リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 私たちを支える幻(箴言 29章)
    幻がなければ民は堕落する。
    教えを守る者は幸いである。
    (箴言29章18節)
    昔、イスラエルの民はシナイ山の麓で神の啓示である律法を受け取りました。それによって神の民として相応しく整えられて、祝福された道を歩むようになるためです。けれども、モーセがシナイ山に籠っている間、民は不安になって自分たちで勝手に金の子牛を造り、禁じられた仕方で礼拝して、偶像崇拝の罪を犯しました(出エ32章)。
    「幻」は「教え」と対になっています。それは、神からいただいた啓示の言葉で、モーセには律法が教えとして与えられたように、預言者たちには幻が示されました。この御言葉によってイスラエルの民は神の御前を正しく歩むことができました。しかし、それを見失って自分の思い通りに行動した時には手酷い失敗を犯しました。特に王を始めとする指導者たちの不信仰は、民全体に不幸をもたらしました(2、7、12節、他)。
    聖書は、私たちに与えられた幻であり教えです。この指針によって一人の人も社会も堕落や腐敗から免れます。「地の塩・世の光」とされた私たちは、御言葉によってそうあることができます。
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  • 御言葉に立ち続ける者として(マタイによる福音書 4章1-11節)
    イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。
    神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
    と書いてある。」
    (マタイによる福音書4章4節)
    キリストは、伝道を開始される前に「40日間」の試練を受けられました。その悪魔の誘惑のなかで主イエスは、申命記の言葉を用いてすべての誘惑に勝利されました。そこで用いられた御言葉はすべて、出エジプトにおけるイスラエルの「40年」の荒れ野の旅路を思い起こさせます。
    申命記8章2節にこうあります。「あなたの神、主が導かれたこの40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた」。このあと、主イエスが引用された上記の有名な御言葉へと繋がっていきます。つまり、主イエスは悪魔の誘惑のなかでこの御言葉を実践されたのでした。
    今、私たちは「40日間」に及ぶ「四旬節」を過ごしています。キリストはこの後も御言葉に立ち続けられ十字架へと向かわれました。私たちもこの時、それぞれにあった救いの出来事、奴隷の家からの解放の出来事を覚え、神に感謝して、御言葉に立ち続けたく思います。私たちは神の口から出る一つ一つの言葉に生かされるのです。
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  • 主の教えを尊ぶ人の祈り(箴言 28章)
    教えに耳をそむけて聞こうとしない者は
    その祈りも忌むべきものと見なされる。
    (箴言28章9節)
    「神に従う人」とは、主の教えに謙虚に耳を傾け、それを喜んで実行しようとする人です。「神に逆らう者」とは、自分の考えにとらわれて、外から語られる神の言葉に聞こうとしない人のことです。この二つの立場をよく考えて、自分はどちらなのだろうと反省することが真の信仰への第一歩です。
    この章では、「神に逆らう者」が幾つも言い換えられています。「教えを捨てる者」(4節)、「悪を行う者」(5節)、「利息、高利で財産を殖やす者」(8節)、「教えに耳をそむけて聞こうとしない者」(9節)、「正しい人を悪の道に迷い込ませる者」(10節)、そして「金持ち」(11節)「貪欲な者」(22、25節)、などです。これらの人々の社会的影響力についても警告がなされます。「指導者に英知が欠けると搾取が増す」(16節)。
    人間は罪を犯して神に逆らう者になりました。しかし、神は憐れんで、人が信仰によって生きる道を備えてくださいました。罪を悔いて謙虚に御言葉の知恵を求める心に、聖霊は確かに聞かれる祈りを私たちに備えてくださいます。
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  • 叱ることもまた愛(箴言 27章)
    あらわな戒めは、隠された愛にまさる。
    愛する人の与える傷は忠実さのしるし
    憎む人は数多くの接吻を与える。
    (箴言27章5節~6節)
    人を叱るのも叱られるのも苦手な今の時代です。しかし、叱ってくれる人が周りにいないのは不幸なことではないでしょうか。特に子どもたちの成長には欠かせません。本気で叱ってくれる大人に出会ったとき、子どもたちは確かに信頼できる人が身近にいることを覚えて、涙を流しながらではあっても心に安心を覚えるのではないでしょうか。
    心だけで愛することも、表向きだけの愛情表現も、どちらも真実の愛には足りないと御言葉は語ります。隣人のありのままの姿を見て、その人に誠実に接しようとするならば、時には「それではいけない」と言わなければならないこともあるでしょう。そうした言葉の真実が互いの信頼関係を築いてくれます(17節)。
    聖書を通してお語りになる神もまた、時に厳しい言葉で私たちを叱られます。主イエスも弟子たちを叱ることがありました。それは、私たちに対する神の忠実さの表れであることを私たちは疑いません。私たちはそれによって自分の罪を知り、悔い改めて、神の恵みのもとへと帰ることができます。
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  • 愚か者・怠け者・嘘つき(箴言 26章)
    自分を賢者と思い込んでいる者を見たか。
    彼よりは愚か者の方がまだ希望が持てる。
    (箴言26章12節)
    神の前に知恵ある者として生きることを教える箴言は、それに対比される「愚か者」のあり様を幾重にも描いて見せます。主イエスは、「兄弟に…『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」と教えておられますから、箴言の御言葉をたてに人を裁くことは慎まなければなりません。けれども、人間はこのような愚かさを持つということをわきまえ、自分自身、日々、罪の赦しを乞いながら、愚かな振る舞いに陥らぬよう、祈りたいところです。幾分ユーモアを交えて描かれるのは、教育的な効果を期待してのことでしょう。
    私たちは何でも面倒くさがる怠け者ではないでしょう。けれども、主が求めておられるのは主人の帰りを待つ忠実なしもべであることを思い起こして(ルカ12:42他)、きょう一日の務めを全うしたいと思います。
    しかし、救いのない愚かさについても箴言は教えています。それは、「自分を賢いと思い込んでいること」です。他人の忠告にも神の知恵にも聞こうとしないその態度が致命的な結果を招きます。この悪に対抗できるのは聖霊だけです。
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  • 主イエスをとおして自己を知る(ルカによる福音書 18章9-14節)
    「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
    (ルカによる福音書18章14節)
    目の前の問題に適切に対処するためには、まず自分の置かれた状況を正しく理解する必要があります。このたとえで登場する二人の人は、どうだったのでしょうか。
    ファリサイ派の人は、徴税人を自分と比較し、律法をまじめに守っている自分は御心にかなった正しい者であると理解しています。他方、徴税人は、自らが御心から遠く離れた罪人であると理解し、そのことを嘆いています。この自己理解に基づいて、彼は神に憐れみを乞い、神との和解を切に求めています。
    ファリサイ派の人は、自分の置かれた状況を誤って理解していました。自分の置かれた状況を正しく理解することは、この人だけでなく誰にとっても難しいのです。
    私たちは皆、このファリサイ派の人と同じような誤解を、多かれ少なかれ自分に対して持っています。だからこそ、「義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない」という主イエスの裁きを、自らのこととして聞く必要があります。それによってはじめて、私たちは、自分の置かれた状況を正しく理解できるのです。
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  • 御言葉に聞く大切さ(ルカによる福音書 16章19-31節)
    「アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」
    (ルカによる福音書16章31節)
    キリスト教では復活を信じています。しかし、それを未信者の方に信じてもらうのは容易ではありません。主イエスの復活の奇跡が現代にも起これば、多くの人が信じてくれるのに。こう思うのは、わたしだけではないでしょう。
    この金持ちも、気持ちは同じでした。死者が現れるという奇跡が起これば、兄弟たちは悔い改めるはずだと主張しています。しかし、死者が生き返るという奇跡を見ても、それは人が悔い改めに至るのに十分ではないのです。事実、主イエスの復活を目の当たりにしても、悔い改めるどころかそれを隠蔽しようとする人びとがおりました(マタ28章11節以下)。
    大切なことは、モーセと預言者に耳を傾けることです。これらは、旧約聖書の御言葉を指します。金持ちの兄弟たちは、旧約聖書の御言葉に触れる機会はあったのです。しかし、それを神の言葉として受けとめ、耳を傾けることをしていませんでした。聖書に記されている言葉を神の言葉として受けとめて、それに真摯に耳を傾けること。これこそ、どんな奇跡を目の当たりにするよりも、人を悔い改めに導くのです。
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  • 神の喜びを共にする(ルカによる福音書 15章11-32節)
    「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」
    (ルカによる福音書15章32節)
    父から受け継いだ財産を使い果たした弟が帰宅しました。彼は役立たずを通り越して厄介者です。そのような弟の帰宅を、父は常識外れなほどに喜びます。弟にしてみれば、想定外のもてなしによって父に迎え入れられました。父は兄の帰宅を待たず祝宴を始めました。
    怒ったのが兄です。なだめるために出てきた父に、兄は不平を言います。弟が父から受けているもてなしは、兄が長年父から受けたいと望んでいたものだったのです。それを受けるために、兄は何年も父に仕えました。しかし、自らが望み続けたもてなしを、財産を使い果たして突然帰ってきた厄介者の弟が受けています。そのために兄は、弟の帰宅を父と共に喜ぶことができなかったのです。
    もし、自らの望みが叶うことのみを期待して神に仕えるならば、兄のように神に不平をもらしながら、喜びの少ない歩みをすることになるでしょう。自分自身の望みが叶うことによって喜びを得ようとするのではなく、神の喜びを共にするように私たちは招かれています。こうして、私たちに真の喜びが与えられるのです。
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  • 父なる神との関係で生きる(マタイによる福音書 6章1-6,16-21節)
    「それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」
    (マタイによる福音書6章18節)
    善行について教える1節の御言葉を受けて、16節からは断食に関する事柄が扱われています。
    当時、他人へのアピール、自己訓練に熱心であることを表明する意味で断食が行われることがありました。しかし、断食はあくまで、神との「縦の関係」の中で行うものです。神の御前に自らの欠点や弱さ・甘さ・罪などを、ひと時生きること(食べること)を止めてでも見つめる行為、あるいは自分の命と引換えでも神に心から願う行為、その意味で断食は神への信頼から行なうべき行為でした。
    断食は、その意味で祈り(5-15節)に等しい行為です。あくまで父なる神との間の行為だからです。あなたの心が、父なる神との密な関係の中に置かれていることが問われています。
    このことを話されたキリストご自身、父なる神への従順を徹頭徹尾、示されました。ご自身の思いをいつも父なる神へと向け、その父の御心に従って十字架へと向かわれました。
    今年のレントを歩み始めた私たちは今一度、心が神へと向いているのか、御言葉から問いつつ歩みたく思います。
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  • 女性を大切に守る王(士師記 21章)
    そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。
    (士師記21章25節)
    イスラエルはベニヤミンとの戦いを始める際、「我々は誰も自分の娘をベニヤミンに嫁として与えないこと」を誓っていました。ベニヤミン族との戦いの後、この誓いがベニヤミン族の滅亡を招くと後悔します。彼らはベニヤミン族を絶やすまいと策をめぐらしますが、更なる犠牲を引き起こします。ギレアドのヤベシュを攻撃し処女4百人を強奪(12節)、さらにシロで行われる主の祭りで、踊り出る乙女たちをベニヤミン族が強奪するよう手配してしまいます(19節以下)。こうして、主なる神に従わず、「それぞれ自分の目に正しいとすることを行」うことが女性に多大な犠牲を強いると、士師記は告発するのです。あわせて、これを防ぐためにも主によって立てられる王が必要だと訴えます。
    イエス・キリストは、このような士師記の時代のありさまとはうらはらに、女性をとても大切になさいました。そして、自分の目に正しければよしとする人の罪を砕いてくださいます。キリストこそ士師記の願いに応えるまことの王です。王なるキリストが世界全体を治めてくださるよう祈り願いましょう。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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