リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • わたしはあなたを贖った(イザヤ書 44章)
    わたしはあなたの背きを雲のように
    罪を霧のように吹き払った。
    わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。
    天よ、喜び歌え、主のなさったことを。
    地の底よ、喜びの叫びをあげよ。
    (イザヤ書44章22節~23節)
    「偶像を形づくる者は皆、無力で、彼らが慕うものも役に立たない」とあり、偶像を造り、拝む者の愚かさが示されます(9~20節)。それに対して、まことの神は「あなたを造り、母の胎内に形づくり、あなたを助ける主」であり、創造と摂理の神でもあります(2、6、24節)。その神は、さらに罪を霧のように吹き払い、罪を贖ってくださるお方です。
    罪を贖ってくださることの象徴的な出来事の一つが、ユダヤの民をバビロン捕囚から解放してくださったことです。そのために、神はキュロスという一人の僕を立てて、それを実現してくださいました(26~28節)。
    それは、さらなる真の救いを指し示しています。すなわち、一人の僕であり、一人の牧者である者が立てられ、罪の贖いが成し遂げられます。神は、主イエス・キリストを立てて、究極的な罪の贖いを完成してくださいました。
    私たちに残されていることは、それを信じて主に立ち帰ることです。主のなさったことを喜び歌い、賛美することなのです。「天よ、喜び歌え、主のなさったことを。地の底よ、喜びの叫びをあげよ」。
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  • あなたの背きの罪をぬぐい(イザヤ書 43章)
    わたし、このわたしは、わたし自身のために
    あなたの背きの罪をぬぐい
    あなたの罪を思い出さないことにする。
    (イザヤ書43章25節)
    イザヤ書は、神の救いを語ったかと思うと、イスラエルのかたくなさを語り、また再び神の救いを語るという対比を通して、神の救いの恵みを明らかにしています。
    43章では、「あなたの罪」に対して「わたしが救う」ことが対比され、強調されています。「わたしは」という主語が示され、「贖う」「名を呼ぶ」「共にいる」「あなたを愛し」「連れ帰り」と続きます。きわめつけは、「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し」(4節)、「わたし、このわたしは、わたし自身のために、あなたの背きの罪をぬぐい、あなたの罪を思い出さない」でしょう。
    私たちに当てはめてみましょう。主が私たちを贖ってくださる、主が私たちと共にいてくださる、主が私たちを愛してくださる、主が私たちを集めてくださる、主が、主ご自身のために、私たちの背きの罪をぬぐってくださる。
    イスラエルがかたくなであっても主が救いを告げておられる、そのように、私たちの罪と愚かさにもかかわらず、主がご自身の御業として、救いを成し遂げてくださいます。そのために、主イエス・キリストが来られたのです。
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  • 新しいことをわたしは告げよう(イザヤ書 42章)
    見よ、初めのことは成就した。
    新しいことをわたしは告げよう。それが芽生えてくる前に
    わたしはあなたたちにそれを聞かせよう。
    (イザヤ書42章9節)
    神に選ばれたイスラエルの民は、本来、神の僕として、諸国に神の道を示す役割を果たすべきでした。ところが、そのイスラエル自身が神に背を向けてしまい、かたくなになってしまいました(18~25節)。
    天地創造の神は、新しい御業を行うために、新しい僕を諸国の光として立ててくださいます。神ご自身が選び、喜び迎えられる僕、神ご自身の霊を置かれる僕です。その僕は、「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すこと」のない方法で、神の道とご支配を示します(3節)。諸国はその僕によって、神のご支配を知ります。それを知ったなら、賛美せざるを得ません。預言者は、「新しい歌を主に向かって歌え。地の果てから主の栄誉を歌え」と告げます(10節)。
    福音書は、イエス・キリストこそこの僕だと語ります。主イエスは、罪のゆえに傷つき弱っている私たちに、新しい神の御業、神の憐れみのご支配を示してくださいます。「行く手の闇を光に変え、曲がった道をまっすぐに」してくださいます(16節)。私たちは、神の御業によって、新しい賛美に導かれるのです。
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  • わたしはあなたと共にいる神(イザヤ書 41章)
    恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
    たじろぐな、わたしはあなたの神。
    勢いを与えてあなたを助け
    わたしの救いの右の手であなたを支える。
    (イザヤ書41章10節)
    ユダ王国を滅ぼしたバビロンは、ペルシアのキュロス王によって滅ぼされます。キュロス王によってユダヤの民は解放され、国の再建へと向かいます。そのような歴史の動きに対して、この41章は、「王たちを従わせたのは誰か」、「成し遂げたのは誰か」と言い、背後に神の働きがあることを主張します(2、4節)。
    さらに、自然の営みの背後にも神の働きがあると指摘されます(18~20節)。偶像礼拝者は、その真実の前に沈黙せざるを得ません(28、29節)。
    そのように、歴史と自然をご支配なさる神がおっしゃっています。「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神」。
    新約時代に生きる私たちには、さらにインマヌエル(神は我々と共におられる)である主イエス・キリストが示されています。主イエスは、十字架によって私たちの僕となり、友となってくださいました。この主イエスを信じる者は、「わたしの愛する友アブラハムの末よ」(8節。ガラ3章7節参照)と呼ばれます。
    歴史と自然を支配なさる神が、さらに救い主として私たちと共におられます。
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  • 力強い慰め(イザヤ書 40章)
    ヤコブよ、なぜ言うのか
    イスラエルよ、なぜ断言するのか
    わたしの道は主に隠されている、と
    わたしの裁きは神に忘れられた、と。
    (イザヤ書40章27節)
    神の民は、自らの罪のゆえに捕囚の憂き目にあっています。絶望、不信、あきらめ、さまざまな思いにとらわれていたことでしょう。そこに、主からの慰めの言葉が語られます。その慰めの言葉が気休めで終わらないために、二つのことが確かでなければなりません。一つは、慰めてくださる主は、いま自分たちを支配している異国の力や神々よりも力強いのか。もう一つは、主は自分たちを見捨ててはおられないのか。
    第一の問いに対しては、「目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ」と言い、神の創造の御業を歌い上げて、異国の神々は人間が作った偶像でしかないことをあばきます(12~26節)。
    第二の問いに対しては、「なぜ『わたしの道は主に隠されている』、『わたしの裁きは神に忘れられた』などと言うのか」と言い、主は羊飼いのように顧みると諭します。主は決してご自分の羊を見捨てるお方ではありません。
    天地創造の神が羊飼いのように神の民を守り、導いてくださいます。この慰めが私たちにも与えられています。「主に望みをおく人は新たな力を得」るのです(31節)。
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  • ペンテコステ(1)もっと大きな業を(ヨハネによる福音書 14章1-14節)
    「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」
    (ヨハネによる福音書14章12節)
    5月第3主日にペンテコステを迎えます。今月の主の日はペンテコステを感謝して、聖霊降臨の御業について学びます。
    本日の箇所は、主イエスが十字架につけられる直前の告別説教です。十字架の死を目前にして、主イエスは弟子たちを力づけて、「心を騒がせるな」とおっしゃいました(1節)。主イエスの十字架の死が、「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」ための神の御業だからです(3節)。
    この約束が、ペンテコステにおいて実現しました。かつて心を騒がせていた弟子たちでしたが、今や聖霊によって天上の主イエスに結び合わせられて、苦難の中で雄々しくキリストを証しし、福音宣教に明け暮れる者へと変えられました。「わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる」。これが聖霊によって実現したのです。
    私たちも、小さな者ですが、「もっと大きな業を行う」ために召されています。主イエスは肉の目では見えませんが、聖霊によって、今、私たちの目の前におられます。私たちは何を恐れましょう。
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  • 神に献げることの喜び(テモテへの手紙一 6章)
    不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。
    (テモテへの手紙一6章17節~18節)
    信仰の戦いの一つに、富にしがみつこうとする自分との戦いがあります。その戦いを放棄すると、この世の価値観によって信仰が無意識の内に蝕まれてしまいます。
    ある長老がおっしゃっていました。「富を用いる判断基準を神に置くことを大切にして生きてきました。神様は、そのわたしを祝福して、必要をすべて満たしてくださいました。神様に信頼して献げることの幸いを皆に知っていただきたいと願っています」。
    献げる行為は、すべてのキリスト者に与えられた神の恵みであり、特権です。献げることは、この世の富ではなく、神に信頼を置いていることの表明です。それゆえ、献げることが私たちの信仰を確かにし、この世の価値観から私たちを守ります。私たちは、「神の国と神の義を第一にするときに、すべて加えて与えられる」との信仰に立つのです(マタ6章33節参照)。
    聖書は、「受けるよりは与える方が幸いである」と教えます(使20章35節)。与えることによって神と人に仕えることができるからです。献げる行為は恵みに満ちています。聖書が語る献げる喜びを深く味わいましょう。
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  • 尊敬と愛をもって諭す(テモテへの手紙一 5章)
    老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい。
    (テモテへの手紙一5章1節~2節)
    互いに赦し合うことは大切です。けれども、誰かの過ちに気づいたときに、それを放っておくことはよくありません。その人のためにならないばかりか、神の栄光が汚されることになりかねません。過ちに気づいたら、尊敬と愛をもって諭しましょう。
    難しいことかもしれません。放っておくほうが楽だと思うかもしれません。けれども、過ちを犯したその人が、自分の罪に気づき、神に立ち帰るために、あなたの存在が必要とされているのです。
    諭すときに大切にしたいことがあります。自分も神の御前に等しく罪人であることを常に心に留めるのです。決して裁くのではありません。祈りをもって備えて、罪の赦しを求めて共に神の御前に立ち、共に神の諭しを聞く姿勢で、言葉を届けましょう。主の聖霊が働いて、あなたの思いがきっとその人にも理解されるでしょう。
    あなたが過ちを犯したとき、今度はその人が尊敬と愛をもって諭してくださるかもしれません。あなたにとってもそのような存在が必要です。尊敬と愛をもって互いに諭し合う、健やかな人間関係を祈り求めましょう。
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  • 生ける神に希望を置く(テモテへの手紙一 4章)
    わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。
    …聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。
    (テモテへの手紙一4章10節、13節)
    伝道する中で、もっとああすればよかった、と思うことが多々あります。失敗をし、くよくよしては、自分を責め、誰かを責めたくなります。
    そのようなわたしに先輩牧師が言葉をかけてくださいました。「伝道は失敗の連続だ。大切なことは下を向かないこと。神様は失敗さえ用いてくださる。希望を見て、上を向いてやっていこう」。伝道は神の御業であり、神に希望があると、あらためて教えてくださったのです。
    ここでは、「聖書の朗読と勧めと教えに専念」するよう、教えられています。礼拝における説教がそれに当たるでしょう。また、教会で、あるいは個人的に、御言葉と教理を学ぶことでもあるでしょう。そこにおいて、生ける神が働いてくださいます。私たちではなく御言葉が、人を内側から造り変えるのです。私たちは、御言葉と聖霊において今も働いておられる神に信頼することができるのです。
    それゆえ、目に見える有様は失敗に思えたとしても、神の国は前進しています。主なる神が「あの失敗にはこういう意味があったのだ」と教えてくださる日が、やがて必ず来るでしょう。
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  • 主イエスの道を歩もう(テモテへの手紙一 3章)
    神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。
    (テモテへの手紙一3章15節)
    主イエスはご自身を「道であり、真理であり、命である」とおっしゃいました(ヨハ14章6節)。私たちは主イエスを信じて、道である主イエスに従う歩みをいたします。その道は、主イエス・キリストの体である教会と一つにされる歩みです。神の家とされている教会に、私たちの信仰生活の中心があります。
    ところで、神について知ることと、神を知ることは違います。たとえば、お米について知っているとは、お米の種類や産地を知っているということでしょう。けれども、お米を知っているとは、お米を食べて、その美味しさを知っているということです。その意味で、真実に神を知り、神を喜ぶ生活をするのです。
    第一に、教会において、私たちは神を真実に知る者とされます。礼拝において神の真理の御言葉が語られ、聞かれているからです。第二に、日毎の御言葉と祈りが大切です。これらを霊の糧として、私たちは真実に神を知り、主イエスのあとに従う道を歩むことへと導かれます。
    主イエス・キリストは、御言葉と祈りによって、今も私たちと共におられます。主イエスの道を共に歩みましょう。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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