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「教える時間を考えたら、自分でやった方が早い」
今日の仕事はそれで片づくけれど、その「今回は」を繰り返していたら、いつまでも自分の手は空かない。
高価なトラクターやコンバインの研修を後回しにして、つい自分で作業を進めてしまう農園の日常から、人に任せることと経営者の時間の使い方を考えます。
先日、人材育成や退職への思いを書いたSNS投稿に、同じように悩む方々から声をいただきました。
一人で働くにも人と働くにもそれぞれの難しさがありますが、それでも私が仲間と働きたいのは、一人ではつくれない農園の未来があるからです。
人に任せることで生まれる時間がある一方で、教えるにも悩みに耳を傾けるにも自分の時間が必要になるということを、私自身のガチンコ反省とともに話しています。
今も農園を支えてくれる仲間たちと、もっと楽しく成長できる仕事をしていくために『自分の時間をどこに使うのか』を考えた回です。
「機械を買ってしまったから」「土づくりに時間をかけたから」
新規就農して思うような成果が出ていなくても、これまで費やしたお金や労力が農業をやめられない理由になることがあります。
今後の見込みを考えて続けているのか?それとも「ここまでやった」を手放せずにいるのか。
今回は引き返す判断の難しさを考えました。
今やめれば、再就職など別の道を選べるかもしれない。一方で、決められないまま続けている間にも、時間や資金、気力は使われていきます。
何も決めないことが選択肢を残すことになるとは限りません。
私も畑を返そうと考えたとき、
「うちがやめたら、もう誰も耕さないのでは?」
という罪悪感があります。
人手不足で続けられなかったキッチンカーにも、もっと大きく育ったかもしれないという気持ちがいまもまだ残っています。
人は期待や責任感がある中で、何を基準に続けるか、離れるかを判断するのでしょうか?
過去の挑戦を否定せず、今の条件で選び直す。
そして、新しいことを始める時には、未来の自分が考え直せる余地も残しておく。
農業を入口に仕事や人生の『選択』について考えました。
「私はコシヒカリしか食べない」
というコシヒカリ信者は特に高齢者の方に多いと聞きます。
お米にはいろいろな品種があります。それでもいつものものを選ぶのは、好みがはっきりしているからでしょうか?それともほかをよく知らないからでしょうか?
僕自身も有名な映画をなぜか避けていた時期がありました。少し尖った気持ちで、マイナーな映画こそ面白いなんて思っていたんてます。ところが名作中の名作、バックトゥザ・フューチャーを観てみると純粋に最高でした。
また、全然別の話ですが、新しい人参の品種を育てて立派なものが採れたと喜んでいたら常連さんから「鈴木くん、今年腕落としたね」と言われたことがあります。その理由を考えると試したことによる失敗でしたが、比べたことによる発見でもありました。
試したからこそ出逢えた楽しみもあれば、比べたからこそわかった「いつものもの」のよさもある。お米や人参、映画や食事の話から、私たちの好みと選び方を考えます。
生産者は自分の農産物に自信を持っている人も多いし、それ自体はとても良いことです。が、トマトが嫌いな人にまで「うちのなら食えるから!ほら!もいでやったからいますぐかじれ!」と押し付けるシーンもよくあります。これを生産者ハラスメントと呼んでいます。
試すか試さないかすら自分で選べる方が健全です。
皆さんが今好きなものは、どんなきっかけで好きになりましたか?秋の夜長に自分の「好み」を考えるきっかけになれば幸いです。
農業は、ずっと効率化してきました。
人力から機械へ。そしてこれからはロボットやAIへ。
昔より圧倒的に少ない時間と労力で仕事ができるようになったはずなのに、不思議なことに僕たちの仕事はなかなか減りません。
10時間かかっていた仕事が5時間になれば空いた5時間でまた別の仕事をする。
そして仕事が増えればまた効率化する…
じゃあ僕たちは一体何のために効率化しているんだろう?
考えていくうちに、僕が欲しかったのは「暇」ではなく「余裕」であり、その先にある「自由」なのだと気づきました。
仕事に追いかけられている8時間と、自分が仕事を追いかけている8時間は同じ時間でも感じ方が違う。
そして僕にとって効率化とは、仕事をなくすためのものではなく次の挑戦へ進むために自分を今の仕事から解放するものなのかもしれません。
AIにどこまで仕事を任せたいのか?
人間に残る仕事とは何なのか?
なぜ無駄な時間からオリジナリティが生まれるのか?
仕事とプライベートを分ける必要はあるのか?
そして、そもそも「仕事」とは何なのか。
農業の効率化から始まった話は最後には「どう生きたいのか」という話になりました。
どうぞ今回も最後までお付き合いください。
農業ラブソング、ついに総再生数10万回を突破しました!
いつも聴いていただき、本当にありがとうございます。思ったより時間もかかりましたが、私鈴木の一人喋りが10万回も誰かの耳に届いたと考えると感慨深いものです。
今回は久しぶりの農業ニュース回!
新米が出回る中、直売農家は米を今売るべきなのか、それとも冬・春まで持つべきなのか?
備蓄米の買い戻しや民間在庫、これからの米価について考えます。
さらに、政府が大綱を閣議決定した「飲食料品の消費税1%」、高止まりする肥料価格、そして農家にとって「不作で高い」と「豊作で安い」はどちらが怖いのか?
一見バラバラなニュースですが、考えていくと一つの話につながりました。
未来を予測するために必要なのは、遠くを見ることより、まず足元にある事実を見ること。
今何が起きているのか? そこから次に何が起きそうなのか?
さらに予想とは逆に転んだら、自分はどう動くのか?
天候も、相場も、制度も、自分の思い通りにはなりません。
だからこそ人任せにせず、自分で情報を集め、自分で考え、どちらに転んでも動ける「体幹」を持っておく。それが大切だと私は考えいます。
もし人類文明を一度すべてリセットしたら僕たちはまた資本主義を作るのでしょうか?
今回は「資本主義」について考えてみました。
僕自身は資本主義が好きです。
もっと成長したいし、もっと稼ぎたい。競争することも嫌いではありません。
一方で、僕自身がお金がないことで大学進学という選択肢を失った経験があります。
頑張った人が報われる社会ではあるものの、生まれた家庭によってスタート地点が違うのも現実です。
さらに今、人間の「もっと豊かになりたい」という欲望は有限な地球とぶつかり始めています。
では資本主義ではない世界ならうまくいくのか?
中国は社会主義国家でありながら、市場・競争・利益を取り入れた「社会主義市場経済」を発展させました。
それなら、そもそも市場や競争、投資、利益という仕組みは、資本主義が人間に与えたものではなく、人間という生き物から自然発生するものなのではないか?
村をゼロから作る思考実験から、社会主義市場経済、格差、競争、AIとロボット、気候変動、そして人間の欲望まで。
人類をここまで発展させたものと、地球をここまで壊してきたものが、同じ「もっと」という欲望なのだとしたら必要なのは欲望というエンジンを止めることではなく地球のためになる方向にハンドルを切ることなのかもしれません。
皆さんは、人類が文明をもう一度ゼロからやり直してもまた資本主義のような社会にたどり着くと思いますか?
Maoさんからいただいたお便り、
「そもそも地球温暖化や気候変動について、どんなふうに考えたり、対策されたりしていますか?」
今回はこの問いについて、かなり深く考えてみました。
空調服や水冷服で暑さをしのぐことはできます。でも、もうそれだけで乗り切れる暑さではなくなりつつあります。
大きな農業は、エアコンの効いた大型農機や自動化など、資本と技術によって人間を暑さから遠ざけていく。
小さな農業は、朝夕や夜に働くなど時間の自由度を生かし、面積を追わず、その代わり商品や農園そのものの価値を高めていく。
僕は「地球沸騰化」が、これからの農業の二極化をさらに早めるのではないかと思っています。
そして変わるのは働き方だけではありません。
適地適作が変わり、種を播く時期も変わる。
食料価格はもちろん上がっていく。
では環境負荷を減らすために農家は何をするのか?
そしてその原因ともいわれる資本主義そのものとはどう向き合うのか。
大きな農業と小さな農業に分かれていく中でどちらへ行くのかと問われれば僕の答えは「小」です。
農地をひたすら広げるのではなく、鈴盛農園という世界をもっと濃くしていく。
小を選ぶことは、成長を諦めることではない。
「広げる成長」ではなく「濃くする成長」もあると思っています。
気候変動への対策から始まり、これからの農業、食料、資本主義、そして自分自身が目指す農業まで。今考えていることを話しました。
フードデリバリーサービス「menu」が終了へ。
KDDIという大きな資本が入り、利用者もいて、市場も成長していたが、それでも事業は誰かに買われることもなく完全撤退へ。
このニュースから自分の農園のことを考えました。
今、この農園を売ったらいくらの価値があるのか?
売上高と企業価値は同じ?当然そんな単純な話ではありません。
鈴盛農園は栽培、出荷、既存取引は僕がいなくても回る。
でも、メディア出演、地域との関係、発信力、商品企画、問題解決力はかなり僕自身に依存しているように思います。
誰かに承継すれば農園は残るが僕がいない鈴盛農園は鈴盛農園と言えるのだろうか?
もし経営者がいなくなった時、会社には何が残るのか。
今回はmenu終了のニュースを入口に、
「売上と企業価値は同じなのか?」
「属人性が強い会社は本当に価値があるのか?」
「農産物は代替可能でも、農園は代替不可能になれるのか?」
「後継者に渡すなら、どんな会社を残したいか?」
そんな話をしています。
後半では、先週の「草取れや!」事件の後日談も。
怒られたその日のうちにスタッフが対応し、翌朝5時に僕が仕上げて耕した結果、その農家さんが後日「早速やってくれてありがとうな」と声をかけてくれました。
あなたの会社には、売上以外にどんな価値がありますか?
近くの農家さんから「草取りをきちんとやれ!」「草をもっと刈れ!」と怒られる、いや、怒鳴られることがあります。
農家はよく怒鳴る。やんなっちゃう。
不思議なのは、スタッフが畑にいる時には何も言わないのに、なぜか僕を見つけると車を止めて直接言ってくること。
いやいや、スタッフに直接言ってほしいんです。
人は叱られて、自分の仕事が誰かにどう影響しているのかを知る。
そして自分で考えて動けるようになると思っているからです。
でも、こんなことを言うと僕が穏やかな人間に聞こえるかもしれません。
実際はまったく逆です。
高校生の頃、カラオケで茶化されたことに腹を立て、不良集団を追いかけて文句を言い、結果的に店の外を30人近くに囲まれたこともあります。
昔から僕は、怒りの感情に対してかなり素直な人間でした。
では、なぜ今は怒りを抑えて近所の人に理不尽なことを言われても怒鳴り返さなくなったのか?
農業を始め、家族ができ、スタッフを雇い、地域で信用を積み重ねる中で、自分の感情を発散させるより大切なものが増えたからなのかもしれません。
そして振り返ると、僕の事業を前に進めてきたエネルギーもまた怒りでした。
「できるわけない」「弱小農家」「すぐ消える」「お前の商品なんか売れない」
新規就農当初、そう言われるたびに生まれた怒りが次の行動につながってきました。
怒りは悪なのか?それとも、人を動かす燃料なのか?
今回は、草取りのクレームから始まって、自分の性格、過去の喧嘩、地域との関係、スタッフ教育、そして事業を動かしてきた「怒り」について話します。
僕は歳を重ね怒らない人間になったわけではなく、怒りは燃料のまま。
ただ、怒りの出口を考えられる人間に、40年かけてやっとなれたのかもしれせん。
先日圃場1300枚を管理する大規模農家を視察して改めて考えました。
農業は、事業は規模拡大するほど幸せになれるのでしょうか?
農家は減り、残った経営体へ農地が集まる日本農業。
規模拡大には大きなチャンスがある一方、農地、従業員、借入、地域への責任も増えていきます。
僕自身、農業を始めた頃に思い描いていた「成功した農家」は、たくさんの人を雇い、大きな会社をつくり、高級車に乗って遊び回るような農家でした。
でも今は少し違います。
売上が大切なのか所得が大切なのか。
一人農業か従業員20人なのか。
農地は1haなのか100haなのか。
規模拡大は本当に「目的」なのか?
農業経営を続けてきた今、僕が考える成功とは「自由であること」です。
今回は最新の日本農業のデータと、自身の経験も交えながら、規模拡大、売上、雇用、そして「何のために農業を大きくするのか?」を考えます。
10年後、何haやっていたいですか? 売上はいくら欲しいですか?
いや、その前に考えてほしいことがあります。
「10年後、あなたはどんな一日を過ごしていたいですか?」
自分が送りたい人生から、必要な農業の大きさを逆算する。
そんな目標設定があってもいいですよね!というお話。
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