リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 主イエスの御前にひざまずく信仰(ヨハネによる福音書 9章)
    イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。…彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、イエスは言われた。
    (ヨハネによる福音書9章35節~39節)
    主イエスは、生まれつき目の見えない人を見えるようにしてくださいました。ところが、この人はユダヤの最高法院によって社会からのけもの扱いされてしまったのです。主イエスはこのことをお知りになると、町中を捜され、この人を見つけられたのでした。
    最初、この人に与えられた信仰は、主イエスは目を開けることができるお方といった程度でした(10~12節)。ところが、主イエスと出会い、交わり、主イエスと対話を重ねる中で、このお方を唯一の真の神と信じて礼拝するまでに成長させられました。
    今日の私たちの信仰告白と礼拝の原型が、主イエスと出会ったこの人に示されています。私たちもこの人のように「主イエスよ、信じます」と信仰を告白し、主イエスの御前にひざまずき、このお方を唯一の真の神と信じて礼拝するのです。主イエス・キリスト礼拝こそが、私たちの献げるべき神礼拝です。
    日本の多神教社会にあって、主の日毎に、主イエス・キリストの御前にひざまずき礼拝することで、私たちの魂と隣人の魂が主イエスに向けられますように。
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  • 憐れみ深い者となりなさい(ルカによる福音書 6章27-38節)
    「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。…あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」
    (ルカによる福音書6章27節、36節)
    主イエスは、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」と命じられました。この掟に私たちが、言葉と行いにおいて従うことはなんと難しいことでしょうか!
    神は旧約の時代から「隣人を愛しなさい」と命じておられましたが、当時のユダヤ教では、その「隣人」に「敵」が含まれるとは誰も想像していませんでした。私たちも「隣人を愛しなさい」という主の掟に聴くとき、同じように思うのかもしれません。しかし主は、敵を含めて「隣人を愛しなさい」とおっしゃるのです。
    なぜ主イエスはそのようにお命じになるのでしょうか。最後に主は次のように語られます。「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」。私たちがなぜ敵を愛するのか、それは、私たちの父が憐れみ深いお方であるからです。父なる神は、神に敵対する世に対して、キリストをお与えになり、愛を示してくださいました。
    私たちは憐れみ深いお方の子どもです。神の子である私たちは、父なる神の姿を見上げつつ、隣人を愛する道へと導かれたいと思います。
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  • 主イエスは世の光(ヨハネによる福音書 8章)
    「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
    (ヨハネによる福音書8章12節)
    夜間、車のライトだけが頼りという険しく深い山道などを走行されたことがあるかもしれません。ところで、この世が暗闇という場合、夜のような暗さといった程度ではありません。夜が来れば必ず朝が来ますが、この世の暗闇という場合は、年がら年中、暗闇です。
    「見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる」(イザ60章2節)。この世は、人間の罪のせいで、生けるまことの神を見失っています。その代わりに罪深い人間は、頼りになるものを自分の神々として勝手に祭り上げ、偶像崇拝をしているのです。これがこの世の暗闇の実態です。
    しかし、暗闇は光に勝つことはできません(口語訳・ヨハ1章5節)。主イエスは、天から射し込んで、霊的に暗闇の世の中で燦然と輝いておられます。このお方が光だからこそ、私たちは、安全、安心です。なぜなら、この世の光、主イエスを信じて、このお方に従って行くならば、たとえ死の陰の谷を歩んだとしても、ゴールを見失うことはないからです。そして、たとえ死んでも、永遠の命に必ず至ることができるからです。
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  • 生きた水の流れのほとり(ヨハネによる福音書 7章)
    「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
    (ヨハネによる福音書7章37節~38節)
    罪ある人間は誰でも魂が渇いています。罪によって神から離れてしまっていることで魂は干からび、パサパサです。まるで砂漠のようです。そのような状態であることを知らずに地上の生涯を終えるならば悲惨です。ですから、生きている内に自らの魂が渇いていることを認め、主イエスこそが、魂に豊かな潤いを与え、永遠に生かすことのできる、生きた水の源泉であると知る人は幸いです。
    この主イエスのところに来て飲む、つまり、主イエスを信じるならば、主イエスに結ばれ、主イエスからその生きた水、つまり、御言葉と聖霊(39節)を与えられ、干からびていた魂に豊かな潤いを与えられます。魂がみるみるうちによみがえり、元気になります。それこそ砂漠の状態から、川の流れのほとりのように水分や栄養分をたくさん含んだ土のようにされます。
    聖霊は、私たちの魂を生き生きとさせるだけに留まりません。聖霊は、私たちから流れて出て、隣人にも御言葉による慰め、励ましを与えてくださるのです。
    「主よ、あなたによるいやしが必要な隣人のもとへとわたしをお遣わしください」。
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  • わたしだ。恐れることはない(ヨハネによる福音書 6章)
    25ないし30スタディオンばかり漕ぎ出したころ、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」
    (ヨハネによる福音書6章19節~20節)
    主イエスは、5千人へのパンの給食の奇跡を行われると、ご自分を王にしようとする人びとを避けて、山にひとり姿を隠されました(15節)。主イエスを見失った弟子たちは、夕方にもなり、こんな辺鄙な場所にいても仕方がないと、伝道の拠点であるカファルナウムに舟に乗って帰ろうしたのです。
    船出すると、突然の強風が襲いかかり湖が荒れ始めました。元漁師のペトロたちの危機対応で大しけの中を何とか漕ぐことができましたが、何と、主イエスが荒れ狂う湖の上を歩いて近づいて来られました。これを見て弟子たちは恐れました。
    主イエスは、ご自分を見失って先に船出してしまった弟子たちを罰しに来られたのではありません。そして、罪を犯して主イエスを見失っている私たちに対しても、罰するのでなく、滅びの穴に永遠に落ち込むことがないようにと、ご自分から私たちに歩み寄ってくださいます。「わたしだ。恐れることはない」と語りかけて、悔い改めと永遠の命に導いてくだるのです。
    きょうも、永遠の命に至るパン(35節)である主イエスに養われて生かされます。
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  • 起き上がりなさい(ヨハネによる福音書 5章)
    イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。
    (ヨハネによる福音書5章8節~9節)
    主イエスは、エルサレムの北東部「羊の門」の傍らにある「ベトザタ」(憐れみの家)と呼ばれる池の回廊に行かれ、そこで、38年間も病気で苦しんで横たわっている人に寄り添われました。その池の水が天使によって動かされるとき、真っ先に水に入る者はいやされると信じられていましたが、誰も介助してくれる人がいなかったのです。
    しかし、主イエスがお出でになったからには、もはや誰かに助けてもらって池の中に入る必要はありません。主イエスにすがりつくならば、主イエスが力ある御言葉によっていやして、起こしてくださいます。
    主イエスは、ご自分に寄りすがる私たちにも言われます。「起き上がりなさい」。そして、きょうも、永遠の滅びの寝床についてしまわないように、聖霊と御言葉によって生かし続けてくださいます。
    さらに主イエスは、この世の終わりに再び地上にお出でになって、私たちを栄光の体に復活させ起こしてくださいます。この主イエスの御声を実際に聴くことのできるときを待ち望みながら、きょうも、ただ主イエスに寄りすがって歩んでまいりましょう。
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  • 主イエスよ、生きた水をください(ヨハネによる福音書 4章)
    イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」
    (ヨハネによる福音書4章10節)
    主イエスは、サマリアの女性と親しく対話なさいました。地下水によって生活が支えられているシカルの町にあるヤコブの井戸辺でのことです。対話のきっかけは飲み水でしたが、結局、この女性の魂を配慮する対話となりました。
    主イエスは人間の心の中をよくご存じです(2章25節)。主イエスに隠せることは何もありません。主イエスは、この女性が魂に渇きをおぼえていて、それを満たすために大きな罪を犯していることを見抜かれました。しかし、彼女を裁くことなく、魂の渇きを本当に満たすことができる道を教えてくださいました。
    主イエスから湧き出る「生きた水」、つまり、御言葉と聖霊(7章39節参照)を飲むならば、魂の渇きは癒やされます。今日ならば、礼拝で朗読され説教される御言葉に聴き、その御言葉と共に聖霊が働かれることによって魂の渇きが癒やされるのです。
    私たちの魂の渇きを十二分に癒やすことのできる「生きた水」を、サマリアの女性のように主イエスにこそ求めましょう。「主よ、渇くことがないように、その水をください」。
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  • 神の国に入るためには(ヨハネによる福音書 3章)
    「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
    (ヨハネによる福音書3章3節)
    主イエスは、ニコデモと親しく対話なさいました。このニコデモは、ファリサイ派に属し、71人しか選ばれない最高法院のメンバーでしたから、エリート中のエリートです。しかし、彼には切実な問いがありました。人間は、律法を一所懸命行って善い業に励むことで、本当に神の国に入れるのだろうか?
    主イエスは、ニコデモに寄り添って、神の国への道を忍耐強く教えてくださいました。それは、まず何よりも、やがて十字架に上げられ、神の小羊となる主イエスを仰ぎ見て、主イエスを信じることです(16節)。同時に水と聖霊によって新たに生まれることです(5節)。これは水による洗礼と聖霊のお働きが必要ということです。
    私たちは、聖霊のお働きをすでに受けたからこそ、主イエスを信じて洗礼を授かったことをおぼえましょう。キリスト者ならば、もう既に聖霊によって新たに生まれているのです。
    神の国に入って永遠の命を確実に得るために、きょうも、聖霊のお働きによって、十字架に上げられた主イエス・キリストを仰ぎ見続けることができますように。
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  • 幸いと不幸(ルカによる福音書 6章17-26節)
    さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
    「貧しい人々は、幸いである、
    神の国はあなたがたのものである。
    …
    しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
    あなたがたはもう慰めを受けている。」
    (ルカによる福音書6章20節、24節)
    きょうの箇所は、主イエスが山から下りて、平らな所で話されたので、「平地の説教」と呼ばれています。主はまさに私たちと同じ目線に立ち、私たちに寄り添って神の言葉を教えてくださるのです。
    主は、幸いと不幸について教えておられます。マタイによる福音書では、九つの幸いについて語られるのに対して(マタ5章参照)、ここでは、四つの幸いと共に、その反対の四つの不幸も併せて語られています。その理由について、宗教改革者カルヴァンは、「この対照は、よこしまな人々に恐怖を与えようとするだけでなく、この世の空しい誘惑とごまかしの中に眠ることのないように、信仰者たちを目覚めさせようとするものである」と言っています。まさに主は、幸いについて教え、人びとを慰め、励ますだけではなく、不幸についても教え、人びとに愛をもって警告してくださるのです。
    主は目の前にいる民衆に対して、「あなたがたは」と語られました。私たちは幸いと不幸の両方の主の言葉を、私たちに語られている神の言葉として耳を傾けたいと思います。
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  • 人間の心をよくご存じの主イエス(ヨハネによる福音書 2章)
    しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。
    (ヨハネによる福音書2章24節~25節)
    主イエスは、自分たちの利益しか考えない商人たちを神殿から追い出された後、過越祭の期間中、エルサレムに滞在なさいました。そして、主イエスは神の子メシアであると、人びとが信じるようなしるしをあらわされました。そこで、多くの人びとが主イエスを信じるようになります。
    ところが、その次に衝撃的なことが書いてあります。主イエスは人びとを信用されなかった(24節)。これは、いったい、どういうことなのでしょうか。
    実は、商人たちと、しるしを見て信じた人びととは、自分の利益しか考えない、つまり、自己中心という点において同じでした。
    このことは、私たちにも当てはまります。主イエスは自己中心の心を信用されません。それで、もし、私たちが信用に値するへりくだる心を持ち得ていたならば、主イエスがこの世にお出でになって、十字架で死んでくださる必要もなかったでしょう。しかし、私たちには自己中心の心があります。だからこそ、主イエスは十字架で死んでくださることで、その罪を取り除いてくださったのです。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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