リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 恵みの良い知らせ(イザヤ書 52章)
    いかに美しいことか
    山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
    彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え
    救いを告げ
    あなたの神は王となられた、と
    シオンに向かって呼ばわる。
    (イザヤ書52章7節)
    かつて、戦いの勝利や新しい王の即位などの喜ばしい知らせは、伝令によって伝えられました。それで、「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良き知らせを伝える者の足は」と言われます。
    今回の知らせは、神が王となられ、贖いと救いの御業を行ってくださるという、これまでにない喜びの知らせです。そのため、「奮い立て」、捕らわれの場から「立ち去れ」と呼びかけられています(1、11節)。しかも王である主が、民に先立って進み、また、しんがりをも守ってくださるのです(12節)。
    「地の果てまで」とあり、世界的な広がりが示されています(10節)。「その日」という言葉は終末的な広がりを暗示します(6節)。「目の当たりに見る」という表現は、救いの時が近づいていることを感じさせます(8節)。神が御業を成し遂げてくださる時が迫っているのです。
    パウロはこの伝令を福音宣教者にあてはめました(ロマ10章15節)。福音によって、主イエス・キリストが贖いと救いの御業を成し遂げてくださったという、驚くべき恵みの良い知らせが伝えられているからです。ハレルヤ!
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  • ペンテコステ(3)「聖霊を受けなさい」(ヨハネによる福音書 20章19-23節)
    イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」
    (ヨハネによる福音書20章21節~22節)
    復活の主イエスが弟子たちの前に現れて、「聖霊を受けなさい」と息を吹きかけられました。神が人を創造されたとき、「その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」とあります(創2章7節)。復活の主は、堕落して滅びに向かう罪人が新たに生きることができるように、再び命の息を与えてくださいました。神の命の息である聖霊を受けることにより、私たちは真に生きる者とされるのです。
    ペンテコステの日、聖霊に満たされた弟子たちは皆、神の偉大な業を聖霊が語らせるままに語りました(使2章4~11節)。彼らが望む、望まないではなく、聖霊が働かれるままに、神の偉大な業であるキリストを証しするものとされたのです。それが教会の誕生の産声でした。
    「聖霊を受けなさい」。この聖霊が教会を生み出し、教会は命の産声を上げます。キリストを証しして神の御言葉を宣べ伝えるのです。こうして、聖霊は御言葉と共に教会において働かれます。
    私たちも教会に召されて聖霊を与えられました。命の産声を上げて、福音を宣べ伝えて歩みましょう。
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  • 絶えることのない主の恵みの業(イザヤ書 51章)
    天に向かって目を上げ
    下に広がる地を見渡せ。
    天が煙のように消え、地が衣のように朽ち
    地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても
    わたしの救いはとこしえに続き
    わたしの恵みの業が絶えることはない。
    (イザヤ書51章6節)
    「立ち上がれ、エルサレム。主の手から憤りの杯を飲み、よろめかす大杯を飲み干した都よ」(17節)。神に対する背信のゆえにバビロン捕囚という神の憤りの杯を飲まなければならなかったイスラエルに、新しい慰めのメッセージが与えられました。エルサレムが再建され、再び喜びと楽しみが与えられます。主はおっしゃいます。「わたしの憤りの大杯を、あなたは再び飲むことはない」(22節)。
    51章はさらに大きな恵みの御業を告げています。「諸国」、「島々」とあるように、世界的な広がりが示されます(5節)。「荒れ野をエデンの園とし、荒れ地を主の園とされる」とあり、創造の世界の回復も示されています(3節)。たとえ天地がなくなっても、「わたしの救いはとこしえに続き、わたしの恵みの業が絶えることはない」のです。
    この救いと恵みの業が、今や主イエス・キリストによって始められています。私たちはなお罪に苦しみますが、主が私たちを贖い出してくださっているのであり、喜びと楽しみ、そして感謝の歌へと導かれています。永遠の救いの完成を目指して、きょうも主の恵みのうちを歩みましょう。
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  • 主に信頼する(イザヤ書 50章)
    お前たちのうちにいるであろうか
    主を畏れ、主の僕の声に聞き従う者が。
    闇の中を歩くときも、光のないときも
    主の御名に信頼し、その神を支えとする者が。
    (イザヤ書50章10節)
    神とイスラエルの民の関係が悪化したのは、民が神の言葉に応答しなかったからです。民は、神には救い出す力がないとでも思ったのでしょうか。それに対して神は、ご自身の成し遂げた出エジプトの出来事を示して、なぜ応えないのかと追及されました。
    神は、ご自分の言葉をご自身の僕に託します。僕は忠実に託された言葉を語りますが、不信の民はかえって僕を侮辱します。「ひげを抜こうとする」(6節)ことは、当時、最大の侮辱でした。しかし、僕はひるむことなく、神の言葉を語り続けます。
    実に、この僕の語る神の言葉に聞き従うことこそが救いであり、幸いなのです。神の言葉を拒み、自分勝手な考えで歩むならば、それは苦悩につながります。「苦悩のうちに横たわるであろう」と、警告されるのです(11節)。
    この僕の姿は、主イエス・キリストを指し示しています。今や、主イエスの声に聞き従わなければなりません。「お前たちのうちにいるであろうか、…主の御名に信頼し、その神を支えとする者が」と言って、主なる神は、主に信頼して聞き従うことへと私たちを招いておられます。
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  • あなたを贖う神(イザヤ書 49章)
    あなたを虐げる者に自らの肉を食わせ
    新しい酒に酔うように自らの血に酔わせる。
    すべて肉なる者は知るようになる
    わたしは主、あなたを救い、あなたを贖う
    ヤコブの力ある者であることを。
    (イザヤ書49章26節)
    ビロンによってエルサレムは破壊され、荒れ果てました。不当な侵略だったなら、神に訴えることができたでしょう。しかし、原因は自分たちの背信にありました。それでシオンは言いました。「主はわたしを見捨てられた、わたしの主はわたしを忘れられた、と」(14節)。シオンとはエルサレムのことです。エルサレムの人びとは、「主が私たちを見捨てられた」と嘆いたのです。
    しかし、主は言われます。たとえ女が自分の乳飲み子を忘れるという、あり得ないことがあったとしても、「わたしがあなたを忘れることは決してない」(15節)。また、以前にもまさる繁栄を回復すると約束されます。それは、シオンの民の思いを越えるほどの回復です。その結果、すべての者が、主は贖うお方、救うお方であると、知るようになります(26節)。
    生けるまことの神は、自らの罪のゆえに闇の中を歩む罪人を、決して見捨てることなく、贖い、救い、回復してくださるお方です。そのことが、まことの主の僕であるイエス・キリストを通して、今日、いっそう明らかに示されています。主なる神は、あなたを救い、贖う神であられます。
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  • 平和と恵みの主(イザヤ書 48章)
    イスラエルの聖なる神
    あなたを贖う主はこう言われる。
    わたしは主、あなたの神
    わたしはあなたを教えて力をもたせ
    あなたを導いて道を行かせる。
    わたしの戒めに耳を傾けるなら
    あなたの平和は大河のように
    恵みは海の波のようになる。
    (イザヤ書48章17節~18節)
    イスラエルの名をもって呼ばれる民は、名ばかりでかたくなな民になっていました。何か事が起こると理屈をこね、「わたしは知っていた」と言ったり、偶像がそれを起こしたと言ったりするような状態でした。
    その民になお神は、「これを聞け」と語りかけます。今までも神が事を起こし、それを知らせてきたではないかと。そして、これから起こることも知らせようと。それは、ちょうどモーセによって出エジプトがなされたように、主の御腕となる者によって、神の民がバビロンから解放されるということです。
    そのことを示して、主はおっしゃいます。「わたしはあなたを教えて力をもたせ、あなたを導いて道を行かせる」、また、「わたしの戒めに耳を傾けるなら、あなたの平和は大河のように、恵みは海の波のようになる」と。かたくなな民に何度も繰り返された、神の招きの言葉です。
    すべての事を行い、御言葉によってそれを示される主に聞き従うことこそ、平和(シャローム)であり、恵み(ツェダカー)なのです。神の招きに応えて、神の恵みと平和のもとにとどまりましょう。
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  • まことの知恵と知識(イザヤ書 47章)
    お前は平然と悪事をし
    「見ている者はない」と言っていた。
    お前の知恵と知識がお前を誤らせ
    お前は心に言っていた
    わたしだけ
    わたしのほかにはだれもいない、と。
    (イザヤ書47章10節)
    神に背いたユダヤを裁くために、神の器としてバビロンが用いられました。今度はバビロンが神に裁かれ、滅ぼされます。その理由は、「わたしだけ、わたしのほかにはだれもいない」と、本来神ご自身だけが言うことのできることを自らに当てはめたからです。
    それほどの高慢は、どこから来たのでしょうか。「お前の知恵と知識がお前を誤らせ」たと、主は言われます。バビロンは、天文学、占星術など、当時としては非常に進んだ文明を持っていました。それが高慢をもたらしたのです。その知恵と知識が、自分を「永遠」の存在とみなし、「何事も心に留めず、終わりの事を思わな」いものであったからです(7節)。
    本当の知恵と知識は、神を知り、終わりの事を思わせるものです。それは、人を謙遜と神への信頼に導きます。その知恵と知識が、今や主イエス・キリストを通して与えられました。「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています」(コロ2章3節)。キリストによって与えられた、まことの神を知る知恵と知識によって、私たちは、神を神とすることに堅く立ち続けます。
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  • 救いをもたらす生ける神(イザヤ書 46章)
    わたしの恵みの業を、わたしは近く成し遂げる。
    もはや遠くはない。
    わたしは遅れることなく救いをもたらす。
    わたしはシオンに救いを
    イスラエルにわたしの輝きを与えることにした。
    (イザヤ書46章13節)
    イザヤ書の後半では、何度も偶像について取り上げられています。「背く者よ、反省せよ」と呼びかけられるように、偶像のことは決して侮れない問題なのです(8節)。
    二つのことによって、まことの神が示されています。一つは、人間によって担がれなければならない偶像と、人間を担ってくださる主との対比です。偶像は担がれなければ動くことができません。しかし主は、生まれた時から白髪になるまで人を担ってくださるお方です(3、4節)。
    もう一つは、主が計画されたことは必ず実現するということです。しかもその計画は恵みの御業であり、救いの計画です。神の民は、出エジプトをはじめとして、すでにそれを十分に経験してきました。主なる神はあらためて、ご自身の恵みの御業を遅れることなく成し遂げると約束しておられます。
    そのご計画どおり、主イエス・キリストによって神の救いの御業が成し遂げられました。主が生きて働いておられるという、これ以上の証拠があるでしょうか。もはや、ここから離れることはできません。主は今も、私たちを担ってくださっています。
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  • ペンテコステ(2)みなしごではない(ヨハネによる福音書 14章15-21節)
    「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」
    (ヨハネによる福音書14章18節~19節)
    主イエスは、「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」と約束されます。
    聖霊が降って、福音宣教へと遣わされた初代教会は、四方八方から迫害を受けて、確かに「みなしご」のような存在でした。しかし、この世的には「みなしご」のようであっても、その「みなしご」には天の御父がおられます。主イエスは、「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と約束されました(16節)。「別の弁護者」である聖霊によって、永遠に一緒にいてくださるのです。
    この世に遣わされた私たちは、確かに「みなしご」のような孤独を感じることがあるでしょう。「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受け」るからです(2テモ3章12節)。しかし、その現実の中でキリストの御言葉が立ち上がります。主イエスの約束は真実なのです。
    地上でどんなことが起ころうとも、キリストが共におられること、私たちが「みなしご」ではなく、「神の家族」であることが、聖霊によって保証されています。それがペンテコステの出来事なのです。
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  • わたしが主、ほかにはいない(イザヤ書 45章)
    日の昇るところから日の沈むところまで
    人々は知るようになる
    わたしのほかは、むなしいものだ、と。
    わたしが主、ほかにはいない。
    光を造り、闇を創造し
    平和をもたらし、災いを創造する者。
    わたしが主、これらのことをするものである。
    (イザヤ書45章6節~7節)
    主は、異教の国ペルシアのキュロス王をご自身の器として立てられます。キュロスを立てた目的が三つ記されています。一つはキュロス王自身が主を知るため(3節)、二つめはイスラエルが解放され、救われるため(4節)、三つめは「日の昇るところから日の沈むところまで」、人々が主を知るようになるためです。
    「土の器のかけらにすぎない」人間には、さまざまな疑問が湧き起こるでしょう(9節)。なぜ残酷なバビロン軍が神の民の裁きに用いられたのか。なぜ解放する者が異教の王なのか。しかし、それは粘土が陶工と争うようなことなのです(9、10節)。
    主は言われます。「わたしが主、ほかにはいない。光を造り、闇を創造し、平和をもたらし、災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである」。
    主のご計画と導きは、計りがたく、しかも恵み深いものです。そして、「恵みの言葉が出されたならば、その言葉は決して取り消されない」のです(23節)。たとえ不合理に思えても、闇の中、災いの中にあるかのように思えても、すべては神の民の益のためにあることを信じましょう。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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