リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
Download on the App Store

リジョイス聖書日課 episodes

  • 苦難の意味(創世記 45章)
    「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。」
    (創世記45章7節~8節)
    ユダと兄弟たちが罪を告白したことによって、ヨセフの閉じた心が開かれます。彼はとうとう耐えきれなくなって、自分の正体を明かします。宮廷全体に響き渡るほどの声をあげて泣き出します。そして、ヨセフの口から、これまでのすべてのことの意味を解き明かす、信仰の言葉が語られます。「神が、このことに働いておられた。神が救いの御業のためにこのことをなさったのだ」と。
    ヨセフが穴に落とされてから22年の時が過ぎています。神の時計はゆっくり時を刻みます。ある神学者は、「神学は世紀単位で考える」と言っています。私たちは何でもすぐに解決をしたくなります。しかし、神は多くの場合、ゆっくりとご自身の御心を実現していかれます。
    私たちの身の周りにも、「なぜこんなことが」と思うようなことが起こることがあります。苦難は苦難そのものの苦しみだけではなく、苦難を与えられた意味がわからないということにこそあります。その意味は、すぐには明らかにされません。けれども、やがて神の時の中で、そのことが解き明かされる日が来ます。
    0 min
  • ひれ伏して罪を告白する(創世記 44章)
    ユダが答えた。
    「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。」
    (創世記44章16節)
    再びエジプトに戻って来た兄たちを、ヨセフはさらに試みます。ベニヤミンがヨセフの銀の杯を盗んだと疑われるような仕掛けをして、彼らを責め立てます。そのとき兄たちは、ヨセフの前にひれ伏します。そして、兄弟たちを代表してユダが語ります。
    ユダは、「神が僕どもの罪を暴かれたのです」と言います。この言葉は、「神は私たちの罪を見出した」、「神が私たちの罪に到達された」とも訳すことのできる言葉です。銀の杯のことは、全くの濡れ衣でした。彼らに暴かれなければならない罪はないはずです。「身に覚えはない」と言い張るのが普通です。それならなぜ、このようにユダは語るのでしょうか。
    ユダも兄弟たちも、これまでの出来事から、神がすべてをご存じで、22年前の出来事を今、暴かれている、裁かれている、そう思ったのです。
    兄弟たちは今、ひれ伏しています。ヨセフが若い日に見た夢が、時を経て実現しています。でも兄たちは、ただヨセフの前にひれ伏していたのではありません。神の裁きの座の前にひれ伏していました。私たちも皆、そうするほかありません。
    0 min
  • シャロームの回復(創世記 43章)
    執事は、「御安心なさい。心配することはありません。きっと、あなたたちの神、あなたたちの父の神が、その宝を袋に入れてくださったのでしょう。」
    (創世記43章23節)
    創世記のヨセフ物語にはテーマがあります。それは平和、シャロームです。信仰の家の平和の喪失と回復です。
    43章では、ヨセフの兄たちは、シメオンを人質に残し、食糧を携えて父のもとに戻ります。それから再び、約束どおり末の弟ベニヤミンを連れてエジプトに向かいます。彼らは、ヨセフの屋敷の前に着いたとき、袋に入っていた銀について執事に正直に打ち明け、相談します。すると執事は挨拶をします。「御安心なさい。心配することはありません」と。執事はここで、「あなたがたにシャロームがあるように」と言っています。この挨拶は大切な意味を持っています。
    37章4節に、兄たちは「ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった」とありました。これは「シャロームの挨拶ができなくなった」という言葉です。ここから一つの家の平和が崩れていきました。しかし、ここで、不思議にもその挨拶が彼らになされています。壊れた平和が回復され始めているのです。
    「シャローム」、復活のキリストもこう挨拶をされました。私たちの平和の再建もここからすでに始まっています。
    0 min
  • 生きるために必要なこと(創世記 42章)
    彼らは同意して、互いに言った。
    「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった。」
    (創世記42章20節~21節)
    夢の解き明かしのとおり、飢饉はエジプトを、また世界の町々をも襲います。そこで大臣ヨセフは、倉を開き、蓄えた食糧を国内だけでなく、世界各地の人々に売る施策を実行します(41章)。
    大飢饉は、パレスチナにも及び、やがてヤコブと兄弟たちも食べるにも窮するようになります。そのような中、エジプトの穀倉の噂をヤコブも聞きます。ヤコブは、ベニヤミンを除く十人の子どもたちをエジプトに遣わします。こうして彼らはエジプトで、ヨセフの前に立ちます。ヨセフはすぐに兄たちだと気づきましたが、兄たちはヨセフに気づきません。ヨセフは兄たちを厳しく尋問し、兄たちと対話を始めます。この対話の中で、やがて兄たちは、長い間、隠し続けてきた罪を告白するに至ります。
    20年を経ても罪が彼らに暗い力を持ち続けていたことを、創世記は語っています。罪に時効はありません。肉の糧を求めてエジプトに来た彼らでしたが、本当に必要としていたのは、罪の赦しでした。それは、今も全世界の人々に必要なことです。「人はパンだけで生きるものではない。…」(マタ4章4節)。
    0 min
  • わたしではなく、神が(創世記 41章)
    ヨセフはファラオに答えた。
    「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」
    (創世記41章16節)
    ヨセフが、エジプトに売り渡されてから13年が過ぎ、彼はもう30歳になっています。まだ彼は獄中生活を続けています。しかし、ある日突然、彼は牢獄から連れ出され、身なりを整えさせられて、ファラオの前に立たされることになりました。
    ヨセフが引き出されたのは、王が見た奇妙な夢のためでした。その夢は、よく肥えた7頭の雌牛と、それを食い尽くす痩せた雌牛の夢。さらには、よく実った7つの穂とそれをのみ込む干からびた7つの穂の夢でした。エジプトの知者は誰もこの夢を解くことができませんでした。その時、給仕役の長が2年の間忘れていたヨセフのことを思い出して、王にヨセフのことを話します。王はヨセフに見た夢を解くように命じます。
    そこでヨセフは獄中の生活を支えてきた信仰を言い表します。それは、「わたしではなく、神が」という信仰です。夢の解き明かしでも、「神が」は繰り返し語られています(25、28、32節)。
    「わたしではなく、神が」。これは神への信頼に立つ信仰であり、一切の栄光を神に帰する信仰です。私たちもこの信仰に生きます。
    0 min
  • 忘れ去られる不安 (創世記 40章)
    「ついては、あなたがそのように幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い出してください。…」
    ところが、給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。
    (創世記40章14節~23節)
    ある神学者が「忘れ去られる不安」について語っています。私たちの生きる今日の社会は、一人の人間がそこにいることが実に簡単に忘れ去られてしまうような社会です。また、この不安は人の死の不安とも重なっています。死は、永遠に忘れられてしまうことに思われるからです。
    ここには、ポティファルの妻による事件後の、ヨセフの獄中生活が書かれています。獄中でヨセフは、給仕役の長と料理役の長のそれぞれの夢を解き明かします。ヨセフは、給仕役の長の見た夢は、3日の後にファラオが復帰を許すことを意味していると解き明かします。ヨセフは、夢が実現して監獄から出され、幸せになったときには、わたしのことを思い出して、ファラオに執り成して欲しいと願います。ところが、彼はヨセフのことを、「思い出さず、忘れてしまった」と記されています。
    人は忘れても、神はヨセフのことを覚えておられます。十字架につけられた主イエスも私たちのことを忘れ去られません。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(ルカ23章42節)。この祈りは直ちに聞かれます。
    0 min
  • 一緒にお泊まりください(ルカによる福音書 24章13-35節)
    二人が、「一緒にお泊まりください…」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
    (ルカによる福音書24章29節~31節)
    二人の弟子が、主イエスの死について語りながらエマオ村を目指していました。そこへ突然、復活のイエスが近づき問いかけます。「その話は何のことですか」。彼らは、「イスラエルを解放するはずの力ある預言者が十字架につけられて殺され、その遺体も失われてしまった」と悲しそうに答えました。
    二人が思い描くメシア(=キリスト)は、この世的・政治的な解放者でした。しかし、聖書が語る真のメシアは「苦しみを受けて栄光に入る」メシア(=キリスト)です。
    主イエスは、歩きながら二人に聖書全体を解き明かし、「御自分について」、すなわち救い主キリストについて語られました。それは、「聴きながら二人の心が燃えた」すばらしい御言葉体験でした。二人の心は燃やされ、さらに御言葉を聞くために願いました。「一緒にお泊りください」と。食事のとき、二人の目が開かれ、主イエスと分かりました。主イエスは姿を消し、二人はエルサレムに引き返し、復活の証人となりました。
    教会では、真の救い主、復活のキリストが解き明かされます。御言葉に心燃やされる礼拝をささげましょう。
    0 min
  • 泣きっ面に蜂の人生に(創世記 39章)
    主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。
    (創世記39章2節)
    兄たちによって穴に落とされ、やがてイシュマエル人に売り渡されたヨセフは、エジプトに連れてこられています。ファラオの宮廷の役人で、侍従長をしているポティファルという人の下にいます。かつては何不自由のない恵まれた環境にいたヨセフですが、今は売られて奴隷となっています。
    さらにこの彼を苦難が襲います。ポティファルの妻の誘惑をヨセフは拒みます。すると彼女は逆に、奴隷であるヨセフに誘惑されたと主人に訴えます。主人は怒り、無実であるにもかかわらずヨセフを監獄に入れます。穴に落とされてからのヨセフの人生は、「泣きっ面に蜂」の不運な人生と言わなければならないでしょう。
    しかし、聖書はこのヨセフについて驚くべきことを語ります。この箇所で、「主が共におられた」と何度も繰り返して語られているのです(2、3、21節ほか)。2節は、「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり」(口語訳)とも訳されます。主が共におられる幸運な人生は、何も辛い目に遭わない人生ではありません。苦難の中でも守られ、支えられる人生です。
    0 min
  • ユダ族のはじまり(創世記 38章)
    ユダは調べて言った。
    「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子のシェラに与えなかったからだ。」
    (創世記38章26節)
    ユダはカナン人の妻をめとり、エル、オナン、シェラという三人の子をもうけます。やがて長男のエルはタマルと結婚しますが、エルは若くして主に背いて死んでしまいます。当時の掟によって次男のオナンが、タマルに責任を負わなければなりませんが、その義務を果たすことなく彼も死んでしまいます。さらに、三男のシェラまで死ぬことを恐れたユダは、シェラにタマルへの義務を負わせず、タマルを実家に帰してしまいます。
    何年かの後、タマルは神殿娼婦になりすまして舅のユダと関係し、子を宿します。ここに記されているのはタマルの罪でしょうか。そうではありません。ユダとその家の罪です。タマルはユダより正しいのです。
    ユダ族は、イスラエルの十二部族のなかの代表的な氏族になっていきます。そのユダ族のはじまりがここに記されています。それはまことに罪深いものでした。しかし、聖書は事実を正直に記録しています。神の憐れみを信じるからです。やがて「ユダはタマルによって…」と主イエス・キリストの系図にもこのことは記されます(マタ1章3節)。
    0 min
  • 神は密かに働かれる (創世記 37章)
    ヨセフがやって来ると、兄たちはヨセフが着ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取り、彼を捕らえて、穴に投げ込んだ。その穴は空で水はなかった。
    (創世記37章23節~24節)
    ヤコブは、兄弟たちのなかでヨセフだけを溺愛し、兄たちは次第にヨセフを妬み、憎むようになります。ヨセフは、父や兄たちが自分を拝むようになるという夢を兄たちに語り、兄たちにひどく憤慨されます。
    夢は、当時、神の啓示の手段とされていました。夢を兄たちに得意げに語るヨセフ、また夢を嘲る兄たち(19、20節)、双方に生ける神への畏れは見られません。その後、ヨセフは父の使いでドタンの荒れ野で羊の群れの世話をしていた兄たちのもとに行き、そこで事件が起こります。兄たちはヨセフを穴に突き落として殺そうとします。しかし、土壇場でヨセフの命は失われず、エジプトに売られることになります。
    信仰の家が神に背き離れることによって崩壊する様が描かれており、ここを読む時、暗澹たる思いになります。しかし、創世記は同時に、人間のどうしようもない罪の悲惨の中で密かに働かれる神がおられることをここで語っています。「穴は空で水はなかった」ことが、そのしるしの一つです。神は今も私たちの間で確かに生きて働いておられます。
    0 min

About リジョイス聖書日課

From the publisher's feed

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

More shows like リジョイス聖書日課

3分でわかる!聖書 by 中川健一

3分でわかる!聖書

6 Listeners

聖書人になりたい by kannokazuhiko

聖書人になりたい

1 Listeners

聖書プロジェクト BibleProject by BibleProject

聖書プロジェクト BibleProject

0 Listeners