リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 救いへの招き(エレミヤ書 26章)
    「主がわたしを遣わされ、お前たちが聞いたすべての言葉をこの神殿とこの都に対して預言させられたのだ。今こそ、お前たちは自分の道と行いを正し、お前たちの神、主の声に聞き従わねばならない。主はこのように告げられた災いを思い直されるかもしれない。
    (エレミヤ書26章12節~13節)
    エレミヤは主から託された言葉を忠実に語る人でした。聞き手も忠実にその言葉に耳を傾けるべきでした。けれども、祭司も預言者たちも、エレミヤの語る言葉に耳を貸そうとしません。そればかりかエレミヤを捕らえて死刑に処するようにと求めます。その理由は、都エルサレムに敵対する預言をしたからでした。しかし、エレミヤの語る預言を、敵対的であるとしか聞くことができない彼らの心に二つの問題があります。
    一つは、罪が蔓延していても、それを感じることができない鈍感さです。そのために、神の怒りを理解できず、エレミヤの言葉を敵対的な言葉としか受け取れません。
    第二に、預言が語られる意図を聞き違えています。主の御心は、都を滅ぼすことにあるのではなく、民が悔い改めて主に立ち帰ることにありました。神の言葉の中に、神の恵みと憐れみとを聞き取らなければ、神に立ち帰ることはできません。
    罪人である人間は、多かれ少なかれ、これらの問題を抱えています。しかし、神は忍耐強く語ってくださいます。その御言葉の中に救いへの招きを見出す人は幸いです。
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  • 罪に対する神の怒りと憐れみ(エレミヤ書 25章)
    この地は全く廃虚となり、人の驚くところとなる。これらの民はバビロンの王に70年の間仕える。
    (エレミヤ書25章11節)
    ここにはユダ王国の滅亡が預言されています。その滅亡の原因は、彼ら自身の罪にありました。その罪とは、神の警告を無視し続ける心の頑なさです。エレミヤが23年間にわたって、主の御言葉を語り聞かせたにもかかわらず、それに聞き従おうとしない心の頑なさです。
    23年間という期間は、決して短くはありません。忍耐をもって民に接して来られた神の憐れみ深さを感じます。もちろん、神がこれまで忍耐してこられたのは、ただ一度の23年間ではありません。ここに至るまで、何度、ご自分の民の罪を忍耐してこられたことでしょう。
    ここで語られるユダ王国の滅亡は、決して個々人にそのまま当てはめることはできません。けれども、罪がもたらす悲惨さを、恐れをもって受け止めることは大切です。
    神はユダ王国を新バビロニア帝国によって罰します。しかし、永遠にではありません。70年という期限付きです。ここにも神の憐れみを見出します。人が罪の中にとどまることを、今も神は望まれません。畏れをもって神の憐れみに寄りすがり、救いを期待することこそ神の御心です。
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  • 祈りによって結び合わされる(テサロニケの信徒への手紙二 3章)
    終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、…どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように。
    (テサロニケの信徒への手紙二3章1節~5節)
    この手紙の最後は祈りで締めくくられます。パウロはまず、「わたしたちのために祈ってください」と呼びかけます。何よりも優先して願い求めたことは、「主の言葉が、…速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように」ということです。パウロの働きはいつも順調なのではなく、むしろ多くの困難を伴いました。福音を宣べ伝えようとするがゆえに、妨害や迫害を受けました。パウロは、主に選ばれた器として特別な召命を受けていましたが(使9章15、16節)、教会の祈りもまた不可欠でした。
    祈りの要請の後に、執り成しの祈りが続いているように、伝道者と教会は祈りによって結び合わされています。私たちを守ってくださる父なる神は、キリストが十字架の苦しみを耐え忍ぶことによって愛を示されました。「わたしはあなたがたと共にいる」との約束に忠実な方への確信をもって、私たちは祈りを合わせます。「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように」(16節)。
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  • 福音を通して救われる(テサロニケの信徒への手紙二 2章)
    神は、このことのために、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです。ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。
    (テサロニケの信徒への手紙二2章14節~15節)
    使徒パウロは教会に宛てて多くの手紙を書き送り、時には直接訪れて説教をしました。それは「救われるべき者」(13節)として神に招かれていることを、福音を通して知らせるためです。
    その頃、「自分こそは神であると宣言する」者も現れるなど、誤った教えが説かれることがありました。とくに終末についての事柄は、人びとの関心を引き付けやすく、憶測が飛び交い、惑わされやすいものです。そのため、すぐに動揺して分別を無くさないように、慌てふためかないように、パウロは強く注意を促します。(2~4節)
    復活した主イエスと出会い、天に上げられるのを見つめていた使徒たちは、主イエスが「同じ有様で、またおいでになる」(使1章11節)との約束が伝えられました。これが終末のしるしであり、私たちはその時、「主イエス・キリストの栄光にあずか」ります。この福音を固く守り続けて参りましょう。
    「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(同4章12節)
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  • 苦しみは神の国のため(テサロニケの信徒への手紙二 1章)
    それで、わたしたち自身、あなたがたが今、受けているありとあらゆる迫害と苦難の中で、忍耐と信仰を示していることを、神の諸教会の間で誇りに思っています。…あなたがたも、神の国のために苦しみを受けているのです。
    (テサロニケの信徒への手紙二1章4節~5節)
    パウロは主イエスを伝えることによって、暴動を起こされ、襲われた経験がありました(使17章3~5節)。私たちがその時と同じような暴動による迫害を受けることはほとんどないかもしれません。けれども、主イエスを伝えることや教会に集うことをやめさせようとする静かな迫害の中にいるのではないでしょうか。家族の中で、職場の同僚たちの中で、学校の友人たちの中で、たびたび恐れおののいてしまいます。信仰を示したいと願いつつも「難しい」と苦しみます。
    多くの苦難を経験したパウロは、苦しみを受けているのは神の国のためだと、私たちを励まします。神は助けを求める者の声を聞きあげてくださいます。苦しむ者たちには、主イエスによる休息を神が与えてくださるのですから(7節)。栄光に輝く力を帯びて再び来られる主を待ち望みつつ、今日も祈ります。
    「どうか、わたしたちの神が、あなたがたを招きにふさわしいものとしてくださり、また、その御力で、善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを成就させてくださるように」(11節)。
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  • 真心をもって神に帰る(エレミヤ書 24章)
    わたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは真心をもってわたしのもとへ帰って来る。
    (エレミヤ書24章7節)
    中東の特産物であるいちじくは、ぶどうやオリーブとあわせて、イスラエルを象徴します。エレミヤは良いいちじくと悪いいちじくを選り分けた二つの籠が神殿に供えられているのを見て、神の言葉を受け取ります。
    いちじくの入った籠はそれぞれ民の命運を表しています。エレミヤが語った通り、バビロンへ捕囚に連れ去られた民は神の憐れみを受けて生き残り、御言葉に逆らって捕囚を拒んだ民は土地から滅ぼされることになります。未来は神の裁きを謹んで受けるか否かにかかっています。
    捕囚の罰を受けた民には回復の希望が与えられます。彼らもまた主なる神の名を軽んじた者たちです。けれども、神の憐れみが注がれるときには、彼らはいかに汚れていようとも「良いいちじく」とみなしていただけます。再び神を正しく知る心も与えられます。一度破られた契約も、そうして再び回復されます。神は恵みとして、民の帰還をゆるされるのです。
    こうして、真心から神に立ち帰ること、また、神に仕える喜びは、神の選びと憐れみによる恵みの賜物です。
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  • 行い、守りなさい(マタイによる福音書 23章1-12節)
    だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。
    (マタイによる福音書23章3節)
    主イエスは群衆と弟子たちに大切なことを教えておられます。律法学者たちやファリサイ派の人びとは律法に精通していました。彼らの信仰の熱心は称賛に値しますが、主イエスはユダヤ社会の主流である律法学者たちとファリサイ派の人びとの行いについて叱っておられます。
    その理由が4節から7節に記されています。彼らの信仰に対する熱意が残念ながら神の御心に適いませんでした。それで、主イエスは自分に従っている群衆と弟子たちに向かってこう勧めておられます。「彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない」と。
    律法学者たちやファリサイ派の人たちが「言うこと」とは何でしょうか。それは「律法と預言者の言葉」であり、旧約聖書に書かれていることです。しかし、残念なことですが、彼らは御言葉どおりには行えていませんでした。主イエスは群衆と弟子たちに聖書に記録されたとおりに行うことを求めておられます。
    キリスト者なら、神の言葉を重要視し、御言葉どおりに行うことが大切です。
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  • 真の牧者の到来(エレミヤ書 23章)
    (エレミヤ書23章5節~6節)
    神にとってご自分の民は羊の群れであり、地上には牧者たちが遣わされて群れを養う務めを負いました。その牧者たちとは王・預言者・祭司という民の政治的・宗教的指導者たちです。王国が神への信仰を失って滅びを招いたのには、この牧者たちの腐敗が大きく作用しています。羊飼いが自分を養うのに躍起で羊たちを追い散らし、神の言葉を語るべき者が神に聞かずに自分の心のままに語るとき、民は偽りの平和に憩って、悔い改めへ促されることもなくなりました。
    神の御旨を行う牧者たちがいないのを見て、神御自身が牧者を立てると宣言されます。「主は我らの救い」との名で呼ばれるその人は、ダビデの若枝として神の民を救い、平和をもって治めます。王も祭司も預言者も、神が備えた務めはどれも重くて罪ある人間には耐えきれない職務です。
    牧者たちの腐敗は歴史の中で繰り返され、しばしば改革が求められました。それをご存じの神は、真の牧者を地上にお遣わしくださいました。イエス・キリストこそ、民を治める唯一の牧者です。
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  • 王たちの責任(エレミヤ書 22章)
    災いだ、恵みの業を行わず自分の宮殿を
    正義を行わずに高殿を建て
    同胞をただで働かせ
    賃金を払わない者は。
    (エレミヤ書22章13節)
    神の義と憐れみに基づいて、不当な利益を求めず、在留外国人・孤児・寡婦を保護し、公正な裁判を行うことが、ユダの王たちに求められた政治でした。しかし、律法においてその定めを知りながら、自分の富を蓄積することに精を出し、国民から搾取を続けた王たちによってユダ王国は滅びを招きます。
    ダビデの王座が据えられた王宮も、正義が行われている間は国民の誇りとなり、神の祝福も与えられたことでしょう。しかし、王が民のことを顧みなくなり、主なる神との契約を忘れて政治的・経済的な思惑から他国の偶像崇拝を始めたところで、王宮はただの贅沢へと様変わりします。
    ヨシヤ王の頃は幸せだったと、ユダ王国の良い時代が思い起こされます(15、16節)。ヨシヤによる改革事業は成功し、民は信仰に立ち帰って王の裁きに満足することができました。しかし、父の模範があったにもかかわらず、息子は神の言葉を聞かない圧制者となりました。
    王には神の民を治める責任があります。それを真に果たすことのできるメシアが民には必要です。
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  • 怒りの矛先(エレミヤ書 21章)
    主はこう言われる。
    朝ごとに正しい裁きを行え。
    搾取されている人を
    虐げる者の手から救い出せ。
    わたしが火のような怒りを
    発することのないように。
    (エレミヤ書21章12節)
    ユダ王国の終焉が近づいています。バビロンの王ネブカドレツァルが西方に遠征しようと軍を構えています。ユダの背信に対する神の裁きは大いなる怒りとなってエルサレムの都を焼き尽くそうとしています。
    戦争にはいつも人間の打算が働きます。民衆が戦争を引き起こすのではなく、王族たちが富や名誉のために国民を駆り立てます。バビロンの王にしても自国の利益のために兵を起こすのに違いありません。しかし、その背後には歴史を支配する神がおられ、ご自身の意思を実現されます。
    エレミヤを通して告げられた生き残りの道は、バビロンに降伏して捕囚を受け入れることです。ユダの人びとはすべてを失うでしょう。神殿も土地も財産も。けれども主の言葉に従えば命だけは助かると教えられます。
    神の怒りの矛先は、あてのない理不尽なものではなく、神の正しい裁きを曲げて搾取を続けた都に向けられています。「朝ごとに正しい裁きを行え」。それが神の願いでした。神の告発を敏感に受け取る感性がいつの時代にも求められます。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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