飛騨の国で生まれた主人公(女性)は男として育てられ、飛騨の匠という木工技師になった。折しも奈良では、法隆寺建立の真っ最中。彼女は八角形のお堂の屋根につけられる露盤宝珠を作っていた・・・(CV:桑木栄美里)
大化の改新からもう90年以上たつ天平(てんぴょう)の世にあっても、
それゆえに、100名もの匠がこうして奈良の都までかりだされ、
性を隠し、匠の衣服をまとい、男として伽藍建立(がらん-こんりゅう)に携わっている。
生まれてすぐ両親を亡くし、匠の棟梁に引きとられたあとは、
生まれつき、手先が起用だったのが幸いしたのだろう。
だが仏像より、ほかの誰にも真似できないと言われたのが、
指南車、というのは、上に乗せた人形が南を指し続ける車のこと。
私が作るからくり人形は、どの匠が作るものより、正確に南を指した。
寺院や大仏建立の際は、棟梁とともに都にあがり、匠として働いた。
匠たちは、寺院建立の現場近くに、かりそめの工房を設けて腕をふるった。
私は寺院建立の現場へはいかず、貴族たちの邸宅へ向かう。
貴族たちの依頼で、からくりに「下がり藤」の紋様を刻み指南車にとりつけるのだ。
指南車は都の貴族たち上流階級の人たちだけが使う車。
いつしか、歯車で動く虫を作って周りを驚かせるのが楽しみになっていた。
車が向きを変えると左右の車輪は回転数に違いが出る。
その回転数の差を瞬時に計算し、からくり人形の歯車を反対に回せばいい。
やがて、平城京に”疱瘡(ほうそう)”という流行り病が蔓延した。
あろうことか棟梁は、流行り病に倒れ、帰らぬ人となってしまった。
人手が足りなくなってしまった寺院の現場へかりだされた。
大勢の匠たちが作ろうとしているのは、法隆寺の正殿。
そもそも、法隆寺自体、厩戸皇子(うまやどのおうじ)の命で
いつしか、都の流行り病は、皇子の怨霊による祟りだと噂され、
私が任されたのは、八角形のお堂の屋根につけられる、
露盤とは本来「仏舎利(ぶっしゃり)」というお釈迦さまの遺骨を入れる骨壷。
私は、球(たま)の形をした露盤に「光芒(こうぼう)」という光の筋をつける。
私にとっては、正殿の建立は怨霊を鎮める目的などではない。
こうして、尊い命を犠牲にして、法隆寺の正殿は完成した。
かつて100年前には、厩戸皇子が政(まつりごと)をおこなった
本尊は、亡き棟梁が彫り上げた救世観音(くせ-かんのん)。
神々しく輝くその姿は、見るもの誰もが瞳を潤ませる。
手に持った小さなふろしき包みには、木彫りの箱が入っている。