リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 預言者の弱さ(エレミヤ書 19-20章)
    主よ、あなたがわたしを惑わし
    わたしは惑わされて
    あなたに捕らえられました。
    あなたの勝ちです。
    わたしは一日中、笑い者にされ
    人が皆、わたしを嘲ります。
    (エレミヤ書20章7節)
    主の神殿の庭で恐るべき主の裁きを告げたエレミヤは、大祭司パシュフルの手によって鞭打たれ投獄されます。敗戦によるエルサレムの破壊とバビロンへの捕囚は預言者によって警告されていたにもかかわらず、それが実現するまで人びとは関心を払いませんでした。
    エレミヤは主の言葉に忠実な預言者でしたが、自分が受けている苦難に対して超然と構えることができたわけではありません。罪人とされ人びとの嘲笑を受けながら、自分の運命を呪って神を訴えます。「あなたがわたしを惑わし」たとは、まるで神がエバを誘惑した蛇であるかのような言い草です。「あなたの勝ちです」、「わたしの負けです」(20章9節)と神に対する完全な屈服を表しながらも、自分は生まれなかった方がよかった(同14節)などと恨み言を口にします。
    神の言葉を真実に語る務めがどれほど過酷であろうとも、預言者は人間としての弱さを抱えつつ務めを果たさねばなりません。なぜ、とエレミヤは問いますが、その答えは御子イエスの受難の中に用意されています。
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  • 神の主権にしたがう(エレミヤ書 18章)
    「見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある。」
    (エレミヤ書18章6節)
    預言者エレミヤを陥れようと謀ったエルサレムの同胞たちは、自分たちが真の信仰者であることを信じて疑いませんでした。「祭司から律法が、賢者から助言が、預言者から御言葉が失われることはない」(18節)と、彼らは既存の特権に甘んじて、エレミヤの語る批判的な言葉に耳を貸そうとしませんでした。その彼らのためにも執り成してきたエレミヤですが、悪をもって善に報いる彼らの態度にやりきれない思いで神の裁きを願うようになります。
    真の神を畏れる心があるならば「我々は我々の思いどおりにし、おのおのかたくなな悪い心のままにふるまいたい」(12節)とは思わないはずです。うわべでは決められたことを確かに守っているように見えても、心の中では自分自身が主人として振る舞っている限り悔い改めは実を結びません。
    陶工が粘土で器をつくり、それを自分で壊すように、造られたものは造ったものの意のままです。神の主権の下にあるイスラエルもまた同じです。心の中を主はご覧になっています。「道と行いを正せ」(11節)。その御声を畏れて聞く者こそ神の民です。
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  • 人間ではなく神に信頼する(エレミヤ書 17章)
    祝福されよ、主に信頼する人は。
    主がその人のよりどころとなられる。
    彼は水のほとりに植えられた木。
    (エレミヤ書17章7節~8節)
    ユダの捕囚を知らされたエレミヤは預言者の務めの故に苦しみながらも神の裁きを語り続けました。来たるべき災いをエレミヤ自身が望んだわけではありません。それでも、預言者は神の口としてそれを語らねばなりませんでした。人びとに苦しめられながら、彼はただ神にすべてを委ねて救いの時を待ちます。
    安息日を守らず神を侮るのがイスラエルの不信仰であるなら、苦難の中で神に逃れてひたすら救いを祈り続けるのがイスラエルの信仰です。神を頼みとしないで金銭に頼り、人間社会のしがらみの中に埋没してしまえば、やがて来る災いによってすべてを失います。しかし、神に信頼して心を明け渡す人からは希望は失われず、水路のほとりで青々と葉をつける木のように生き長らえることができます。神が「生ける水の源」であるからです。
    人の心は病んでいて真理を求めず、罪を重ねて自ら滅びを招いています。しかし、主はそのような人の心もすべてご存じで、主が癒やしてくださるなら癒やされます。救いを待ち望む忍耐に主なる神は必ず報いてくださいます。
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  • あなたの主である神を愛しなさい(マタイによる福音書 22章34-46節)
    イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』…第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」
    (マタイによる福音書22章37節、39節)
    律法は、世のすべての人たちのためのものではなく、キリスト者の信仰生活の指針であり、神がモーセに与えてくだった約束です。
    選びの民であるキリスト者は、律法に記録されている許可されたことと禁止されたことに視線を固定してしまうときがあります。それで、キリスト者は、神が御自身の民に律法を与えてくださったおもな目的を悟ることができず、その上、自分は律法をよく守る者として、他者に対して厳しい物差しをあてることがあります。彼らは律法を犯す者に対して自ら裁き主になり、罪に定めてしまいます。
    この箇所で、主イエスが律法について新しい解釈をしているように見えますが、実はそうではありません。主イエスは、旧約聖書を引用して律法を明快に説明しています。「あなたの神である主を愛しなさい」とは申命記6章5節の御言葉を引用したものであり、「隣人を自分のように愛しなさい」はレビ記19章18節を引用したものです。主イエスはファリサイ派の人たちに律法が与えられた意味の根本を教えたかったのです。それが神を愛すること、隣人を愛することです。
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  • 真の神を知るために(エレミヤ書 16章)
    見よ、わたしは多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。
    (エレミヤ書16章16節)
    エレミヤは、おおよそ多くの人に許されている日常的な生活の営み(2~8節)さえ、神から禁止されました。なぜなら、イスラエルの土地はすでに神から見離されて明るい未来がないからです。待っているのは一切の喜びや活力の失われた虚しい世界であるからです。エレミヤには、その世界を体現することが求められました。
    そうして描かれる「神なき世界」は、現代の私たちの知らないところではないはずです。生きる喜びが日々の生活から失われ、将来の希望も持てないで、ただ戦争や災害に怯える時代は繰り返し私たちのもとを訪れます。それを聖書は「神を締め出した世界」、「神が見離した世界」だと語ります。神こそが人間を生かす活力であり、すべての良きものの源であるからです。
    イスラエルに審判が下されるのは、諸国の民に対して生ける真の神が証しされるためです。その時に、裁きを受けた民が再び先祖の土地に戻ります。出エジプトによる民の選びと救いが再び起こるとの約束です。御子イエスのもとに漁師たちが集められて福音の宣教が開始されて以来、救いを表す主の名が地の果てに至るまで告げ知らされます。
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  • 預言者の苦しみ(エレミヤ書 14-15章)
    なぜ、わたしの痛みはやむことなく
    わたしの傷は重くて、いえないのですか。
    あなたはわたしを裏切り
    当てにならない流れのようになられました。
    (エレミヤ書15章18節)
    背信のイスラエルに対する神の拒絶は厳しく、エレミヤには執り成しの祈りさえ禁じられます。モーセやサムエルが執り成したとしても駄目だ(15章1節)というのですから、もはや取りつく島がありません。民に告げられる裁きの言葉は、エレミヤをいっそう孤立に追いやります。人びとは偽預言者の語る、耳に心地よい話を好み、罪の責めを語る真の言葉には敵意を覚えるからです。
    語っても語っても受け入れられず、国中の嫌われ者となって追い詰められたエレミヤは、自分の出生を呪い、神を訴え始めます。神に召されて語る光栄は、いつしか心の病に蝕まれ、召された初めに与えられた保護の約束も「当てにならない」とさえ思ってしまうようになりました。エレミヤの方に何か過失があったのかどうか分かりません。神の言葉を軽率に語ったことがあったのかもしれません。
    この訴えに対して、神は「熟慮して語」れと告げられます(15章19節)。彼を再び立ち上がらせるために再び確かな保護を約束されます。人間に与えられた預言者の務めは過酷です。しかし、その苦難を通して神の真理が世に現れます。
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  • 預言者の涙(エレミヤ書 13章)
    あなたたちが聞かなければ
    わたしの魂は隠れた所でその傲慢に泣く。
    涙が溢れ、わたしの目は涙を流す。
    主の群れが捕らえられて行くからだ。
    (エレミヤ書13章17節)
    暗黒の支配を免れるために、信仰による立ち帰りをエレミヤが繰り返し語ったにもかかわらず、ユダの民は神に栄光を帰すことをしないで破滅を目前にしていました。かたや神はエルサレムに対する決定的な裁きを語り、預言者は神と民との間に挟まれて苦しみます。
    同胞から迫害されても、なおエレミヤは民への愛を失ってはいません。預言者は神の言葉を取り次がねばなりませんが、かつてモーセがそうであったように、民の1人として執り成すことも大切な務めです。神の言葉を受け入れない人の心の頑なさに、預言者は避けられない神の裁きを見て涙を流します。
    神は人ではないので涙を流すことはありません。しかし、預言者が涙を流すとき、それはまた神の御旨を表すしるしとなります。
    イエス・キリストは滅びに定められたエルサレムを見て涙を流されました(ルカ19章41節)。それは失われた子の帰りを待ちわびる父の思いを映します。神もまた涙を流すほどに世を愛されて、僕たちを通して御言葉を語り続けるのです。
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  • 預言者の孤独(エレミヤ書 11-12章)
    アナトトの人々はあなたの命をねらい
    「主の名によって預言するな
    我々の手にかかって死にたくなければ」と言う。
    (エレミヤ書11章21節)
    歯に衣を着せぬエレミヤの預言は周囲から親しい者たちを遠ざけます。厳しい批判の言葉など聞きたくないのは世の常です。「アナトト」はエレミヤの故郷です。故郷の人々はエレミヤの告げた神の言葉に怒りをあらわにし、彼を亡き者にしようと企てました。彼は何も親兄弟を憎んで神の裁きを告げたわけではありません。包み隠さず神の言葉を語らねばならないのが預言者の務めです。しかし、それが人から疎まれ、命さえ狙われる理由になりました。
    真実を覆い隠すために、暴力によって口を封じようと試みるのは罪深い世界の現実です。不正を暴こうとするジャーナリストの仕事がいつも命がけにならざるを得ないのと同様です。そして偽預言者と同じく、保身のために権力の側につく選択をする者も少なくありません。
    預言者は屈強な精神力の持ち主だったわけではありません。正しい裁きを神に求めて、時には激しく神に訴えながら、神の言葉に命を預けて闘いました。ここに神の御言葉をいただいた教会の孤独と崇高な召しがあります。主イエス・キリストがその先頭におられます。
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  • 救いに至る知恵(エレミヤ書 9-10章)
    知恵ある人はこれを悟れ。
    主の口が語られることを告げよ。
    何故、この地は滅びたのか。
    焼き払われて荒れ野となり
    通り過ぎる人もいない。
    (エレミヤ書9章11節)
    エレミヤの預言から裁きの言葉を毎朝聴き続けるのは苦行にも感じられます。世の中には人の過失を責める暴力的な言葉が至る所にある一方で、メディアでは正しい批判さえ避けて何事も丸く収めようとする傾向があります。教会でも人間の罪性を指摘する御言葉を避け、愛と希望だけを優しく語りかける説教が好まれます。しかし、神の言葉は人間の好みに合わせて語られてはいません。聖書は真実を語ります。
    イスラエルの歴史に刻まれた人間の深い罪の性質は、歴史の彼方で語られる他人事では済まない、神の目から見たありのままの人間の姿です。預言者を通して語られる神は、そこから目をそらさないで知恵を得よ、と、時代を超えて世界に呼びかけます。
    しかし、その罪の真実を認めたところで、自分の力でどうにもできないのが人間です(10章23節)。それを知るしもべは、神の正しい裁きにすべてを委ねて、あとはただ憐れみを乞うています。ここに救いの道が始まります。神は怒りに任せて滅ぼす方ではなく、むしろお造りになったすべてのものを愛ゆえに贖う道を備えてくださいます。
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  • 偽りの神殿(エレミヤ書 7-8章)
    「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。」
    (エレミヤ書7章4節~6節)
    エルサレム神殿は神の臨在の証であり、イスラエルの誉れとして礼拝がささげられていました。多くの参拝者が集う中、エレミヤは神殿の門に立って神の言葉を呼ばわります。
    人々は礼拝をささげながら「主の神殿、主の神殿、主の神殿」と口々に賛美を唱えます。これは、そうして3回唱えるとご利益がある、という程の信心であったかもしれません。しかし、「神さま」とか「イエスさま」とか口で呼びかけても、生活のうちに主の教えに従う喜びがなければ、それは虚しい呪文と変わりがありません。イスラエルに与えられた神殿は、そこから語られる神の言葉に聞き従ってこそ人びとの命となります。真の信仰を失った形ばかりの宗教に民の魂を救う力はありません。
    神がお造りになるのは見せかけの平和ではなく、神の霊によって正義と愛を生み出す真の平和です。そのために、神は情熱を込めて民に呼びかけ続けます。罪に囚われている人間には自分から悔い改める力はありません。けれども、聖霊が御言葉とともに働くとき、真の悔い改めと信仰によって人は生きることができます。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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