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古代より日本の文化の中心的な役割を担っていた福岡。その福岡の歴史と文化を掘り下げて伝えていきます。※RKBラジオで毎週日曜22時から放送中!出演:坂田周大(RKBアナウンサー) 中島理恵(リポーター)番組ホームページ https://rkb.jp/radio/kodai/... more
FAQs about 古代の福岡を歩く:How many episodes does 古代の福岡を歩く have?The podcast currently has 261 episodes available.
March 19, 2022S7 25回目は福岡県と佐賀県のヤマトタケル伝承地です。ヤマトタケルはこの番組でしばしば東洋する神功皇后の夫、仲哀天皇の父に当たる人です。そして、ヤマトタケルの父は景行天皇になります。景行天皇は京都郡を拠点に九州を時計回りにぐるっと回り、熊襲と闘いました。その子供の仲哀天皇も熊襲を討伐に九州にやってきますが、香椎で急死。その後、妻の神功皇后が代わりに熊襲と闘っています。そして、この程、神功皇后の足跡を調査していた古代史研究家の綾杉るなさんが見つけたのが北九州方面と佐賀にあったヤマトタケルの足跡です。ヤマトタケルも熊襲討伐にきていたということです。つまり、三代にわたって熊襲討伐が続いていたわけです。この番組でヤマトタケルを取り上げるのは初めてですので、その人物像の紹介から始めます。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
March 12, 2022S7 24回目は神功皇后の人物像について神功皇后はこの番組のシーズン1からとりあげてきました。神功皇后がは4世紀末から5世紀にかけて活躍した人物だといわれます。皇后は夫の仲哀天皇と共に九州各地の熊襲を討伐するために九州にやってきました。ところが、香椎宮で仲哀天皇が急死。しかし、皇后はお供の武内宿禰とともに熊襲を討伐、さらに新羅に遠征したりし、戻ってからは応神天皇を出産し、福岡県をぐるっと回って故郷へ帰っていきました。この番組では神功皇后の足跡をたどることで古代の福岡の状況が判明することからその足跡をたどりました。今回は「神功皇后の謎を解く」の著者、河村哲夫さんに皇后の人物像を聞きました。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
March 05, 2022S7 23回目も糸島を歩きます。糸島にはサンセットロードと呼ばれる美しい海岸線があります。その近くにあるのが桜井神社。この神社は筑前福岡藩の2代目藩主、黒田忠之公によって創建された神社です。この神社の前身は「与止姫宮(よどひめぐう)」といいました。ここには、そのよどひめ宮にまつわる話しが伝えられていました。かつて、ここには岩松城という城があり、その城主の妻に、あるとき神の託宣がおり、その託宣が当たるというので評判になります。その噂を聞いたお家騒動の渦中にあった黒田忠之が、その城主の妻にこの後どうすれば解決するのか話を聞くと妻に託宣がおり、お陰でお家騒動が落ち着いたという話が残っているのです。その妻を祀った祠が神社の近くに今もありました。浦姫宮といいました。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
February 26, 2022S7 22回目も糸島を歩きます。糸島は雷山神籠石を見学した後は平地へ下り、平原遺跡で休憩。ここから見える風景の中の東南方向に日向峠が見えます。伊都国から奴国は東になりますが、魏志倭人伝には奴国は伊都国の東南とあります。つまり奴国へ行くにはこの東南方向へ使者は向かった、足を踏み出したのが東南であった、というのがこの番組で紹介した「邪馬台国論争の新視点」の著者、片岡宏二さんの説。確かに現在でも東南の方向にある日向峠が福岡市へ行くには一番の近道なのです。それが平原遺跡に立つとはっきりと分かります。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
February 19, 2022S7 21回目も糸島を歩きます。雷神社を訪ねた後、今度は山を下り中腹にある雷山神籠石を見学しました。ここの神籠石の列石の大きさは横2メートル、縦1メートルくらいのものを下から6段ほど積みあげたものでした。一番下は水門になっていて勢いよく水が流れていました。案内していただいた糸島ふるさとガイドの三苫さんと岩田さんの説明によりますと東西300メートル、南北700メートルもあるそうです。ここの神籠石も7世紀頃のものだそうで、朝鮮半島からの敵から国を守るものだったのではないかといわれているそうです。この列石の中心になるのが不動池でした。神籠石から移動して不動池にいってみました。農業用水の為の池だそうで、今は推量が少ない時期でした。大きさは200~300メートル。水が多い時期には枝が左右にくねくねしたカナクギの木が水に映り、その枝についた赤い藻が水にただよって幻想的な風景になるんだそうです。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
February 12, 2022S7 20回目は糸島を歩きます。今回から糸島を歩きます。案内していただいたのは糸島ふるさとガイドの三苫節代さんと岩田久美子さんです。まず、雷山に登りました。登る途中にあるのが雷山千如寺大悲王院、秋の紅葉の時期は樹齢400年といわれる楓の見事な紅葉見学に訪れる人が多いといわれるお寺です。見事な楓を見学し、観音様にお参りした後、ふと廊下を歩いていて展示してあるものに目をやりますと昔のいろんな人物が書いた書がありました。説明書によりますと、聖武天皇の時代、ここが勅願道場となり国司によって七堂伽藍が建立されたからだとか。以来、歴代天皇から綸旨を賜り、天下の武将の尊崇を集め、豊臣、足利、大伴黒田などの諸公が祈願文を捧げたそうです。その祈願文が展示してあったのです。一見の価値があるものでした。その後、雷山をさらに登ると雷神社がありました。何でも下にある千如寺の観音様はかつてここにあったそうで、明治の廃仏毀釈の際、千如寺に移されたものだとか。あの大きな大仏様、運ぶのはきっと大変なことだったでしょう。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
February 05, 2022S7 19回目は古代官道の終着地大宰府政庁に水城西門から古代官道を歩いて、朱雀大路に到達。道真公住まいだった榎社を通り、幸橋のあった通りを歩いて大宰府政庁跡にでました。朱雀大路の交差点付近にあるのが朱雀門の礎石。大きな円形の岩です。これは1982年に前を流れる川、御笠川の改修工事の際、川の中から発見されたものです。大きさは約2.5メートル×約1.8メートルで重さは約7.5トンもあるものです。政庁の入り口に建てられていた門の礎石だとみられているとか。政庁跡には大宰府展示館があります。かつての大宰府政庁の姿を一目で分かるようにした復元模型だとか令和の時代の幕開けとともに俄然注目を浴びた梅花の宴のジオラマや新たに加わった条坊のジオラマなど当時の大宰府の様子がよくわかるように展示してあります。今回、古代官道水城・西門ルートを番組ディレクターと同行していただいたのはこの大宰府展示館にいらっしゃる古都大宰府保存協会・学芸員の田中健一さんでした。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
January 29, 2022S7 18回目も古代官道を歩きます。大宰府西門から歩いていよいよ条坊の中に入ってきました。西鉄二日市の踏切を渡り、左折すると右手に小高い丘が見えてきます。この丘の上にも般若寺というお寺がありました。そして、そのすぐ近くにあるのが高橋紹運の首塚です。岩屋城で島津義久の軍勢に攻められ討ち死にした高橋紹運の首を埋めたと伝えられる塚があります。島津勢は岩屋城を攻めるとき、この丘陵上に陣を敷いたと伝えられています。この丘陵上を歩くと道真公の子供、隈麿の墓があったり、紅姫の供養塔があったりととてもみどころが多い丘になっています。 ※写真は高橋紹運の首塚 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
January 22, 2022S7 17回目も古代官道水城西門コースを歩きます。古代官道、水城・西門ルートをずっと歩いて県道31号線の杉塚交差点を左折、住宅街へ入ってきました。住宅街の中にあるのがお寺の跡。杉塚廃寺跡といいます。およそ50メートル四方の空間に30センチ程の高さの基壇があり、その上に礎石が数カ所残っています。この場所からは丸瓦や、平瓦、そして位の高い人がつけた石帯などが出土しており、8世紀頃の寺院の跡だとみられています。そしてこの場所は大宰府政庁からは西南にあたるところから、北東の方角の鬼門にある竈門山に対し裏鬼門を鎮護する寺院だとみられているそうです。この杉塚廃寺を通り過ぎると大宰府条坊の22条を通って羅城門があったという場所に到達します。※写真は杉塚廃寺跡 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
January 15, 2022S7 16回目も古代官道、水城西門ルートを歩きます。前回の太宰府西小学校の中に宮ノ本遺跡を見学して坂道を下り、県立福岡農学校の校庭が見えるところまできますとまたまた遺跡がありました。殿城戸(とのきど)遺跡と脇道(わきどう)遺跡です。この辺には遺跡がたくさん眠っています。脇道遺跡は昨年太宰府市指定文化財に指定された遺跡です。脇道遺跡は、大佐野川右岸の標高38メートルに立地する旧石器時代から古代にかかての複合遺跡だそうです。ここからは台形石器や削ったり、掻きとったり、皮をなめしたりする道具などが大量に出土、この辺が当時の人々の拠点だったのではないかと見られているそうです。それにしても古代官道の近くの遺跡の多さには驚かされます。 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices...more30minPlay
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