リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
Download on the App Store

リジョイス聖書日課 episodes

  • 神からの祝福のみで生きる(創世記 14章)
    アブラムはソドムの王に言った。
    「わたしは、天地の造り主、いと高き神、主に手を上げて誓います。あなたの物は、たとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。『アブラムを裕福にしたのは、このわたしだ』と、あなたに言われたくありません。」
    (創世記14章22節~23節)
    ここには多くの王たちの名前が登場します。良い土地を選んだロトは、王たちの争いに巻き込まれ、財産を奪われ、捕虜となります。豊かさが一瞬の内に消え去るのは、今も昔も変わりがありません。
    主の祝福によって王たちと遜色ない勢力を持つまでに強くなっていたアブラムは、このとき、318人の従者を引き連れ、ロトを救い出しました。その際、ロトだけでなく連れ去られた住民すべて、また、ソドムとゴモラのすべての財産と食料も取り返しました。
    この勝利に際して、アブラムは取り返した財産にはいっさい手をつけませんでした。地上の王たちは、財産のため、私利私欲で戦います。しかし、アブラムはロトへの愛情によって戦場に向かい、勝っても戦争によって豊かになるのを潔しとしませんでした。アブラムに勝利と富を与えてくださるのは、主なる神です。
    私たちは、地上のすべての祝福は神から来ることを信じます。ですから、上手くいっている時こそ、どのような選択をすることによって、神のみに栄光を帰すことができるのかを、祈り求めます。
    0 min
  • 東西南北縦横無尽に (創世記 13章)
    「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。…さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」
    (創世記13章14節~17節)
    アブラムの旅立ちに、甥のロトが同行しました。ロトは大人ですが、子どものいないアブラム夫妻は、我が子に注ぐような愛情をロトに対して抱いていたと思われます。
    アブラムへの祝福は、ロトへの祝福でもあります。それぞれが大所帯となり、共同の生活はできなくなり、生活拠点を移さねばなりません。その際、アブラムは場所の選択権をロトに与えました。
    ロトは、「目を上げて眺めると…見渡すかぎりよく潤っていた」土地、ソドムとゴモラを選びます(10節)。ロト自身は悪い人ではなく、ロトの選択も自然なものでしょう。しかし、「目を引き付け」(創3章6節)る魅力、つまり、見た目の豊かさの背後に、住民の邪悪さと主に対しての多くの罪がありました。
    見た目には劣る土地が、アブラムのものとなりました。しかし、その土地こそが、神が「永久に…与える」祝福の土地でした。そして、アブラムはこの土地で豊かにされていきます。
    私たちは、主が与えてくださった人生を、それがどのような土地であったとしても、東西南北縦横無尽に走り続けて、主の祝福にあずかります。
    0 min
  • 起きなさい。恐れることはない(マタイによる福音書 17章1-8節)
    イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
    (マタイによる福音書17章2節~3節)
    これからエルサレムで起こる事を弟子たちにあらかじめ語っても理解してもらえない主イエスは、どのような心境だったでしょうか。天の父はいつも近くにおられましたが、もしかすると心細い気持ちもあったかもしれません。主イエスはある大切な時に三人の弟子を選び、「変貌の山」に登られました。そこに旧約聖書の登場人物が現れます。心細い体験があっても、決定的な働きを行った人たちです。主イエスを激励するためだったことが明らかです。
    かつて、モーセは神からの使命に恐ろしくなり、「わたしではなく、別の誰かを送ってください」と断り、エリヤは疲れ果てて絶望的になり、「わたししか主を畏れる者はいない」と訴えました。そして、全能の主の助けを受けた二人は大きな役割を果たしました。主イエスを励ますのであれば、最適な二人です。
    この時、恐ろしくなったペトロたちは、主イエスに、「恐れることはない」と励まされます。そうです。激励を受けた主イエスはご自身にしかできない罪の贖いの働きを成し遂げていかれます。そうすれば、信じる私たちに恐れることはまことにありません。
    0 min
  • 祝福の源となるために(創世記 12章)
    「あなたは生まれ故郷
    父の家を離れて
    わたしが示す地に行きなさい。
    わたしはあなたを大いなる国民にし
    あなたを祝福し、あなたの名を高める
    祝福の源となるように。
    あなたを祝福する人をわたしは祝福し
    あなたを呪う者をわたしは呪う。
    地上の氏族はすべて
    あなたによって祝福に入る。」
    (創世記12章1節~3節)
    神の救いの歴史は、アブラムの召しから大きく進展します。神がアブラムを祝福し彼の名を高め、彼の子孫を大いなる国民になさるのは、アブラムが祝福の源となるためです。アブラムの召しは、彼の祝福と彼の子孫の祝福のためだけではありません。地上の氏族が、すべて彼によって祝福にあずかるためです。
    これから読み進める物語は、アブラムがどのようにして祝福の源の器となっていくかという彼の霊的成長を描いています。また、地上の氏族は、アブラムとその子孫を祝福してくださった神を誉め讃えることにより、彼らもまた神の祝福の中へと招かれます。
    アブラムは祝福の源となるために、生まれ故郷、父の家を離れて、神が示す地に旅立たねばなりませんでした。父の庇護のもとに留まっていては、父に仕えるだけの人生で終わります。アブラムは、神のご計画に用いていただく人となるために、神にのみ依り頼む人生へと歩み出します。
    私たちが信仰の人生を歩むのも、周りの人が私たちによって神の祝福に入るためです。神に依り頼む者への祝福は、その人の救いだけに限定されない広がりに開かれています。
    0 min
  • 互いに重荷を担いなさい(ガラテヤの信徒への手紙 6章)
    互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。
    (ガラテヤの信徒への手紙6章2節)
    聖書はキリスト者のことを「御霊の人」と呼んでいます(1節、新改訳)。決してお世辞ではありません。「アッバ、父よ」と祈る人は御霊の人なのです(4章6節)。
    御霊の人であることは、だれかが罪に陥ったときの対応に最もよくあらわれます。私たちには、罪を犯した人を裁いて、石を投げようとする性質がありますが(ヨハ8章)、御霊の人は、自分が何者でもないことを覚えます。自分も同じ過ちに陥ったかもしれません。自分の知らないところで、自分の罪を兄弟姉妹に担ってもらっているかもしれません。何よりも、主イエス・キリストによる罪の赦しを覚えます。お互いに知っているのは、誰の人生にも重荷があることです。その重荷はいろいろな形であらわれますが、一番の重荷は罪です。
    主イエス・キリストは、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と招いておられます(マタ11章28節)。共に、この主の御前に出ることです。主の赦しと励ましの言葉を聞いて共に歩んで行くことです。主の御前で、私たちもまた互いに赦し合い、愛し合いましょう。
    0 min
  • 聖霊によって歩みなさい(ガラテヤの信徒への手紙 5章)
    わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
    (ガラテヤの信徒への手紙5章16節)
    私たちは主の御霊、聖霊によって罪と死の呪いから解放された自由人です(ロマ8章2節)。肉の人は、神の国を受け継ぐことはできません。神の国の希望に生きる私たちですが、肉と霊の激しい対立や失敗の経験があります(7章15~18節)。
    けれども、主の十字架を見上げましょう。パウロは、「キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を…十字架につけてしまったのです」と語ります(ガラ5章24節)。そこでは、人間の業とは思えない新しいことが私たちの内においてすでに始まっているのです。内なる聖霊のお働きです。その聖霊に導かれて共に進みましょう。
    聖霊が実を結ぶ人生を歩ませてくださいます。まだ小さな実かもしれませんが実が確かにあるのです。最高の果実は愛です。愛に基づいて、その愛が生み出すさまざまな徳目が約束されています。喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制。これらすべてはキリストご自身に現されました。
    聖霊の導きに従う歩みとは、キリストのものとされた私たちがキリストに似せられる歩みです(4章19節)。
    0 min
  • 神から知られているのに(ガラテヤの信徒への手紙 4章)
    しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。
    (ガラテヤの信徒への手紙4章9節)
    「かつて」の私たちは神々の奴隷でした。高度な科学文明の時代ですが、世を支配する諸霊に縛られ、世間体や占いやしきたりに縛られ、時にはびくびくするような生活をしていました。しかし「いま」は神を知っています。
    それなのに逆戻りする誘惑があります。奴隷であったエジプトの方がよかったと、かつて神の民は不平を言い始めたことがあります(出16章3節等)。神の子の自由に生きることを慕い求めなかった歴史はよそ事ではありません。自由の子として生きるために何よりも覚えたいのです。私たちが神を知っている以上に、神から知られている、ということを。
    御子の誕生(4節)は、私たちの歴史を「かつて」と「いま」に分けるためでした。御子は、罪の力、掟の力の虜となっていた私たちを、救い出すために、身代わりになって十字架にかかってくださいました。私たちが、求めるよりも先に、神が私たちを愛しておられたのです。天地創造の前にキリストにおいて神に選ばれていたのです(エフェ1章4節)。この神を愛する人は、神に知られている人です(1コリ8章3節)。
    0 min
  • 新しい世界の宣言(ガラテヤの信徒への手紙 3章)
    そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスおいて一つだからです。
    (ガラテヤの信徒への手紙3章28節)
    こんな素晴らしい世界があることを誰も知らなかったと思います。イエス・キリストはこの罪の世に全く新しい世界を造るためにおいでになったのです。
    救い主を信じる私たちは神の子とされています。洗礼を受けた私たちは「キリストを着ている」(27節)のです。心も体も本当に弱く脆いのですが、キリストにすっぽりと包まれています。キリストに全身が覆われています。罪と死の力に勝利された御方に守られているのです。中身は駄目と言いたくなりますが、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(2章20節)。そうして、聖霊が、私たちの生涯すべてをかけて、聖めてくださるのです。
    この世ではさまざまな違い、差別、排斥さえあります。しかし、キリストを着ている者にユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、男も女もありません。皆が同じキリスト者です。それだけではなく、皆キリスト・イエスにおいて一つの体とされたのです。全く新しい信仰・希望・愛の共同体、それがキリストの教会です。
    0 min
  • 結果をだせなくても(ガラテヤの信徒への手紙 2章)
    人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。
    (ガラテヤの信徒への手紙2章16節)
    激しい競争社会です。結果を出しなさいと迫られます。落ちこぼれの情けない思いになることもあります。行いによって義とされる世界では、成果をあげればあなたは正しい、それでよいと評価されます。頑張り屋さんは評価されるかもしれません。
    けれども、それだけでは息詰まる競争でいつ振り落とされるかもしれない不安の人生です。例えば、ザアカイは徴税人となり、お金で見返そうとしましたが、空しい人生でした。そのような中でイエス・キリストに近づきました。その彼を主はアブラハムの子と呼んでくださいました(ルカ19章9節)。小さな貧しい信仰ですが、その信仰によって義と認められたのです。神の子イエス・キリストが、義と認めてくださったのです。神に対しても、人に対しても行いによって結果を出せなくても、信仰によって神に認められます。その信仰さえ神からいただいたものです。
    福音はこの世の尺度ではかれません。義とされた人は、福音の恵みに生きる者へと神によって変えられた人です。私たちは、神が前もって準備してくださった善い業を行って歩みます(エフェ2章10節)。
    0 min
  • もっとも大事なことを見分ける (マタイによる福音書 6章24-34節)
    「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。…あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」
    (マタイによる福音書6章31節~33節)
    思い悩むというならば、主イエスほど思い悩んでもおかしくない方はおられないでしょう。エルサレムに上り、異邦人の手に引き渡され、辱められ、十字架につけられることになっておられるのですから。しかし主は覚悟を固く決められ、その使命を果たすことを決心されました。そのお姿を思うとき、衣食住をいろいろ心配する私たちは恥ずかしい思いがします。
    けれども、そういった弱さを持つ私たちに主が激励の言葉を語ってくださいます。小鳥のことも見守ってくださり、私たちの髪の毛の数までご存じの天の父がおられるから、思い悩む必要はない、と。天の父は、その独り子をも惜しまないで、私たちの救いのために犠牲にしてくださるほど、私たちのことを愛してくださるお方です。逆境の時にも困窮の折にも、見守り続けてくださるお方です。
    だからといって、何の緊張もなく、求めるべきものもないというわけではありません。これほどまでに私たちを愛してくださるお方にいかにして感謝し応えるべきでしょうか。「御国が来ますように」と祈って主の掟を忠実に学び、守ることではないでしょうか。
    0 min

About リジョイス聖書日課

From the publisher's feed

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

More shows like リジョイス聖書日課

3分でわかる!聖書 by 中川健一

3分でわかる!聖書

6 Listeners

聖書人になりたい by kannokazuhiko

聖書人になりたい

1 Listeners

聖書プロジェクト BibleProject by BibleProject

聖書プロジェクト BibleProject

0 Listeners