リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 試みも恵みとする(申命記 13章)
    預言者や夢占いをする者が…しるしや奇跡を示して、…実現し…「あなたの知らなかった他の神々に従い、これに仕えよう…」と誘われても、…耳を貸してはならない。…主はあなたたちを試し、心を尽くし、魂を尽くして、あなたたちの神、主を愛するか…知ろうとされる…。
    (申命記13章2節~4節)
    申命記では、この章から約束の地における具体的な生活のあり方を定める律法が語り始められます。ここでは、献げ物との関連で、肉の取り扱い方について丁寧な解説がなされています。基本は血を食べないことです。しかし、より重要なのは通常の食事とは異なり、神との会食は神の選ばれた場所においてなされるべきことが3回も繰り返されていることです(5、14、26節)。
    それは、礼拝が食欲を満たすための気楽な普段の食事とは違い、神にお会いいただくために出かける特別な時であることを意味しています。けれども、それは、ただかしこまって神の御前に立つことではありません。7節に「主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい。あなたの神、主はあなたを祝福されているからである」とあるとおり、神の祝福を皆でかみしめる特別に楽しく嬉しい時です。
    新約の神の民である私たちも神を礼拝することにおいては同じです。私たちも礼拝において、いただいた祝福をかみしめつつ、聖霊に導かれて、喜びを味わいます。
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  • 自分の都合ではなく(申命記 12章)
    あなたは、自分の好む場所で焼き尽くす献げ物をささげないように注意しなさい。ただ、主があなたの1部族の中に選ばれる場所で焼き尽くす献げ物をささげ、わたしが命じることをすべて行わなければならない。
    (申命記12章13節~14節)
    申命記では、この章から約束の地における具体的な生活のあり方を定める律法が語り始められます。ここでは、献げ物との関連で、肉の取り扱い方について丁寧な解説がなされています。基本は血を食べないことです。しかし、より重要なのは通常の食事とは異なり、神との会食は神の選ばれた場所においてなされるべきことが3回も繰り返されていることです(5、14、26節)。
    それは、礼拝が食欲を満たすための気楽な普段の食事とは違い、神にお会いいただくために出かける特別な時であることを意味しています。けれども、それは、ただかしこまって神の御前に立つことではありません。7節に「主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい。あなたの神、主はあなたを祝福されているからである」とあるとおり、神の祝福を皆でかみしめる特別に楽しく嬉しい時です。
    新約の神の民である私たちも神を礼拝することにおいては同じです。私たちも礼拝において、いただいた祝福をかみしめつつ、聖霊に導かれて、喜びを味わいます。
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  • 身を挺して私たちを守られる方(ルカによる福音書 13章1-9節)
    「園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
    (ルカによる福音書13章8節~9節)
    ここでは二つの悲しい事件が語られます。人びとはこれらの事件が、亡くなった者たちの罪深さに起因する神からの罰であると考えました。
    しかし、主イエスはその考えを真っ向から否定し、いちじくの木のたとえを話されます。実らないいちじくの木は役に立たないため、切り倒されてしまいます。しかし園丁は身を挺して木を守ります。この園丁は主イエスであり、実らない木は私たちです。実らず役に立たない木は、本来ならばすぐに捨てられます。しかし主はそのような私たちを、身を挺して守ってくださいます。それどころか、やがて主御自身が切り倒されてしまいます。
    災難や不幸に遭うと、自分の行いが悪かったからバチが当たったと感じることがあります。逆に良いことがあれば、自分の信仰深さが示されたと感じることもあります。しかし神はそのような因果応報なお方でしょうか。
    いいえ、神は人の弱さや脆さを責め立てるお方ではありません。むしろ一番近いところで守ってくださるお方です。私たちはこの守りの主に信頼し、立ち帰るのです。
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  • 今日、祝福を選びなさい(申命記 11章)
    あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける。
    (申命記11章27節~28節)
    天地万物をお造りになった神御自身がくださる、確かで豊かな祝福です。その祝福に私たちは招かれています。
    「あなたは、あなたの神、主を愛し、その命令、掟、法および戒めを常に守りなさい」(1節)。ルール違反をしないように、びくびく恐れて守るのではありません。「主を愛し」て、命令を守るのです。なぜなら主は、紅海を割り、迫りくるエジプト軍を滅ぼし、荒れ野で私たちの信仰の祖先を養われた、大いなる神だからです。
    私たちは、「主の訓練を知ることも見ることもない子孫」(2節)ではありません。私たちもまた、万事休すと思われた時に道を用意され、折にかなう助けと戒めにより、困難を乗り越え、誘惑から守られて、今日に至っているのではないでしょうか。
    「あなたたちは、わたしが今日命じるすべての戒めを守りなさい。こうして、あなたたちは勇ましくなり…得ることができる。こうして、…乳と蜜の流れる土地で、あなたたちは長く生きることができる」(8、9節)。
    私たちの造り主、救い主である神御自身を愛し、御旨に従い、主が用意されている祝福にあずかりましょう。
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  • あなたは、わたしに従いなさい(ヨハネによる福音書 21章)
    ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」
    (ヨハネによる福音書21章21節~22節)
    ペトロは、他の人のことが気にかかって仕方がなかったようです。「あの人は、この人はどうだろう。私と比べてあの人は、この人は、どれほど主から愛されていることだろうか」。
    私たちもしばしば、他の人のことが気にかかって仕方がなくなります。「あの人は私よりも優れている」。「あの人は私よりも主からの恵みをより多くいただいている」。「あの人は私と比べると、本当に主によく仕えている。それにひきかえ私ときたら、てんでなっていない」。
    人と比べて、落胆したり、嘆いたり、はたまた、いい気になったり。私たちは本当に不自由な存在です。絶えず、他の人と比べて、自分の幸せ、満足を得ようとします。ペトロに言われた主の言葉は、そのような私たちへの言葉でもあります。
    「あなたは、わたしに従いなさい」。「あなたは」が強調されています。「他の人のことは気にしなくてよい。あなたは、他ならぬあなたは、わたしについて来なさい。他の人のことを気にせず、あなたは、わたしイエスについて来たらいい」。そのように主イエスはおっしゃっています。
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  • あなたがたに平和があるように(ヨハネによる福音書 20章)
    その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
    (ヨハネによる福音書20章19節~20節)
    「あなたがたに平和があるように」。復活の主イエス・キリストは、そうおっしゃって、いつも私たちに近づいてくださっています。
    何かに恐れ、不安に陥り、私たちも弟子たちと同じように、しばしば心に鍵をかけて、他人が入って来られないように隠れます。自分の殻の中に引きこもって、うずくまることがあります。しかし、どれほど堅く鍵を閉めても、復活の主イエスは、私たちの鍵のかかった心の部屋にすっと入ってこられます。そうして主イエスは、御自分の手とわき腹とをお見せになって、私たちの魂に語りかけてくださいます。「あなたがたに平和があるように」と。
    今、私たちは肉眼で復活の主イエスの手とわき腹の傷を見ることはできません。しかし、信仰の目を見開くとき、主が私たちの傍らに立って、手とわき腹の傷をお見せくださっていることを信じられるのではないでしょうか。
    復活の主はおっしゃいます。「心配するな。大丈夫。あなたの不安も恐れも、罪にさいなまれる思いも何もかも、わたしは十字架で処理した。安心して行きなさい。わたしはいつもあなたと共にいます」。
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  • まことの小羊(ヨハネによる福音書 19章)
    そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう1人の男との足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。しかし、兵士の1人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。
    (ヨハネによる福音書19章32節~34節)
    十字架にかかった犯罪人が死ぬには長い苦しみのときが必要でした。でも、翌日は過越を祝う特別の安息日。ユダヤ人たちは、早急に十字架上の人びとが死んで、遺体が十字架から降ろされることを願いました。そこで、当時死期を早めるために用いられた手段が、足を折るという残虐な手段です。大きな槌のようなもので激痛を与えて足を折る。ショックで死ぬ。あるいは、十字架にかけられた体を支える足が折られると、体の重みが一気に上半身にかかり、死期が早まったようです。
    ユダヤ人たちは2人の犯罪人の足を折りました。しかし、主イエスは既に死んでおられたので、足を折る必要がありませんでした。福音書記者ヨハネは、過越の小羊と主イエスとを結び合わせています。「1匹の羊は1軒の家で食べ、肉の一部でも家から持ち出してはならない。また、その骨を折ってはならない」(出12章46節)。
    そのとおり、主イエスの足の骨は折られることがありませんでした。この方こそが「世の罪を取り除く神の小羊」であられることを、ヨハネは私たちに伝えたいのです。
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  • 鶏が鳴いた(ヨハネによる福音書 18章)
    シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々が、「お前もあの男の弟子の1人ではないのか」と言うと、ペトロは打ち消して、「違う」と言った。…「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。
    (ヨハネによる福音書18章25節~27節)
    主イエスはペトロに言われました。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる」。ペトロは豪語しました。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」。主はおっしゃいました。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは3度わたしのことを知らないと言うだろう」(13章36~38節)。
    ペトロは、主の十字架の道について行けると思っていました。しかし、主はよくご存じでした。まだ、ペトロは主について行くだけの準備はできていなかったのです。
    主がおっしゃったとおり、主が捕らえられると、ペトロは3回、「あの人の弟子ではない、あの人のことを知らない、あの人とは関係ない」と、主との関係を否定しました。
    ペトロは本心から、自分は命をかけてでも主について行くと思っていましたが、準備が整うまでは、私たちには主に従いゆく力はないのです。けれども、主が、やがて私たちが主について行けるようにと、忍耐の限りをつくして、私たちを整えてくださいます。
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  • 一つとなる(ヨハネによる福音書 17章)
    「わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。…わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。…世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。」
    (ヨハネによる福音書17章11節~13節)
    父なる神と御子イエスは、永遠から父・子の交わりの内に一体です。この父・子の交わりのなかに私たちをも入れて一つにしたい。ですから、何度も「一つとなる」と、主イエスは繰り返されます。
    「わたしはみもとに参ります。…わたしたちのように、彼らも一つとなるためです」。「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。…わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです」。
    父と御子の愛の交わりの内に招かれた私たちは一つとされます。そして、愛の交わりの内に一つとされたキリストの共同体として生かされます。
    父は御子を、御子は父を限りなく愛します。キリストの体に結合されて一つとされた私たちもまた、互いに愛し合う共同体とされています。互いに愛し合う共同体として生きるとき、私たちの喜びは、世の人をも巻き込んでいきます。彼らもこの喜びを求めるようになるからです。
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  • めん鳥が雛を羽の下に集めるように(ルカによる福音書 13章31-35節)
    エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。
    (ルカによる福音書13章34節)
    主イエスは「今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、3日目にすべてを終える」ために、この世へやって来られました。しかし、主を否定し、殺そうと企む者がいます。その事実に対して、主は嘆きの言葉を語ります。なぜなら、主を拒む者たちの先には滅びがあるからです。主はここで御自分を否定する者たちを裁こうとしているのではありません。むしろ、彼らが自ら滅びの道を選び取り、突き進んでいることに嘆きを覚えています。
    そして、主を拒むことを、かつて預言者たちを拒み殺してきた者たちと同罪であると嘆きます。それは、ヘロデや当時のユダヤ人だけの問題ではなく、今、私たちにも問われていることです。
    主はここで、私たちが主を拒んでしまうことを責め立てようとしているのではありません。主を拒んでしまう私たちを、なおその御翼の下に集めようと呼びかけておられるのです。母鳥の羽の下はとても落ち着くところです。そこは温かく、また母の愛の音がドクンドクンと聞こえるからです。私たちもいよいよ、その御翼の下で安らぎを得たいものです。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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