リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 神の守りの中で生きる訓練(申命記 8章)
    あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。
    (申命記8章5節)
    私たちは神の子です。「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです」(ロマ8章14節)と書いてある通りです。
    40年にわたる荒れ野の旅を通して、神は子どもを愛する父親のようにご自分の民を訓練なさいました。聖書にはこう書いてあります。
    「あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか」(ヘブ12章7節)。私たちは、神の子とされており、実の子なのです。神は、私たちをそのように扱って、訓練してくださいます。
    きょうの聖書の言葉には、「あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい」とあります。約束の地へと導いてくださる主の訓練に注意深く心を留めることが大切です。40年の荒れ野の旅路を通して、イスラエルの民が学んだことは、神の守りの中で生きる喜びでした。その訓練を通して、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きること」を学びました(8章3節)。
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  • ただ中におられる主(申命記 7章)
    彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主はあなたのただ中におられ、大いなる畏るべき神だからである。
    (申命記7章21節)
    神は、大いなる畏るべき神です。このことは、とても大切なことです。本当に畏るべき神を知ることは知恵の初めです(箴1章7節)。それは、神以外の何ものかを恐れることから私たちを解放する道なのです。こうして、私たちは真の知恵へと導かれます。
    私たちの究極の敵はサタンです。サタンは恐るべき敵で、恐怖によって人を支配しようとします。もし、私たちがサタンに恐怖を感じているとすれば、まだ本当には、神を畏れていないということなのです。ですから、神のみを畏れる訓練をしましょう。
    まわりをぐるっと敵に囲まれることを想像してください。その時、私たちを守るのは、「主が」私たちの「ただ中におられ」るという事実です。主が私たちのただ中におられること、これが慰めであり励ましです。
    「2人または3人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」とイエス・キリストは言われました(マタ18章20節)。主がただ中にいてくださるという事実、これが、慰めであり励ましです。まわりの敵からの守りです。
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  • 主を愛しなさい(申命記 6章)
    聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
    (申命記6章4節~5節)
    主は唯一の神です。この故に、偶像礼拝は固く禁じられています。偶像礼拝こそ、諸悪の根源なのです。
    わたしは沖縄に暮らして思います。戦争は偶像礼拝と結びついています。第二次世界大戦時のドイツの状況、日本の状況は、戦争が偶像礼拝と結びついていることの証拠です。ナチス・ドイツの問題は、十戒の第一戒の問題です。日本の国家神道の場合も、同じです。
    神の裁きは、第一戒違反に対して、最も強くあらわれるように思います。主は唯一の神だからです。
    偶像礼拝をしないとは、主を愛することです。「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」。この積極的な命令に向かって私たちが進むなら、私たちは偶像礼拝から解放されます。
    「主を愛しなさい」。新約時代の私たちには御子イエス・キリストの救いが提供されています。十字架の贖いによって罪のゆるしが、復活によって永遠の命とからだの復活が与えられます。主が私たちを愛しておられるのです。それに応え、主を愛しましょう。
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  • 間に立って(申命記 5章)
    わたしはそのとき、主とあなたたちの間に立って主の言葉を告げた。あなたたちが火を恐れて山に登らなかったからである。
    主は言われた。
    「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」
    (申命記5章5節~6節)
    申命記の主人公はもちろん神です。この神のもとで大切な役割を担っているのはモーセです。
    モーセは、神の言葉を取り次ぐ者、預言者です。この意味で、モーセはイエス・キリストを指し示すひな型なのです。モーセはまた、神と人との仲保者です。神と人との「間に立って」いる者です。今、神と人との「間に立って」おられるのはイエス・キリストです。
    「これ以上、我々の神、主の御声を聞くならば、死んでしまいます」(25節)。こう叫びをあげるほど、主の御言葉を聞くということは、罪ある人間には恐ろしいことでした。しかし、もうその恐ろしさはありません。何故なら、罪を贖ってくださったイエス・キリストが、預言者であり仲保者だからです。
    「こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません」(ヘブ9章15節)。
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  • 栄光の輝きに包まれて(ルカによる福音書 9章28-36節)
    祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、2人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。2人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。
    (ルカによる福音書9章29節~31節)
    登山をしていますと、朝、山の頂から日の出を見るのが一つの楽しみです。雲海の上に広がるまばゆい景色は圧巻で、言葉を失います。
    ペトロとヨハネとヤコブはそれ以上の驚くような光景を目の当たりにしました。主イエスが本当の姿を現されたのです。「服は真っ白に輝」き、栄光の輝きに満ちた神御自身の姿が現されます。この輝きを目の当たりにした弟子たちは驚きを隠すことができません。彼らはこれまで寝食を共にし、旅をしてきた主が真の神であることを悟ります。
    この輝きの中、主の傍らにはモーセとエリヤがいます。モーセとエリヤは旧約を代表する2人で、律法と預言者を表します。この2人により、律法と預言者、つまり聖書全体が主イエスをキリストであると証しします。
    彼らは栄光の輝きの中、十字架の死について語り合います。それは神の栄光と十字架とが矛盾しないということです。主の死は悲しいことです。しかし、十字架の事柄は神の栄光の輝きの中に置かれています。十字架の主イエスは、あなたのこともその栄光の輝きで包み込んでくださいます。
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  • 御言葉に聞こう(申命記 4章)
    主は火の中からあなたたちに語りかけられた。あなたたちは語りかけられる声を聞いたが、声のほかには何の形も見なかった。主は契約を告げ示し、あなたたちが行うべきことを命じられた。それが十戒である。主はそれを2枚の石の板に書き記された。
    (申命記4章12節~13節)
    申命記の中心のひとつは十戒の命令にあります。その第二戒では、見える形を通して神を礼拝することが禁じられています(申5章8節)。
    主は語りかける神です。主は何にもまして御言葉の神です。見える形はありません。ですから、私たちが主と出会うのは御言葉によっています。「イエスはお答えになった。『「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と書いてある』」(マタ4章4節)。
    では、いつ御言葉に聞くのでしょう。申命記を読んでみると、「今日」という言葉が実に多く出てきます。私たちは、今日、御言葉によって主と出会うのです。その一番良い例はルカによる福音書に出てきます。マリアは「今日」という日に主の足もとに座って、その話に聞き入っていました。それをとがめるマルタに「しかし、必要なことはただ一つだけである」とイエス・キリストはおっしゃいました(ルカ10章42節)。
    形を像にしてはなりません。そこに悪の根源があるのです。ですから、主の御言葉にこそ聞きましょう。
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  • 恐れてはならない(申命記 3章)
    わたしはそのとき、ヨシュアに命じた。「あなたたちの神、主が2人の王に対してなさったことをすべて、あなたは自分の目で見た。主は、あなたがこれから渡って行くすべての王国にも同じようにされるであろう。彼らを恐れてはならない。あなたたちの神、主が自らあなたたちのために戦ってくださる。」
    (申命記3章21節~22節)
    2人の王とは、ヘシュボンの王シホンとバシャンの王オグです(申2章24節、3章1節)。モーセはカナンの地に入りたかったのですが、それは許されませんでした。代わりに後継者のヨシュアが入っていきます。ヨシュアは、主が2人の王に対してなさったことを見ていました。それは、今から入っていくカナンの地での信仰の戦いの準備となります。「彼らを恐れてはならない。あなたたちの神、主が自らあなたたちのために戦ってくださる」。これが、モーセのヨシュアに対する助言です。
    私たちにとってカナンの地はどこでしょう。それはそれぞれの住んでいる地域がそうであり、その先に真の安息、永遠の御国があります。
    一つ確かなことは、私たちは、日本という国で神の国の進展に召され、遣わされているということです。このことを忘れてはいけません。これは信仰の戦いなのです。私たちは、この日本の地で、強大な敵を前に実際恐れています。手も足も出ないかのようです。しかし、私たちの神、主が自ら私たちのために戦ってくださいます。ですから、「恐れてはならない」のです。
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  • 何ひとつ不足しない(申命記 2章)
    あなたの神、主は、あなたの手の業をすべて祝福し、この広大な荒れ野の旅路を守り、この40年の間、あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった。
    (申命記2章7節)
    私たちの神は、必要を満たす神です。「あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった」。主は、あなたの神です。たとえ荒れ野の旅路であっても、主はあなたと共におられます。「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」(詩23編4節)。主はたとえ荒れ野の旅路、すなわち試練の時であっても共にいてくださいます。暗黒の谷を行くときにも共にいてくださいます。
    しかし、主は私たちの人生の試練の日や暗黒の時にだけ、共にいてくださるのではありません。「主は、あなたの手の業をすべて祝福し」、「あなたは何一つ不足しなかった」。主は、必要を満たされる神なのです。なぜでしょうか。主は恵みの契約の神であり、その故に私たちの羊飼いでいらっしゃるからです。
    これから、イスラエルはカナンへ入っていきます。そこでもまた多くの試練が目の前に迫ってくるでしょう。そのたびごとに、神の祝福を思い起こすでしょう。
    「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(詩23編1節)。私たちは何一つ不足しないのです。
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  • あなたを背負う神(申命記 1章)
    あなたたちに先立って進まれる神、主御自身が、エジプトで、あなたたちの目の前でなさったと同じように、あなたたちのために戦われる。また荒れ野でも、あなたたちがこの所に来るまでたどった旅の間中も、あなたの神、主は父が子を背負うように、あなたを背負ってくださったのを見た。
    (申命記1章30節~31節)
    約束の地カナンは目前に迫っています。申命記は、神の民イスラエルが出エジプトし、荒れ野の試練を経験した後、約束の地を前にして与えられた主の命令を記しています。
    「あなたたちは行って、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに、彼らとその子孫に与えると誓われた土地を取りなさい」(8節後半)。
    神は、私たちとの約束の未来に向かって、先立って進まれます。出エジプトから今にいたるまで、そして、カナンにおいても、神は戦われます。同じように、私たちの未来に向かっても、神は霊的に戦ってくださるのです。
    出エジプトから約束の地に入るまでの間に、イスラエルが荒れ野の試練の時を経験したことが注目されます。荒れ野はイスラエルの目に「広くて恐ろしい」(19節)ものと映っていました。そこには試練がありました。
    神は、神ご自身のご配慮に基づいて、私たちをも試練に遭わせられます。しかし、神は、私たちの試練の時にも、イスラエルになさったように、父が子を背負うように私たちを背負ってくださいます。先立つ神、「あなたを背負う神」に信頼しましょう。
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  • 主イエスは永遠の命への門(ヨハネによる福音書 10章)
    イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。」
    (ヨハネによる福音書10章7節~9節)
    中東では、羊の囲いがよく見かけられます。羊が飛び越えないぐらいの高さにまで、石を積み上げて造られた円形の囲いです。その一箇所に、狭い出入口があります。羊飼いは、羊たちが囲いの中に安全に入ったのを確認すると、自ら、その出入口をふさぐような格好で、つまり、門の扉の役割を果たして休みました。良い羊飼いは、囲いを乗り越えて侵入する盗人や強盗、獅子や豹といった野獣と戦いました。自分の身を犠牲にして、羊たちを守ったのです。
    主イエスこそ、私たちにとって、良い羊飼い(11節)にして、羊の囲いの門です。門を通らず囲いを乗り越えて侵入する盗人や強盗は、教会の群れを混乱させ、破壊しようとする偽預言者、反キリストのことです。彼らは、主イエスという羊の門を通らないで私たちに接近して滅びに誘うのです。
    しかし、主イエスは、良い羊飼いとして現れてくださり、自ら永遠の命への門となるために、ゴルゴタの十字架の上でご自分の身を犠牲にしてくださいました。それほどまで、主イエスは私たちを愛しておられます。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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