リジョイス聖書日課

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By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 天の国の伝道はガリラヤで始まる(マタイによる福音書 4章12-25節)
    「ゼブルンの地とナフタリの地、
    湖沿いの道、ヨルダンのかなたの地、
    異邦人のガリラヤ、
    暗闇に住む民は大きな光を見、
    死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
    (マタイによる福音書4章15節-16節)
    洗礼者ヨハネが捕らえられ、主イエスをめぐる状況は風雲急を告げます。主イエスはガリラヤのカファルナウムに行かれました。ガリラヤは外国に支配された歴史があり、その文化・宗教の影響が残っていました。そのため、「異邦人のガリラヤ」と呼ばれていました。主イエスはこの辺境の地で伝道の第一声を上げられました。
    それは、預言者イザヤが語ったとおりでした。「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」。ユダヤ人にとって「光」は救い主を意味しました。彼らが捨てて顧みることのなかったガリラヤに、救い主である主イエスは現れたのです。
    「悔い改めよ。天の国は近づいた」。主イエスの伝道は、希望に見放された人びとに天の国の訪れを告げることから始まりました。さらに、主イエスのなさる癒しや悪霊追放を目の当たりにした人びとは、天の国は自分たちの間に到来していることを知りました。
    辺境のガリラヤで始められた天の国の伝道は、その後、世界の各地で推し進められ、私たちにも伝えられました。
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  • 豪華商船の沈没(エゼキエル書 27章)
    お前の富、商品、物品、船乗り、水夫、水漏れを繕う者、物品を交換する者、船上のすべての戦士、すべての乗組員たちは、お前が滅びる日に海の真ん中に沈む。
    (エゼキエル書27章27節)
    ここでは、ティルスが豪華な商船に見立てられ、その繁栄ぶりが描かれています(4~10節)。諸国の富と人材が流れ込み、ティルスは繁栄の絶頂にありました。その姿は自ら「美しさの極み」と称するほどでした。世界中の富が交易品としてティルスを介して行き交っていきました(11~24節)。ティルスはさながら世界の中央市場のようでした。
    しかし、その豪華な商船ティルス号は海の真ん中で突然の東風に打たれ、全ての積み荷と乗組員を乗せたままあっという間に沈んでしまうのです。それはバビロンのネブカドレツァル王の攻撃を表しています。ティルスの繁栄にあずかっていた人びとは皆、叫び悲しみ、恐れおののきます。そして諸国の民の商人たちは口笛を吹いてあざけるのです。自らを「美しさの極み」と称するような傲慢は、そのようにして打ち砕かれたのです。
    主イエスが「虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない」(マタ6章20節)天に富を積むことの大切さを教えてくださったことを、私たちは思い起こしたいと思います。
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  • 打算の罪に対する裁き(エゼキエル書 26章)
    「人の子よ、ティルスがエルサレムを嘲る。『ああ、諸国民の門であったお前は打ち破られ、わたしのものになった。わたしは富み、お前は廃れる。』」
    (エゼキエル書26章2節)
    エゼキエル書26章から28章には、主にティルスの滅亡に関する預言の言葉が記されています。
    フェニキアの主要都市であったティルスは本土から離れた岩の島を本拠とし、良い港を持つ商業の中心地であり、難攻不落の要塞でもありました。そのティルスが、「諸国民の門」(2節)として政治と通商の中心地であったエルサレムが滅ぼされたことにより、交易の利潤を独り占めできると喜び、嘲ったのです。そしてそのようなティルスの非情な打算的罪を神は裁かれ、バビロンとその同盟軍の来襲によって徹底的に破壊され、「人が探し求めても、お前は永久に見いだされることはない」と告げられているのです(21節)。
    このような経済中心の非情な打算の罪は、現代社会をも広く覆っているのではないでしょうか。自己の利益のみを追求して他人を憐れむことをしない者たちは、やがては厳しい裁きを身に招くことになります。この世界は神によって造られた世界であり、人間は分かち合い、助け合い、共に生きる者として造られたのだということを、常に心に覚えたいと思います。
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  • 復活の主が共に、終わりまで(マタイによる福音書 28章)
    「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
    (マタイによる福音書28章20節)
    主イエスは、ご自分につまずいた弟子たちをそのままにしてはおかれませんでした。約束どおり復活の後、ガリラヤで彼らに会ってくださり、新しい使命をお与えになったのです。
    十一人の弟子たち、その中には三度も主を知らないと言ってしまったペトロもいます。この時には、疑う者もいました。その彼らが、最初に弟子として召されたガリラヤで復活の主にお会いし、世界宣教へと送り出されることになります。主イエスは、弱さのゆえにつまずいた弟子たちを、十字架と復活の恵みによって新しく立ち直らせ、ご自分の弟子として歩むことができるようにしてくださったのです。主イエスは弟子たちに、使命と同時に約束を与えてくださいました。それは、復活の主が世の終わりまで共にいてくださるという約束です。
    私たちの教会には欠けもあり、弱さもあります。しかし復活の主が、世の終わりまで共にいてくださいます。この約束に支えられて、私たちの教会も、そこに連なる私たち一人ひとりも、主の召しに応えて、終わりの日まで歩み続けることができるのです。
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  • 私たちが見捨てられないために(マタイによる福音書 27章)
    三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
    (マタイによる福音書27章46節)
    主イエスが十字架にかけられたとき、周囲の人びとは、「他人は救ったのに、自分は救えない。…今すぐ十字架から降りるがいい」と言って主を侮辱しました。主イエスは十字架から降りようと思えばそうすることがおできになります。しかし、あえて十字架の苦しみを最後までお受けになり、死んで陰府に降られました。主イエスご自身が、「神に見捨てられる」という苦しみをお受けになったのです。
    私たちは、信仰生活をしていくときに、試練の中でも信仰を貫いていく自分の姿を思い描くことはないでしょうか。しかし私たちも、ペトロがそうであったように、いざとなれば主イエスを否定し、主を捨ててしまう弱さを持ってはいないでしょうか。生まれながらの私たちは、そのままでは神に見捨てられるほかない者です。しかし、主イエスが私たちの身代わりに、「神に見捨てられる」という何よりも悲惨な苦しみを引き受けてくださいました。それが十字架です。主イエスがすべてを引き受け、担ってくださいました。だから、私たちはどんなときにも神に見捨てられることは決してないのです。
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  • つまずきの中で知る主の恵み(マタイによる福音書 26章)
    ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。
    (マタイによる福音書26章75節)
    主イエスはペトロに、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と予告なさいました。これに対してペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と断言します。彼は、自分がどのような試練に遭っても、主に従い通すことができると思っていました。自分がつまずくなどあり得ないと、自信を持っていたのです。しかし、結果は正反対でした。主の予告どおり彼はつまずいてしまいます。
    その時、ペトロは激しく泣きました。「呪いの言葉」さえ口にする自分に失望して。
    しかし、主イエスは、つまずきを予告されると同時に、「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」と約束されていました。
    復活の主が、かつてペトロを弟子にしたガリラヤで、再び彼を迎え、伝道者として立たせてくださるのです。ペトロが激しく泣いたのは、自分の力に頼っていた彼の自信が、もろくも崩れ去った瞬間でしたが、同時にそれは、復活の主の御力によって立ち上がらせていただく、新しい出発の時でもあったのです。
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  • 忠実な良い僕だ(マタイによる福音書 25章)
    「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」
    (マタイによる福音書25章21節)
    私たちは神から、それぞれ賜物を与えられています。いろいろな才能、能力、そして何よりも神を信じる信仰、それらはすべて神からの賜物です。
    それらは、決して小さいものではありません。一番金額の少ない人が預かった1タラントンでも、6千日分の賃金でした。それにもかかわらずその人は、預かったお金を穴に埋めて隠してしまいました。彼が主人のことを「蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方」だと思ったからです。けれども私たちの主人である神は、決してそのようなお方ではありません。神は、賜物を用いて生きる私たちを、温かいまなざしで見てくださっています。終わりの日には私たちを、「良い忠実な僕」として喜んでくださり、私たちに「天の御国」の財産を管理させてくださるのです。それは今、地上で与えられている賜物とは比較にならないほど大きなものです。その日を共に目指して歩みましょう。
    私たちの賜物は、神のあたたかい愛によるものです。この神に信頼して主にお会いするその日まで、与えられた賜物を生かして歩みましょう。
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  • 世の罪を取り除く神の小羊(ヨハネによる福音書 1章29-42節)
    イエスは、「来なさい、そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後4時ごろのことである。
    (ヨハネによる福音書1章39節)
    二人の弟子を伴っていたヨハネは、歩いておられる主イエスに目を留めて、「見よ、神の小羊だ」と言いました(36節)。これを聞いた弟子たちは、即座に主イエスに従う決心をしました。主イエスは振り返って、彼らに「来なさい、そうすれば分かる」と声をかけられます。こうして、彼らは主イエスのもとに泊まることになったのです。
    ヨハネによる福音書において、「宿る」、「泊まる」という言葉は特別な意味をもっています(14節、39節)。「泊まる」とは主イエスとともに過ごして、人格的な交流をもつことを表します。
    主の日に私たちは礼拝をささげます。私たちは説教で語られる御言葉によって主イエスというお方を知るように、礼拝に招かれるのです。しかし、ただ知識を増し加えることが、私たちに信仰をもたらすのではありません。礼拝には主イエスの霊である聖霊が注がれます。この聖霊によって、私たちは主イエスというお方がキリストであることに眼が開かれるのです。ですから、私たちも、主の日のたびに、「私たちはメシアに出会った」と言い表すことができるのです。
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  • あなたを憎む者になすべきこと(箴言 25章)
    あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。
    渇いているなら水を飲ませよ。
    こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。
    そして主があなたに報いられる。
    (箴言25章21節-22節)
    これは、ローマの信徒への手紙12章20節に引用されている御言葉です。「あなたの敵を愛せよ」(マタ5章44節)という教えは、主イエスが初めて語られたことではなく、すでに旧約聖書の教えの中にあったものです。レビ記19章18節にも、「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である」と言われています。ここで言われている隣人とは、敵対する人びとをも含みます。
    ですから、主イエスは、ルカによる福音書10章で、良きサマリヤ人のたとえをお語りになったときにも、あえて敵対しているサマリヤ人の善行を引き合いに出して、「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と言われたのです(36節)。
    私たちが敵とみなし、見下しているような人であっても、神の目には尊い人であり、そうした身近な一人ひとりの隣人となることを、神は願っておられるのです。さらに、神は、私たちを憎む者、罪を犯している者が、その罪を認めて、悔い改めをもって生きるようになることを願ってもおられます。
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  • 七転び八起き(箴言 24章)
    神に従う人は七度倒れても起き上がる。
    神に逆らう者は災難に遭えばつまずく。
    (箴言24章16節)
    神に従う人は倒れないということではありません。神を信じていても、災害に遭うこともあれば病気になることもあります。時として思わぬ試練に遭遇することもあることでしょう。周りの人びとから理解されないで、辛い思いをすることもあることでしょう。それだけではなく、絶望し、倒れてしまうこともあります。
    しかし、私たちの苦しみや痛み、弱さをご存じである神が、あなたと共にいてくださいます。そして、慰め、守り、立ち直らせて、起き上がらせてもくださいます。きょうの聖句は、神を信じる私たちの確信であり、神の約束でもあります。
    ローマの信徒への手紙8章には、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」とあります(28節)。今、あなたがどのような現状にあるとしても、神はそのすべてのことを用いて、やがてはそのすべてが益になるように導いてくださるという約束です。この約束を信じて、希望を抱いて生きる者が、神の民、私たちキリスト者です。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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