リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 御国を受け継ぐ印(創世記 23章)
    その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。その畑とそこの洞穴は、こうして、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった。
    (創世記23章19節~20節)
    アブラハムへの祝福は、東西南北見渡す限りの土地の譲与と大地の砂粒のように数え切れないほどの子孫の繁栄です(13章14~17節)。23章では土地の約束が取り上げられます。
    サラは127歳で天に召されました。アブラハムは「胸を打ち、嘆き悲し」み、サラのために墓地を「カナン地方の…ヘブロン」に購入します(2節)。アブラハムは放牧で生計を立てる寄留者です。まとまった土地をこれまで所有したことはありません。サラの墓地が、アブラハムが所有する唯一の土地です。
    カナンの土地が与えられる約束の成就は、創世記で完結せず、出エジプト記を経てヨシュア記まで待たねばなりません。その間、多くの族長たちが天に召され、その都度、このサラの墓地に葬られてきました。旧約の民にとっての墓地は、約束の土地が与えられる印として用いられてきました。
    教会の墓地で、「我らの国籍は天に在り」(文語訳:ピリ3章20節)の聖句を見かけます。今日においてもキリスト者の墓地は、約束の印です。墓地で、天の御国を受け継ぐ希望を仰ぎます。
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  • 主の山に、備えあり(創世記 22章)
    「あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。…地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
    (創世記22章16節~18節)
    アブラハムはイシュマエルを死に引き渡す苦しみを味わいましたが、その中に神の守りが確かにありました。その体験は、我が子イサクを神に献げねばならない中にあって、彼に神の守りを期待させたことでしょう。イサクと山に登って行くとき、アブラハムは、献げ物は「神が備えてくださる」(8節)と語っています。
    イサクは薪を担いで山に登ることができるほど成長しています。そのイサクが縛られ、祭壇の薪の上に載せられます。ここにはアブラハムだけでなく、イサクの服従も暗示されています。父と子が心を合わせ、御言葉に従おうとしています。
    イサクに手を下そうとしたとき、天から主の御使いの声がありました。ハガルの場合と同じです。神は試されますが、神の守りは確かです。イサクの命は守られます。イサクもまた、地上の氏族すべてを祝福する器として立てられます。
    諸民族への祝福は、神の民が神に従う苦しみを経て実現します。十字架の道を歩むキリストの従順によって、神の国は到来しました。私たちは、神の備えを信じ、キリストに従います。
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  • 子どもの泣き声を聞かれる神(創世記 21章)
    神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。
    「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。…お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」
    (創世記21章17節~18節)
    イサクを献げる22章に心理描写はなく、アブラハムは黙々と神に従います。
    サラとハガルの女の争いが描かれる21章では、二人の間で苦悩するアブラハムの内面が丁寧に取り上げられています。ハガルとイシュマエルには、アブラハムの庇護なしに生きる術はありません。家から追い出すことは、彼らを死に追いやることです。サラの要求とはいえ、アブラハムは決断しかねます。
    神は、アブラハムの苦しみを誰よりも理解してくださるお方です。イサクこそが約束の子ですが、イシュマエルも確かにアブラハムの子です。神は、イシュマエルもまた神の守りの内に置かれていることを、アブラハムに伝えます。
    アブラハムはその確信のもと二人を追放します。しかし、ハガルはそのことを知らず、死を前に泣くしかありません。イシュマエルも泣きます。その時神の使いが現れ、ハガルに神の守りを示します。
    多くの苦しみは、人間関係に起因しています。私たちはその中で、何が御心か分からなくなります。神はこの苦しみをご存じです。いつかどこかで、神の守りを確信させてくださいます。
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  • 祈りの人にする訓練(創世記 20章)
    アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクとその妻、および侍女たちをいやされたので、再び子供を産むことができるようになった。主がアブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの宮廷のすべての女たちの胎を堅く閉ざしておられたからである。
    (創世記20章17節~18節)
    20章の場面設定は、読者を悩ませます。文脈を踏まえると、アビメレクの寵愛を受けそうになったサラは90歳を超えています。また、アブラハムが妻を妹と言って欺くのは、12章に続いて2度目です。それなのに、アビメレクはそのことを咎めても、神は咎めてはおられません。では、ここから何を学ぶのでしょうか。
    まずは、神の守りです。神はアビメレクの夢の中に現れ、わたしがサラに触れさせなかったと語り、サラに触れることを「わたしに対して」の罪と言われます(6節)。アブラハムとサラを、神はいかなる中にあっても守ってくださいます。
    つぎは、祈りです。アビメレク家に新しい命が与えられるには、アブラハムの祈りが必要です。アブラハムの祈りは、神の祝福の扉を開く鍵です。ロトのために執り成したアブラハムは、諸国の民の祝福の源となるために、敵対する者のためにも祈ることを学びます。
    神の祝福は、祈りの道を通って、広がります。神の守りと祝福の体験は、他者のために祈る人へと私たちを造り変えます。
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  • 20180319(創世記 19章)
    ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。…主は言われた。
    「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」
    (創世記19章16節~17節)
    「主のもとから」の「硫黄の火」(24節)は、裁きの典型的な表現です。同時に、19章には救いが示されています。御使いがソドムの町を滅ぼす前にロトの家に立ち寄りました。救うためです。
    しかし、ロトの娘たちの婿は、神の裁きを信じず、ロト自身も逃げることを躊躇します。また、ここには塩の柱になったロトの妻の物語が記されています。救いの未来より滅び行く過去に大きな愛着をもっていたのでしょう。裁きの中から場所的に離れても、精神的にすぐには離れようとしない頑なさが象徴的に描かれています。
    裁きへのロトの恐れや彼の危機対応能力が、彼の命を救ったのではありません。ロトが逃げることができたのは、ひとえに主が彼とその家族を憐れんでくださったからです。それも神は「アブラハム」を御心に留め、ロトを救い出されました(29節)。
    裁きを語ると人は救いを求めるようになる、という道筋はここにありません。しかし、教会は裁きと滅びを語ります。キリストが、ソドムの裁きよりも恐ろしい十字架の裁きを身に受け、滅びから救ってくださったからです。
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  • このことを信じるか(ヨハネによる福音書 11章1-44節)
    イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
    (ヨハネによる福音書11章25節~26節)
    主イエスがこれほど深く心動かされている姿を記す聖書箇所はおそらく他にありません。2回も「心に憤りを覚えた」とあるだけでなく、「涙を流された」ともあります。この主イエスのお姿からは、喜びも悲しみも私たちと同じように感じる人間となられた神の永遠の独り子であることが確認できます。主は私たちと同じ試練にも遭い、慰めてくださるお方です。ここでは愛する友ラザロの死に直面して、決して納得ができないお姿が記されています。
    そうです。創造主なるお方は、人が神に背いたがゆえに、死ぬ身となってしまったことを良しとなさいません。主イエスは、肉体の死を逃れられない私たちのために死の力を克服して、赦しとよみがえりの道を備えてくださいました。罪を贖うために身代わりとして己を差し出してくださいました。これが不可欠で唯一の救いの道です。救いの道があるって、なんと喜ばしいことでしょう!
    「わたしは…命である」とここで1回目におっしゃいます。14章でも重ねておっしゃいます。そしてラザロを生き返らせる前に聞かれます。「このことを信じるか」と。
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  • 執り成しの器となるために(創世記 18章)
    主は言われた。
    「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。…主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」
    (創世記18章17節~19節)
    アブラハム物語は、神が心をゆるすことができる友(ヤコ2章23節)を人のなかに見いだされた物語です。同時に、アブラハムの甥ロトへの友情物語でもあります。アブラハムは、旅の最初からずっとロトを心にかけ、物心両面で支えてきました。
    神は、ソドムとゴモラにロトの家族が住んでいることをご存じです。神が町を滅ぼす計画をアブラハムに打ち明けられたのは、ロトを救う機会をアブラハムに提供しておられるとしか思えません。また、アブラハムの召しは「世界のすべての国民は彼によって祝福に入る」ことでした。アブラハムがその使命を担うために最初にしたことは、ロトを救うことでした。神が正義のお方であることに訴えかけて、アブラハムは救いを求め神にくどいほど懇願しました。
    神は、アブラハムが執り成しの器になることを期待しておられます。それは、執り成しの器なしには諸国民が祝福に入れないからです。私たちの救いも、主イエスの執り成しがあってこそです。主にあって神の友とされた私たちも、自らの友のために執り成します。
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  • 笑わせてくださる神(創世記 17章)
    アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。90歳のサラに子供が産めるだろうか。」…
    神は言われた。
    「いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク
    (彼は笑う)と名付けなさい。」
    (創世記17章17節~19節)
    75歳で旅立ったアブラムは既に99歳です。彼もサライも年をとりました。
    主は、そのアブラムに現れ、多くの国民の父となると励まし、彼の名をアブラハムと改名なさいます。さらに、割礼の儀式を定め、彼の子孫が神の祝福を受け継ぐことを明らかにされます。また、サライは、諸民族の母となるという約束を受け、サラに改名されます。約束の確かさが、神の側から次々に提示されます。
    ところが、アブラハムはサラの年齢を思うと、サラから産まれるはずはないと、笑います。18章ではサラも笑います。二人から祝福を受け継ぐ子が生まれるという約束を、夫婦共に信じることができませんでした。
    神は、彼らの困惑を受けとめ、産まれる子をイサク(彼は笑う)と名付けるように命じます。神は、赤ちゃん誕生の喜びの笑いを与えてくださいます。誕生のあかつきには、二人は不信仰を悔い改め、かつ、笑わせてくださった神に心から感謝を献げたことでしょう。
    不信仰な者が神によって笑わせていただけるとは、何という幸いでしょうか。
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  • 顧みられる神(創世記 16章)
    ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言った。それは、彼女が、「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」と言ったからである。
    (創世記16章13節)
    「不妊の女」と呼ばれてきたサライは、自分との間に生まれる子ではなくとも、アブラムから生まれる子であるなら、それでよし、と考えました。サライは彼女なりに、主の約束を受け入れました。アブラムもサライの苦悩を理解して、サライの提案に同意します。
    しかし、両者の決断は、悲劇的な結末を迎えます。アブラムの子を身ごもったハガルは、アブラムの同意のもと、サライによって追い出されます。約束の成就のためにと思って練った策略でしたが、御心に適うものではありませんでした。
    神は、アブラムにもサライにも見捨てられたハガルを心にかけてくださいます。御使いを遣わし、語りかけ、子を産むように励まし、約束の子でなくても、産まれ出る子を祝福されます。神は、悲しみのなかの母と子を顧みてくださいます。
    私たちは、神の約束を自分の都合に合わせて解釈することがあります。その結果、自分で後始末さえできない、大きな過ちを犯すことがあります。神は、私たちの愚かしさと弱さをご存じです。神の憐れみは、悲しみ嘆くすべての者に及んでいます。
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  • 信仰義認(創世記 15章)
    主の言葉があった。「…あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」
    主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。…あなたの子孫はこのようになる。」
    アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
    (創世記15章4節~6節)
    財産の祝福を主に委ねたアブラムは、子孫の祝福をも主に委ねるように促されます。不妊の妻サライとの間に子どもができる可能性がないなかで、大いなる国民になるという約束を信じ、アブラムは旅立ちました。アブラムはこの矛盾に関して、自分なりの回答を用意したのですが、主はあくまでもアブラムとサライから子どもが生まれる、と約束なさいました。
    アブラムは、約束を確かめる術を何一つもたずに、主が語られたということのみを根拠として、主の約束を信じました。主が、約束と現実の間の葛藤に苦しむアブラムに語りかけ励ましてくださったからこそ、アブラムは約束してくださった主ご自身を信じることができました。
    主は、この信仰を彼の義と認め、「アブラムと契約を結んで」くださいます(18節)。義と認めるとは、神がアブラムを神との契約のパートナーとして認める、ということです。神は、約束を信じる者と共に歩んでくださいます。
    神が真剣に語られるとき、私たちは真摯に聞きます。私たちは約束を信じて義とされ、キリストに結ばれ、契約の民として歩みます。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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