リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 神の救いの確かさ(創世記 25章)
    「二つの国民があなたの胎内に宿っており
    二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。
    一つの民が他の民より強くなり
    兄が弟に仕えるようになる。」
    (創世記25章23節)
    ヤコブと双子の兄エサウが母の胎内にいるとき、神は母リベカに、兄が弟に仕えるようになるとお告げになりました。これはアブラハムからイサクに受け継がれた神の契約の祝福を、弟ヤコブが受け継ぐことを意味します。
    二人が成長したある日、ヤコブは狩りから帰ってきた空腹の兄エサウから、自分が作った煮物と引き換えに長子の権利を譲らせることに成功します。エサウは神の契約を軽んじました。
    しかしヤコブが契約を受け継ぐにふさわしい人物だったかというと、そうではありません。ヤコブは神の契約の祝福を、兄の空腹と弱さにつけこんで手に入れようとするずる賢い人間でした。それにもかかわらず神はヤコブを選ばれました。選ばれた理由はヤコブ自身にはありません。ただ神の自由なご意志によるのです。
    私たちが神によって救いの恵みを受け継ぐ者とされたのも同じです。ただ神のご意志によるのです。だからこそ私たちの救いは確かです。だからこそ私たちは一切を神の栄光に帰し、神を賛美します。主の御名をほめたたえようではありませんか。
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  • 夜明けの出会い(マタイによる福音書 28章1-10節)
    すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
    (マタイによる福音書28章9節~10節)
    復活の主イエスと最初に出会ったのは、マグダラのマリアともう一人のマリアという二人のマリアでした。十字架の時、男の弟子たちは逃げ去りましたが、彼女たちはその場にとどまり、主イエスの十字架の死を見届けました。その彼女たちが、主イエスの復活の最初の証人となりました。
    そして、それは日曜日のまだほの暗い明け方でした。彼女たちが墓を訪ねると、待っていたかのように地震が起き、主の天使が天から降って、入口の大きな石を転がしました。墓の番兵は気を失い、彼女たちは天使に促されて墓に入りました。しかしすでに遺体はなかったのです。天使は告げました。「あの方は死者の中から復活された。…ガリラヤで…お目にかかれる」(7節)。
    彼女たちが男の弟子たちのところへ走る途上、復活の主イエスが行く手に現れ、語りかけました。「おはよう(カイレテ)」。このギリシア語は、「安かれ」「平安あれ」「喜べ(リジョイス)」とも訳されます。確かに主イエスは二人のマリアに告げられたのです。わたしはよみがえった、安かれ!喜べ!。復活の主は今も私たちと共におられます。
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  • 主イエスの埋葬(ヨハネによる福音書 19章38-42節)
    彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。
    (ヨハネによる福音書19章40節~41節)
    十字架で処刑された者は、十字架の上に放置され腐敗するまま放って置かれたと言われています。しかし、ユダヤ人たちは遺体の埋葬を重んじていました。ピラトも、ユダヤ人の死刑囚の場合には申し出があれば埋葬を許可していたようです。
    この時、主イエスの埋葬のために、主イエスの弟子であることを隠していたアリマタヤのヨセフと、かつて人知れず夜に主イエスを訪ねたニコデモが用いられます。ヨセフは勇気を出して主イエスの埋葬を願いました。ニコデモは大量の香料を用意しました。神は二人の有力者を用いて王の埋葬のように主イエスの遺体に香料を添えて埋葬するように導かれました。
    こうして、十字架の処刑と埋葬によって主イエスの死が明らかになります。主イエスは私たちの身代わりとなって神の裁きを引き受けてくださり、ご自身を犠牲とされました。ピラトもユダヤ人もこれで終わったと思ったことでしょう。
    しかし、翌日の朝、驚くべきことが起こります。明日のリジョイスを楽しみに待ちましょう。
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  • 真理とは何か(ヨハネによる福音書 18章1節-19章37節)
    そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。…真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」ピラトは言った。「真理とは何か。」
    (ヨハネによる福音書18章37節~38節)
    大祭司カイアファは主イエスを尋問した後に、ローマの総督ピラトのもとに主イエスを連れて行きました。ユダヤ人には人を死刑にする権限がなかったからです。そこでピラトが主イエスを尋問することになりました。ユダヤ人は主イエスがユダヤ人の王を自称したと訴えます。
    ピラトは主イエスを尋問します。そこで、主は「わたしの国はこの世に属していない」と答えられました。ピラトは「それでは、やはり王なのか」と質問を重ねます。主イエスはローマ人が考える地上の王ではありません。そうではなく、真理について証しをするために来たと言われます。この処刑の直前においても主イエスはご自身を証しし、ピラトに伝道をされました。
    しかし、ピラトは、その言葉の重みを受け止め切れません。「真理とは何か」と問いましたが、もうそれ以上に聞くことはありませんでした。
    主イエスはかつて「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われました。命の道を開く方は主イエスだけです。そのために主イエスは十字架の道に向かわれるのです。そこに主イエスの真理があります。
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  • 弟子の足を洗う主イエス(ヨハネによる福音書 13章1-17節)
    イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り…たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い…ふき始められた。
    (ヨハネによる福音書13章3節~5節)
    主イエスが弟子たちの足を洗われたことを記念して、教会の暦では受難週の木曜日を洗足の木曜日と呼んでいます。この時、主イエスは父からすべてがご自分に委ねられたことを悟り、食卓の席を立ち弟子たちの足を洗われました。
    マタイ福音書は、主イエスが天と地の一切の権能を授けられたことを、復活の後に記しました。ヨハネ福音書は、そのことが既に十字架に向かう前日の木曜日に起こっていると記しています。
    ここには、すべてを委ねられた王であられる主イエスが、弟子たちの足を洗い、弟子たちを愛し抜かれ、その愛のゆえに低きに立ち、十字架に向かわれることが示されています。また、上着を脱ぐことは命を脱いで置くことを示し、弟子たちの足を洗うことは人々の奴隷として仕えることを示し、再び上着を着ることは命を受けることを示しています。
    ですから、上着を脱ぎ、着ることで、奴隷として低いところに立つ姿を示す洗足の行為は、これから、主イエスが十字架において犠牲となられ、そののち復活される歩みを示しています。
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  • 裏切りの予告 (ヨハネによる福音書 13章21-32節)
    イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
    (ヨハネによる福音書13章21節)
    主イエスはすべてをご存じでした。ですから、主イエスの十字架の苦難は、突発的な事故ではありません。しかし、すべてをご承知でありながら主は「心を騒がせ」ておられます。
    古代教会の指導者アウグスティヌスは、この主イエスのお姿を「わたしたちに代わって死にたもう方は、同じくわたしたちに代わって心を騒がせておられるのである」と語り、さらに、「ご自分の意志によって弱いものと等しくなることによってその弱い者たちをご自分の体の中で、つまりご自分の教会の中で、慰めるためである」と語りました。また、「キリスト教徒の心は、悲惨によってではなく、憐れみの心によって動かされる」とも語っています。
    主イエスは、ユダが滅びに向かっていることを憐れみ、警告されました。そして同時に、ご自身が向かわれる厳しい死の現実を引き受け、死の恐怖におののく私たち人間の苦痛、不安と恐れをすべて引き受けてくださいました。ここには、その主の姿が示されています。主イエスは、そこまで身を低くして私たちの傍らに来てくださる救い主なのです。
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  • 一粒の麦(ヨハネによる福音書 12章20-36節)
    「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
    (ヨハネによる福音書12章23節~24節)
    主イエスのもとにユダヤ教に改宗したギリシア人がやって来ました。すでに主の教えがギリシア人にまで伝わっていました。世界が福音を待っているかのようです。
    そこで主イエスは一粒の種の譬えを語られました。主イエスが十字架におかかりになることが、一粒の種が地に落ちて死ぬことに譬えられています。種は地に落ちて発芽します。そして根が張り、葉が伸びて多くの実を結びます。その時には種は種としてはもはや存在しません。種は実を結び、実として生まれ変わります。
    主イエスはこの後、十字架刑で処刑されます。そしてお体は種が地に落ちるように、墓に葬られます。その十字架の死は新しい多くの実を生み出すための犠牲です。主イエスは墓から復活されます。その復活の命は主イエスを信じるすべての者に与えられます。復活の命は一粒で終わりません。主は、種として犠牲になることによって栄光を現されます。
    そして、復活の命を全世界の主の民に与えてくださいます。復活の命に与る多くの実が実ります。その中に私たちも招かれています。
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  • ラザロとの食卓と葬りの備え(ヨハネによる福音書 12章1-11節)
    過越祭の6日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。…ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。イエスは言われた。「…わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。」
    (ヨハネによる福音書12章1節~2節、7節)
    過越祭の6日前のことです。主イエスは再びベタニアのマルタとマリアの家に行かれました。そこには、主イエスが墓から呼び出されたラザロがおりました(11章44節)。マルタとマリアは、弟を死者の中から生き返らせた主イエスに感謝して、夕食を用意します。生き返ったラザロと主イエスとマルタとマリアたちが、共に食卓の席についています。
    マルタとマリアの姉妹は弟のラザロが亡くなって、彼を墓に葬った時に、このように再び食卓を囲むことができるようになるとは思いも寄らなかったでしょう。姉妹たちは主イエスの力ある業に感謝をしました。そこで、マリアは、一見、不可思議にも見える行動を取りました。主イエスの足に純粋で高価なナルドの香油を塗ったのです。弟子の一人ユダはその行動を批判しました。しかし、マリアのしたことは、主イエスの葬りの備えとなりました。
    この後、主イエスは十字架にかけられます。そして墓に葬られます。しかし、日曜日には復活されます。主イエスは、私たちを復活の命に招くために十字架への道を歩まれます。
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  • 試練を乗り越える備え(マルコによる福音書 27章11-54節)
    イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
    (マルコによる福音書27章46節)
    主イエスは十字架の死がご自身の使命であり、預言者が語ったとおり必ず実現することをご存じでした。時が近付くと、主は弟子たちにあらかじめ知らせましたが、弟子たちには理解力がなく、もだえる主イエスと共に祈るために目を覚ましている力すらありませんでした。
    主はもだえておられましたが、小さい時から聖書に親しまれ、多く暗唱もされたお方です。主イエスの心に深く刻まれていた御言葉こそが、かの時に不思議に試練を乗り越え、救いのわざを完成させる力となります。十字架上で語られた主イエスの「七つの言葉」の最後の四つは実は詩編の引用です。偶然、主イエスの口にのぼったのではありません。
    主イエスが「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた時、救い主は詩編22編の全体を思い起こしておられたはずです。前半は主の民の、まさにご自身の苦しみを描いている一方、後半は、そこで死から解放されたご自身の福音を世に告げ知らせる姿が描かれています。これを思い出しながら、誰にも耐えられない苦しみに耐え、救いのわざを成し遂げられました。ここにある尊い教訓を見逃したくありません。
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  • 神が合わせてくださる結婚(創世記 24章)
    「天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる。」
    (創世記24章7節)
    アブラハムへの祝福が約束の子イサクへと受け継がれるときが、近づいてきました。その備えとして、アブラハムはイサクの結婚を段取ります。
    アブラハムの出した条件は、カナンの娘ではなく、彼の一族のいる故郷の娘であること。また、イサクが故郷に戻るのではなく、故郷を離れて嫁いでくる決心ができる娘であることです。
    アブラハムは、イサクの結婚相手を探す中で、自分が神の導きにより故郷を出てきたことを思い起こしています。自分がその決断をして本当に祝福されたので、同じ決断をして嫁いでくる娘は必ず神によって祝福される、とアブラハムは信じています。
    イサクの嫁探しは、アブラハムの年寄りの僕に託されました。彼は、故郷に着くとまず祈ります(12節)。相応しい娘、リベカと出会うと、「ひざまずいて主を伏し拝み」ます(26節)。そして、神は、リベカに速やかに故郷を離れる決心をも与えてくださいます。年寄りの僕を通して働いてくださったのは、神です。
    神の約束を受け継ぐ家庭が、神の働きにより起こされることを切に祈ります。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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