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古代より日本の文化の中心的な役割を担っていた福岡。その福岡の歴史と文化を掘り下げて伝えていきます。※RKBラジオで毎週日曜22時から放送中!出演:坂田周大(RKBアナウンサー) 中島理恵(リポーター)番組ホームページ https://rkb.jp/radio/kodai/... more
FAQs about 古代の福岡を歩く:How many episodes does 古代の福岡を歩く have?The podcast currently has 261 episodes available.
January 08, 2022S7 15回目も古代官道水城西門ルートを歩きます。西門からまっすぐ歩き向佐野交差点付近で右折し、ちょっと寄り道します。県道31号線を越えてだらだら坂を登り詰めてところに太宰府西小学校があります。この小学校の校庭には大変珍しい遺跡が残されているのです。宮ノ本遺跡といいます。校舎と校舎の間におよそ50メートル四方の部分に遺跡があります。生徒達は校舎の窓からいつも遺跡が見学できることになっています。この遺跡から出土したものに全国では初めてという買地券というものがあります。買地券とは墓地を神から購入した証明署というものだそうで、8世紀後半から9世紀中頃の火葬墓から出土したものです。鉛の板には死者の息子が父を埋葬するために絹や布を代価として墓地を買い求めたという墨書が確認されたということです。※写真は宮ノ本遺跡 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
December 31, 2021S7 14回目はいよいよ古代官道歩きのスタートです。水城西門からいよいよ古代官道水城西門ルートの出発です。ここは鴻臚館へまっすぐつながる道です。西門から大宰府政庁があった都府楼跡をめざします。古代官道の跡は現在も残っている部分もあればなくなった部分もあります。そして、道の左右にはいろんな遺跡が数多く残っています。それを捜して、紹介しながら歩きます。西門跡をスタートしてすぐに道ばたにごろんと横たわっていたのが⒉メートルを越える大きな岩です。これがどうやら東門にもあった門の礎石です。柱を差し込んだと見られる穴もあいています。しばらく歩いて点滅信号を右折。平行して走っている県道31号線の方へ歩いていくとお地蔵さんが8つと屋根を瓦でふいた立派な像がありました。高さ30センチくらいの11面観世音菩薩像です。地元の人に昔から大切にされてきた像だとか。歩くとこんな風景が次々に出てきます。」 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
December 25, 2021S7 13回目からは古代の官道を歩きます。 シーズン6では大宰府の伝説を訪ねて歩き、大変好評でした。そこでシーズン7でも太宰府を歩きます。今回はかつて我が国を訪れた外国のお客様が鴻臚館からまっすぐ大宰府西門へ入り、大宰府政庁をめざした古代官道、水城西門ルートを歩きます。御案内をシーズン6でもお願いしました古都大宰府保存協会の学芸員田中健一さんにお願いしました。JR水城駅の前にあります水城跡公園と土塁断面広場からスタートしました。広場は東門からずっと続く土塁の延長上にあります。道路や線路を通すために土塁を切断した場所でもあります。土塁の三角形の断面がむき出しになっており、土塁の工法がよくわかる場所でもあります。土塁の下に敷いた木も付近に植えられており、子供達にとってもいい勉強になる場所となっています。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
December 18, 2021S7 12回目も神功皇后の足跡をたどります。「神功皇后伝承を歩く」の著者、綾杉るなさんに御案内していただいています。今週は遠賀郡の住吉神社から。神功皇后は朝鮮出兵に成功し戻ってきます。そして、出兵がうまくいったのもひとえに住吉の神のお陰であると言い、さらに、ここに一株の松を植えて、根元に白弊を納め「この松は神のお陰と共にいや栄えに栄えよ」と言われた。そこで、ここを若松と唱えて住吉三神を祀ったといわれます。この後、門司区の甲宗八幡宮、そして和布刈神社まで紹介します。綾杉さんの神社の話は下関の忌宮神社からこれで100社になります。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
December 11, 2021S7 11回目も神功皇后の足跡をたどります。神功皇后の足跡を神社からたどっています。今回は北九州市の旗頭神社からです。神功皇后が新羅へ出兵し、戻ってから武内宿禰が陣営を構えたのがここで、「いくさばる」といいましたが、現在は陣ノ原という地名になっています。北九州市八幡東区にあるのが乳山八幡宮。神功皇后は国見をしたあとこの付近で子供(のちの応神天皇)に乳を与えた聖地がここ乳山八幡宮。さらに豊浦宮をめざしますが、途中鷹尾山の頂上に皇子を立たせ、遙か関門海峡付近を展望し、「穴戸は近し」といったといわれます。その皇子が立った力石が境内に今でも残っているのが小倉北区の篠崎八幡宮。この後八幡西区の熊野神社、遠賀郡の住吉神社まで紹介します。案内していただくのが「神宮伝承を歩く」の著者、綾杉るなさんです。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
December 04, 2021S7 10回目は神功皇后の九州での足跡を追います。神功皇后は第14代仲哀天皇の后で、仲哀天皇と共に熊襲討伐の為に九州にやってきます。そして、仲哀天皇は途中で亡くなりますが、神功皇后はそのあと熊襲を討伐し、田油津姫を討伐、新羅に遠征したりした後、ほぼ福岡県をぐるりと回り、各地に様々な伝承を残していった人物です。この番組ではシーズン1からとりあげて紹介しています。今回は神社から皇后の足跡をたどっていきます。シーズン6では豊裏宮帰還の部分、全ての福岡での仕事を終えて下関の豊裏宮へ戻る途中の神社、京都郡の生立神社から訪ねます。お話を「神宮伝承を歩く」の著者、綾杉るなさんに伺っています。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
November 27, 2021S7 9回目も筑紫野市の阿志岐山城の話しです。筑紫野市の阿志岐山城は宮地岳の山腹にあります。阿志岐という場所は大宰府政庁があったの都府楼からも近い場所にあります。従って、ここは政庁に勤める官僚たちが都へ帰る時の別れの場であり、付近一帯はなだらかな丘陵地でのどかな田園風景が広がっているところから、この場所が和歌遊びをする場所でもあったということで、ここでうたった歌が万葉集にもいくつか残っています。阿志岐は奈良時代には蘆城と書いたそうです。ここにはかつて30里ごとに置かれた駅(うまや)もあったとか。その重要な倭国の拠点だった大宰府を防衛するために阿志岐山城は作られたのではと見られています。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
November 20, 2021S7 8回目は筑紫野市の阿志岐山城です。8回目は筑紫野市の宮地岳という標高338.9メートルの山腹にある阿志岐山城を解明していきます。この山城は神籠石系の山城で7世紀はこの後半頃築かれたとみられる山城です。こう調査で確認されたもので土塁・石塁は総延長約1.34㎞もあるそうです。土塁はどうやって築かれたのか、ここにはパネルで詳しく説明してありました。当時の人のすぐれた技術について筑紫野市歴史博物館の小鹿野館長に詳しく伺いました。ただ、どうしても分からないのは、材料になる土塁や石塁を一体どこからどういう方法で運んできたのか、どこで石を切ったのかなど細かいことはわかっていないということでした。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
November 13, 2021S7 7回目は太宰府市の国立博物館の「海幸・山幸展」の仏像に注目現在太宰府市の国立博物館では特別展「海幸・山幸」展が開かれています。実はその展示品の中に大変注目される仏像があります。像の高さがおよそ30センチ程の仏像は非常にととのった形をした仏像です。長野県の安曇野のお寺~長野県北安曇郡松川村の観松院というお寺にある仏像で「銅像菩薩半跏像」と、いいます。それともう一つ、その仏像とよく似ていますが、上半身が失われた仏像が二つそろって展示してあるのです。こちらは長崎県対馬の浄林寺というお寺にある仏像です。何やら謎めいた仏像に注目し、九州国立博物館の企画課 特別展室・研究員の大沢信(おおさわ・しん)さんにお話を伺ってみましたら、二つの仏像、百済の同じ釜で作られたものだとか。しかし、一つは安曇野の山の中にお寺にあり、一つは対馬という島の寺にあるものです。一体どういうルートで別々の場所へ。一体誰が安曇野のお寺へ運んだのか謎なんです。 ※写真は観松院の銅像半跏像 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
November 06, 2021S7 6回目も邪馬台国=筑紫平野連合九州説の片岡宏二さんの3回目です。「邪馬台国論争の新視点」の著者、片岡宏二さんの「邪馬台国=筑紫平野連合説」を伺っています。先週までの話では説の中心になっている筑紫平野の範囲については、佐賀平野、筑後平野、そして両地区平野、つまり筑前・筑後にまたがる甘木・朝倉・久留米・小郡・浮羽の平野、の三つの平野をいうということでした。そして、不彌国の推定地については筑紫野市の常松遺跡あたりではないだろうか、ということです。さらに、魏志倭人伝に記載されている不彌国から投馬国へ至る水行20日、投馬国から邪馬台国へ至る水行10日、陸行1ヵ月という記述は実際は書いてなかったんではないか、といった説です。片岡さんの本には、ネットワーク化された筑紫平野は、邪馬台国時代にあって、完全ではないが、魏志倭人伝の記述の多くを満たすことから投馬国および邪馬台国の有力候補と考えると書いていらっしゃいます。今回ははクニについての話から、片岡さんが考える卑弥呼像について伺っています。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
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