リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • わたしはひとりではない(ヨハネによる福音書 16章)
    「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。」
    (ヨハネによる福音書16章32節)
    主イエスは、1人で十字架の道を進まれました。こんな時こそ、仲間が一緒にいてほしい。でも、弟子たちは主イエスの十字架の道について行くことはできなかった。だから主はおっしゃいます。「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている」。
    私たちならどうでしょう。今こそ一緒にいて助けてほしいのに。ここまで一緒にやってきて、いよいよこれからなのに、仲間が離れて行ってしまう。頼りにしていたあの人も、はしごをはずすように裏切る。
    わたしなら、落胆、憤りで大騒ぎです。でも、主イエスは違っていた。主は、頼るべきは父なる神で、父は決して御子を見放さないとの確信を持ち続けられた。人は、裏切るつもりはなくても、助ける実力がないことがしばしばです。しかし御父は違う。だから主イエスは堅く立つのです。
    「わたしはひとりではない。父が共にいてくださる」。
    私たちも同様です。御父が、主イエスが共にいてくださいます。「最悪」と思われる時こそ、共にいて、「大丈夫。わたしがあなたと共にいる!」と言ってくださいます。
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  • わたしがあなたがたを選んだ(ヨハネによる福音書 15章)
    「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」
    (ヨハネによる福音書15章16節)
    入学、進学、入社の季節です。希望に胸膨らませている人、行く道に不安を感じている人、願った道に進めず、不本意ながら新たな道に進んでいく人。既に与えられている道で学びや働きに従事している人。そんなすべての人に主イエスは語っておられます。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と。
    私たちは、自分で教会に行き、自分で主を信じて洗礼を受け、あるいは、信仰告白をしてキリスト者として歩んでいる、と感じることがあるかもしれません。でも、主はおっしゃいます。「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない」と(6章44節)。
    学びや仕事の場も同じです。自分で探し、自分で試験を受け、自分で切り開いたように思える道です。でもその背後で、主が、あなたがそこに行くようにと一切を計らってくださっていたのです。あなたが、置かれた場所で活き活きと学び、働き、人々に仕える。そのとき、あなたをその場に置かれた主イエスに、あなたは生活と人生をかけて応えているのです。
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  • みなしごにはしておかない(ヨハネによる福音書 14章)
    わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。…かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
    (ヨハネによる福音書14章18節~20節)
    きょう取り上げた聖句にはいくつかの解釈がありますが、わたしはこう信じています。やがて主イエスは、十字架におかかりになり、死んで、よみがえられ、天に帰られます。天に帰ったら、主イエスは地上にはおられません。でも、みなしごにはしない、また戻って来る、と約束してくださっています。
    やがて、その約束の聖霊という目に見えないお姿で、復活の主イエスは私たちのところに戻って来てくださる。そして、私たちのうちに住んでくださる。だから、マタイによる福音書の最後のところで主イエスは、こう約束してくださいました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と。
    どのようにしてこの約束を果たされるのでしょう。聖霊というお姿でまた戻って来て、私たちの内に住んでくださる。だから、主イエスは、私たちをみなしごにはしておかれないのです。
    主イエスが聖霊によって私たちの内に住んでくださり、父もまた私たちの内におられ、私たちもまた父の内に住み続ける。気が遠くなるほど幸いな主の約束。またその成就です。
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  • 互いに愛し合いなさい(ヨハネによる福音書 13章)
    あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
    (ヨハネによる福音書13章34節)
    「愛し合う」、また、「愛する」とはどういうことでしょうか。
    「愛する」。それは、自分を捨てて、他の人のためにひざまずいて仕えることです。それを主イエスは、弟子たちの足を洗うことでお教えになりました。
    泥道をサンダルで歩けば、足は汚れます。できれば触れたくない部分です。しかし、主イエスは、その汚れた部分を、膝をかがめて拭ってくださいました。
    わたしにも人に触ってほしくない汚れた部分がたくさんあります。特に心の中に。しかし、そんな汚れたところに主イエスは近づき、その汚れを、膝をかがめて拭い続けてくださっています。
    人は皆、触れられたくない汚れがあります。そんな汚れは、他の人もまた触れたくない、近寄りたくもない。しかし、そんな汚れを持つ者同士が、近づき合う。そして、互いの汚れをきれいに拭ってくださる主イエスが来てくださるようにと祈り願う。そのために、互いに近づき合い、関わりを続け、執り成しの祈りを主にささげ合う。
    互いに愛し合うとは、そういうことではないでしょうか。
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  • 愛の香油(ヨハネによる福音書 12章)
    そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
    (ヨハネによる福音書12章3節)
    「そのとき」とはどのような時だったのでしょう。主イエスはおっしゃいます。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから」と(7節)。
    マリアは、この時から数日後、愛する主イエス・キリストが十字架にかかり、多くの人のために命をおささげになられる、そのことをどれほど深く理解していたでしょう。この数日後に、主イエスは十字架にかかり、多くの人の身代金として御自分の命をおささげになる。今、まさにその数日前。
    マリアは、「そのとき」がいつなのか。明確にはわかっていませんでした。しかし、「ずっと大事にとっておいたナルドの香油を、今こそ、主イエスのために使うときだ」ということは、わかっていたのです。「今これを主イエスのために使わずしていつ使うのか」。マリアは、今この時こそ「そのときだ」と、誰が何と言おうと、そう心に迫る確信があったのです。
    主イエスとの深い交わりの中で、誰が何と言おうと「今がそのときだ」というタイミングを知る者でありたいものです。
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  • イエスは涙を流された(ヨハネによる福音書 11章)
    イエスは涙を流された。
    (ヨハネによる福音書11章35節)
    「イエスは涙を流された」。これは、聖書の中で一番短い節だと言われています。しかし、心にしみる言葉です。
    主イエスは、愛する者たちのことを思い、涙を流されるお方です。人にとって死がどれほど悲しいもの、いまいましいものか。主イエスは、人間として人の世に住まわれつつ、そのことを体験されました。
    今も人を最も悲しませるものは「死」かもしれません。愛する者同士を、どうすることもできない力で引き離す、そういう非情な、絶対的な力を「死」は持っています。そういう死の前に、人は実に無力な存在です。そういう人間の悲しみ、弱さ、もろさを、主イエスは、ラザロの死を目の前に、愛する者たちと共に味わわれました。だから「イエスは涙を流された」のです。
    しかし、同じ主イエスは、死後4日たち、もはや腐乱して臭くなっている、遺体となったラザロに向かって大声で叫ばれました。「ラザロ、出て来なさい」。
    死に飲み込まれたラザロは、復活の主の御力によって生き返らされました。死を命に、悲しみを喜びに変える御力を我らの主イエスはお持ちです。
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  • 聖霊に満たされて(ルカによる福音書 4章1-13節)
    さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、40日間、悪魔から誘惑を受けられた。
    (ルカによる福音書4章1節~2節)
    主イエスはヨハネから洗礼を受けると、聖霊に満たされて悪魔の誘惑に向かわれました。悪魔はおもに三つの誘惑を企みます。一つ目は、主の空腹に乗じて問われました。二つ目は、神への完全な服従が問われました。三つ目は、神への無条件の信頼が問われました。主は、これらの誘惑に対して、すべて聖書の言葉で対抗します。
    誘惑とは真の神に従っていれば遭わないものではありません。むしろ、誘惑とは「霊に引き回され」て行われます。この「霊」とは聖霊です。この箇所でも、主の内に満ちていた聖霊が働き、主を誘惑に遭わせます。実際に誘惑を企むのは悪魔ですが、誘惑とは聖霊によって信仰の強さが試される機会ともなります。そして、信仰が強ければ強いほど、大きな誘惑に遭うことになります。
    私たちには、この誘惑に対して、聖書の言葉と聖霊で武装することが求められます。この世には多くの誘惑があります。しかし、主がそうされたように、私たちの中心に聖書の言葉を置き、聖霊で満たされるのであれば、どのような誘惑でも乗り越えることができます。
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  • この方こそ、あなたの賛美(申命記 10章)
    見よ、天とその天の天も、地と地にあるすべてのものも、あなたの神、主のものである。主はあなたの先祖に心引かれて彼らを愛し、子孫であるあなたたちをすべての民の中から選んで、今日のようにしてくださった。
    (申命記10章14節~15節)
    神は、イスラエルの民を恵みの契約に入れてくださいます。「主はあなたの先祖に心引かれて彼らを愛し、子孫であるあなたたちをすべての民の中から選んで、今日のようにしてくださった」。ここには、選びも表明されています。
    神は、私たちをも、イエス・キリストの仲保の故に十字架の贖いによる恵みの契約に入れてくださいます。
    この恵みの契約の神は、どんなお方でしょうか。「見よ、天とその天の天も、地と地にあるすべてのものも、あなたの神、主のものである」。まずこの神は天地の創造者です。すべてのものを治める全能の神です。万物の所有者であり、人間を含めたすべてのものを御手をもって導いてくださるお方です。これが聖書の神であられます。この神が、創造本来の姿から堕落してしまった私たちを恵みの契約に入れてくださるのです。
    21節に、「この方こそ、あなたの賛美」とあります。天地の創造者を賛美しましょう。恵みの契約にみられる救いの神を賛美いたしましょう。十戒を授けて、神の御心に従って生きる道を示してくださった神を心から愛し、このお方を喜びましょう。
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  • とりなしの祈り(申命記 9章)
    主に祈って言った。
    「主なる神よ、あなたが大いなる御業をもって救い出し、力強い御手をもってエジプトから導き出された、あなたの嗣業の民を滅ぼさないでください。あなたの僕、アブラハム、イサク、ヤコブを思い起こし、この民のかたくなさと逆らいと罪に御顔を向けないでください。
    (申命記9章26節~27節)
    今日の箇所は、モーセのとりなしの祈りの一部です。このモーセのとりなしの祈りは、キリストのとりなしのひな型なのです。
    神の民イスラエルのかたくなさ、驚くべき罪の深さがこの章に表されています。神の民が、偶像礼拝に陥ったのです。しかも、今日も生きている律法、十戒を授かっている最中にです。モーセは激しく怒り、十戒の2枚の板を、たたき割りました。神が「御自分の宝の民とされた」(7章6節)イスラエルが、驚くべき罪の深さを露呈したからです。しかし、その民のためにモーセはとりなしの祈りを献げました。
    私たちはどうでしょう。私たちも神の恵みの契約の民でありながら、かたくなであり、驚くべき罪深さに陥っていないでしょうか。
    モーセがそうであったように、私たちには恵みの契約の仲保者イエス・キリストがおられます。「たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます」(1ヨハ2章1節)。神の右の座におられるキリスト・イエスが、私たちのためにとりなしの祈りをなさっているのです。
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  • 神の守りの中で生きる訓練(申命記 8章)
    あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。
    (申命記8章5節)
    私たちは神の子です。「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです」(ロマ8章14節)と書いてある通りです。
    40年にわたる荒れ野の旅を通して、神は子どもを愛する父親のようにご自分の民を訓練なさいました。聖書にはこう書いてあります。
    「あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか」(ヘブ12章7節)。私たちは、神の子とされており、実の子なのです。神は、私たちをそのように扱って、訓練してくださいます。
    きょうの聖書の言葉には、「あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい」とあります。約束の地へと導いてくださる主の訓練に注意深く心を留めることが大切です。40年の荒れ野の旅路を通して、イスラエルの民が学んだことは、神の守りの中で生きる喜びでした。その訓練を通して、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きること」を学びました(8章3節)。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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