思いました
それは、例えば曲作りにおいて、今回のこのコードはめちゃくちゃイケてるのを、発見しちゃった。この歌詞は革命的かもしれない
と思うことがたまにあるのですが、とても似ている気がします
それが誰かの共感を呼ぶかどうかは別にして、恐らくは自己満足なのだろうけれども、何か自分自身がこの世の中に爪痕を残したような、そんな気持ちになれると思いました
そして、それを、仲間に話して、よもや共感もらって、そして、たくさんの人にも聴いてもらって、万が一、喜んでもらえた、なんてことになったら、それだけで一生過ごせるくらいの、感動を得られる
これはイノベーターリップルモデルと重なります
それは、数学の世界も音楽の世界も、アートの世界も、ビジネスの世界も、おんなじなんだろうなあと、それを目指してみんなやっているような気がしました
3、成長パッション、個性派パッション
いつもお話ししている情熱のポートフォリオで見ると、1、自分だけが知っている世界2、自分だけが見えている未来は、成長パッションと、個性派パッションの両方が炸裂しているように思えます
貪欲に誰もがまだ知らないことを知りたいという、成長パッション
この発見は自分しか知らない、または、その価値をわかっていない、個性派パッション
両方ともに、研究者、アーティスト、イノベーター、に共通しているパッションなのかもしれないなあと思いました
それが、仲間と共に、誰もが喜んでくれる大義に結びつけば、知らず知らずのうちに、誰もがほっとかなくなってくる
でもそうならなくたって、自らのパッションの源に生きているという実感があるから、ある意味、関係なく続けている
そんな構造なのかもしれないなあと思いました
ということで、一言でいうと、
ただ学ぶ喜びを食べて生きているノベーション
そんなことを思いました
参考:本: 春宵十話(しゅんしょうじゅうわ) 著者 岡潔 発行 角川ソフィア文庫 平成26年6月15日 発行
闘うものの歌が聴こえるか、1800回記念。4年と340日になるんですね。自分なりに以下のことを考えてみました
1、なぜ始めたのか
2、なぜ続いているのか
3、いつまでやるのか
1、なぜ始めたのか
これを始めたきっかけは、荒木さんのボイシーにゲスト出演させてもらった際に、みなさん毎日語られていて
これをやったら、毎日自分の勉強になっていいなあと思ったからと同時に、やらないと差が開くばっかりだなあと思ったことのような気がします
で、最初はそのフォーマットを踏襲させて頂いて、いろんなゲストに出ていたいて対談をする感じにしてたのですが、これもある私の尊敬する方から、ざんちゃんの話が聞きたいと言われて
じゃあ、ちょっとやってみるかと思って、日々の感じたことを話していたら、いつの間にか、今のフォーマットができてきた、という感じなのです
あと、Youtubeを途中からやり始めたのも、なぜか毎回聞いてくれてる方がいて、その方から、Youtubeもやった方が、全然違う層の人に届くし、絵があるって全然違うから、と言われたからなのです
そう考えると、いろんな人や、いろんなものに触れて、おぉ〜、なるほどね〜みたいな感じで、刺激と教えてもらったみたいな感じで、こんな形になってるのかなあと思います
でも他にもいろいろ言って頂いていることもあるのですが、まだ追いついていないこともある、そんな感じです
2、なぜ続いているのか
1800回というと、自分でもびっくりしちゃうのですが、最初からそんなに続けられるとは、全く思ってませんでした
っていうか、続けられてる、という意識はあまりなくて、すでに空気を吸うように、毎日の日課になってるという感じです
前にもお話ししたことがあるのですが、ある本に、毎日続けるコツは毎日続けることである、って話があって、それが本当に身に染みるのですが
きっと思いついた時だけお話ししよう、ってやると、いつも間にかやらなくなっちゃう気がします
あと、自撮りは嫌いなのですが、自分の声を聞くのが気持ちいいという、自己承認欲ってあるような気がします。
誰かに承認されたいというより、自分の存在をを確認したい、だから、冗談で300万人目指してます、とか、登録よろしく、もいうのですが、そこは実はどうでもいい感じなんですよね
それはちょうど、自分の曲ができたときに、ああ、俺って天才かもしれん、という超自己満足感にも似てる気がします
3、いつまでやるのか
会社にいた時は、目標管理して、WBSに分解して、原因分析対策で、ギチギチやることが習慣してましたが、今は全く正反対な感じです
もちろん、何らかのプロジェクトが立ち上がった際には、昔のWBSモードに突入しますが、こと、闘うもの、に関しては何にもありません
そもそも、はじめて続けられてないことは、山ほどあります。英語の学習、ピアノの練習、習字、ダイエット、ほにゃらら検定、、、
というか、そもそも受験勉強も一夜漬け、夏休みの宿題も同様なタイプだったので、会社のWBSもかなりストレスかかりながら、今でもストレスかかりながらやってます
なので、闘うものは、全くどこに行くのか、どこにも行かないのか、ある日突然終わるのか、めちゃくちゃ自由です
ただ、ちっちゃい頃から、絵本が好きで、図鑑が好きで、百科事典がとても好きなので
日々新しいことに触れて、感動する
それがパッションの源としてあって、そしてほんのたまに、面白かったよーって言ってくれる人がいたりして、誰かのためになってることももしかしたらあるかも、くらいの大義があるところが
自分のイノベーターリップルモデルを回してくれてるのかなと、それがある限り続くような気もします
ということで、聞いて頂けてる皆さま、いつもいいね、してくれる皆様、こんな私に付き合っていただきありがとうございます
またいろいろこれが飛び火しながら、新しいことに出会えればと思いつつ、楽しみたく思います
一言で言えば
偶然のきっかけから、いろんな方々の言うことを取り入れさせて頂き、それらがたまたま自らのパッションの源に響き続けている
そんなところでしょうか。ということで
1800回記念ノベーション
そんな話をしています
元ネスレ日本社長であり、現在はケイアンドカンパニー代表の 高岡浩三 さんの言葉にイノベーションのについて考えさせられました。
曰く
「諦めてる問題の解決ができた時にはイノベーション
でも市場調査やって、お客さんが分かって、これ変えてほしいと言ってるものを変えてもですね。
決してイノベーションじゃない。
それはリノベーションだ」
(参考:カンブリア宮殿 2026年3月26日放送)
私は3つのことを思いました。
1、自分の悩みは言語化できない
2、あたりまえの中にこそ真の課題がある
3、必要なのはルーフショットかムーンショットか
1、自分の悩みは言語化できない
デザイン研究の分野で、ドナルド・ノーマン は「人は自分の問題を正確に説明できないことが多い」と指摘しています。
だから市場調査や先進事例調査をしても、自分の問題は見えてこない
世界の潮流を常に入手することは大切だと思いますが、一番大切なのは自らのイシューがなんなのか?
そこに焦点を当てることができるか、できないか、が、本当の上でのイノベーションを起こせるかどうかに、大きく響いてる来るのかもしれないなあと思いました。
2、あたりまえの中にこそ真の課題がある
では、自らのイシューを探るために何が必要なのか
それは、Why not yet。なぜ今でもできていないのか。この問いを続けることが重要かと思いました
事業計画や中期経営計画に必ずある文言なのに、毎回同じようなことが書かれている。
「そういうものだから」
それは創る方からすると楽なのですが、本当に変えたいと思うのなら、それは問わなければいけないことだと思います
社会学者の ピエール・ブルデュー は、人はハビトゥスに支配されており、「自由だと思っているが、実は見えない制約の中で動いている」と言われています
実は誰もがハビトゥスに支配されてるものなので、そこから、脱却する手段を日常的に持つことが重要な気がします
そのキラーワードの一つが、Why not yetであり、最初に感じる違和感であり、問いを流さない力なのかなと思いました
3、必要なのはルーフショットかムーンショットか
Google では、ルーフショットが2割、ムーンショットが1割と、言われているという話を聞いたことがあります
イノベーションが必要だと、言ったときに、これは両方混同されることがとても多いと思います
ムーンショットとなると下手をすれば10年、20年かける必要があるかもしれない。じゃあ、それまで経営は待てますか?と
また、自社の強みを活かしたイノベーションを、というならそれは、どちらかというと2.3年で結果が見えてくるルーフショットでいいですか?とか
必ずしも、ムーンショットがイノベーションで、ルーフショットがリノベーションというわけでもないとも思います
時間、投資、領域、人材、などなど
1に戻って、言語化できていない、本当の悩みを突き止める、そこから始まるのかもしれないなあと、おもいました
一言で言えば
諦めている問題の解決ノベーション
そんな話をしています^ ^
参考:テレ東 カンプリア宮殿[村上龍&小地栄子卒業SP未来をつかむ経営とは?】2026/3/26
ヴィクトール・フランクル の言葉に、創造の根っこにあるものを、考えさせられました
「苦悩する人は、もはや運命を外面的に変えることはできなくなっています。けれども、その人はまさに苦悩によって運命を内面的に克服することができるのです。
苦悩は成長です。また苦悩は成熟でもあります。苦悩は人間に、ものごとを見抜く力を与え、世界を見通せるようにします。
苦悩への勇気一
これこそが重要なのです」
(NHK Eテレ「こころの時代選 ヴィクトール・フランクル(6)」2026年3月22日放送より)
1、苦悩といる勇気
2、成長パッション
3、態度価値がある
1、苦悩といる勇気
苦悩って、できれば無くしたいものですし、避けられるなら、避けたい。
でも、この言葉を読んでいると、
もしかすると、苦悩は「無理に消そうとしてはいけないもの」かもしれない、と感じました。
外側をどうしても変えられないとき、
残るのは、その苦悩とどう共にいるか。
苦悩を排除するのではなく、
そこに意味があるかもしれないと、少しだけ開いてみる。
その姿勢そのものに、相当な勇気がいる。
イノベーションも、
違和感や葛藤をすぐに解消するのではなく、
しばらく抱え続けるところから始まることが多い気がします。
苦悩と一緒にいられるかどうか。
そこに、最初の分かれ道があるのかもしれません。
2、成長パッション
私がいつもお話ししている、情熱のポートフォリオには、第4象限に成長パッションがあります。
ネガティヴでクローズな気持ちの中にも、だからこそ、そこから成長したい、そんな気持ちは誰もが持つと思います
実はこのネガティヴでクローズな気持ちを持っていた人が、後々のイノベーターとして花を咲かせることはたくさんあります
その理由として、すべてのイノベーションは、
誰かの「うまくいっていない」から始まっている気がします。
不便、不満、違和感、痛み。
いわゆるペイン。
それを表面的に処理するのではなく、
自分自身として、しっかり味わっているかどうか。
フランクルの言葉にあるように、
苦悩は、見抜く力を与える。
つまり、構造が見えるようになる。
そのとき、
この苦悩は、もしかしたら誰かの役に立つかもしれない、そんな小さな希望が生まれる。
それが、創造のパッションに変わっていく。
自分の苦悩は、きっと誰かの役に立つ、そんなところからもイノベーションの始まりはある気がします
3、態度価値がある
ヴィクトールフランクルが言われる、態度価値 という考えがあります。
何も変えられないときでも、人は自分の態度だけは選べる。という考え方です。
もしかしたら、苦悩は解決しないまま終わるかもしれない。
何も生まれないかもしれない。
それでも、その中で自分がどんな姿勢でいるか。
逃げるのか、閉じるのか、
それとも少しでも意味を見ようとするのか。
その選び続けた態度そのものに、価値がある
もしかしたら、自己満足なのかもしれないけども、自分はその態度を取り続けたというところに、誇りが生まれる
イノベーションも、
必ず成功するとは限らない。
それでも挑み続けたという、その自分自身の態度が
自分自身の生き方や、その先に続く人生に価値を生み出してくれる、そんなふうに思いました
ということで一言でいうと
苦悩への勇気ノベーション
そんな話をしています
参考: NHKEテレ東京 こころの時代選 ヴィクトール・フランクル(6) 2026/3/22
動画で観たい方はこちら
https://youtu.be/DYrexbFzNmU
ミスチルの 桜井和寿 さんの曲作りに向き合う姿勢に創造するために必要なことを、教えて頂いた気がしました
「経験値で、あ、この方が響くとか、フックになるみたいなことは考えることはあるんですけど
最近、でもそれを自分がやった途端に、ちょっと自分で冷めていくところがあって
なんか自分すらも感動させたいためには、何にも意識しないっていうのをなんかが大事。僕にとって。」
(参考:日曜日の初耳学 2026年3月22日放送)
1、知ったことは戻せない、だから手放す
2、「何も意識しない」は、ただの無ではない
3、ワクワクを生む状態を、創り上げる
1、知ったことは戻せない、だから手放す
「人間は一度拡張された意識を、元の次元には戻せない。」
思想家の オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア のこの言葉は、
まさに「知ることの非可逆性」を示しているように感じます。
一度知ってしまった構造
一度見えてしまった勝ち筋
それを「知らなかった頃」に戻ることは絶対にできない。
イノベーションの世界でも、前にあれ失敗しだんだよ、または、これをやれば成功するんだよという、アンカリングから抜け出せないということがよくあると思います
だから「何も意識しない」というのは、無理に忘れることではなく、意識的に手放すことなのかもしれないなと思いました
これまでのフレームは使わない、得意技も使わない、数学でxを使うと簡単に解ける方程式を、あえて公式を使わないで解くみたいな
だからこそ、そこに、また新しいワクワクが生まれてくる、創造が生まれてくる、そんなことかもしれないなあと思いました
2、「何も意識しない」は、ただの無ではない
「最良の瞬間は、自己を忘れているときに訪れる。」
心理学者の ミハイ・チクセントミハイ が語ったこの状態は、
桜井さんのいう「何も意識しない」に、とても近い気がします。
それは、何も考えていない状態ではなく、むしろ極度に没入している状態でもあるのかもしれないなと
余計な自己評価や、外からの視線や、成功パターンへの依存が消えている状態。
「今この瞬間に注意を向けることが、苦しみからの解放につながる。」
とされるマインドフルネスの考え方にも、どこか重なるのかもしれないなと
「何も意識しない」とは、何もないのではなく、ひたすら没入している状態。
その純度の高い状態をいかに作れるか。そこにワクワクが立ち上がるのかもしれないなあと思いました
3、ワクワクが生まれる状態を、創りあげる
「創造性とは、遊び続ける知性である。」
アルベルト・アインシュタイン のこの言葉は、
ワクワクと創造の関係を、端的に表しているように思います。
遊びだから、成功のフレームも、評価も、人の目もなく、ただただ面白がっていて、侵食も時間も忘れて没入している
そんな状態にいま、自分の人生の何割くらいなってるかなあと、ふと思ってしまいました
そんな時間は、自分にとっては、永遠にも感じられる時間ほど、価値がある時間だろうなあと思います
その結果、何かが生まれてるかどうかさえも、どうでもよくなってでいいのかもしれないなあと
それがパッションの源がアートの人は絵を作ってるだろうし、音楽の人は曲を作ってるだろうし、ビジネスの人はイノベーションを作ってるだろうし
自分がワクワクを生み出せる時間を、とにかく創る
それが大切な気がしてきました
何かを作り上げることを目的にするんじゃなくて、自分がワクワクする状態をいかに作り上げるか
それだけなんじゃないかと思いました
一言でいうと
自分すらもワクワクさせるノベーション
そんな話をしています
参考: 日曜日の初耳学【Mr.Children桜井和寿に林先生が・・・2時間半の・・・2026/3/22(日)TBS
ピアニスト 角野隼斗さんの言葉に、これからの創造の在り方を、静かに教えられた気がしました。
曰く
「クラシック音楽という伝統的歴史が長い音楽の上に、自分だからこそできる何か現代さを付け加えるということ。
または、自分自身が本当に心からワクワクすることをやるということ
または、多くの人のためになることをすること。
それでより良いチャンスが自分に舞い込んできたら嬉しい、ぐらいに思っておくのがいいかなと思って。
あとはなんか流れてくる波に乗って、サーフィンしている感じ。サーフィンできていればどこにたどり着きたいとかもないです。それで波に飲まれなければ。」
(参考:NHK「ここから」ピアニスト 角野隼斗さん 2026年1月12日放送)
そのうえで、3つのことを思いました。
1、伝統の上に共感を編み直す
2、パッションと大義が仲間を連れてくる
3、波に乗りながら広げていく
1、伝統の上に共感を編み直す
クラシックという長い歴史の上に、自分なりの現代性を重ねる。
これは、何かをゼロから生み出すというよりも、すでにあるものとの関係性の中で、自分の位置を見つけていく営みなのだと思います。
以前お話しされていた、養老孟司さんの「新しい共感こそがオリジナリティ」という視点とも重なります。
誰も見たことのないものではなく、誰かと共有できる何かを、新しいかたちで接続すること。
その共感の編み直しが、その人ならではの表現になる。
2、パッションと大義が仲間を連れてくる
「自分がワクワクすること」と「多くの人のためになること」。
この二つが重なったとき、そこに人が集まり始めるのだと思います。
ただ、それだけでは広がらない。
そこに「誰かにとって意味がある」という大義が重なったとき、
その熱は自分の中にとどまらず、周囲に伝わっていく。
結果として、仲間が自然と増えていく。
これは、まさにリップルモデルのように、中心の小さな波紋が外へ外へと広がっていく構造。
無理に人を集めるのではなく、
パッションと大義が重なった場所に、人が引き寄せられてくる。
そんな広がり方が、これからのイノベーションには合っている気がします。
3、波に乗りながら広げていく
どこにたどり着くかを決めすぎない。
ただ、目の前に来た波に、きちんと乗り続ける。
この姿勢は、戦略を持たないということではなく、状況に応じて選び続けるということだと思います。
ジョン・ケージが語っていたように
「私は何かをコントロールしようとはしない。起こることに任せる。」
(出典:ジョン・ケージの講演・インタビュー等で繰り返し語られる思想)
あらかじめ固定されたゴールよりも、「いま来ている波」にどう応答するかの方が重要になる。
そして、その応答の積み重ねが、結果として思いもよらない場所へと連れていく。
ただし、その過程で波に飲まれないための軸は必要で、
それがパッションであり、大義であり、自分が立っている位置なのだと思います。
一言でいうと
パッションと大義で波に乗るノベーション
参考:NHK「ここから」ピアニスト 角野隼斗さん 2026年1月12日放送
片岡愛之助主演の新作歌舞伎『流白浪燦星(ルパン三世)』は、めちゃくちゃ笑って感動して涙して、最高の作品だったのですが、その脚本・演出を手がけられた戸部和久さんの言葉に、深く考えさせられました。
”不二子は言う、
「自由に生きるとは全部自分で決める事、誰かのせいに出来ない人生、逃げ道の無い選択だ」
また、
「自分で選んだ道だから間違いと知っても間違いでないようにしなければならない」
流白浪の如く自由に生きるとは、覚悟が要る道なのだ。今や自由を追求しなくなりつつある世の中で、流白浪の姿はどう映るのだろうか?”
ここから自由についていろいろ考えさせられました
1、自由を求める人と求めない人
2、自分の人生を生きる快感
3、正しい選択よりも選択後の正しい行動
---
1、自由を求める人と求めない人
完全な自由なんてあるのか?というお話もあるかと思いますが、不二子や流白浪(ルパン)は、限りなく自由度の範囲が広い世界を求めている気はします
「すべての人間は、生まれつき知ることを欲する」
(アリストテレス)
と言われている通り、少なからず自分なりの好奇心のない人なんていないと思います。
それが原動力になって、より知らない世界を知りたい、そのためにここから飛び出したい、そんな欲求も誰もが持ってると思います
とはいえ、エーリッヒフロムの「自由からの逃走」のように、自由には孤独や不安がつきまとうという、光と影がある
なので、フリーハンドな自由度は少ないけれども、安定の制約の中で自らの自由な価値を出すことに、しっくりくる人もいると思います
不二子やルパン、それに対する、銭形のとっつぁん、どちらも、自分にとって、しっくりくる自由度と制約を、自らが選択して、自分らしい自由を謳歌しているような気もしました
これはまさしく、太刀川英輔さんの進化思考の適応と変異、または、オライリーの両利きの経営における深掘と探索
企業の中に、きっちりしっかりやる人と、枠をはみ出した新しいことに挑戦する人、大企業とベンチャー企業、2つの要素がおりなって、できる世界
もしかすると、1人の人生の中にも、人生フェーズによってそれらのバランスが行ったり来たりする、それができることも大切なことかもしれないなあと思いました
2、自分の人生を生きる快感
一度でも、自分で決めて、自分で動いて、何かが少しでも前に進んだ
そんな経験をすると、
ああ、自分の人生を生きているな、という感覚が残る気がします。
「人が最も幸福を感じるのは、能力を最大限に発揮し、何かに没頭しているときである」
(チクセントミハイ)
この感覚を知ってしまうと、決められた安定だけでは、少し物足りなくなる。
それを一度でも味わうと、その感覚を求めてしまうのかもしれません。
幼稚園教諭の加用先生が、幼稚園児に、光る泥団子を一所懸命作ることを教えると、みんな没頭して、一心不乱に光る泥団子を作るお話のように
何でもいいので、自分で唯一の価値あるものを創り上げた、そんな感覚を持たせてあげることが、大切かなと思います
イノベーターリップルモデルも、自らのパッションから、仲間を通じて、みんなが喜ぶ大義を作っていく
この構造は、光る泥団子と何ら変わらないと思います
ジョブズやイーロンにならなくても、人生の中で、何らかの価値を作り上げる、それは自由の制限の多いのか、少ないのか、それには関わらず大切な気がしました
3、正しい選択よりも選択後の正しい行動
制限の多い自由、少ない自由に関わらず、その中で自由に選択できるということは、とても大切だと思います
そこで難しいのは、自由に選べるということは、当然、間違うこともあるので、なかなか選べない、ということかなと思います
でも、
「自分で選んだ道だから間違いと知っても間違いでないようにしなければならない」
この言葉を見ていると、問われているのは、選択の正しさではなく、その後どう生きるか、ということのように感じました。
「意思決定とは、正しい答えを見つけることではなく、それを正しくすることである」
(ピーター・ドラッカー)
イノベーションも同じで、最初から正解があるわけではなく、動きながら正解にしていくもの。
だから、選ぶことを怖がるよりも、選んだあとをどう生きるかに、少し重心を置いてもいいのかもしれません。
それが実は、自分の中における、自由に生きることの、とても大きな考え方かもしれないなと思いました
ということで、一言で言えば
自由に生きるノベーション
そんな話をしています
参考:新作歌舞伎『流白浪燦星(ルパン三世)碧翠の麗城』脚本・演出 戸部和久 原作:モンキー・パンチ『ルパン三世』 出演:片岡愛之助 市川中車 他 制作:松竹 プログラムより
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