リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 主の祝日(民数記 28-30章)
    イスラエルの人々に命じて、こう言いなさい。
    あなたたちは、わたしの食物である献げ物を、燃やしてささげる宥めの香りとして、定められた時に忠実にわたしにささげなさい。
    (民数記28章2節)
    モーセは約束の地に入るにあたって人口調査をおこないました(26章)。その調査に基づいて、神は、くじを用いて嗣業の土地を分配されました。神はまことに公平なお方です。
    その土地分配に続いて献げ物の規定が記されています。この規定で感心させられるのは、定められた日のことです。順に紹介すると、まず「毎日、朝夕に」、続いて「安息日には」、「毎月の1日には」、「第1の月の14日は」、「初物の日、すなわち七週祭」、「第7の月の1日には」、「第7の月の10日には」、「15日には」、そして最後に15日から始まる7日間の主の祝いを1日ずつ指示しています。これは、言い換えれば、神の民の1日1日の歩みが神の恵みによって営まれ、神に祝福され、主に執り成されて支えられていることにほかなりません。
    ザアカイを探し求めて見いだした主イエスが、「今日、救いがこの家を訪れた」(ルカ19章9節)とおっしゃいました。私たちを探し求めてくだる主イエスによって、私たちの1日1日もまた、主の恵みの日とされています。
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  • 群れを率いる牧者(民数記 27章)
    「主よ、すべての肉なるものに霊を与えられる神よ、どうかこの共同体を指揮する人を任命し、彼らを率いて出陣し、彼らを率いて凱旋し、進ませ、また連れ戻す者とし、主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください。」
    (民数記27章16節~17節)
    イスラエルの民が約束の地に入る前に、神は、モーセに代わってヨシュアを指導者とするように指示されます。モーセ自身も、自分が約束の地に入ることができないと知ったとき、自分に代わる共同体の指導者を神に求めました。「飼う者のいない羊の群れのようにしないでください」というモーセの祈りは、主イエスが飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている群衆をご覧になり、深く憐れまれたのと同じです(マタ9章36節)。
    神の民、信仰共同体は、民がいれば成立するものではなくて、その共同体を率いる者、指揮する人がいなければ、出陣も凱旋も、進ませたり連れ戻したりすることもできない群れとなります。そして、その真の牧者は神ご自身なのです。
    ですから、神が立てられた牧者は自分勝手に指揮するのではなく、神の聖なることを示す者でなければいけません。牧者であったモーセは、その使命を十分果たせなかったため、約束の地を見渡すことはできましたが、約束の地に入ることは許されませんでした。牧者の働きを覚えて祈りましょう。
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  • わたしが民に抱く熱情(民数記 25-26章)
    「祭司アロンの孫で、エルアザルの子であるピネハスは、わたしがイスラエルの人々に抱く熱情と同じ熱情によって彼らに対するわたしの怒りを去らせた。それでわたしは、わたしの熱情をもってイスラエルの人々を絶ち滅ぼすことはしなかった。」
    (民数記25章11節)
    神は、神の民イスラエルに呪いをかけようとするモアブの王の試みをしりぞけて、呪いを祝福へと変えられました。そして、約束の地は目前にありました。ところが、それを阻もうとする真の敵が現れます。それは、モアブの娘たちに従って持ち込まれた偶像崇拝です。
    このとき、祭司アロンの孫のピネハスが槍を手に取り、背信した民を突き刺しました。それゆえ、主は、ピネハスが永遠の祭司職の契約にあずかると宣言されます。それは彼が、神がイスラエルの人びとに抱く熱情と同じ熱情によって民を誘惑の危機から救ったからでした。
    このピネハスと同じような熱情を主イエスも神殿で表されました。主イエスが神殿の境内から両替人や商売人を追い出されたとき、弟子たちは「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあることを思い出しました(ヨハ2章17節)。
    神に愛されながらも同じような熱情をもてず、誘惑に弱い私たちです。私たちが神の約束にあずかる者とされているのは、同じ熱情をもって執り成してくださる祭司イエスのゆえなのです。
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  • わたしよりも優れた方が来られる(ルカによる福音書 3章15-17節)
    そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
    (ルカによる福音書3章16節)
    洗礼者ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に、罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼を宣べ伝えていました。洗礼者ヨハネの活動を見て、メシアを待ち望んでいた人びとは、もしかしたら彼がメシアではないのかと考え始めました。しかし、洗礼者ヨハネはそれを否定します。「わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない」。
    履物のひもを解くことは、当時、奴隷が行う仕事でした。すなわち、ヨハネは自分が奴隷になることもできないほど、優れた方が来ると証ししたのです。その優れた方とは、主イエスです。洗礼者ヨハネは罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼を授けていましたが、彼自身や彼の行った洗礼そのものに赦す力があるのではありません。罪を赦し、人の人生を新しくするのは、救い主である主イエスなのです。
    優れた方が地上に来られました。私たちは日々、罪を犯します。しかし、私たちは優れた方、主イエスによって、決定的に罪赦されています。私たちは、この優れた方、主イエスに結び合わされて、新しい人生を歩むものとされているのです。
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  • 祝福された民(民数記 23-24章)
    いかに良いことか
    ヤコブよ、あなたの天幕は
    イスラエルよ、あなたの住む所は。
    …
    あなたを祝福する者は祝福され
    あなたを呪う者は呪われる。
    (民数記24章5節、9節)
    モアブの王バラクは、信頼をよせる占い師バラムを呼びつけ、バラムに命じて神の民イスラエルに呪いをかけようとします。しかし、逆にバラムをして神はイスラエルを祝福されます。モアブの王は場所を替えて三度も呪うことを試みますが、すべて失敗に終わります。それどころか、回を重ねるごとに、バラムの口から出る託宣は神の民の祝福が取り消せないものであることを明らかにしました。バラム自身、「イスラエルを祝福することが主の良いとされることである」と悟ることとされました(24章1節)。
    モアブの王とバラムのやりとりは、イスラエルの民の知らないところで起こりました。この出来事は、神の民を外から見たとき、神が神の民と一緒におられることを教えています。近すぎるがゆえに、神が一緒にいてくださることの幸いがよくわからなくなることがあるかもしれません。けれども、神が一緒におられる幸いは明らかなのです。
    主イエスは私たちに約束されました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタ28章20節)。主が共におられる幸いを覚えましょう。
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  • 民を呪ってはならない(民数記 22章)
    神はバラムに言われた。「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。この民を呪ってはならない。彼らは祝福されているからだ。」
    (民数記22章12節)
    イスラエルの民が荒れ野を進んでモアブの平野に宿営した時、モアブの王バラクは占い師ベオルの子バラムを招いて、イスラエルに呪いをかけようとしました。しかし、神はバラムに「呪ってはならない。彼らは祝福されているからだ」と戒められました。神はイスラエルの神ですが、外国の占い師にも臨んで、ご自分の民たちの祝福とその歩む道を守ろうとされます。
    いったんは王の要請を拒んだバラムでしたが、再三の要請に結局こたえてしまいます。神もそれを許しましたが、モアブの王のところに出向く途上、神は御使いをもって行く手をはばみます。この御使いを見たろばが危険を回避しますが、バラムにはそれが見えません。その後、神はバラムの目を開いて、ろばによって自分が救われたことを教えられます。
    主なる神は、こうして占い師バラムを訓練して、ご自分のしもべとして仕えさせました。「ただわたしがあなたに告げることだけを告げなさい」。神は異教の占い師さえも、しもべとされるお方です。
    今日も、主なる神は異教の民をも用いて、ご自身の民を守り支えてくださいます。
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  • 恐れてはならない(民数記 21章)
    主はモーセに言われた。「彼を恐れてはならない。わたしは彼とその全軍、その国をあなたの手に渡した。あなたは、ヘシュボンの住民アモリ人の王シホンにしたように、彼にもせよ。」
    (民数記21章34節)
    イスラエルの民を滅ぼそうとして、バシャンの王オグが全軍を率いて南下してきました。バシャンの王オグは体の大きなレファイム人の生き残りだと考えられており(申3章11節)、また、強い軍隊を持っていました。
    40年前、イスラエルがカナンに偵察に行った時、民は背の高いアナク人を見て怖気づき、カナンに入ることを拒否しました。したがって、この時オグと戦うことは、イスラエルにとって大きな試練でした。それゆえ、主なる神は、モーセを通してイスラエルを励ましました。イスラエルは、主に励まされて試練を乗り越え、戦いに勝利しました。
    イスラエルが強大なオグの軍に勝利できたのは、多くの武器や強い軍を持っていたからではありません。それは、この戦いが主の戦いであり、イスラエルが、主に信頼し、すべてを主に委ねて戦ったからです。まさに、この戦いは信仰の戦いであったのです。
    主イエスは、「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」と言われました(マタ10章28節)。主の言葉に励まされ、勇気を出して、信仰の道を歩みましょう。
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  • 生きた水が流れ出る(民数記 20章)
    そして、モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。「反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか。」モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打つと、水がほとばしり出たので、共同体も家畜も飲んだ。
    (民数記20章10節~11節)
    再びイスラエルの民は、飲み水を巡って、モーセとアロンに不平不満を言い、主に逆らってしまいました。 私たちは改めて、民の不信仰の根深さを思わされます。ただ、それにも関わらず、主は、モーセに対して、「共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい」とおっしゃいました(8節)。
    しかし、このときモーセは大きな失敗を犯しました。モーセは主の名によって岩に命じるのではなく、民に怒りを示し、岩を杖で二度打ってしまったのです。モーセはこのとき、イスラエルの人びとの前に、主の聖なることを示さなかったのです(12節)。ただ、それでも神はイスラエルの民を憐れみ、岩から水を出して、渇いた民や家畜を癒やされました。
    この水を出した岩はイエス・キリストを象徴していると、新約において理解されています(1コリ10章4節)。主イエスは私たちの不信仰の中にあっても、私たちを憐れみ、私たちの中に生きた水、永遠の命に至る水を川のように流れさせてくださいます。聖霊と御言葉を通して、主イエスが与えてくださる水に、日ごとにあずかりましょう。
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  • 身を清めなさい(民数記 19章)
    どのような人の死体であれ、それに触れた者は7日の間汚れる。彼が3日目と7日目に罪を清める水で身を清めるならば、清くなる。しかし、もし、3日目と7日目に身を清めないならば、清くならない。
    (民数記19章11節~12節)
    19章では清めの儀式について、中でも11節以下には、死体に触れた場合、人骨や墓に触れた場合の清めの儀式について記されています。
    人間であれ動物であれ、死体は腐敗します。しかし、それは衛生面から汚れるという以上に、宗教的な汚れ、すなわち罪と深い関係がありました。なぜなら、死はアダムの犯した罪によって、世に入り込んで、すべての人に及んだからです(ロマ5章12節)。それゆえ、人は清くなければ神の御前に出ることはできません。神は聖なる方であるからです(レビ11章44節)。神はこのことを教えるために、死体に触れることを強く戒められ、もし触れた場合には、雌牛の灰によって作られた罪を清める水で、身を清めるよう命じられました。
    今日の私たちは、こうした清めの儀式を行いません。なぜなら、「御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血」によって贖われ、聖なる者とされ、清められているからです(ヘブ9章14節)。聖霊によるキリストとの交わりを通して、絶えず清めにあずかりましょう。
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  • 罪を贖うための働き(民数記 17-18章)
    アロンは、モーセの命令どおりに行い、集結している人々の中へ走って行った。疫病は既に民の間に広がり始めていた。アロンが香をたき、民のために罪を贖う儀式を行い、死んだ者と生きている者との間に立つと、災害は治まった。
    (民数記17章12節~13節)
    イスラエルの民が再びモーセとアロンに反逆したため、主は疫病の裁きによって民を滅ぼそうとなさいました。しかしこのとき、祭司アロンの犠牲的な贖いの働きによって、共同体は全滅を免れました。そして、主はこの後、18章で、罪の贖いのための祭司の責任と神殿で神に仕えるレビ族の責任について教えられます。
    私たちはイスラエルの姿を通して、悔い改めず、何度も罪を繰り返す人間の罪深さを改めて覚えさせられます。真に、「正しい者はいない。1人もいない」(ロマ3章10節)と聖書が語る通りです。
    しかし、だからこそ、神は罪を贖うための手段をイスラエルに示し、祭司やレビ族を与えてくださったのです。そして、最後には永遠の大祭司としてイエス・キリストを与えてくださいました。キリストは「御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです」(ヘブ9章12節)。
    私たちは、キリストの祭司としてのお働きのゆえに、罪を贖われ、和解の恵みに入れられています。絶えず罪を悔い改め、和解の恵みの中を歩みましょう。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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