リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 隣人に「なる」(ルカによる福音書 10章25-37節)
    しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。…「さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
    (ルカによる福音書10章29節,36節)
    聖書では隣人を愛することが大切だと勧められています。そして、ユダヤ人にとって隣人とは、同胞であるユダヤ人のことでした。しかし、主イエスは隣人愛について話すに当たって、あるサマリア人が瀕死の人を助けたという話をしました。サマリア人とユダヤ人は互いを敵視し合っていました。それなのに主イエスは、サマリア人が隣人愛を実行したという話を、ユダヤ人に対してしたのです。
    「わたしの隣人とは誰ですか」という問いは、自分にとって隣人である人もおり、そうでない人もいるという認識を前提にしています。それに対して、主イエスは、目の前にいる人と「隣人になる」という話をしました。隣人愛とは、それに当てはまる人と当てはまらない人を線引きした上で行うことではないということです。私たちは、神がその人を造られ、神がその人をこのわたしと同じように愛しておられるから、その人の隣人になります。
    何より、主イエスが、私たちがどのような者であろうとも私たちの隣人になってくださるお方です。ですから、私たちは出会った人の隣人になるのです。
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  • 底なし沼からの叫び(詩編 69編)
    神よ、わたしを救ってください。
    大水が喉元に達しました。
    わたしは深い沼にはまり込み
    足がかりもありません。
    大水の深い底にまで沈み
    奔流がわたしを押し流します。
    叫び続けて疲れ、喉は涸れ
    わたしの神を待ち望むあまり
    目は衰えてしまいました。
    (詩編69編2節~4節)
    詩人は自分の人生を嘆きます。苦難を底なし沼に譬えて嘆きます。「大水、深い沼、大水の深い底、奔流」。詩人は、弱り果てている中から、救助を神に嘆願します。「深い沼」は「泥沼」を意味し、「滅びの穴」とも呼ばれます。もがけばもがくほど深みにはまり込んでゆく苦難、もはや生きては帰れない死の門から詩人は叫びます。「泥沼にはまり込んだままにならないように、わたしを助け出してください。わたしを憎む者から、大水の深い底から助け出してください。奔流がわたしを押し流すことのないように、深い沼がわたしをひと呑みにしないように、井戸がわたしの上に口を閉ざさないように」(15、16節)。それらに脅かされている詩人は、自分の孤独と絶望のリアリティを、井戸に突き落とされ、上からふたをされてしまいそうなイメージで嘆くのです。
    しかし、詩人は神が必ず嘆願を聞いてくださり、祈りに答えてくださることを確信して、苦しみの中で視線を神に向けます。祈りの苦闘を通過した今、詩人は新しい信仰の次元に立って創造主なる神をほめたたえ、賛美と感謝をささげます。
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  • 神の行進が見えた(詩編 68編)
    神よ、あなたの行進が見える。
    わたしの神、わたしの王は聖所に行進される。
    歌い手を先頭に、続いて楽を奏する者
    おとめらの中には太鼓を打つ者。
    聖歌隊によって神をたたえよ
    イスラエルの源からの主を。
    (詩編68編25節~27節)
    「イスラエルの源」とは「民族の源泉」、「国家の起源」という意味です。神がアブラハムを選ばれた大昔から、イスラエルの共同体に十戒を授けられたモーセ時代を経て、エルサレムに国家の基礎を据えられたダビデ時代に至るまで、主は「わたしはある」、「わたしは共にいる」と語りかけ、ご自分の民を救われました。
    この方をたたえることが礼拝の目的です。「聖歌隊」には「大勢の礼拝に集う会衆」という意味もあります。聖歌隊と礼拝会衆が一つになって、主なる神を賛美するのです。娘らはタンバリンを打ち鳴らし、竪琴を奏でる者らがその前を進み、賛美を歌う人びとが先頭を行く。
    それを見て詩人は歌います。「神よ、あなたの行進が見える。わたしの神、わたしの王は聖所に行進される」と。「行進」とは「行列をなして前進する」という意味です。神殿へ入ってゆく会衆の行列と共に、目に見えない霊なる神の前進を「しかと見た」のです。礼拝共同体は、自分たちの行列に、主なる神の臨在と、同行と、前進とを「確認した」のです。今も私たちと共に主が行進してくださっていることを覚えます。
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  • 大地は作物を実らせた(詩編 67編)
    大地は作物を実らせました。
    神、わたしたちの神が
    わたしたちを祝福してくださいますように。
    神がわたしたちを祝福してくださいますように。
    地の果てに至るまで
    すべてのものが神を畏れ敬いますように。
    (詩編67編7節~8節)
    「大地は作物を実らせた」。この一言を過去の出来事と受け取り、収穫を感謝して歌うことができます。作物は穀物と葡萄を指します。イスラエルの定住地では、毎年春の4月頃に大麦の収穫が始まり、小麦の収穫が続きます。神の民は、収穫した穀物の初穂を神殿祭司のところに携えてゆき、神に感謝をささげました。大麦の収穫の頃に「過越祭」、小麦の収穫の頃に「七週祭」、葡萄の収穫が終わると「仮庵祭」。神の救いの業を想い起こし、子孫に語り継ぎ、神殿の庭で祝うのです。
    同じ一言を、現在の恵みと将来の望みに受け取ることもできます。ダビデ・ソロモン時代の祝福の後、王国滅亡と神殿崩壊の呪いを味わった神の民は、自らの不従順による苦難を嘆き、それを試練と受けとめました。捕囚の地バビロンで、「大地は作物を実らせている」。廃墟となった都エルサレムでも、「大地は作物を実らせるに違いない」。穀物と葡萄は神の恵みの証、主の臨在のしるしです。額に汗して畑を耕し、収穫を得るたびに、そこに主が共にいてくださいます。
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  • 我らの足はよろめいた(詩編 66編)
    神は我らの魂に命を得させてくださる。
    我らの足がよろめくのを許されない。
    (詩編66編9節)
    「よろめく」とは「揺らぐ」「滑る」という意味で、神の民の歩み、共同体の足取りを譬えます。神の民は先祖も子孫も、抗うことのできない不幸へ足を滑らせます。共同体は昔も今も、圧倒的な災難に遭い、足もとが揺らぎます。信仰者は誰も彼も、死へと足取りがよろめくのです。
    しかし、神はそれをお許しになりません。よろめく信仰者を罰することも、失格とみなすこともありません。主は「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すこと」もないのです(イザ42章3節)。
    神の民が足を滑らせても、神は、彼らが死へと落ち込むことを許可なさいません。彼らの魂に命を得させてくださいます。ご自分の民を死から守ろうとなさり、共同体の足取りを命へ導こうとなさいます。主の憐れみと慈しみによって、神の民は罪の捕囚から解放され、共同体は神の平和に帰還するのです。そして、信仰者は礼拝に復帰し、たとえ足がよろめくことがあっても、喜びの叫びをあげることができるのです。私たちに命を得させてくださる主に全幅の信頼をおいて、きょうも歩みましょう。
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  • 神の水路は水をたたえ(詩編 65編)
    あなたは地に臨んで水を与え
    豊かさを加えられます。
    神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。
    あなたがそのように地を備え
    畝を潤し、土をならし
    豊かな雨を注いで柔らかにし
    芽生えたものを祝福してくださるからです。
    (詩編65編10節~11節)
    神の民の喜びの叫びは、天地にこだまします。創造主なる神は、世界の統治者・歴史の支配者であり、摂理の神の恵みは、神の民から全人類へと広がります。そのイメージとして「神の水路は水をたたえ」と歌われます。
    神の民の心には、天に届く高い山がそびえ、その頂にある湖から、神の恵みが大きな川となって、エルサレムの神殿に流れ下ります。神は全世界・全歴史をご自分の畑とし、これに心を寄せ、そこに用水路を引かれます。農夫さながら、血を流すほどに、主は汗を流されます。
    神に選ばれ召された人は、水のない地を流れる水路、畑の隅々に恵みの命を行き巡らせるための用水路とされ、神の救いの業に奉仕します。神の恵みの水がすべてを潤します。
    「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハ4章14節)。こう語られた方は生きておられます。神の子イエス・キリストは、全世界と全歴史を潤すための神の水路です。
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  • 主を避けどころとする(詩編 64編)
    主に従う人は主を避けどころとし、喜び祝い
    心のまっすぐな人は皆、主によって誇ります。
    (詩編64編11節)
    「主に従う人」とは「主に結ばれて正しい者」という意味で、詩人本人の自己意識です。神の御前に自分は正しくない人間、御言葉に照らして義ではない罪人です。しかしわたしは、神の憐れみによって罪を赦された者、主の慈しみによって義と認められた僕です。
    この恵みにあずかってきた詩人は、自分に言い聞かせます。「わたしは主を避けどころとし喜び祝う」、「罪人をして神を喜び祝わせよ」、「僕をして主を避けどころとさせよ」と。「避けどころとする」という動詞は「隠れ家を捜し求める」という意味です。ただ神の憐れみによって罪を赦されたわたしは、神のみをわたしの避難所として捜し求めよう。ただ主の慈しみによって義と認められた僕は、自分の隠れ家として主を得ることのみに努めよう。そうすることのみ喜び祝おう。
    そう自分に言い聞かせた詩人は、「主によって誇る」と礼拝に集う人々に呼びかけます。「主を喜び合う」、「互いに神を誇りとする」という意味です。主を喜び合うことのできる仲間に囲まれた人は、何と幸いなことでしょう。
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  • 実りを刈り取る(ルカによる福音書 10章1-12節)
    その後、主はほかに72人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に2人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
    (ルカによる福音書10章1~2節)
    主から遣わされて伝道するなら豊かな収穫があると約束されています。現実がそうではないように思えるのは、「働き手が少ない」からです。そして、この働き手は「収穫のための働き手」であると言われています。
    私たちが「伝道の実りが少ない」と言うとき、私たちは荒れ地を耕すところから始めようとしていないでしょうか。私たちは時として、荒れ地を耕して畑にし、種を蒔いて作物の世話をして実らせることばかりに熱心を傾けているのではないでしょうか。しかし、不足しているのは「収穫のための働き手」なのです。「収穫の主」である神が実らせてくださった作物を刈り入れるのが「収穫のための働き手」です。
    私たちは、荒れ地を耕し、種を蒔き、作物の世話をすることに励んできました。「収穫の主」は私たちに収穫をさせるために、私たちの一つ一つの働きに御手を添えてくださり、豊かな実りを備えてくださっています。それを信じて、感謝しつつ集めましょう。そこに、「収穫は多い」という約束が実現するのです。
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  • 主の御計らいを何一つ忘れてはならない(ヨシュア記 12章)
    ヨシュアの率いるイスラエルの人々がヨルダン川のこちら側、すなわち西側で征服した国の王は次のとおりである。ヨシュアは、レバノンの谷にあるバアル・ガドからセイル途上にあるハラク山に至る地域をイスラエル各部族にその配分に従って領地として与えた。
    (ヨシュア記12章7節)
    「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」(詩103編2節)。この勧めに応えるように、12章では、主の良いご配慮によって与えられた勝利の一つ一つが数え上げられています。
    1~6節は、モーセが率いた時期のイスラエルの勝利です。その詳しい記録は申命記2、3章にある通りです。7節からは、ヨシュア率いるイスラエルに与えられた勝利です。イスラエルの民に王はいませんでしたが、31名の王たちを打ち破りました。
    振り返ってみますと、このときからおよそ50年前、パランの荒れ野のカデシュに宿営していたイスラエルは、不平を言い、泣き明かし、約束の地に上って行くことを拒否しました。カナン偵察から戻って来た十人の報告を受け入れて、彼らは言いました。「上って行ったなら、我々はきっと食い尽くされてしまう。勝ち目はない…」(民13、14章参照)。けれども、時至って、主は約束の地の一つ一つを、約束どおり勝ち取らせてくださいました。
    主の御計らいを忘れてはならない。私たちは主の御計らいを数え上げて歩みます。
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  • 勝利への道(ヨシュア記 11章)
    主はヨシュアに言われた。
    「彼らを恐れてはならない。わたしは明日の今ごろ、彼らすべてをイスラエルに渡して殺させる。あなたは彼らの馬の足の筋を切り、戦車を焼き払え。」(ヨシュア11:6)
    (ヨシュア記11章6節)
    カナン南部連合軍敗北の知らせを受けて、北部の盟主ハツォルの王ヤビンは北部連合軍の結成を呼び掛けました。すると、この地方全域の王たちがこぞって応えます。こうして、軍馬・戦車もそろった浜辺の砂の数ほどの大軍がイスラエルに向かって来ました。軍事力の差だけを見れば民に勝ち目はありません。しかし、このときも彼らは勝利を得たのです。
    そこには二つの理由がありました。一つは、長い年月にわたるこの戦いを忍耐をもって戦い続けたことです(18節)。もう一つは、主の御告げにきっちりと従い通したことです。貧弱な装備しかなかった民にとって、敵から勝ち取った軍馬と戦車はまことに目に好ましかったでしょう。馬に引かせる戦車は、そこから兵士が矢を射かけてくる、当時最強の兵器でした。しかし、彼らは命じられた通りに馬の足の筋を切り、戦車を焼き払ったのです(9節)。
    「恐れてはならない」と告げておられる勝利者なる主への信頼と、心からなる服従こそ、民の勝利への道でした。私たちは、目に見える好ましさを求めるのではなく、主に従順な歩みを祈り求めます。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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