リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 嘆きは賛美に変えられる(ルツ記 2章)
    「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように。」
    (ルツ記2章20節)
    ベツレヘムに到着したナオミとルツにとって、大きな問題は生計の道でした。ルツは落ち穂拾いに出かけます。ルツは行き着いた畑でボアズと出会います。ボアズはルツに目を留め、ルツが安心して働けるよう、特別に配慮をしました。また、昼食を分け与え、帰りには多くの大麦を与えました。
    たくさんの大麦を持ち帰ったルツに、ナオミは問いました。「だれから祝福を受けたのか」。そう問われた、ルツの口からは「ボアズ」という名が出ました。彼はナオミの親戚であり、彼女たちを「家を絶やさないようにする責任のある人」でした。驚いたナオミは、「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように」と言って、主を賛美しました。
    死の霧が漂う、涙の谷間を歩む人を、神は慈しんでくださり、光を与えられます。
    自らをマラ(苦い)とさえ呼んだナオミ。嘆き、悲しみの中にあったナオミの心は感謝に変えられました。全能者なる神が決してお見捨てになっていないことに気づかされたのです。その神に私たちの希望もあります。
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  • 全能者を信じるナオミ(ルツ記 1章)
    「どうか、ナオミ(快い)などとは呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。」
    (ルツ記1章20節)
    ルツとナオミは、モアブの地を出て故郷ベツレヘムに帰ってきました。すると町中の人々は驚き、どよめきました。旧知の女性たちは「ナオミさんではありませんか」と声をかけます。
    それに対して、ナオミは、「どうかナオミ(快い)などとは呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです」と応えました。
    ただならぬナオミの応答です。重い現実を抱えていることを、ナオミは隠しません。ここに現実を受け入れる、ある強さを感じます。
    愛する者の死は、涙の谷底へと人を追いやります。愛する夫と二人の息子の死が、ナオミを追い詰めました。
    ナオミはその中で、神のことを「全能者」と呼びます。神への信頼を失ってはいません。ナオミにとって、苦しみもまた主の御心でした。辛い現実があったとしても、ナオミは腐ってはいません。主が憐れみ深い方であり、希望があることを信じているからです。たとえ苦しみがあったとしても、それを主の御心として受け入れ、その中で憐れみを信じ続ける姿に教えられます。
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  • 塩で味付けされた言葉(コロサイの信徒への手紙 4章)
    いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。
    (コロサイの信徒への手紙4章6節)
    パウロは、「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい」と言います。「あなたがたの言葉が、いつも親切で、興味をひくものであるように」、「塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい」という翻訳もあります。
    料理をするとき、いちばん重要な味付けは塩味です。いろいろな調味料がありますが、塩を入れないと全然美味しくならないことがよくあります。それと同じように、「塩で味付けされた言葉」とは、美味しい料理のごとく、耳に快い、人の心に感動を与える、興味をひく言葉のことです。
    そのような言葉を語ることは、もちろん簡単なことではありません。とりわけ未信者の家族や周りの人から聖書や信仰について聞かれた場合、どう答えるべきか分からなくなります。自分の言葉の乏しさに切ないかぎりです。
    しかし、神の言葉には力があります。まず私たち自身が塩で味付けされた神の御言葉を味わいましょう。それによって、私たちの言葉も塩味の言葉として整えられていきます。どう語ればいいのか、聖霊なる神が教えてくださるのです。
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  • 互いに仕え合い、互いに愛し合いましょう(コロサイの信徒への手紙 3章)
    妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。
    (コロサイの信徒への手紙3章18節~19節)
    主なる神はエバをアダムの「助け手(助ける者)」として創造されました(創2章18節)。この「助け手」とは、神が妻エバを夫アダムに劣る存在としてお造りになったという意味ではありません。もちろん、主なる神は、男と女にそれぞれ異なる賜物を与えてくださいましたが、男女を差別するようにして創造されたのではありません。なぜなら、神はご自身にかたどって男と女とに創造されたからです(創1章27節)。ですから、アダムとエバは本質的に等しい存在です。夫は優れているため妻の上にあり、妻は欠けているため夫に仕えるというような上下関係、主従関係はありません。
    ということで、妻は夫に仕え、夫は妻を愛するということには、頭と体が切り離せないように、相互補完的な意味が含まれているわけです。それぞれの賜物を生かして、互いに愛し合い、互いに仕え合って、一つの体を造り上げるということです。
    そこから進んで、教会の中の男女関係も同じでしょう。上下関係ではなく、与えられた賜物を生かして、キリストの体である教会を建て上げることが教会のかしらである神の御心なのです。
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  • 新たに生まれなければ(ヨハネによる福音書 3章1-17節)
    イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
    (ヨハネによる福音書3章3節)
    きょうは、主イエスとニコデモという人との間にあった出来事からです。主イエスはニコデモの心の中をよく知っておられたのだと思います(2章25節)。人目を避けるようにして、夜、主イエスのもとに来たニコデモに対して、開口一番に話されたのが上記の御言葉でした。
    ここで言われている「新たに生まれる」の「新たに」という言葉は、「もう一度母の胎に戻って生まれ直す」ことを意味するのではありません。全く新しくされる、これまでの生き方と全く異なる生き方ということを意味しています。これまで神と共に生きてはいなかった者が、神によって、聖霊の力によって「新しい存在としていただいて」生き始めるという意味です。
    ここから教えられるのは、「新たに生まれる」とは、全く神の恵みの御業だということです。自分に足らないところを何か神に補っていただいて歩むのでは「全くない」。これまでとは全く質の違う、神に全てを委ねた、神の子としていただいた歩みをしていくということです。
    レントの時、主によって新しくされている喜びに生きたく思います。
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  • 実体はキリストにあります(コロサイの信徒への手紙 2章)
    だから、あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります。
    (コロサイの信徒への手紙2章16節~17節)
    コロサイの教会には、食べ物や安息日、割礼など、旧約時代から守ってきた教えを守るべきだと主張するユダヤ人キリスト者がいたようです。それらの教えは、彼らの伝統になっていました。そのため、彼らは、律法が禁止している食べ物を食べ、割礼を受けようとしない異邦人キリスト者をまるで罪人であるかのように批判していたようです。
    しかし、それらの教えは「やがて来るものの影に過ぎず」と今日の御言葉は語ります。「実体はキリストにあります」と言うのです。安息日や割礼はキリストを指し示すのであり、キリストに結ばれることにこそ救いがある、ということです。
    世界の諸教会は、それぞれの伝統と文化の中で信仰を受け継いでいます。韓国の教会の場合、朝の祈祷会を重んじる伝統があります。それは大切に受け継がれるべきものですが、それが先立ってしまうと、「実体」を差し置いて「影」だけを見ることになるでしょう。「影」が人の信仰を評価する基準になってはいけません。
    多様な礼拝や祈祷会のあり方が模索される時代の中で、主イエス・キリストを仰ぐことが大切です。キリストこそが見つめられるべきなのです。
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  • 信仰に踏みとどまりなさい(コロサイの信徒への手紙 1章)
    ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。
    (コロサイの信徒への手紙1章23節)
    コロサイの教会は、主イエスへの信仰、人に対する愛、そして神の御国への希望を持っている教会でした。しかし、同時に、霊肉二元論の立場に立つグノーシス主義、天使崇拝、律法主義などの間違った教えが入り込み、ギリシア思想との混合主義の影響を受けていました。それは、コロサイの教会が置かれた時代的、地理的環境のためであったと思われます。
    しかし、根本的には、「キリストだけでは足りない」という思いがあったのでしょう。キリストの外に知恵と知識を求めることが起こっていました。知りながら、また、知らないうちに、キリストの外に満足感を探し求めていたのです。
    それに対して、パウロは揺らぐことなく信仰に踏みとどまるよう勧めます。十字架の血によって平和を打ち立てたキリストにとどまり続けるのです。それは簡単なことではないでしょう。その門は狭く、道も細いと言われる通りです。しかし、このキリストにおいてこそ、神の秘められた計画が明らかにされたのです。
    たとえ信仰生活が困難に思われても、福音の希望から離れず、とどまりましょう。その門こそ、キリストにある命に通じる門なのですから。
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  • キリスト者の赦し合い(フィレモンへの手紙 15節)
    恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。
    (フィレモンへの手紙15節)
    フィレモンへの手紙は、教会の交わりに欠かせない赦し合いを私たちに教えています。奴隷であるオネシモは、主人であるフィレモンの家から逃げ出しました。しかし、逃亡先でパウロに出会い、悔い改めて、福音宣教に仕える者、「役立つ者」に変えられました。そのオネシモを戻すので、赦してほしい、というのがパウロの願いです。
    大切なのは、「恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません」(15節)とパウロが言っているところで、その背後に主なる神様の導きがあるということです。両者の地上的な関係は「しばらく」で、逃亡奴隷とその主人というものでしたが、主にある関係は「いつまでも=永遠」で、「愛する兄弟(16節)」というものに変えられるのです。
    パウロは、自分が「キリスト・イエスの囚人」であることを繰り返しながら(1、9節)、フィレモンに懇願しています。私たちキリスト者は全て「キリスト・イエスの囚人」であり、これが主にある私たちの関係の土台で、ここにだけ真の赦し合いは生まれます。
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  • 未来にほほえみかける知恵(箴言 31章)
    あでやかさは欺き、美しさは空しい。
    主を畏れる女こそ、たたえられる。
    (箴言31章30節)
    箴言の最後を飾るのは、「有能な妻」を描いた詩です。イスラエルの民の間ではこうした御言葉が家庭を祝福する知恵として学ばれたことでしょう。
    ここに描かれた妻の有能さとは、夫に対する忠実さと、家を切り盛りする勤勉さ、周囲との人間関係を豊かにする言葉と細やかな配慮です。
    けれども、そのすべてを支えているのは主を畏れる信仰です。箴言で語られてきた知恵の実りが、このような家庭をモデルにして美しく描写されます。
    聖書の言葉では「知恵」という語は女性形です。それで知恵を女性に見立てた喩えが多いのでしょうが、旧約聖書ではイスラエルの民が主の伴侶とされ(イザ54章6節、他)、新約聖書では教会が主の花嫁として描かれます。それを合わせて考えますと、「有能な妻」とは、主の家を任された私たちのことです。その知恵は家庭にも教会にも豊かな実りを約束しています。
    御言葉の知恵は、私たちに「力と気品」を与え、私たちの「未来にほほえみかけ」ます(25節)。
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  • 貧しくもせず、金持ちにもせず(箴言 30章)
    貧しくもせず、金持ちにもせず
    わたしのために定められたパンで
    わたしを養ってください。
    飽き足りれば、裏切り
    主など何者か、と言うおそれがあります。
    貧しければ、盗みを働き
    わたしの神の御名を汚しかねません。
    (箴言30章8節~9節)
    「ヤケの子アグル」が誰なのかはわかりません。イスラエルの神を知る異邦の賢者かもしれません。天を超えて高くおられる神の前に、賢者は身を低くして自分の小ささを告白し、謙遜に知恵を求めます。
    人は「豊かさ」を求めて祈るかもしれません。高い理想を掲げて自己実現のために神の力を借りようとするかもしれません。しかし、賢者がここで求めるのは、第一に、頼りにならない、人間の言葉を退けること、第二に日毎の糧で養われることです。それは、神を愛する信仰者にとって「神の御名を汚すこと」ほど、不本意なことはないからです。
    金銭への飽くなき欲望は、自分が神に生かされていることを忘れさせ、貧しい人々を顧みない高慢に誘います。また、貧しければ「貧すれば鈍する」で、食べるために犯罪に手を染めることにもなりかねない。だから、主によって日毎に養われていることに感謝して、それで満足することができれば良い。こうした賢者の知恵ある祈りが、「主の祈り」にも受け継がれて、私たちのもとに届けられています。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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