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FAQs about オーディオドラマ「五の線2」:How many episodes does オーディオドラマ「五の線2」 have?The podcast currently has 124 episodes available.
May 15, 201694 第九十一話このブラウザでは再生できません。「貴様には黙っていたが、実はな…俺は嫁さんを寝取られてるんだ…。」「え…。」「所轄の公安課の課長だった頃だ…俺も貴様のように家を開けっ放しだった。あの頃の俺はまだ若かった。確か40前半の事だったと思う。ひとつのヤマが解決し、久しぶりに家に帰ったんだよ。そうしたら玄関で異変に気がついた。」「まさか…。」「ああ。見覚えのない男のものと思われる靴がそこにあった。それを見た瞬間俺は何が家の中で起こっているか悟った。」「やめて下さい。聞きたくありません。」この片倉の発言は拒絶ではなく要請であった。しかし朝倉は言葉を続けた。「ひとが命を懸けて日々危険な仕事をしているというのに、あいつは男にうつつを抜かしている。子供がいるのにだ。俺にはふつふつと怒りがこみ上げていた。殺意さえ芽生えていた。」「殺意…。」「だが…。」「だが。」「聞こえてくるんだよ、情事の声が。俺が一歩足を進めるたびにそれが近くなる。そこで俺は気がついた。」「…。」「俺がこの結果を作り出している。」「部長が…。」「一気に無力感が俺を包み込む。気が付くと俺は家から程遠い居酒屋で酒を浴びていた。」片倉は深い溜息をついた。「その時は家に帰る事無く俺は居酒屋で一晩明かした。この段階においても俺の帰りを心配する嫁の声はない。あたりまえだ。家にいないのが普通だったからな。このままじゃ家庭は崩壊する。そう思ってそれから俺は嫁さんと話し合いの場を頻繁に設けた。それが功を奏したか、幸いなんとか今もあいつに逃げられずにいる。」「話し合いですか…。」「ああ。貴様の様子を見る限り、事は逼迫しているように俺には映る。早いほうがいいだろう。」またも片倉は息をついた。「参りました。部長…。」「うん?」「あなたの体験。今の俺とダブって見えます。」「…そうか。」「正直、俺はあいつがどうとかはどうでもいいんですが、娘が気になるんです。娘にだけはつらい思いをさせたくない。だからどこかでちゃんとあいつとは話し合いの場を持たんとイカンと思っとった。でもその時間が作れん。タイミングも合わん。」深呼吸をした片倉は意を決して言った。「お願いします。部長。」「…わかった。」「捜査については心残りがありますが、やむを得ません。何卒お取り計らいのほどよろしくお願いいたします。」「こっちこそ理解をしてくれて嬉しく思う。直ぐに手を打とう。ただ…。」「ただ?」「そのためには貴様にこちらに来てもらう必要がある。」「え?」「明日こっちに来い。」「え?東京にですか?」「ああ。明日1日だけだ。丁度俺は長官と会うことになっている。そこに貴様も同席しろ。」「え?どういうことでしょうか。」「警察から公安調査庁へ出向という形で話を通す。その場で長官から警察へ根回ししてもらう。貴様はこっちの人間になった時点でゆっくりと夫婦で話し合いをするといい。」「公安調査庁の長官直々にですか…。」「なんだ不服か。」「いえ、恐縮至極です。」「トシさんにはまだ伏せておけ。」「ええ。」「明日の15時。待っているぞ。」「よろしくお願いいたします。それでは失礼いたします。」そう言って電話を切った片倉にセバストポリの店主である野本は、そっとコーヒーを差し出した。「勝負や…。」こう言う片倉の肩を野本は軽く叩いてそれに応えた。「あんたならやれるさ。きっと。」電話を切った朝倉は遠くを見つめた。「俺が嫁を寝取られる?」朝倉の方は小刻みに動いている。「…そんな訳がないだろう。三流作家が思いつきそうなストーリーだ。こんなもんを信じるとは片倉…。ククク…末期だな…。」「ええ。なんとか巻きました。」金沢駅近くの寂れた商店街でヒソヒソ声で話す悠里の姿があった。「とにかく、僕らはあいつらにマークされています。なので軽々な事はやめておいたほうが良いと思います。」「とは言え鍋島の件は中断するわけにはいかない。これは命令だ。」「わかっています。これはこれで僕が秘密裏にやります。ですが例の件は様子を見たほうが良いかと。」「…だめだ。これも上からの命令だ。現場の判断で中止する訳にはいかない。」「…どうしてもですか。」「一応、今川さんには図ってみる。だが望みは薄だと思っておけ。」「そこをなんとか、お父さんの力でお願いします。もしも全てが露見しているとなると今度動いた瞬間に全てが終わります。」「最善は尽くしてみる。悠里。お前はくれぐれも鍋島には気をつけるんだ。」「はい。」携帯を仕舞った悠里はため息をついた。辺りを見回すと帰宅時間ということもあり、ところどころにスーツ姿の男がいた。ブリーフケース片手にハンカチで汗を拭いながら未だ営業に奔走する者、居酒屋に吸い込まれていく者、クールビズ姿でスマートフォンをいじりながら歩く者。様々である。ー巻いたと言ってもどいつが公安の人間かわからない。とにかく人気のないところを選んで移動しよう。彼は通りを一本曲がり、ひっそりとした住宅地を進んだ。ーなんだ…こっちの思惑通りに事は運んでいたと思ったが、あいつらいつから動いてるんだ…。まさか俺らは泳がされているのか?…もしそうだとしたら…。早足で進む悠里は携帯電話を取り出し、そこに目を落とした。ー鍋島…どこに向かっている…。地図上に赤い点が表示され、それがゆっくりと移動している。ーさっきまで大通りを一定の速度で移動していたから、何かの乗り物に乗っていたのは分かる。しかし急に動きが遅くなった。徒歩に切り替えたか。あいつが今いる場所までここから約15キロか。3分ほど進んだところに駐車場があった。悠里はそこに駐車されていたある車のドアノブに手をかけた。鍵はかかっていない。それに乗り込んだ悠里はグローブボックスを開いてそこに格納されていた鍵を取り出し、エンジンを掛けた。そしてダッシュボードにある携帯ホルダーにスマートフォンを設置した。ーまぁどこでもいいさ。鍋島、お前の行動は手に取るように分かる。悠里は動きを止めた。ーまて…鍋島の居所も警察に把握されているなんてことはあるまいな…。彼は一旦車から降り、トランクの方へ回ってそれを開いた。ーそうだとするとこいつを使うしかないか…。トランクの中には細長い黒い革製のアタッシュケースのようなものが収められていた。「なんや。暇乞いしたばっかりなんに僅か2日で復帰か?」金沢銀行から退行する山県を外で捕まえて、佐竹は彼とともに歩んだ。「いえ、復帰はしません。」「じゃあ何でここに居るんや。久美子はどうしたんや。」「久美子さんは今のところ無事です。」「あたりまえや。そうじゃなかったらお前がなんでここにおるって言うんや。」ポケットから車の鍵を取り出した山県は自分の車の前で立ち止まった。「鍋島をおびき寄せたいと思っています。」「はぁ?」「部長。言ってましたよね。」「なにを。」「警察にアイツの事話したら久美子さんが危ないって。」「それがどうした。」「いまこの場で藤堂が直接自分と接触してきたって警察に通報してもらえませんか。」「は?」「お願いします。」「佐竹…おまえ…自分が何言っとるんか分かっとるんか?」「ええ。」「お前な、言っとることが支離滅裂やがいや。お前は久美子を守る。そのためだけに暇乞いしたんやろ。ほんねんにその逆のことを俺にしろってか?だら。」山県は佐竹が何を言っているのかさっぱり理解できない。彼はため息をついて車のロックを解除した。「帰れ。」「え?」「帰れって言っとるんや。何やお前、久美子守るちゅうのはただの方便やがいや。お前はただ鍋島と鬼ごっこしとるだけやがいや。」佐竹はうつむき加減で軽く息をついた。「…ええ。そうです鬼ごっこです。」「お前なぁ。」「鬼は俺らしいですから。子を捕まえないといけません。」山県は頭を抱えた。「おい。」「部長。俺は別に錯乱してません。いまここで警察に通報して下さい。」「だら。んなことお前に言われて、ホイホイ言うこときくわけないやろ。帰れ。」「鍋島はやると言ったら必ずやる奴です。部長が警察に通報すれば奴は再び久美子さんを狙います。なによりも優先して。」駄目だ佐竹の言うことは矛盾を極めている。どうしてわざわざ自分の娘を危険に晒すことができるというのか。山県は呆れ顔で佐竹を見た。「あいつをおびき寄せた上で、反転攻勢をかけます。」「え?」「攻撃は最大の防御。守りから攻めに転じます。」佐竹の瞳に確信に満ちた何かがあることに山県は気がついた。「いままで俺らはあいつに翻弄されていた。あいつがどう出るか全く読めない中で、その場しのぎの対応をするしかなかった。あいつが先の先を行くというなら、こちらは後手後手だったとも言える。ですがそれはここで終わりです。」「秘策でもあるのか。」「いえ。そんな立派なものはありませんし、小細工も弄しません。正面から行きます。ボール球は投げません。直球で行きます。」「どうするっちゅうんや。」「鍋島は賢い。いろいろな情報を総合的に処理できる能力を持っている。そして凡人の先の先ををいく読みの持ち主。ですが人間の処理能力には限界ってもんがあります。鍋島の処理を超える膨大な情報を一度にあいつに投入することで、あいつの行動と思考をダウンさせます。」「ダウン?」「ええ。システムをダウンさせるように、圧倒的な量の情報を一気にあいつにぶつけます。」「...なんかどこかで聞いたような。」「ええ。今朝から報道でやっている石電のWebサーバが落ちた件です。あれはDDos攻撃という手法が用いられた可能性が高いと言われています。そこにヒントを得ました。」山県はその手のIT関係の話は不得手だ。彼はピンと来ない顔をしている。「総力戦です。ありとあらゆるものを投入します。」「総力戦…。」「ある人と話し合って、その時が来たとの結論に先ほど達したんです。」「俺がここで警察に藤堂の事を通報することで何が起きる。」「言ったでしょう、総力戦が始まる。部長の通報を奇貨として各方面が一斉に動く。」「結果どうなる。」「結果、あいつは久美子さんを狙うのではなくある場所に現れる。」「ある場所とは?」「それはいまこの場では言えません。」山県は口をへの字にした。「お前は?」「俺はその場所で鍋島を迎え撃つ。」「何?」「部長。鍋島の根本的な攻撃対象は俺ら高校時代の剣道部です。部内のことは部内でけじめをつけます。」...more21minPlay
May 08, 201693 第九十話このブラウザでは再生できません。ドットメディカルの自室で携帯電話を操作する今川惟幾の姿があった。彼はデスクトップパソコンのメーラーの迷惑メールの中の一件を開いた。タイトルも本文も文字化けを起こしたどうにもならないメールである。今川はそのどうにもならない文章を携帯電話を覗きながら、ときおり何かをメモ帳に書き記しながら読み込んだ。「ゴ ク ヒ…。」咳払いをした今川は姿勢を正した。「悠 里 ノ 動 キ 報 告 ナ シ 。 至 急 報 告 サ レ タ シ 。」「え…。」彼の額から滝のような汗が流れだした。ー何だ…。執行部は鍋島排除の件をキャプテンから聞かされていないのか?ハンカチで汗を拭うも、今度は首筋にそれが湧き上がってくるため彼はその行為を止め、ペンを手にとった。「Теперь, чтобы быть исключен из Набэсима по инструкции от капитана. Юрий переехал в изгнание.(キャプテンからの指示で鍋島を除名する事になりました。除名に悠里が動いています。)」こうメモ帳にペンを走らせた今川は、再び携帯電話を覗き込んだ。そしてその文章を画面に表示されている乱数表を元に変換し、それをキーボードで打ち込んだ。ディスプレイに表示される一件文字化けした文章と携帯電話の表示を何度も照らしあわせて、彼は送信のボタンを押下した。そしてすぐさま携帯に表示されていたデータを消去した。「ふーっ…。」ー一体どういうことだ。今川は天を仰いだ。ーまさか俺は執行部の意に反することの片棒を担いだことになってるのか?「執行部は混乱を待ち望んでいる。」「…。」「予定通り事を運べ。」88ー朝倉が暴走しているのか?今川はそのまま目を瞑った。ー3年前ー熨子山連続殺人事件が発生し、金沢北署前には報道陣が群れをなしている。ある局は北署をバックに中継を送り、またある局は出入りの警察関係者に取材を申し込んでいる。騒然としたその中で仕立ての良いトレンチコートを纏い、あごひげを蓄えた今川がひとり颯爽と署の中に入っていった。彼は入って直ぐの生活安全課の署員に呼び止められた。「すいません。いまは関係者以外、署内に入ったらいかんことになっとりまして。」「あぁ私、別所さんに呼ばれてきたんですけど。」「別所?」「ええ。警務部の。」「警務部のですか?」署員は背後の上席者に何かの確認をとると改まった態度になって今川を応接室に案内した。出された茶に口をつけて待つこと5分。部屋の扉が開かれて痩身の男が今川の前に現れた。「GPSは貴様のところの社長の家を示していたぞ。どういうことなんだ。」「大変申し訳ございません。朝倉本部長。」朝倉はソファに掛けた。「七里は一色の協力者なのか。」「いえ、そのような情報は掴んでおりません。おそらく一色が旧知の中である七里の車に勝手にGPSの発信機を埋め込んだんでしょう。」朝倉は舌打ちした。「しかし一色の件はご心配には及びません。」「ほう。」「鍋島が奴を葬りました。」「なに?」「先程、私のもとに報告が入りました。」「…そうか。となるとこれからの捜査の方向性も修正可能だな。」「はい。」「わかった、どこかの頃合いを見て幕引きを図る。」「その際に鍋島の存在を消し去って下さい。」「鍋島…か…。」「何事も引き際が肝心といいます。」「貴様に言われるまでもない。鍋島はうまく使えと執行部から指示が来ている。」「あ…執行部から…。」「ああ。」今川は鞄の中からUSBメモリを取り出し、それを朝倉の前に差し出した。「それは?」「鍋島に関する県警の情報を、適当なタイミングで置き換えるプログラムが既にここに入っています。このタイミングで県警のシステムにこいつを流しこむことも出来なくはないのですが、できれば誰の目にも怪しまれない年度末の更新をもってこいつを流し込もうと思っています。」「なるほど。」「ついては県警のシステムの件、遺漏なきようお願い申し上げます。」「わかっている。警務部の別所と総務課長の中川はこちらの陣営に取り込み済みだ。よほどの横槍がなければ県警のシステムはドットメディカルのものに置き換わる。」「ありがとうございます。」「…とうとう治安を抑えたな。」「はい。しかしまだ一部ですが。」「一部でいいんだ。今川。一部だから相手にわかりにくいし動きも取りやすい。知らないうちに徐々に蝕み、綻びを見せたところを集中的に攻撃して本体を撹乱する。これが弱者の戦法さ。」「御意。」朝倉は応接室にあるテレビをつけた。夕方のワイドショーが流れていた。「見ろ今川。ここでは前代未聞の警察キャリアによる連続殺人事件が起こっているというのに、どこそこのランチは美味いとか安いとか、そのことで世間の人間は一喜一憂している。」「ええ。」「クリスチャンでもないのにクリスマスがどうだとか、どうでもいいことに関心を示している。」「はい。」「今川。貴様は外務省時代、世界を見てきた。」「ええ。格差激しい世界をこの目で見てきました。富めるものはますます富み。貧しきものはますます貧する。」「グローバル経済とかいう欧米の思想が格差を助長し、経済的な不安定さをもたらしている。格差は政情不安を引き起こし、混沌とした中で局地的なテロ行為も頻発。常に生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされている奴ら途上国の人間と、この平和ぼけした国の民は、これからの世界で競争をしていかねばならない。」「戦後教育によって植え付けられた平和や人権という幻想に囚われた我が国の国民は牙を抜かれた狼になっています。それでは弱肉強食の世界では行きてはいけません。今は確かに我が国は先進国です。ですが10年、20年先は恐らく競争力は著しく低下し、国際的に見て搾取される側の陣営に成り下がることでしょう。」「そうだ。だからこの愚鈍な国民の目を覚ます必要がある。それが我々の目指す革命だ。」「そうです。」「我々がわが祖国に栄光をもたらそう。」ースパイ防止法の成立に心血を注ぎ込んでいたと思われる右側の人間が、揺り戻しで左翼。なるほど右翼も左翼も自分の思い通りに世の中の仕組みを創りあげたいってところは同じか…。立ち上がった今川は部屋の中を歩き出した。ーしかし我々の行動は全て執行部が決める。もしも朝倉が執行部の意に反して、単独で何かしらの行動をとっているとしたら、あいつの命令を受けている俺の立場はどうなる…。足を止めた今川は先程のメールの文章を見つめた。ー俺の命を受けて動く下間一族の立場も危うい…。しかし俺は朝倉の指示系統の下にある…。「…やむを得ん。」今川は再び席に座り、深く息をついてメモ帳に文字を書き始めた。「お疲れ様です。朝倉部長。」誰もいないセバストポリにひとり佇む片倉は弱々しい声で電話に出た。「相当参っているようだな。」「ふっ…面目次第もありません。」「コンドウサトミらしいな。」「…ええ。」「すまん。俺があの事件の時、七尾のガイシャを鍋島と判断したばかりに今日の混乱が起きている。」「部長。あなたの判断は何一つ間違っていない。」「うん?」「鍋島は確実に死んでいるんです。」「…どういうことだ。」「七尾のガイシャの指紋と鍋島の指紋は完全に一致しとります。なんで、あなたの判断は間違っていない。」片倉は店のブラインドの隙間を指で広げて外を見つめた。「鍋島の生存根拠の件はあくまでもドットメディカルによる陰謀です。」「今川か…。」「ええ。結果としてここで奴は尻尾を出しました。」「やるのか。」「いや俺はこの件についてはタッチしていません。」「なるほど…情報調査本部ってやつか…。」「捜査に関することですので部長といえども、これ以上の報告は差し控えさせていただきます。」「片倉、貴様のターゲットはひとつ絞ることができた。あとは下間一派と鍋島だ。」「ええ。」「言うなれば負担が少し軽くなったようにも思える。しかし今の貴様の声を聴く限り、疲労しか伝わってこない。」ブラインドを閉じ、彼はソファに腰を掛けため息をついた。「部長…。」「どうした。」「俺は一度、鍋島に狙われています。」「ああ。」「奴は何かしらの手段でこちらの動きを手に取るように分かるようになっとる。」「…。」「あの時は偶然俺はなんともなかった。けど次はどうなるか分からん。」「…怖いのか。片倉。」「…はい。なにせいとも簡単に原発に忍び込んでマルバクを仕掛ける奴ですからね。」「貴様らしくもない。」「部長…。俺だって人の子です。命は惜しいですよ。」「家庭だろ。」鼻の付け根を摘んでいた片倉の手が止まった。「家庭への未練が命の重量を重くする。」「未練?」「ああ。貴様。先日俺に言っただろう。」「嫁さんだけは大事にしろよ。最後は本当に嫁さんに頼るしか無いからな。」「…カミさんですか…。」「どうした?」「あ、いえ…。まぁなかなか難しい局面なんですよ。ウチは。」「察しの良い部長ならお分かりでしょう。俺は兎に角、このヤマを解決して早いことカミさん孝行せんと、俺もトシさんみたいになってしまいます。なので、部長からのお誘いは申し訳ないですがお断りさせていただきます。」43「失うものがない人間は前しか見ない。振り返っても何も無いからだ。貴様は振り返って後ろを見ている。だから前が曇って見えるんだ。」「後ろ…ですか…。」「何故、振り返るか。そう夫婦の仲の修復可能性を捨てきれないからだ。」片倉は黙った。「夫婦仲の亀裂の原因の大半はお互いの理解不足によるもの。公安警察という身分のため、貴様は職業を偽り、常に人前で仮面を被っている。それは家族においてもだ。仮面を被って妻と接しているのだから、真のコミュニケーションは取りにくい。それに出張と称し殆ど家を開けている。物理的にもその中身的にもコミュニケーションが取れない。貴様の夫婦仲の亀裂はなるべくしてなっている。」「…痛いところ付きますね。」「俺も貴様と同じような事を経験した。しかしどうにかこうにか今も嫁さんをを繋ぎ止めている。」「部長は…どうやってしのいだんですか。」「話し合いだ。」「話し合い…。」「ただ解ってくれと言っても相手は解りやしない。俺はそこで嫁さんに期限を切った。」「期限?」「ああ。いついつまで我慢してくれ。そうすれば現状は変わる。良い方に変わると。絶対に変わる。絶対に変えるためにあらゆる手段を俺は動員する。それで変わらなければそこでけじめをつけると。」「コミットメントですか。」「そうだ。そのコミットメントを得るために話し合いが必要だ。それが出来なければ貴様も古田のようになる。」「トシさんのように…。」「確実にだ。」片倉はため息をついた。「コミットメントを得るためには時間が必要だ。だから暇を乞え片倉。」「え?」「俺の方から松永に働きかけてやる。貴様の働きは松永でもしばらくなら肩代わりできるだろう。」「しかし…。いまですか。」「ああ。こういうことはタイミングが大事だ。」「ですが…。」片倉は浮かない声を発した。「貴様には黙っていたが、実はな…俺は嫁さんを寝取られてるんだ…。」「え…。」唐突な告白に片倉は動揺した。...more22minPlay
May 01, 201692 第八十九話このブラウザでは再生できません。「村上…。ようやく鍋島と相見えることができそうや。」相馬卓と尚美の2人を無事、市内のホテルに匿うことができた古田は車を運転しながら呟いた。ーいままで自分の協力者やと思っとった人間がこちら側の協力者やった。おそらく鍋島は怒髪天を突く思いや。これで奴の感情の矛先は久美子から相馬卓に移るはず。相馬に何らかの制裁を与えるなら手っ取り早いのは、あいつの自宅に殴りこみをかけること。ハンドルを切って古田は交差点を左折した。ーしかし先の先を行くのがあいつの攻め方。まんまとこっちの偽カメラにハマったが、賢いあいつのことや、体制の立て直しを図るはずや。とすればこちらの目論見を察知して別の方向に動く可能性も捨てきれん。もしもあいつがワシらのおびき寄せ作戦を察知したとしたら、下間らと連携してあっちのほうで何かの動きを見せるかもしれん。「だめや…考えれば考えるほど鍋島の行動が読めんくなる…。」そういいながらも古田の車は相馬の自宅に向かっていた。携帯が鳴った。イヤホン付属のリモコンを押下し彼はそれに出た。「はい古田。」「おうトシさん。」「どうした。」「今さっきドットスタッフに潜り込ませとるエスから情報が入った。」「なんや。」「周と京子の件、うまく行きそうや。」「なに?」「仁川は、いや悠里は妹の麗にコミュを脱会するよう促した。」「それは本当のことか。」「ああ。エスがあいつのオフィスに仕込んだやつにしっかり録音されとった。明日のコミュで麗を脱会させるよう、悠里自身が誘導するらしい。」「で肝心の麗の反応は。」「…それは分からん。ほやけどとりあえず麗についてはことは順調に運んどる。悠里のほうから麗を組織から遠ざけるように動いた。」近くのコンビニに車を滑りこませて古田は息をついた。「やったな…。片倉。」「…あぁ。」「一色の仕込みがここで効いたか。」一瞬、電話の向こう側の片倉は沈黙した。「けっ…剣道の稽古と手紙ひとつで他人の娘を協力者に引き込んで、まんまと目的達成目前や。京子にもしものことがあったらどうすれんてぃや。ったく、手段を選ばん冷酷無比な奴やわ。生きとったらあいつぶん殴ってやる。ぼこぼこにしてやんよ。」「お前はいつでも京子を止めることができた。」「…。」「けどそれはせんかった。」「…トシさん。そういうことはまた別の機会にゆっくり話そうや。」「…あぁそうやな。」「ただ、京子が自分の自身の頭で考えて一つの結果を出す目前までこぎつけたっていうことは評価できる。」「おう、素直に娘を褒めてやれ。」「…ほうやな。」「でも、それは全てが首尾よく行ってからの話や。当の悠里はどうなんや。」「動いた。」「動いた…。」「出張に行くって言ってドットスタッフから姿を消した。」「それは…再び下間らが何らかの動きを見せるっちゅうことか。」「まぁトシさん。この下りを聞いてくれま。親父と電話する悠里の言葉や。」「ああお父さん。」「期日は。」「分かりました。」「やっぱり疲れてるだけみたいです。」「明日のコミュにもあいつは来ますのでご心配なく。」「どうしました?」「麗だけじゃなくてお父さんも変ですよ。」「…なにせ相手は歴戦の猛者ですからね。」84「なんや期日って。」「わからん。次に計画しとる企みの実行日かもしれん。」「明日のコミュにあいつは来るっていうのは?」「麗のことやと思う。会話の流れから。」「ふうむ…一定の間があっての『歴戦の猛者ですからね』っちゅうのが引っかかる。なんか…不安が混じったような声にも聞こえた…。」ぶつぶつと独り言を言って古田は頭を掻き始めた。気を落ち着かせるようにタバコを咥え、ジッポーを取り出した時のことである。彼はそれを手にしたまま動きを止めた。「村上…?」「は?」ジッポーの蓋を開けては閉める。その動作を何度かして古田は何かを考えた。そして煙草に火をつけて一息つき、彼は口を開いた。「…ひょっとして。」「なんねんトシさん。」「悠里は親父に何かの期日を確認した。そして悠里はそれを了承。奴はそれを即座に行動に移すため会社を後にした。」「おう。」「すなわち悠里は親父に何かを命令され、それを期日までに完了させるために消えた。」「あ・あぁ…なんかさっきからトシさん、おんなじこと言っとるような気がするんやけど…。」「片倉。コミュの定例会ってやつは明日の何時からや。」「19時。」「んなら今からその時間までに悠里は下間の命令を遂行するってことや。」「まあ。そうとも取れる。」「…となるとあれや。やっぱり最後の悠里のフレーズが気になる。」「…なにせ相手は歴戦の猛者ですからね。」「おい…待てまトシさん…。俺、いまピンときてんけど。」「なんじゃい。」「まさか仲間割れしとるんじゃないやろうな。あいつら。」「仲間割れ?」「それなら悠里がなんか不安めいた声そのセリフ吐くのも分からんでもない。」「おい片倉。おめぇはその歴戦の猛者って奴が鍋島やって言っとるんか…って…あり得る…。」「…まさか…粛清。」片倉は冨樫に仁川の情報を表示させるように命じた。「…ほうや。トシさん。あいつのツヴァイスタン時代のあれ…。」「悠里のツヴァイスタン時代?」「悠里は幼少期から秘密警察に出入りしとったのは内調(内閣情報調査室)からの情報で確認されとる…。」「あ…。」「確かに鍋島はコンドウサトミとして下間らと連携しとるように見える。ほやけど俺と神谷をバイクでぴったり付けて襲撃する素振り見せたり、直接俺はの電話に電話かけてきたり、相馬卓と直接会ってみたり、佐竹らを熨子山の墓地公園に引っ張りだしたり、下間らと一線を画する動きも見せとる。」「ひょっとするとそれは警察側の撹乱を狙う計算されたものやったんかもしれん。けどただの鍋島のスタンドプレーやった可能性もある。ほしたら話は変わってくるな。」「組織との協調を無視する動きが目立ってきた鍋島を下間らが粛清する方向で動いた。そう考えることも出来んこと無いな。」「その期日が明日の19時まで。」「十分に考えられるぞ、トシさん。」片倉は時計に目を落とした。時刻は17時半を回ろうとしている。コミュの定例会開催まで残された時間は24時間とちょっとだ。「片倉。ワシはいま相馬の家に向かっとる。あそこで鍋島を迎え撃つ算段やが、ひょっとすっとそこに悠里がひょっこり登場なんてことも想定せんといかんかな。」「駄目や。そいつは一番厄介や。住宅地やぞ。そんなところでトシさんがいっぺんに2人と遭遇っちゅうとなにが起こるか分からん。いまは鍋島との直接的な接触は待て。」「じゃあどうすれんて。」「鍋島の動きはこっちでまだ把握できとらんけど、悠里は今んところ理事官直轄のチームが付けとる。仮に悠里が鍋島と接触を試みようとしとるんなら、トシさんが相馬ん家で鍋島を待ち伏せする必要はない。悠里は鍋島の動きを把握しとるはずや。」古田と連絡を取り合う中、片倉の携帯にキャッチが入った。「トシさん。ちょっとまってくれ。とにかくあんたは相馬ん家で待ち伏せちゅうことだけはやめてくれ。」「おい。」「いいから。頼むぞ。」そう言って片倉は通話を切り替えた。「はい片倉です。」「巻かれた。」「え?」「悠里に巻かれた。」片倉は頭を抱えた。「…ってことは。」「奴はこちらの動きに気がついた。」片倉は額に手を当てて部屋をうろうろし出した。「すまん。」「待ってください理事官…。いま考えとりますから…。」「こっちの動きを悠里が知ったとなると、今後のやつらの動きはまた読めなくなる。」「待ってください…。」「こうなったら隠密作戦はやめて、捜査員を大量投入するしかないか。」「待てって言っとるやろ!!」この大声ため、その場は空気すら沈黙したかのような静寂が包み込んだ。「一枚岩じゃない。」「…なに?」「あいつらは一枚岩じゃないんです。」「どういうことだ。」「悠里には期日が切られとる。」「は?」「あいつはその期日までに鍋島をどうにかせんといかん。…そうや。悠里じゃない。鍋島や。鍋島を捕捉せんといかん。」「だから捜査員の大量投入…」「だめです。第一いまからそんなことやっても準備に時間が掛かる。物理的になにもできん。」「…しかし。」「実はこんなことをやってましたって言ったところで、無能のレッテルを朝倉に貼られるだけです。それにそれをやったら、いままで極秘に積み上げてきた捜査も協力者の労も水の泡ですよ。」松永は何も言えない。「理事官。あいつらは一枚岩じゃありません。鍋島を粛清するために秘密警察が動いとる。」「…悠里が?」「根拠はありません。勘です。」「勘…か…。」「ここまで来たら現場の勘で進めるしかありません。」「どうするんだ。」「鍋島を引っ張り出します。悠里は鍋島と接触します。悠里に巻かれたとなると鍋島をおびき寄せるしかありません。」「その先が相馬の家なんだろう。」「いえ。」この片倉の否定に松永もその場に居た神谷も冨樫も息を呑んだ。「佐竹を使います。」「佐竹?」「そして冨樫と神谷も。」「えっ?」片倉は2人を見つめて頷いた。「んで俺はそっちに行きます。」「何?」「あとは現場に任せます。」松永は黙った。「片倉。お前、一色が伝染ったか。」「俺はあの人にはなれませんよ。」...more18minPlay
April 24, 201691 第八十八話このブラウザでは再生できません。「見たぞ。なんだあの顔は。」「そうでしょう。随分参っているようです。」「そうみたいだな。」「潮時じゃないですか。」「…そうだな。こちらから動いてみるとするか。」新幹線のホームに立って電話をする朝倉の姿があった。「随分と騒がしい場所におられるんですね。」「ああ。長官のお出迎えだ。」「長官といえば例の件は。」「順調だ。明日、あのお方が直接会ってくださることになった。」「では明日、正式にこちらの陣営に加わるということで。」「そう思っておいていい。」「奴らも一色の親友である直江がこちら側の人間だってことは知る良しもないでしょうね。」「大変だったんだぞ。今川。なにせ三年がかりだったんだ。」「三年でここまでの浸透工作ができるのは、キャプテン以外にありませんよ。公安調査庁に行ってから間もなく次期長官と目される人間をオルグし、順当にその人物を長官にしたんですから。」「これも波多野先生のお力添えによるところが大きい。俺ひとりの力では何も成し得なかった。」「キャプテン。謙遜しなくてもいいですよ。」朝倉は不敵な笑みを浮かべた。「そんなことより今川。お前、調査されつくされてるぞ。」「え?」「俺の協力者がお前のことを調べあげてきた。」「何者ですか。」「残念ながら協力者の情報は誰にも言えない事になっているからな。」「…。」「俺が何を言いたいのか分かるか。」「…。」「先日の能登イチの件といい、県警の情報関係の不備といい、貴様の班は失態続きだ。」「面目次第もありません。」「能登イチは捜査本部が設置される。指紋情報の件については情報調査本部が設置される。ついでに鍋島が未だ始末されていないときたもんだ。」「な、鍋島は…明日までに悠里が…。」「一介の協力者が貴様のことを詳細に調べることができるくらい、貴様自身の情報管理が杜撰だってことだ。自分の情報管理も満足にできない人間に県警の情報の管理をさせるというのは、荷が重すぎたか。」「以後…最新の注意を払います。」「以後?以後とは何だ。」「あ…これからということです…。」「これから?」「はい…。」「では今までの失態にどうけじめをつけると言うんだ。」「それは…。」「ふっ…案外、貴様はお人好しのようだな。」「え…。」「蜥蜴になれ。」「蜥蜴…。」「蜥蜴の見本はいま喋っている電話の先の人間だ。」「尻尾を切る…。」「情報漏洩を防ぐ最上の方法だと思わないか。」「…粛清ですか。」「違う。総括だ。」「総括…。」「執行部は混乱を待ち望んでいる。」「…。」「予定通り事を運べ。」電話を切った朝倉は舌打ちした。そして時計に目を落とす。「あと五分か。」そう言うと彼は再び電話をかけた。「やれ。」情報調査本部を十河に一任した土岐は警備部長室にいた。「はい。そうです。…ええ。はい。それではそのように。」携帯電話を切った土岐は腕を組んで天井を仰ぎ見た。内線電話が鳴ったため、彼はそれに出た。「なんだ。」「あの…部長に奥様からお電話です。」「はぁ?」「なんでも急ぎで連絡をとりたいとのことでして。」土岐は頭抱えた。ー仕事中は電話を掛けてくるなってあれだけ言ったのに…。「ちょっとこちらも対応できないぐらい取り乱してらっしゃったので。」「取り乱す?」「ええ。」「はぁ…わかった。繋いでくれ。」電話がつながれる数秒の間、土岐は深呼吸をした。「おい。仕事中は電話を掛けてくるなって言っただろ。」「あなた…大変よ…。」電話口の妻は土岐の発言を無視して、それにかぶせるようにか細い声を出した。「…おい…なんだよ。」「弘和が…。」「弘和?弘和がどうした。」「弘和が警察に捕まったの…。」「なに?」思わず土岐は立ち上がった。弘和とは土岐の息子の名前である。「おい…どういうことだ。」「なんでも人を怪我させたとか…。」「怪我?まさか…傷害か?」「ええ。」土岐は頭を抱えた。「相手は。」「全治2週間ですって。」「何があったんだ。」「喧嘩らしいの。」「喧嘩…。」「いつもより帰りが遅いって思ってたら突然警察から電話がかかってきたの。そうしたら息子さんを逮捕拘束していますって。」「逮捕されたのはいつの話だ。」「今日の昼らしいの。」「昼って具体的に何時だ。」「確か11時半とか言ってたような。」土岐は指折り数えた。傷害で逮捕拘束されると警察で取り調べが行われ、48時間以内に検察へ送致される。「ねぇどうすればいいの。あなた。」「…いまは何もできない。」「何もできないって何なのよ!!あなた警察官でしょ!!息子のことぐらい何とかできないの!?」「何言ってるんだ…何もできるわけ無いだろう…。逮捕拘束中は身内すら連絡とることはできない。」「あなたのせいよ。」「なに?」「あなた、仕事仕事って言って家留守にしっぱなしで、弘和のこと何にも見てなかったからよ。」「…。」「いざって時に何にもできないんだったら、あなたただのおっさんじゃないの。なによ、いつもメシ、風呂、寝るって…馬鹿みたい…。未だに昭和の親父気取ってんじゃないわよ。家じゃ偉そうな顔して、職場じゃなにひとつ家族のためのことも出来やしない。役立たず。」そう言うと土岐の妻は一方的に電話を切った。「役立たず…。か…。」再び内線が鳴った。「なんだ。」「公安調査庁から部長にお電話です。」「公安調査庁?」「どうします。」「…繋げ。」そう言って土岐は電話をスピーカモードにした。「はいっ。お電話代わりました。」「大変だな。土岐部長。」「その声は…。朝倉部長。既にご存知でしたか…。」「あぁ息子さんは都内のM署で身柄を抑えられている。」「M署ですか…。」「所轄にはお前の奥方からしょっちゅう電話がかかってきて、対応に苦慮しているそうだ。」「いろいろと面倒をお掛けしています。」「お前も警察官なんだ。奥方に逮捕後の流れをちゃんと教えてやれ。現場がひぃひぃ言ってる。」「返す言葉もありません。」「取り調べはすんなり終わって、時期に検察へ送られる。これが現状だ。」「…。」「県警は能登イチの事件でてんやわんや。その中であろうことか県警本部の部長職の息子が傷害事件。これは泣きっ面に蜂ってとこか。」土岐は何も言えない。「俺が本部長なら、事が明るみになる前にさっさと貴様を処分する。」土岐の首筋に冷たい汗が流れた。「しかしそれはあくまでも俺が県警の本部長だったらという仮定に基づくもの。」「…と…いいますと。」「外から警察を見ると対応の方法が他にもあることに気がつく。」「え…?」「俺にはパイプがある。」「そ、それは存じあげております…。」「パイプは使ってなんぼと思わないか。土岐。」「あ…はい…。」「貴様の息子を救う方法が俺にはある。」「ほ…本当ですか…。」「ああ。」「…どうか…部長…お助け下さい…。」「もちろんだ。日頃、公安畑で連携している中じゃないか。」「あ…あ…ありがとうございます!!」「しかし、タダというわけにはいかんな。」「え…?」「一旦、検察に送致された人間を何事もなかったかのように釈放するのは至難の業ということは、貴様がよく知っているだろう。」「…金ですか…。」「いや。金は必要ない。」「じゃあなんですか…。」「誠意だ。」「誠意?」「貴様の誠意で息子は何事も無く釈放される。」「…私に何をお求めで…。」「誠意を見せられるか。」「…私に出来る事ならなんでも。」「そうか…ならば俺がお前の誠意を信じるに足るものを今この場で見せろ。」「誠意の証明…。」「そうだ。覚悟を見せろ。」土岐は考えた。電話口の朝倉に誠意を見せろと言われて何をどうすればそれが伝わるのか分からない。「どうすればそれが俺に伝わるか。」「部長。私は本気です。ですが正直、部長に何をどうすればいいか分かりません。」「…よろしい。正直で良い回答だ。では貴様の携帯のテレビ電話機能を起動しろ。」「はっ、はい。」土岐は朝倉に言われたとおり携帯電話を手にした。しばらくしてそこに不明な電話番号から着信が入った。彼はすぐさまそれに出た。「貴様の携帯の画面はブラックアウトしているだろう。」「あ…はい。」「貴様にはこちらの様子は分からんが、こちらは貴様の様子がわかる。そのまま携帯をもって自分を映しながら壁側に移動しろ。」「はい。」土岐はぎこちない動きで移動した。「そこに掲げてある日の丸を床に置け。」「え?」壁には日章旗が貼り付けられている。「こ…これですか?」「そうだ。それしかないだろう。」土岐は旗を床に置いて広げた。「それを踏みつけろ。」「え…。」「その中心を貴様の足で踏みつけろ。」「そ…それは…。」「それは?覚悟は?」「部長…どうして…。」「あぁそうか。やっぱり貴様は嘘をついていたのか。」「ぶ、部長…。」「じゃあこれで貴様の家はおしまいだな。」「あ!待って!」「待てない。」「やります!やります!」「じゅう、きゅう、はち…。」朝倉の一方的なカウントダウンが始まった。土岐は身体を震わせながら靴を脱ごうとした。「駄目だ。そのまま行け。貴様は日の丸に忠誠を誓うんじゃない。俺に誓うんだ。」「そ…そんな…無慈悲な…。」「なな、ろく、ご。」土岐はかたかたと震える足を何とか上げて旗の上に乗った。「中心だぞ。」念を押すように言われたこの言葉を受けて、土岐は歯を食いしばった。「よん…さん…に…。」土岐は旗の中心に立った。「…貴様の覚悟の程しかと見届けた。証拠としてスクリーンショットも抑えさせてもらった。」土岐はそのままそこに力なく崩れ落ちた。「おいおいそんなことで力尽きるな。これからが貴様の誠意の見せ所だ。」「…。」「情報調査本部のターゲットをドットメディカルに絞れ。」「え?」「ドットメディカルによる不正なシステムプログラムが原因だ。そういうことで処理しろ。」「…と…言いますと…。」「ドットメディカルにガサを入れろ。そうすれば息子は無事釈放され、おまけに貴様は出世する。」...more23minPlay
April 17, 201690 第八十七話このブラウザでは再生できません。バスから降りた相馬周は携帯の時計を見た。時刻は16時半である。5限目の講義が急遽休講となったため、この時間での帰宅となったのである。「やっぱやめよう。」こう言って彼は携帯電話をしまった。ー昨日の今日で、長谷部と岩崎さんにあれからどうや?ってメールとか送るんは、やっぱなんかわざとらしいわ。2人くっつけるんにこっちのほうががっぱになって、何か変に勘ぐられたら不味いしな…。ポケットに手を突っ込んで地面に目を落としながら、彼はトボトボと歩いた。ーこんなんで良いんかな…。ふと相馬の脳裏に一色の姿が浮かんだ。防具姿の一色はこちらに竹刀の切っ先を向け、中段に構えている。面を装着しているため、彼の表情の詳細は窺い知れない。相馬がふと気を抜いた瞬間、一色の竹刀の剣先は巨大な面となって彼に襲いかかった。僅か数センチしか無い剣先がとてつもなく大きな壁のように。「メーン!!」相馬はなすすべなく面を一本取られた。「どうした。何ぼーっとしている。」「あ…すいません…。」「なんで謝るんだ。」「あ…。」「自分に非がないのに反射的に謝る言葉を発するのは良くないよ。」「…はい。」「いま君は気を抜いた。そこを俺に突かれた。真剣勝負に気を抜いてしまったって事を反省して、改善すればいいだけだ。」「ちょっと休むか。」「はい。」一色の言葉に相馬は休憩の号令をかけた。「やめーっ。」部員たちは皆、動きを止めてお互いが構え、蹲踞、納刀の一連の動作をし、所定の場所へ走って正座し面を脱いだ。相馬はその中で最も早く面を脱いで一目散に一色の元へ駆け寄った。面を外した一色の顔には玉のように吹き出した汗があった。彼はそれを面タオルで拭って大きく深呼吸した。「ありがとうございました。」両手を着いて相馬は一色に礼をした。それに数秒遅れて女子剣道部の部長である片倉京子が相馬の横に正座して同じく頭を下げた。2人に応じるように一色も手をついて礼をした。「県体で準優勝した一色さんの率直な感想を聞かせてください。」「何の?」「俺らの実力です。」一色は腕を組んだ。「僕には君らを評価することはできない。」「え?」「なぜかというと、僕には今の高校生の剣道の勢力図とか実力とかのデータがないから。」「あ…。」「じゃあ実際に稽古してみて一色さんが思ったことでいいです。」京子が口を挟んだ。「うーん。」一色は腕を組んだまま考えこんだ。この間ものの数秒であったが、相馬と京子にとって成績発表をされるようで数分の事のように感じられた。「いいんじゃない?」「え?」2人は拍子抜けした。「良いと思うよ。気合も入ってるし、足も動いてるし、剣さばきもいい。」「本当ですか?」「ああ。個々人が良い動きしてると思うよ。」「ありがとうございます。」「でも。」「え?でも?」「敢えて言うとすれば、形が弱いかな。」「え?形ですか?」「うん。」剣道には一般的に知られる竹刀稽古と併せて体得を求められる剣道形というものがある。これは稽古の際には竹刀ではなく木刀を使用し、礼法、目付、構え、姿勢、呼吸、太刀筋、間合、気位、足さばき、残心等の習得を目指すものである。竹刀稽古がスポーツ的であるのに対して、剣道形は武道としての側面が強い。https://ja.wikipedia.org/wiki/日本剣道形「でもそれって実戦に役に立つんでしょうか。」「確かに昇段試験とかで付け焼き刃な演舞をする程度だと何の役にも立たない。」「じゃあ。」「ひとくちに形って言ってもいろんな捉え方がある。その諸々をここで議論するのは不毛だ。ここでは僕は攻め方、守り方の形として考えてみよう。それをもっと成熟させれば更に良くなると思う。」「すいません。ちょっと一色さんの言っとることが難しくて分かりません。」「ああすまない。簡単に言うよ。ひとそれぞれその攻め方、守り方がある。」「はい。」「先の先ってのもあるし後の先ってのもある。」「はい。」「ただそれだけだと漠然としてる。仮に先の先が得意だったとしたらそれを細かく分解して考えるんだ。」「と言うと?」「例えば、自分は面が得意だとしよう。その面が得意っていうことも細かく分解するんだ。一足一刀の間合いで中心線をとり合う中、ジリジリと間合いを詰めて、この間合なら誰よりも早く打突できるって具合に得意だって。で、そこで相手の気の緩みを掴んで飛び込むっていうのが自分の必勝法だって。」「なるほど。」「となるとそういう人の場合は、今言った自分の必勝パターンに近い状況を多く作り出せば勝つ確率は高くなる。」「はい。」「要は必勝の形を作っておいたほうが、攻め方が合理的になるって感じ。」「じゃあ僕はどういう形をつくればいいんでしょうか。」「え?」「僕は出鼻小手が得意です。」「…それは自分自身で考えな。」「そんな…。」「それが練習だよ。みんなで考えて解を導き出したら良い。」「すいません。一色さん。」京子が質問した。「その必勝の形に相手をおびき寄せたり、試合の主導権を握れば合理的ってことですよね。」「ああ。」「でもそれができん時はどうすればいいんですか?」相馬はなるほどと京子の言に頷いた。「…それは勘がモノを言う。」「勘…ですか?」「ああ。それは反射神経以外のなにものでもない。」「じゃあその反射神経を鍛えるにはどうすれば?」「それは簡単さ。かかり稽古をひたすらやるしかない。」「かかり…。」京子のげんなりとした表情を見て、一色は口元を緩めた。「いやだろう。」「…はい。」「おれも嫌だよ。辛いだけだしね。こんなシゴキなんかなんの役に立つんだって僕も昔思っていた。でもその形が突破されてしまって、いざって時にこいつが効くんだよ。」「いざですか…。」「まぁそうならないのが良いんだけどね。」熨子山事件の半年前に一色と稽古をした時のことを思い出していた相馬の目の前に玄関扉が立ちはだかった。いつの間にか自宅にたどり着いていたようである。「あれ?」扉に手をやると鍵がかかっていた。ーえ?今日どっか行くって母さん言っとったっけ?相馬はしぶしぶポケットから鍵を取り出して扉を開け、中に入った。リビングのドアを開くと、窓という窓の遮光カーテンが閉められている。暗い部屋の電気をつけるとテーブルの上に一枚の紙が置いてあることに気がついた。お父さんとお母さんは結婚記念旅行に行きます。しばらく家を頼みます。( ^ω^ )「はぁ!?」思わず大きな声を上げた相馬は、呆然とその場に立ち尽くした。...more15minPlay
April 10, 201689 第八十六話このブラウザでは再生できません。「鍋島現認!?」冨樫と神谷が詰める部屋。その六畳間で横になっていた片倉は飛び起きた。2人はこの片倉の言葉を受けて表情を強張らせた。片倉は通話内容を2人と共有するためにそれをスピーカモードに切り替えた。「おう。ついさっき岡田から連絡が入った。藤堂らしき男が山県の家にふらりと現れたらしい。」「で。」「家の近くで携帯で山県んちに電話して、中に誰がおるか探ってそのまま姿を消した。」「どんな格好しとるんや。」「全身黒尽くめ。頭にはニット帽。んで丸サングラス。」「丸サングラス…。」「サングラスで顔の様子がよく判別できんかったけど、口元が金沢銀行にあった藤堂の写真と似とったらしい。」「丸サングラスは鍋島のシンボル的なアイテムや。」パソコンを操作した冨樫はディスプレイに熨子山事件当時使用された鍋島の顔写真を表示させた。その写真も丸のサングラスをかけている。「ああ。」「奴はいまどこにおる。」「わからん。」「は!?」「ほやけどあいつはあれに気がついたってことや。」「久美子の店のカメラか。」「おう。あそこに設置されたカメラは過去の映像を垂れ流しするだけのもんやってことに。」「ちゅうことはあれか。相馬卓がこっちのエスやってことも。」「おうさっきバレたと思われる。」「よし。土岐部長に言ってキンパイをかける。」「まて。」「あ?」「県警は動かすな。」「なんでや。」「今は昨日の原発事件で人員が割かれとる。」「でもあの事件のホシは鍋島や。狙う相手はおんなじや。」「ほうや。ほやけどそれに集中してしまうとあっちが手薄になる。」「あっち…。下間らか…。」「おう。もしもこの鍋島の登場が警察の捜査の撹乱を狙うあいつらの企てやったらどうする?」「それは不味い。」「ただでさえコンドウサトミとか藤堂豪とか鍋島惇っちゅう人間がごっちゃになっとるんや。そこで鍋島のキンパイなんかかけてみぃや。現場は混乱する。」神谷は警察無線の音量を上げた。「本部こちら羽咋北署。コンドウサトミに関する情報は今のところなし。」「えー金沢銀行周辺の聞き込みで藤堂に関する情報なし。」無線の中にコンドウと藤堂の名前が入り乱れている。「ほやから目下の鍋島はこっちサイドでなんとかした方がいいと思うんや。むしろ。」「…相馬卓が危ないか。」「おう。」「鍋島には得体の知れん特殊能力があっしな…。」「あんなもん使われたら、相馬につけとる警備の人間なんか赤子の手をひねるようなもんや。」「わかった。トシさん。あんたは何かうまいことやってあいつらをこっちに匿ってやってくれ。」「わかった。」「相馬を匿う場所はこっちで何とかする。」電話を切った片倉はそれを手にとって再度電話をかけた。「片倉です。」「どうした。」「鍋島が尻尾を出しました。」「…来たか。」「imagawaはこのまま捜査継続。現場の混乱を防ぐためにもキンパイはしません。」「わかった。良い判断だ。」「われわれimagawaプロパーでなんとかやります。」「頼む。」「ついては理事官にお願いが。」「なんだ。」「相馬周をお願いします。」「名うてのSPを既に派遣している。片倉。」「はっ。」「心配するな。京子にも付けてある。」「あ…。」「お前の娘にもしものことがあったら、俺は確実にお前に殺される。」「あ…その…。」「家族の心配はするな。お前は捜査に専念しろ。」「ありがたいお言葉です。」「いいか片倉。これは雪辱戦でもある。ミスは許されない。例の件は明日、執行する手はずとなった。」「いよいよですか。」「ああ。」玄関のドアが開かれたのを察知し相馬尚美は部屋を出た。玄関には靴を脱ぐ卓の姿があった。「どうしたのこんな時間に。」「あぁ…。」「体調でもわるいの?」尚美は心配そうな顔をして卓の額に手をやった。「熱は無いみたいだけど。」「尚美。」玄関に腰を掛けたまま卓は言った。「しばらくこの家、留守にしよう。」「え?」「のっぴきならん事態が発生したんや。」「なに?それ。」「村上さんの関係のことや。」「村上さん?…村上さんってあの村上さんのこと?」「ああ。お前も覚えとるやろ。あの人が眠っとる墓に行った時のこと。」「ええ。」「あれは2年前の盆の時期やった。」2年前 7月15日熨子山墓地公園で相馬家の盆の墓参りを済ませた卓と尚美は、道具一式を抱えて無縁墓地の前に立った。そして2人はそこにしゃがんで静かに手を合わせた。「相馬卓さんと尚美さんですね。」突然自分の名前を呼ばれた2人は振り返った。そこには髪を短く刈り込んだ強面の男が立っていた。「ここには村上隆二さんが眠っとる。そのこと誰に聞いたんですか。」「あんた誰や。いきなり何なんや。」「あぁ申し遅れました。わたくし藤木といいます。ワシも村上さんには生前世話になった口でしてね。」「え…?」「あぁでもワシは残留孤児じゃありません。個人的に繋がりがあって、ここには参らせてもらっとるんです。」「なんで俺らの名前と俺の出自を?」「…ねぇあなた。この人ちょっと気持ち悪いわ。」尚美は卓に耳打ちした。「生前、村上さんからあなたのことは聞かされとりました。」「村上さんから?」「ええ。あの人が支援する残留孤児らの中で、定職につき結婚もし、家を建て、子供を大学まで出しとる成功事例のひとつとしてね。」「…んで、あんたは村上さんとどういう関係が?」「ワシはちょっとあることがきっかけでね、切っても切れん関係になったんですわ。その詳しいことはここでは言えません。」「はぁ。」「ところで相馬さん。ワシの質問に答えてくれませんか。」「え?なんでしたっけ。」「ここに村上さんが眠っとるって言うこと誰に聞いたんですか。」「え…橘さんです。」「橘さん?」「ええ。知り合いの橘って人からです。」「え?そのひとと村上さんって何か特別な関係でも?」「いえ。その人はただの私の友人です。」「ただの友人がどうして村上さんの事知っとるがですか。」「橘さんがある人から教えてもらったらしいんです。」「或る人?」「ええ。」「誰ですか。」「コンドウさんです。」「はい?」「コンドウサトミさんです。」「コンドウサトミ?」「ええ。」「あ…あぁそうですか。その方が…。」藤木は黙って無縁仏の墓をしばらく見つめた。「相馬さん。ワシは村上さんが本当にあんな事したってなかなか思えんがですよ。」「それは私もです。」「きっとなんかの間違いや。」「私もそう思います。」「百歩譲って仮に本当に村上さんがあの事件の犯人やったとしても、ワシは村上さんを病院で殺した人間が許せん。」「同じく。」「ワシは村上さんの仇をとりたいと思っとるがですよ。」「仇を取る?」「ええ。村上さんが人を殺したかどうかはどうでもいい。ワシはあのひとを殺した人間をこの手で捕まえる。」「でも…。」「ワシは村上さんを殺した人間を知っとる。」「え?」「相馬さん。あんたワシに力貸してくれんけ。」卓は尚美を見た。彼女は困惑した様子である。「ちょ藤木さん。いまあんたが言っとることってあんたがやることじゃなくて警察がやることじゃないが?」「ほうや。ほやけど警察ばっかり当てにできっかいや。現に警察に保護されとった村上さんが殺されたんや。ひょっとすっとあん中にもややこしい奴が居るかもしれん。」「でもどうやって…。」「それはあんたがこの話にのってくれるんやったら話す。」尚美は頷いている。「…わかった。」「いまその藤木さんが外に居る。」「え?」「あれから2年経って、村上さんの件に急展開があったんや。」「やっと…。」「でもまだ全然喜べん状況なんや。ある人間が俺を狙っとる。ひょっとするとお前まで巻き添えを食うかもしれん。ほやから家空けて一緒に藤木さんに匿ってもらうんや。」「でも…そんな…急に。それに周はどうするん。」「周は心配ない。周はこの家で大丈夫や。」「相馬さん。早く。」玄関の扉を開いた藤木は卓を急かした。「でも…周は…。」「奥さん。息子さんには指一本触れさせんように手をうってある。いまは奥さんと卓さんが心配なんや。さあ早く。」尚美と卓は藤木に言われるがまま、必要最低限のものを鞄に放り込んで慌てて自宅を飛び出した。...more17minPlay
April 03, 201688 第八十五話このブラウザでは再生できません。金沢駅近くのビジネスホテルにチェックインした鍋島はシャワーを浴びていた。備え付けのボディソープを手で泡立て、彼は全身にそれを塗りたぐった。そしてそのまま両手を頭に持って行き、髪の毛ひとつない頭にもそれを塗って手早く流水で流した。ものの5分程度で全身を浄めおわった彼はバスタオルで全身を拭きあげ、鏡に写る自分の姿を見た。「相変わらず汚ねぇ身体だな。」何で負ったものかは分からないが、彼の上半身のそこかしこに大小無数の傷跡があった。鍋島はその中でも腕にある傷跡に目を落とし、それをゆっくりと指でなぞった。「久美子…。感じるよ、お前を…。」そう言うと彼は恍惚とした表情になった。彼は覗きこむように鏡に映る自分の顔を見た。「あのころの俺とは似ても似つかぬ顔だ。そして髪の毛もない。いまの俺を見てあいつは俺を思い出すかな。」鍋島は耳から顎にかけてを指でなぞる。「俺には顔の感覚さえないんだよ。俺でさえこの鏡に映る人間が誰だか分からない時がある。」タブレット端末を手にした彼はそこに映る久美子の姿を見つめた。「でも…あいつのカラダは覚えてるか。」そう言って鍋島は不敵な笑みを浮かべた。「頼むよ…俺の傷を癒やしてくれ。久美子。」映像の久美子は店員と何かの会話をしてた。時折腕時計に目を落とし、なにやら時間を気にしているようだ。タブレットが示す時刻は14時である。「なんだ。何やってんだ。」画面の中の久美子は両手を合わせて別の店員に何かを頼んでいる。一旦画面から消え、再びそこに映る彼女の手にはバッグが握りしめられていた。「外にでも出るのか。こいつは好都合だ。」ビルの閉店時刻には関係者を送迎する車でこのあたりは混雑する。それに久美子の通勤には父の送迎が付いている。この2つの状況が重なるとさすがの鍋島も大胆な行動には出にくい。しかしこのタイミングで久美子が外出となると、彼女との接触は俄然容易となる。鍋島は即座に黒尽くめの服をまとって部屋を出た。外は茹だるような暑さであった。通りを行き交う人間は皆、半袖姿。その中で全身黒でニットキャップの鍋島の姿はその場から浮きそうなものだが、何故か彼の存在に目を留めるものはいなかった。それもファッションビルの側という個性的な服装をした人種の坩堝ということが要因なのだろうか。鍋島はビル側の物陰に身をおいて、腕時計に目を落とし誰かを待つ素振りを見せながら、職員通用口から久美子が現れるのを待った。しかし待てど暮らせど彼女の姿が見えない。ーなんだ?何故出てこない。ポケットからスマートフォンを取り出して、先ほど部屋で見ていた久美子の店を俯瞰で抑える映像に目を落とす。そこには彼女の姿はない。ーふっ、俺としたことが先走っちまったか。鞄抱えてるからって外に出るとは限らないよな。遅めの昼ってところか。スーツ姿の男がふたりビルの通用口から出てきた。「あー今日はもうやめ。」「え?」「やめやめ。今日はもうやめ。」「先輩。こんなこともありますよ。」「だら。こっちはこの日のために提案書作って来てんぞ。それなんにいざ商談っていうげんに今日一日休みやってなんねんて。」「仕方ないじゃないですか。先方が体壊したらどうにもなりませんよ。」「んなこと言ってもなぁ、一報くれても良くないけ?」「まぁ…。」「そりゃ人それぞれ突発的に何かあるわいや。けど社会人として予定キャンセルする時はそれで連絡くらいくれんと。」「先輩いいじゃないですか。また会えるんやし。」「あ?」「ほら、山県店長って美人でしょ。俺タイプなんスよ。」「まぁね…。確かにね。」「またアポとって行きましょうよ。ね。」ー今日は休み…だと…?「くそー美人って得やなぁ。」「お詫びにお茶でもどうですかとか…。んなことあり得ないっすよね。」ーじゃああの映像はなんなんだ…。鍋島は再びスマートフォンに目を落とした。ーまさか…。「あり得んやろ。」「そうっすよね。」「でもあんな綺麗な嫁さんが家におったらなぁ。」「俺やったら会社休んで看病しますよ。」「じゃあ俺も。」「あん?何言っとれんて。仕事やわいや。あ?北署から連絡あった?…何やって…。おう。ほうやろ。それ以上何も言わんやろ。そうやってあいつら俺が仕事サボって家に帰ったりしとらんか探っとれんて。おう。まぁ確かに…そんな電話なんか今まで一回もなかったけどな。まぁ何かと締め付けがきつくなっとれんて。警官の不祥事とかあるがいや。」車の中で電話をする岡田の姿があった。「まさかお前、俺が仕事行くふりして実はいつの間にか警察辞めてましたみたいなこと疑っとるんか?んなことねぇから心配すんなって。」電話を切った岡田はため息をついた。「実質辞めたも同然ねんけどな…。」運転席を倒して彼は天井を見つめた。今回の件においてはかつてない秘匿性が要求されとる。ほやからお前との直接的な接触も基本的にできんがや。んでもちろん捜査の全体像も協力者全員に明らかにすることができん。限られた人間による隠密捜査や。とてつもないでけぇヤマなんや。頼むぞ。「でかいヤマね…。若林に啖呵きって出てきた俺にとっては、このヤマ凌いでも手柄にはならんしな…。」身体を横に倒して彼は窓の外を眺めた。「実際のところ、この先、俺どうやって食っていけばいいげんろ。やっぱ警備員ぐらいしか仕事ってないんかな…。」その時である。岡田は動きを止めた。「なんやあいつ。」彼の目にはある人物の後ろ姿が捕捉されていた。久美子の身の安全は、今回の戦いにおいて最重要課題なんや。「え?」とっさに岡田は写真を取り出した。金沢銀行で入手した経営企画部長藤堂豪の顔写真である。痩せこけた頬と切れ長の目が印象的な男だ。だがいま目の前に見える男にそれらの特徴を見出すのは困難である。何故なら彼はサングラスをかけているためだ。続いて岡田は写真の藤堂の口元を見た。どちらかというとちょっと前に突き出るような形で、唇はすこし厚みがある。彼はその特徴を目の前にいる男のものと照合するため、オペラグラスを手にしてそれを覗き込んだ。そしてそこで岡田は息を呑んだ。ーまさか…。再び手元の写真に目を落とし、前方の男の口元と照らし合わせる。ー似とる…。形が似とる…。岡田は戦慄した。ーまさか…あれが藤堂…。男の動きに不審な点はない。思わず目が行くのはその季節感を度外視した黒尽くめの出で立ちと、ニットキャップ姿である。それさえ目を瞑ってしまえば彼は単なるいち通行人。そう周囲の人間は思うだろう。男は携帯電話を手にし、通話口を手で覆った。すると山県邸の中から三回の呼び出し音が聞こえた。おそらく目の前にいるこの男が久美子本人が家にいるかどうかを確認するために電話をかけたのだろう。その後男は何かを話して直ぐに電話を切り、その場から姿を消した。その様子を確認して、岡田は携帯電話を手にした。「おう。どうした岡田。」「とりあえず誰に報告していいか分からんので古田さんに電話しました。」「マスターから聞いたんか。」「ええ。」「で、なんや。」「藤堂と思われる奴が山県の家の前に。」「…とうとう出てきたか。」「ただ本人かどうかは分かりません。」「…どんな格好しとる。」「黒のブルゾン、黒のパンツ。頭にはニット帽。丸型のサングラス。」「丸型のサングラス…。」「はい。」「偉い目立つ格好やな。」「ええ。」「奴は。」「家の中に人がおらんかだけ確認して、そのまま立ち去りました。」「他には。」「何も。」「よし。」「え?」「岡田。ご苦労さんやった。このままお前は久美子に付いとってくれ。」「え?それだけでいいんですか。」「ああ。」「古田さんは。」「ワシは藤堂をおびき寄せる。」「え?おびき寄せる?ちょ、ちょっと待って下さいよ古田さん。あいつの目標は山県久美子でしょう。」「いいや。これであいつの目標は変わった。」山県邸を後にした鍋島は近くの停留所で偶然停まったバスに乗り込んだ。そして彼は進行方向を見て右手の中央部の座席に座った。ー店の様子を中継するカメラに久美子の姿が映っていた。これは久美子が今日出勤していることを示す。しかしあいつは今日は休み。家に電話をすると女が電話口に出た。「はい。もしもし。…もしもし?…もしもし?」ーあの声は紛れも無く久美子。となると…店に設置されたカメラは…。「偽物。」ーまさか…相馬の奴…「ありがとうございます。」「止めろ。」「いえ。これぐらいせんと示しがつきません。」「俺は橘に仕事を依頼しただけだ。お前に礼なんか言われる事はしていない。」「私はコンドウさんの事一生忘れません。」「所以别闹了 だからやめろ。」「这对我是永远的回报 このご恩は必ず返します。」鍋島は拳を強く握りしめた。「裏切り者には死の制裁が必要だな。」その言葉とは裏腹に彼の頬に一筋の伝うものがあったことを誰も知る由もなかった。...more21minPlay
March 27, 201687 第八十四話このブラウザでは再生できません。能登イチでの爆発事故がコンドウサトミの生存を県警内部に知らしめた。3年前の熨子山連続殺人事件で死んだはずの人間が生きている。しかもその人間は原子力発電所にいとも簡単に侵入し、爆発物を設置。まんまと逃げおおせたのである。チヨダ直轄案件を追う片倉ら一部の公安関係者は昨日の段階でおおよその概要を把握していたが、県警の一般捜査員は本日7月17日にこの概要を知ることとなった。県警はまず爆発事件の捜査に動き出した。同時にコンドウサトミの身元を再度洗うこととし、情報管理調査本部を設置した。情報管理調査本部長に任命された警備部部長の土岐は提出された資料に黙って目を通していた。熨子山連続殺人事件を捜査したのは刑事部。この刑事部の捜査に何らかの不手際があった可能性がある。身内の事を身内で調査することは真実の隠蔽にもなりかねない。よってこれを検証するには第三者の目をもってするのが適当だと判断した県警本部長による人事であった。土岐の下に警務部情報管理課、警務部監察課、そして様々な部署の一部のスタッフが置かれた。「部長から見て右側が、ワシが個人的に保存しとった鍋島惇の指紋。んで左側はデータベースの七尾のガイシャの指紋。」密室で土岐と向い合って座る十河はこう言った。「確かにパッと見た感じだと、朝倉本部長の言っていることも分かる。しかしあんたが言ってる通り右人差し指をみればその違いが分かる。」「でしょう。鑑識から上がってきた情報っちゅうことでめくら判押すみたいな感じやとスルーするようなもんかもしれませんけど、よくよく見れば違いが分かる。」「うん。」「ワシはこのふたつの指紋が同じって判断するのはちょっと無理があるって感じで朝倉本部長に意見しました。ですがそれは却下されました。」「なぜだ…。」「分かりません。どうやらワシには科学的視点が足りんようです。」「何かの意図があるな。」「朝倉はどうしても七尾のガイシャを鍋島惇としたかった。そうなることで鍋島惇の死亡が確定する。死亡した人間について警察は捜査をすることはない。鍋島の死亡は熨子山事件集結を意味する。」「何が何でもあのタイミングで熨子山事件の幕引きを図りたかった。」「それか朝倉自身が鍋島と何らかのかたちで通じ、奴の延命を図るために捜査資料のでっち上げを行った。」「そのどちらかだな。」土岐はそう言うと腕を組んでしばらく沈黙した。「で、部長。もうひとつお耳にいれんといかんことが。」「なんだ。」「その鍋島の指紋なんですが。部長のお手元にあるその資料のやつ、実は事件当時のもんなんです。」「は?何言ってるんだ。当たり前のことだろう。」十河は一枚の資料を取り出してそれを土岐に差し出した。「これは7月17日時点での鍋島惇の指紋です。」「は?」「これを先ほどの鍋島惇の指紋資料と突合してみてください。」土岐は資料に目を落とした。しばらくして彼は動きを止めた。「なんだ...これは…。」「そうでしょう。3年前の鍋島の指紋と現時点での奴の指紋が違う。」「...基本的には同じものだが…十河、お前が3年前に朝倉に指摘した右人差し指の指紋が変わっている…。」「ほしたらその現時点での鍋島の指紋と、七尾のガイシャの指紋を合わせてみてください。」老眼鏡をかけ、土岐はそれを照合し始めた。「…ぴったりだ。」「そうなんです。こいつには私もびっくりでして。」「なんでこんなことが…。」「システムそのものの欠陥を疑うしかありません。」「システム?」「ええ。システムの方で鍋島の情報を自動的に書き換えた。」「そんな馬鹿な。」「ですが部長。システムの情報が勝手に切り替わるって話、どこかで聞いたことありませんか?」「…あ。」「そうですよ金沢銀行の守衛殺しの件です。あそこのシステムはドットメディカルが開発したもんです。」「県警のシステムもドットメディカルのものだ…。」「なんか臭いませんか。」「臭うな。」この時、彼の背後から恐ろしいまでの闘気が立ち上っているように十河の目に映った。「システムそのものの導入に関する経緯も精査もする必要があるな。」「ええ。」「システム納入の関係者は。」「すでに調べてあります。」「言え。」「当時の警務部部長の別所。同じく警務部総務課長の中川。ドットメディカルCIO今川。同じくドットメディカルCEO七里。システムを実質的にプログラミングする会社であるHAJABの社長、江國です。」「待て十河。大事な名前が抜けていないか?」「はい?」「県警本部長の朝倉だよ。」「それは言わずもがなと思いまして。」土岐はふっと息をついた。「しかし十河。お前、なんで3年前の鍋島の指紋情報を持っていた。情報の外部持ち出しはコンプラ違反だ。」「知っとります。」「知っててやったのか。」十河は頷いた。「必要は法に勝るとも言います。」この言葉に土岐は肩をすくめた。「十河。お前は当時の事件の関係者でもある。お前が先頭に立ってこの調査本部をひっぱれ。先ずはその民間企業を調査をしろ。」「はい。ですが身内のことはどうしますか。」「俺に考えがある。お前は民間を徹底的に洗え。」「御意。」「ここにもひとりか…。」そう呟き十河が部屋から出て行くのを見届けた土岐の顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。「昨日はごくろうさまだったね。」「別に。」「いやぁびっくりしたよ。改めて。」「何よ。」「兄貴の俺が言うのも何なんだけど、昨日のお前は綺麗だった。」「何よ、気持ち悪い。」「いや、これは本当なんだ。お前なりに考えられたオルグだよ。」「え?何のこと?」「何言ってんだ。ご新規さんの注目を集めるには見た目で釣るのが一番だって結論だろ。」「…。」「おかげで一気にコミュのアカウントの開設数が伸びたよ。掲示板にも奇跡の女の子降臨とかってスレッドまで立って、まだ伸びてる。」「…。」「明日のコミュにはお前見たさで多くの人間が来る。楽しみだよ。」「…。」「何だ?何で黙ってる。」「…別に…何でもない。」「違う。」「え?」「その沈黙は違う。違う意図があって君は沈黙した。」「違わないわ。」「長谷部とかって男だろ。」「違うわ。」「麗。嘘をつくな。お前が昨日、金沢駅の側のファッションビルにそいつと一緒に居たことは僕の耳に入っているんだ。」「…。」「長谷部俊一。石川大学3回生。ぱっと見た感じは南米ラテン系の健康的なハンサムボーイ。だろ。」「休みの間の私の行動まで監視してるの?」「心配だからね。」「...気持ち悪い。」ドットスタッフの自室にある応接用のソファに身を委ねていた悠里は、ため息をつきながらゆっくりと自身の髪の毛を掻き分けた。「今更感がパネェよ。麗。」悠里の声色が変わった。「言ったろ。俺らは今普通に生活しているわけじゃない。革命のためのオルグをやってんだ。そこにはその手の色恋沙汰は障害以外の何物でもない。直ちに捨てろ。」「分からないの。私だって。」「何のことだ?」「兄さん今、色恋沙汰って言ったよね。でも私、正直そういうのよくわからないから、あの人とどう接していいかわからないの。」「麗…。」「ただこれだけは言えるの。あの人がいると何だかわかんないけど気持ちが落ち着くの。何だかわかんないけど楽しいの。だから取り敢えずあの人のことを知ろうと思って会ってた。」悠里はため息を付いた。ー駄目だ。麗のやつ長谷部に惚れている…。「でも私の休みは終わったの。だからもういいの。」「そう言って割り切れないのが色恋沙汰ってもんなんだよ。麗。」「え?」「お前、長谷部のことを知ろうと思って会ってたとかって言ったよな。」「…。」「何か分かったか?」「…いえ…何も…。」「そうだろう。そんなもんなんだよ。」「どういうことよ。」「恋は盲目って言うだろ。この言葉の通り、一旦恋に落ちた人間は相手を疑うという機能が著しく低下するもんだ。」「…。」「俺は俺なりに長谷部のことをリサーチした。よってお前よりは長谷部俊一について知っている。いいだろう。教えてやろう。」「え…。ちょ...ちょっと…。」「石川大学入学当初は県職となり、石川の未来をこの手で作り上げることを目標とする。しかしそれは数ヶ月も経たずに変節。拝金主義へと転向。ネットワークビジネスを始めるも間もなく失敗。大量の不良在庫を親が買い上げるかたちで精算。ビジネスが向いていないと考えたのか長谷部の関心事は女性に移る。女にモテるためファッションにこだわったり、ボランティアサークルに所属しサークル内の女性に片っ端から手を付けたり、いい車に乗って助手席に女を代わる代わる乗せて行為に及んだり、意識高い自分を演出し私小説を書いて、その一部のファンに手をつけたり…。」「え…。そこまで…。」「大学に入ってから現在に至るまでの長谷部の被害者は33名。こいつは酷いな…。悪魔としか言えない…。」「うそ…。」「こんな汚らわしい男に惹かれるとは…麗…お前、総括が必要だな。」「え…うそ...うそでしょ兄さん…。」「悪魔に魂を売るような人間は俺は組織の一員としてして認めるわけにいかない。」「兄さん…。」「しかし昨日のお前のオルグの功績もある。だから明日のコミュをもってお前は脱会しろ。この件は俺が黙っておく。」「え?脱会?」「ああ。」「脱会してどうすればいいの私?」「知らない。勝手に生きろ。」「え?兄さんも父さんもこれで縁が切れちゃうの?」「その俺の呼び方はもうやめてくれ。」「え?ちょっと待ってよ!?何で?何でなの?お母さんの病気治して、またあそこで一緒に生活するんでしょ?」「麗っ!!」悠里は一喝した。「おまえはもう少し賢い女だと思っていた。」「え?」「今しかないんだよ。縁を切るのは。」「…。」「お前言ってたろ。岩崎香織になりすますのは疲れるって。」「でも…。」「お前が母さんのことを心配する気持ちは分かる。俺もそうだ。だが今回の任務が完了したら俺らがまたあの国に帰って昔のような生活ができる保証はない。」「なんで?だってお父さんそう言ってたじゃない。そう言ってお父さん私達をツヴァイスタンから日本に連れてきたんでしょ。」「俺だって独自のネットワークがある。そこから日々情報を入れている。だが実際のところ母さんの容体はおろか、その生存も確認できていない。」「え…。でもお父さんだってそれを信じて今、ここで戦ってるんでしょ。兄さんもでしょ。」「麗。これだけは言っておく。お前が今まで生きてきた人生は他人のための人生を歩むだけの受動的な人生だ。いまお前は自分のための人生を歩む重要な岐路にある。岩崎香織ではなく下間麗としてな。いま俺は兄としてできることの精一杯をやっている。頼むから俺の言うとおりにしろ。」「ちょっと…。」「すまんキャッチだ。明日のコミュには来てくれ。俺の方でうまくやる。お前はそれに合わせてうまく立ち振る舞え。」こう言って悠里は一方的に電話を切った。「ああお父さん。」「頼む。」「期日は。」「明日までだ。」「分かりました。」「麗はどうだ。」「やっぱり疲れてるだけみたいです。」「そうか。」「明日のコミュにもあいつは来ますのでご心配なく。」「…うん。」「どうしました?」「あ…いや…。」「麗だけじゃなくてお父さんも変ですよ。」「あぁ...悠里...くれぐれも気をつけてな。」「…なにせ相手は歴戦の猛者ですからね。」下間芳夫との電話を手短に終わらせた悠里は秘書に出張に行くとだけ告げて、オフィスを後にした。...more22minPlay
March 20, 201686 第八十三話このブラウザでは再生できません。「自社のウェブサイトがダウンする中の爆発事故。原子力発電所を運転する電力会社の経営責任が問われることとなりそうです。」アナウンサーがこう言ったところで朝倉はテレビの電源を切った。「醜態。」「ええ。」「察庁は何をやっている。」「さあ。」「松永は無能か。」「そうかもしれません。」「直江、少しはフォローしたらどうだ。」「いえ。フォローのしようがありません。」「お前も酷い男だな。」朝倉は口元を緩めた。それに反して直江は表情ひとつ変えない。「ですが、この一件で警察内で明るみになった事があります。」この言葉に朝倉は15秒ほど沈黙し、ゆっくりと口を開いた。「コンドウサトミこと鍋島惇の生存か。」「はい。奴の生存が察庁内で明るみになったということで、熨子山事件に関わった人間の聴取が始まることでしょう。」「それはお前の方でうまい具合に調整をつけておけ。」「どのように?」「知らぬ存ぜぬでいい。」「と言いますと?」「鍋島は七尾で村上よって殺害されたと判断するのが当時の状況から最も合理的な判断だった。それ以上でもそれ以下でもないと。」「ですが、その物証が現時点において有力性を持ちえません。」「それはどういうことだ。」「現時点において七尾で殺害された人物の指紋が、当時のものとは全く違うものになっています。」「なに?」朝倉の声色が変わった。「ご存じではありませんでしたか。」「…初耳だな。」「そうでしたか。」「しかしそれはどういうことだ。県警のシステムに不具合でも起きているのか。」「現状、それが最も有力な線です。何者かが意図的にその情報を改ざんしたとも思えませんので。」「なるほど…。となると…警察の情報管理の杜撰さまで問題として出てくるのか…。」「ええ。」「因みにあそこのシステムはどこのメーカーのものだ。」「ドットメディカルです。」「ドットメディカル…。」「ということはドットメディカルが鍋島の情報を何らかの形で変えた…。ということも考えられるということか?」「優先順位は低いですが、可能性はあります。」「ならばそこにもガサを入れねばならんな。」「それは県警本部において準備中だそうです。」「そうか。そういう対応だけは素早いんだな。」「なにせ身内のことですから。」「ふっ…。」朝倉は立ち上がった。「しかし直江、お前はどうも感情というものを表に出さない。」「感情なんてものは、この仕事において足手まとい以外のなにものでもありません。」「ふっ…その冷徹さが俺は気に入っているのだが、いまひとつお前の本心が計れないのがちょっとな。」「そうですか。」「そうだ。」「特捜から転落した私を引き上げてくれたのはあなたです。」「ほう。」「その私を公安調査庁の人事を握る部署にとあなたはおっしゃった。あなたを信頼しない理由がありません。」朝倉はニヤリと笑った。「ただひとつ。私にも部長の本心が計れないところがあります。」「なんだ。」「私はまだ部長のお言葉しか頂いておりません。」「…そうだな。」「ここはひとつ長官の言質も頂きたいところです。」「はっはっはっ!!」朝倉は大声で笑い出した。「貴様は思ったよりもしたたかなやつだな…いいだろう。」「いつですか。」「明日にでも長官との面会をセッティングする。」ここで朝倉の携帯電話が震えた。「ではご連絡お待ちしております。」そう言うと直江は部長室から退出した。「なんだ若林。」「今もまだベッドでぐっすり寝ていますよ。そろそろ帰らないといけないんですが。」「くくく…。」「いやぁ40しざかりって本当なんですね。」「そうか…。そんなにか。」「ええ。ちょっとこっちが引くくらいでした。」「はははは。この下衆男め。」いつになく朝倉の表情が豊かである。「部長。これは仕事です。」「ああわかっている。からかってすまなかった。」「こっちも必死なんですよ。何とかして奮い立たせないといけませんから。」「ふふふ...今日のお前は愉快だな。自分の思い通りにアレを制御できるってのは俺にとって羨ましい限りだ。若さだな。」「若さですか?」「いや、特殊能力といったところか。」「特殊能力?何のことですか?」「…あ…いや…なんでもない。」「お褒めの言葉として受け止めれば良いでしょうか。」「ああ。最大級の褒め言葉だ。なんだこの下衆なやり取りは。ふふっ。」「では旦那の方は部長のほうでよろしくお願いします。」「ああ、慰めてやるよ。」電話を切った朝倉は高らかに笑い出した。「( ´,_ゝ`)クックック・・・( ´∀`)フハハハハ・・・( ゚∀゚)ハァーハッハッハッハ!!」仕事の上で急な異動というものは混乱をもたらす。それは橘においても同じであった。部長職に突くことで日常の雑多な仕事から開放されるとおもいきや、彼の場合はそうはいかない。前任者である部長の小池田が急遽戦線から離脱することになり、独力で融資部長としての仕事を習得せねばならなかったためだ。もちろんかつての融資部長である常務の小堀からの指導もあったが、細かなことまでは彼の指示でどうこうなるものではない。正に暗中模索。橘は早く部長としての地位を確立させようと必死だった。それも先日の山県の激励があってのものだった。「あんたは期せずしてこのタイミングでこのポジションを射止めた。しかし地方銀行といえどもこのポジションに登ってくる人間はそれなりの実績と評価があってのもの。棚ぼただけじゃない。自信をもってこれから職務に励んでくれ。」65ー俺の力が試されとる…。橘は副部長として部長を補佐していた当時の自分の姿を思い浮かべて、想像力を働かせながら懸命に書類と向き合った。しかし橘の負担はこれだけではなかった。自身の後任として副部長職に引き上げられた人間の育成も課せられていたのである。こちらは今まで自分がやっていた業務をそのままある程度の時間を掛けて後任に引き継げば丸く収まるのだが、彼の場合事情が違った。そう、金沢銀行における消費者ローンの不良債権問題である。ーあの言葉は…。「さすが佐竹のお眼鏡にかなう奴らや。早速システム的におかしな所がわかり出しとる。」65ーHAJAB端末納入時に既に特定の債務者の源泉や所得証明のスキャンデータがランダムに書き換わるプログラムが入れられとったとこまでは分からんはずや。あいつらは所詮ドットメディカルの人間。たかがSE風情でそんな大元のプログラミングまで探れん。仮にそれができたとしてもその仕組を理解できるほどシステムに精通した人間はおらん。それを取り纏めることができるのは佐竹ぐらいや。その佐竹は幸い休暇中。あいつがおらんがやったら大したことはないやろう。次長の松任はそこまでの知識はないはずや。「橘部長。あんたがHAJABを総務部に斡旋したことは俺は知っとる。」「そのことをネタにあんたが疑わしいとか言っとる連中が行内に居るっていうのも俺の耳に入ってきとるわけや。」65ーでも、山県部長は俺をフォローした。「ほやけどな部長。そんなもんは関係のない話や。部長は部長でその時の最善を総務部に提案しただけ。採用を決定したのは当時の本部や。な。」65ーけど…あの最後に言ったあのセリフは一体なんやったんや…。「釣り上げるもんを間違えんなや。」「部長。…部長?」自分の名前を呼ぶ副部長の姿がそこにはあった。「あ?ああ…。どうした。」「あの…支店から源泉の写しそのものを添付した紙の稟議が上がってきたんですけど、これどう処理すればいいですか。」「あ?何や?消費者ローンか?」「はい。データで送れって言ったんですけど、原本に勝るもんは無いやろとか言って受理しろって云うんですよ。」ー原本やとそれ書き換えれんから困るんやろいや。「何言っとれんて規則は規則や。イメージデータ送るように言って突っ返せま。原本は事務管へ送れって言え。」「でもですよ原本なんですからこれでいいんじゃないですか。」「だら。そんな例外認めたら今度からそれOKになってしまうがいや。そんなことしとると紙媒体が増えてかなわんわ。」「あぁ…確かに。」「そもそも文書管理なんて意味わからん仕事に手ぇ割かれるのが嫌やからシステム入れ替えたがいや。文書は能登の山奥で倉庫。俺らはデータで仕事。駄目なもんは駄目や。」「いいがいや橘部長。」「え?」振り返ると常務の小堀が立っていた。「いいがいや。支店もノルマで躍起になっとらんや。そこは柔軟に対応してやれや。」「え?しかし…。」小堀は融資稟議を手にとってしげしげと眺めた。「あーこれはあれや。」「なんですか。」「ほらこの担当者、今年入ったばっかりの新人や。」そう言うと小堀は担当者印の箇所を指差して橘に見せた。「なんかパッとせん男やったけど頑張っとらいや。」「それがどうだと言うんですか。」「新人やから大目に見てやれや。」「駄目ですよ。支店の教育が行き届いていないからこんな凡ミスやるんでしょう。」「まぁそう言わんと。支店は支店で新人の頑張りを本部にアピールしてやりたいんやって。何ならそいつここでスキャンして保存しといてやったらどうや。」「でも規則です。」「まぁそう固いこと言わんと。」小堀は副部長から源泉の写しを取り上げて融資部の女性行員にそれをスキャンしてPDFにするよう命じた。「ああっ。」「規則規則言わんと、営業店の支援をするのも融資部の仕事やろ。PDFじゃなくて写しそのものをうっかり送ってきたってだけやろいや。そこら辺はちょっと気ぃ効かせてやれま。原本はそのまま事務管に渡せばそれで済むやろ。」「…ですが、そういう例外を作ってしまうと今後同じ事例が出てくるとそれに融資部で対応せんといかんくなって、コストが増えます。」「原本ね…。」「え?聞いてますか常務。」「あ?おう。いや…なに、そう言えばここ数年突合しとらんな。」「え?」「ほら、ドットメディカルのシステム入れてから原本は事務管理課で集中的に取りまとめて珠洲の山奥の倉庫に保管しとるやろ。」「え…ええ。」「融資部に上がってくるのはデータだけや。原本は人目につかん人里離れた倉庫にひっそりと眠っとる。あそこに仕舞われたら誰もそれをよう見ようとは言わん。」「ええ…。」「たまにはデータと原本の突合っちゅうもんもせんといかんかな。」「え?」「なるほど新人はいいヒントをくれた。ワシはちょっと山県部長と相談してくるわ。」「ええ?」「なぁ橘部長。規則ちゅうもんは時々メンテナンスしてやんといかんがや。壁が綻んできたら塗り直す。規則を作るのはワシら役員や。こいつを怠ったらワシらの存在意義は無くなってしまう。部長、あんたもそれに近いポジションに居るんやぞ。」そう言って小堀は融資部を後にした。彼の背中を見送った橘はそのまま自席に崩れ落ちるように座った。「終わった…。」「部長、どうします?この原本。事務管にそのまま渡してもいいですか?」橘はこの問い掛けに応える気力を持ち合わせていない。彼はただ頷くだけであった。矢先、彼の胸元が震えた。咄嗟に席を立った彼は気分がすぐれないと言って席を外した。トイレの個室に入り、そこに座って深く息をついた彼は携帯電話を取り出した。先ほどのメールは相馬卓からのものであった。「なんねんて...この切羽詰まった時にメールなんか送ってくんなや。」こうぼやきながらも彼はそれを開封した。本文には「片倉帰宅するも妻不在。妻は若い男と外出。片倉呆然とベランダで喫煙す。」とあった。2枚の写真が添付されており。一枚はその様子を引きで撮ったもの。もう一つはひと目見て憔悴している様子が伝わる片倉の表情を寄りで抑えた画であった。橘は何の反応も示さず、それを即座に転送した。「はーっ…」彼がため息を付いたと同時に再び携帯電話が震えた。今度は通常着信のようである。「はい。」「なんだなんだ。」「...ご覧のとおりです。」「こいつは決定的だな。」「…そうですね。」「どうした。声に元気が無いぞ橘。」「あ...ええ…まぁ、ちょっと…。」「なんだ、融資部長としての重責に押しつぶされそうになってんのか。」「はは...慣れないもんで…。」「どうだ順調にいってるか。」「…。」「おい。聞こえてるのか。」「あ…はい。」「どうなんだ。」「大丈夫です。順調です。」「そうか。」「はい。」「今日の報告は収穫だ。この礼は弾む。」「…ありがとうございます。」「そのうちお前も常務だよ。」「…。」「今までどおり上手くやってくれ。」こう言って電話は切られた。直後、橘は床に跪き便器を覗き込んだ。そして逆流してきた胃液をそこに放出した。「おえっ…! げぇっ…!」橘の激しくえずく声をよそに、トイレでハンカチを加えて手を洗う厳しい表情の山県有恒の姿がそこにはあった。...more25minPlay
March 13, 201685 第八十二話このブラウザでは再生できません。「花火はどうだった。鍋島。」「あ?」「お前が思ったような花火が見れたか。」「…ああ。多分な。」「はっ…多分…。こっちは思ったようなもんじゃなかったんだ。」「そいつは残念だったな。」電話の向こう側が沈黙した。「ふっ…。」「ここでもヘマしたか。」「なに言ってんだ俺はあんたの指示通りにやった。結果これだ。今回の仕事で俺に非はない。」「…代役を立てる。」この言葉を受けて鍋島はため息をついた。「…じゃあこれでおさらばだな。」「…しかし…つくづく残念だ。」「何言ってんだ。そっちから手切れだろ。言えた義理か。」「不思議だな…。お前がこれからどう動くかなんて、俺は知りたくもないし知る必要もない。だが…。」「なんだよ。」「事ここに及んで、何故か躊躇う自分がいる。」「はっ…なに言ってんだ。」ハンドルを握る鍋島は失笑した。「そんなセンチなこと言っても、あんたひとりの意志でどうこうなる話じゃないだろ。」「…まあな。」「まぁ…あんたにはさんざん世話になった。下間さん。あんただけには最後に礼を言わないとな。」「礼?」「ああ。人間苦境に立った時、結局は金なんだ。その金を融通してくれたのはどういう理由があれあんただ。」「…。」「友情とか、絆とか、連帯とか、繋がりとか人は口々にこう言う。その関係性は何者にも代えがたい尊いものだ、金に変えられるものじゃないとな。しかしどうだろう。人間は生まれながらにそんなに善良な生き物だろうか。」「どうかな…。」「いや違う。人間なんて生き物はそんな高尚なもんじゃない。当時俺はとにかく金が欲しかった。母親が故郷に帰ってからというもの、俺は爺さんと婆さんもろともここ日本に取り残された。爺さんも婆さんもカネがない。俺はまだ未成年のの坊やだ。そんな中で必要なのは一にも二にも金だ。何とかして食っていかないといけない。この状況下でで友情なんて何の役にも立たない。過去の絆なんてもんはこの日本において単なる障害でしか無い。連帯しようにももたざるもの同士が連帯して、生活が改善するはずもない。そこで生まれる繋がりなんてもんはクソだ。金が必要だったんだ。それが唯一の俺らに対する救済の方法だった。」「…。」「俺はとにかく金が欲しかった。それを用立ててくれたのは高校時代のあいつらじゃない。あんただ。」「そうか…。」「ああそうだ。金は世の中の大体の問題を解決してくれる。俺が北高で勉強をして剣道で高校総体で優勝出来たのも別にあいつらの存在があったからじゃない。あんたからの金の融通で、金に困ることが一応無くなったからそっちに力を向けることができた。」「…今度はお前がいつになく雄弁だな。」「生まれ育った環境が違えど自分らと同じ日本人。だからできるだけ支える。なんて甘美な言葉をあいつらは投げかけるが、それは俺には全く響かなかった。むしろそんな言葉を何の抵抗もなく言える人間の背景には、自分は金は出したくありませんというのが透けて見える。金は出さないが口は出す。まったく迷惑千万だったよ。俺はここにあいつらとの決定的な壁を感じた。」「だが…一色はいじめに合うお前を身を挺してかばったと聞く。」「ふっ…それも要はあいつが金を俺に払いたくなかっただけのこと。」「…そんなもんだろうか。」「そんなもんさ。口だけだよ。俺は別にいじめなんかなんとも思っていない。そんなもんだと思っていた。どこに行ってもそうだったからな。」「そうか。」「もしもあいつが本当に俺のことを思っているとしたら、金銭の提供という物理的救済の方法もとってしかるべきだと思わないか。」「まあ…。」「俺は一応あんたには世話になったと思ってる。だからあんたの指示は一通り聞いてきた。革命ってもんに疑問しか持っていないにも関わらず、あんたの言うとおり軍事関係の知識を習得し、然るべく時に少しでも力になろうとしてきた。」「…そうだったな。」「あのクソみたいな高校を卒業をして何年か経った時、どこでどう歯車が狂ったか村上が仁熊会と接点を持ち、俺に接してきた。俺は金こそが全て、残留孤児の経済的支援だけが問題の解決に繋がるとあいつに説いた。しかしあいつは、この期に及んで友情とか絆っていう俺が最も忌み嫌うもんを持って、経済的自立を支援する枠組みを作りたいとか馬鹿なことを言ってきやがった。あくまでも自分の力で立ち上がる。その手伝いをする枠組みを政治家になって作り上げたいとかな。」「それは俺も人づてに聞いたことがある。」「だからそうじゃねぇんだよ。現実を見てみろよ。スタートからハンデ背負ってる奴らになに期待してんだってんだ。マイナスをゼロするだけでも、とてつもないエネルギーが必要だってのに、それをさらにプラスにしろ?冗談じゃない。それに世の中不景気ときたもんだ。ハンデのないやつでさえ、サラリーマンやっていつ首が来られるか分からないってビクビクしている中で、経済的に底辺でもがき苦しんでいる人間がどうやって人生逆転できんだってんだ。」今まで淡々としか話さなかった鍋島の言葉に感情がふんだんに盛り込まれていた。「そりゃ失うものは何もないから何でもできるとかっていう考えはある。だがそこでしくじったらどうなるんだ?首つるしかねぇだろ。」「確かにお前の言う通りだ。」「現状を正しく認識することもできず、絆とか友情っていう無味乾燥な言葉を口にだす奴が俺は許せなかった。事実俺だってラッキーなだけだった。この妙な力のお陰で、あんたっていう人間から投資を引き出すことができたんだからな。これぐらいとんでもない能力でもない限りこの世界で普通に生きていくなんてありえない。だから俺は村上には現実を見て目を覚まして欲しかった。」「投資か…。」「村上はあまちゃんな事を言うが、一応俺にとっては残留孤児の待遇改善の一縷の望み。あいつには本当の救済を行ってくれる存在になってもらうように一応意図を汲んで行動した。本多の下でトントン拍子に出世して世の中を変える存在に一刻も早くなって欲しいという願いを込めてな。しかし赤松の親父の件があってあいつは変わった。」「村上はお前に自首を促してきた。」「ああ。だから俺はあいつを回収不能先と見て買収の方向で動いた。」「それが特殊能力を使った、あいつの洗脳ってことか。」内灘海岸に車を止めた鍋島はニット帽を脱ぎ、頭に浮かぶ汗を拭った。「はぁ…つい感情的になってしまったな。」「お前らしからぬ言葉だった。」「あんたぐらいなんだよ。俺の本音をぶつけられたのは。」「ぶつけられた…。か…。」「まぁ代役を立てられるってことは、俺もそろそろ詰みってことか。」下間は何も言わない。「今までありがとよ下間さん。」「鍋島…。」「じゃあな。」そう言って鍋島は電話を切った。「さてと…。」ニット帽をかぶり直した鍋島はタブレット端末を起動した。ー佐竹と赤松は熨子山の墓地で警察と接触。警察は俺の動向を伺っている。タブレットには店で勤務する久美子の姿が映しだされていた。ーさて…あいつらはどう来るか…。こちらから動くのも良いが、できればあっちから動くほうが面白い。あいつらがどう考え、どういう手を打ってくるかを試すか。彼は映しだされる久美子の姿を見ながら、自身の爪を噛み始めた。ーここはひとつ久美子に慰めてもらって、あいつらの動きを見るか。そう言うと鍋島はタブレットの電源を切り、車から降りた。そして彼は下間との連絡に使用していた携帯電話を眼前の日本海めがけて投げた。「まぁ…俺は俺で楽しませてもらうさ。」彼は辺りを見回した。一組の家族の姿が彼の目に映った。父親と思われる男が少年と一緒に海岸線をはしゃぎながら走る。それを浜にすわり微笑ましく眺める妻と思召しき女性。サングラスをかけているはずなのに、その姿は彼にとって眩く映った。「あばよ。」こう言って海を背にして車に乗り込んだ時である。声が聞こえた。「ねえねえ!!」「あ?」窓の外を見ると先ほどの少年がこちらに向かって走って来ていた。砂に足を取られながらも必死に走ってきた彼の手には投げ捨てたはずの携帯電話があった。「これ、駄目やよ。」「あ?」「勝手に海に捨てたら駄目やよ。」そう言って少年は塩水と砂でまみれた携帯電話を鍋島に差し出した。「ほら見てま。」少年は砂浜を指差した。そこには打ち上げられたゴミが散乱している光景があった。「ゴミいっぱいになるの嫌やろ。ほやからちゃんと持って帰って。」「あ…ああ…。」「じゃあ、はい。」少年は鍋島に携帯を受け取るよう催促した。鍋島は止む無くそれを受け取った。「ゴミ。無くそうね。」「…そうだな…。」「じゃあね。おじさん。」「ああ…。」少年は踵を返して遠くで心配そうな目で見つめる親の下へ走りだした。「あ…おい!!」「え?」少年は振り返った。「お前、これお父さんとお母さんに言われて来たのか?」「ううん。違うよ。」「じゃあなんで見ず知らずの俺にこんなこと注意したんだ。」「だって嫌やもん。」「嫌?」「おじさんが悪い事するの見るの嫌やったもん。」鍋島は呆然とした。「ほんなら僕行ってもいいけ?」「あ!!ちょっと待て!!」車の後部座席を弄った鍋島は紙袋を取り出し、その場にかがみこんで少年と目線を合わせた。「これお前にやるよ。」「え?」「いいか。中は開くなよ。黙ってそのままお父さんとお母さんに渡すんだ。」「でも…知らん人からもの貰ったら駄目って言われとるげん。」この少年の言葉に鍋島は口元を緩めた。「これはものじゃない。投資っていうもんだ。だから大丈夫。」「本当?」「ああ。本当だ。それにあそこにお父さんもお母さんもいるだろ。俺は知らない人じゃない。」「でも…。」「いいから。」少年は頷いた。鍋島は少年の小さな頭を乱暴に撫でて車に乗り込んだ。「どうやった惇。」「ちゃんと携帯持って帰ったよ。」「本当か…。お前、人に注意するのも良いんやけど、一応相手みてから行けよー。」「だって駄目なもんは駄目ってちゃんと言わんといかんってお父さん言っとったがいね。」「まぁ…。でも大丈夫やったか?サングラスして帽子被って何か怖い感じの人やったけど。」「別になんともないよ。」「あれ?惇。何もっとらん?」「うん…。これ、あのおじさんがお父さんとお母さんに渡してくれって。」「え…?」紙袋を受け取った父親は不審そうにそれを眺めた。「これ…何なん?」「なんか、トウシとかって言っとったよ。」「へ?トウシ?」紙袋を開いた父親は思わずその場で尻餅をついた。「どうしたん?」母親が父の元に駆け寄った。「こ…これ…。」「え?」袋の中を覗き込んだ母親もまた、その場に座り込んだ。「ちょ…惇…これ何ねんて…。」「え?知らんよ」「これ…お金やがいや…。」札束が5つ入った紙袋を抱え震えながら顔を上げた父親は、鍋島の姿を探した。しかし彼の車はこの場から既に消えていた。...more22minPlay
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