リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 犠牲を出して主に立ち帰り(士師記 20章)
    イスラエルの人々は皆、そのすべての軍団と共にベテルに上って行き、主の御前に座り込んで泣いた。その日、彼らは夕方まで断食し、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を主の御前にささげた。
    (士師記20章26節)
    イスラエルがベニヤミン族による非道の責任を問いただすと、ベニヤミン族は反発し、神の民同士の内戦が始まってしまいます。イスラエルの方が兵の数は多かったのに、一度目二度目とイスラエルが敗れ、何万人もの犠牲者が出てしまいます。三度目の戦いにあたり、イスラエルは断食し、献げ物をしました。これは自分たちの罪を主の前に悔い改め、神の御心にこそ従うという姿勢の表れでした。そして、自分たちが多数だとおごることなく慎重な姿勢で戦い、イスラエルはようやく戦いに勝利することができました。
    この出来事に、「それぞれ自分の目に正しいとすることを行う」ことが当たり前だった人々を立ち帰らせようとする主の計らいをみることができます。罪深い人間は、自分中心の生き方がいかにひどい犠牲をもたらすのかを突き付けられないと、目が覚めないのです。
    神は罪深い私たちのため、独り子イエス・キリストを世に送り、罪を犯されなかったお方を十字架で犠牲になさいました。神の言葉と聖霊によりキリストの犠牲が示されるとき、私たちは悔い改めへと導かれます。
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  • 今までにないひどさ(士師記 19章)
    「イスラエルの人々がエジプトの地から上って来た日から今日に至るまで、このようなことは決して起こらず、目にしたこともなかった。」
    (士師記19章30節)
    この章の焦点はレビ人の言動です。旅先でならず者に押しかけられると、側女を外に押し出して自らは中にこもり、側女への暴行を許してしまいます。翌朝レビ人がようやく玄関を開けると、側女が倒れていました。呼びかけても返事はありません。レビ人は故郷に戻ります。そこで丁重に側女を葬ると思いきや、その体を12の部分に切り離し、イスラエルの全土に送り付けてしまいます。そして、「ギブアの首長たちが自分を殺そうとし、側女を辱めた」と訴えました(20章4節以下)。自分が側女を外に押し出したことには口をつぐんで。イスラエルの人びとは「こんなひどいことは今まで見たことがない」とベニヤミン族に対して憤り、戦闘に突入してしまいます。
    ここで本当に非難されるべきは、レビ人の極度の身勝手さです。神を離れて生き、人の身勝手さが極まるところ、昔も今も「こんなひどいことは今まで見たことがない」と嘆く事態が引き起こされるのです。キリストは私たちの身勝手の罪を打ち砕き、私たちを神のもとに立ち帰らせ、こうした嘆きを終わらせてくださいます。
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  • これも「自分の目に正しい」から(士師記 18章)
    「誰があなたをここに連れて来たのか。あなたはここで何をしているのか。ここでのあなたの務めは何か。」
    (士師記18章3節)
    17章からの続きで、ダン族も「自分の目に正しいとすることを行」う者として登場します。ダン族は、ヨシュア19章で、一旦嗣業の地を割り当てられましたが、ほとんど入手できず、別の土地を探しました。彼らはライシュの町に目をつけます。穏やかで他の人びととの交渉もなく(7節)、簡単に勝てると見たからでしょう。ライシュを攻めるにあたり、精神的な支柱を求めてか、ミカの家から偶像を奪い、ミカの家の祭司も口説いて自分たちの祭司にしてしまいます。
    実は、この祭司はモーセの直系の子孫(30節)でしたが、人の強さだけを見て乗り換えてしまうのです。ミカは兵を伴い追いかけますが、ダン族が自分より強いとみるや引き返してしまいます。「自分の目に正し」ければよしという価値観に生きたミカは、同じ価値観のダン族に敗れ去ることになりました。
    ミカやダン族のような「自分こそ正義」という生き方は、周囲との衝突、力による決着を招くだけで、誰も幸せにしません。自分でなく主なる神を正しさの規準とするところにこそ人間のまことの幸いはあります。
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  • 誰が主のようなものか(士師記 17章)
    そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。
    (士師記17章6節)
    サムソンの死後、イスラエルの堕落は、あらゆる面で極まります。そして、内輪もめに終始します。
    17章にミカが登場します。これまでの士師記の流れなら新たな士師の登場かと思われます。しかし、ミカは士師とは言えません。そもそもミカという名は「誰が主のようなものか」という意味です。ミカは母の銀貨を盗み、親を敬わず、盗みをごまかすため神の名をみだりに用い、聖書の神と異なる神を考え、その像を造り、と十戒の大半を犯しています。「わたしミカこそ主だ」と言わんばかりの態度です。神礼拝の神殿すら自前で保有し、ついにはベツレヘムから寄留地を求めてやってきたレビ人を祭司に迎え、「今や主がわたしを幸せにしてくださることが分かった」と決めつけてしまいます。(13節)。これらは「自分の目に正しいとする」ならばよしとする考え方から生じました。
    生まれながらに罪のある人間の目は、愚かな判断を下してしまいます。罪を洗い流され、主の喜ばれる判断を下せる目を持つことができるよう、祈りましょう。
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  • 最後の祈り(士師記 16章)
    サムソンは主に祈って言った。「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」
    (士師記16章28節)
    最愛の女性デリラに執拗に迫られ、サムソンは彼の怪力の秘密を明かしてしまいます。彼はペリシテ人の策略により髪を剃られ、力を失い、捕らえられて両目をえぐられ、青銅の足枷をはめられ、牢屋で粉を引かせられる者となりました。
    サムソンはすべてを失い、暗黒の底におちました。そのような身となって、彼は思い起こしたのです―自分がどのような存在であったのかを。彼は神のもの、神に取り分けられた者でした。彼にとって、神がすべてであったはずでした。怪力も神の賜物であった。神の御心にかなって用いるべきであった。主なる神の御前に、彼は心から悔い改めるのです。
    ペリシテ人たちは宴会を開き、サムソンを見世物にしようとします。その場所で、彼は最後の祈りをささげます―主よ、わたしを思い起こしてください。今一度だけ力を与えてください。
    彼の髪はまた伸び始めていました。彼は建物の柱を力を込めて押し、建物は3千人のペリシテ人の、また彼自身の上に崩れ落ちました。生涯の最後に、彼はナジル人としての使命を果たしたのです。
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  • わたしの人生の出来事すべてに意味がある(マタイによる福音書 17章1-9節)
    「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。」
    (マタイによる福音書17章4節)
    暗い夜空に輝く満点の星は私たちの心に感動を与えます。ところが、もしこの光景から暗い夜空だけを切り取ってしまったらどうでしょうか。多分、星は見えなくなってしまいます。暗い夜空と輝く星は一つになってこそすばらしい光景となるのです。
    栄光に輝く主イエスの姿を目撃したペトロは、「ここに仮小屋をつくりましょう」と提案します。突然のことで驚いたペトロの思い付きは、そのまま彼の本音を表していました。ペトロはこのすばらしい出来事をいつまでもとどめておきたいと願ったのです。しかし、ここで示された主イエスの栄光の姿は、十字架と復活という主イエスの救い主としての全生涯から現れ出たものなのです。
    「自分の人生にはよいことだけが起こってほしい」というのが私たちの本音かもしれません。しかし、私たちの人生に起こるすべての出来事があって私たちの人生の本当の価値が分かります。よいことも、そうとは思えないことも含めた、すべての出来事があってです。たとえきょうの出来事が暗闇のように思えても、それもまた大切な出来事の一つだと言えるのです。
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  • 祈るサムソン(士師記 15章)
    彼は非常に喉が渇いていたので、主に祈って言った。「あなたはこの大いなる勝利を、この僕の手によってお与えになりました。しかし今、わたしは喉が渇いて死にそうで、無割礼の者たちの手に落ちようとしています。」
    (士師記15章18節)
    「これがお前たちのやり方なら、わたしはお前たちに報復せずにはいられない」(7節)。15章でもサムソンは、力にまかせてふるまっています。彼をとらえているのは報復の論理です。神は力ある方です。しかし、神が力ある方であるとはどういう意味なのか。神から与えられた怪力の賜物を、サムソンはふさわしい仕方で用いているのか。そう問わざるを得ません。
    しかし、そのような中でも、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ者として彼をお選びになったこの主の御計画は、確かな仕方で進められています。
    そのことは、この章の後半に記されている奇跡のような事実によってわかります。千人ものペリシテ人をろばのあご骨で打ち殺す。この大仕事をやってのけた後、彼は主に祈ります。喉の渇きを覚えて祈るのですが、喉の渇きは霊の渇きでもあったでしょう。力の論理に生きることのむなしさにとらえられたのでしょうか。
    ともあれ、彼は主に祈ります。主は彼を力づけてくださいます。彼は確かに「ナジル人」であったのです。
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  • 主の御計画(士師記 14章)
    父母にはこれが主の御計画であり、主がペリシテ人に手がかりを求めておられることが分からなかった。
    (士師記14章4節)
    ペリシテ人の娘に一目ぼれし、力ずくで思いを遂げようとする。ペリシテ人たちに出したなぞかけを解き明かされた腹いせに、30人もの無実の人の命を奪う。14章におけるサムソンのふるまいは破天荒と言うか、傍若無人と言うか、きわめて自分勝手です。彼は母の胎にある時からナジル人として聖別された人でしたが、そのような人の姿はここには見受けられません。
    しかし、この破天荒な、とてもナジル人にふさわしいとは見えないサムソンもまた、主のご計画の中にあったのです。ここでの彼のふるまいも、すべて彼を「ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者」(13章5節)とするために「ペリシテ人に手がかりを求めて」おられた、主の御手の支配のうちにあったのです。この時には「父母」にも、だれにもわかりませんでした。しかし、サムソンはこの後、文字通りナジル人としての尊い使命を果たすことになるのです。
    主のご計画は人の思いを超えています。主の御心の深さ、大きさ、不思議さ、はかり難さをわきまえる霊のまなざしを持ちたいのです。
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  • 賜物を主のために(士師記 13章)
    「あなたは身ごもって男の子を産む。その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。」
    (士師記13章5節)
    13章から16章は、十二人の士師たちの最後に登場するサムソンについて記します。ご自身に背いたイスラエルを、主はペリシテというきわめて手ごわい敵の手に、それも40年の長きにわたって渡されます。このペリシテの支配からイスラエルを救い出すために主が立ててくださった士師がサムソンです。
    サムソンの誕生のおり、主の使いが彼の両親に現れ、生まれてくる子はナジル人であると告げます。ナジル人。特定の務めのために聖別された人です。献身のしるしとして、ナジル人には髪の毛を切らない、酒を飲まない、死体に触れないといったことが求められました。
    献身者に求められること。それはつねに御心を求め、御心に従って生きることです。サムソンは怪力で知られた人でした。しかし、人並みはずれた能力を持つことそのものが神の人の証明であるわけではありません。怪力も神の賜物です。その賜物を、ゆだねられた働きのために、御心にかなった仕方でいかに用いるのか。サムソンはその点を問われることになるのです。主は私たちにもこのことをお問いになります。
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  • 実を結ぶための配慮をいただいて(ルカによる福音書 13章6-9節)
    「御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。」
    (ルカによる福音書13章8節~9節)
    実のならないいちじくの木。これは主イエスの言葉を聞くすべての人に関係します。3年もの間、このいちじくの木は実を結びませんでした。したがって、切り倒すという判断は当然です。神の裁きを前にして、誰もが切り倒されて当然なのです。
    しかし、園丁の執り成しによって、もう1年猶予が与えられました。期間だけではありません。この期間に、園丁によって肥料があたえられるのです。これは、3年間実を結ぶことのできなかったいちじくの木が、今度は実を結ぶことができるようになされる特別な配慮です。
    いま私たちが過ごしている時間は、このたとえでいう猶予期間にあたります。この期間には限りがあります。明日、この期間が終わってしまうかもしれません。しかし、私たちがこの限られた期間に実を結ぶことができるよう、園丁である主イエスがあらゆる配慮をなしてくださっているのです。主イエスの十字架の死もそのためでした。神は私たちの結ぶ実を心待ちにしてくださっています。主イエスの恵みへの感謝の応答という実を、きょう、このときから結ぼうではありませんか。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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