相手に敬意を払えないなら、自ら縁を切り、問題全部抱え込んで自滅しろ…な話です。“他人に迷惑掛けない”のと、“頭を下げる”のは、実は二律背反。もっと言えば、各方面に協力を仰いだのに手柄を独り占めしたがる人程、何をやっても虚無なので、ドンドン横柄になってくのです…誰も“対等”に扱ってくれず、存在意義や価値を見失い、、迷子になってても、救済を求める事が“惨め”だと思い込むから。
これは、オーバーツーリズムによる“文化破壊”にも通じる部分で、多言語表示や宗教別対応は、一見すると“思い遣り”に思えても、そこに甘えて図々しいリクエストを繰り返せば、折角普段では体験できない異文化交流や、本国の柵から解放されたくて異国に来たのに、それを自ら否定し、地元住民を勝手に追い出し、侵略してるのと同じです。
殊、教育現場において、礼節や道徳を“第三者視点”で指導できない状況下では、幼少期に植え付けられた“身勝手な思想”が絶対基準になり、それがのちに国全体の“呪詛”となり、国際社会で恥を掻き、意固地になって孤立するのです。その結果、治安の悪化や貧困社会故の歪みが生まれ、国そのものが滅び、文化も消えるのです。
日本を“理想郷”として焦がれるなら、その文化や治安を破壊してまで“自分好み”に仕上げる事が、却って自分が求めたモノから遠ざかってる事に気付かないと、やがて本国同様のディストピアに成り下がります…それは、本国の惨状こそ、自分達が求めた“あるべき姿”であり、故に地元の習慣や伝承をコケにし、上書きして“文化の単一化”によって、多様性の否定と同時に、可能性の芽を積んで未来に蓋をする行為なのです。