今週は、まとめ編をお届けします。No.26
<チャンバラとアクション>
:概念の設定
解釈が難しいところだが、第一段階として、チャンバラとアクションは別系統の発生であると設定する。
その上で、第二段階として、おおよそアクション黎明期から成熟期までに完成されたアクションは、仮に直接チャンバラと接点を持たない団体・人材であっても、潜在的にチャンバラ文化の影響下にあると考える。これは日本人である以上、必然であろう。
:チャンバラを定義する
殺陣/立回り文化を包括する概念がないので、それらをまとめるものとして、チャンバラを設定する。
チャンバラとは、刀による日本独自の格闘表現の総称
具体的には、殺陣概念と、立回り概念の総合化されたものであり、なおかつ立回り概念を主として構造化されたものである。
殺陣=カラミ視点の振付け
立回り=主役視点の振付け
チャンバラという語自体が、一般に流通しているものであり、業界用語ではないことから、一般的な視点も導入されているという意味を持つ。それが立回り概念を主として位置付ける構造である。
:チャンバラ概念
一般的な視点とは、観客にとってチャンバラとは、主役のパフォーマンスであり、やられ役のことなど眼中にはない。だからこそ、主役のパフォーマンスを成立させている技術性をメインに据えて考える必要がある。これがチャンバラ概念である。
別の言い方をすれば、剣友会の技術性は生かしながらも、そのポジションは消し去ったものがチャンバラ概念であるとも言える。
実戦においても、戦国時代は対多勢の戦いが中心であった。それは戦(いくさ)である以上必然でもある。
それが江戸時代になり、戦がなくなったことで一対一の技術に移行していった傾向がある。
このことは、立回りの運動構造にも大きな影響を与えている。
つまり立回りにおいても、対多勢の身体操法と、一対一の操法では異なるところがあるということ。
そしてシンとカラミでは、運動構造が全く異なるということ。
主役には刀の操法以外にも、表現のための動きを追加する必要があるということ。
以上のことから、カラミの動きや剣術・居合だけでは主役には全く不十分であるということが浮き彫りになる。
立回りの本質的な運動を「チャンバラ・ムーブ」として仮に設定する。
:アクションを定義する
アクションとは片仮名アクションのことであり、その略と設定する。
片仮名アクションとは、日本独自のアクション、即ち日本文化としてのアクションを指すということを確認。それはチャンバラとの対応関係を考慮に入れながらの定義とするから。
ちなみに刀剣の格闘表現に対してチャンバラ・ムーブで対応するのがチャンバラであると設定する。
そういった意味では、格闘表現に対し、アクション・ムーブで対応するのがアクションであるとは言えるだろう。ただしこの場合、アクション・ムーブを使わない(使えない)格闘表現があり、その存在に対して対比的に用いる場合となる。
理論上は格闘表現に対して、身体能力の高さで対応するものであり、立回り技術(チャンバラ・ムーブ)は用いないことを基本として考える。
なぜなら独自技術なし、というのがアクションの本質だから。この立ち位置からの認識となる。=無空中枢構造
その後の時間経過によって、徐々にチャンバラ・ムーブに適応していった(個人差が大きい)とは考えられるし、もちろん潜在的な影響があったのは前述した通り。
:立回り型アクション+まとめ編
徒手格闘が、チャンバラ同様に見世物化された時、そこへの対応として必然的に立回りとアクションの融合形態が創出されることになった。これを立回り型アクション、または立回りアクションとする。
特徴は、チャンバラ・ムーブの本質利用と、アクションの身体能力の高さの双方を用いることで、そのアプローチには、チャンバラ側とアクション側からとの二種類がある。=CTAとATC
立回り型アクションとは、日本独自の価値観に基づくアクションの完成形であると定義できるだろう。ここに価値の高さを求めないと、システムそのものが崩壊してしまうことになるが、今やまさにその段階にきていると言えなくもない。
その最大の理由は、再三繰り返すように、上達の方法論や表現の技術体系そのものが理解されていないからである。だから表層の運動=サンリット・アクションにフォーカスするしかないという点で、異分野技術に依存してしまうのは、アクションもチャンバラも同一の認識構造に囚われてしまう傾向が極めて強い。
この段階を乗り越えるためには、カラミやスタントマンといった立ち位置をアクションスター級に換えた上で、アクション戦術=WHATではなく、アクション戦略=HOWを中心に取り組むしかないのだ。