リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

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リジョイス聖書日課 episodes

  • 切り株から生まれる若枝(イザヤ書 11-12章)
    エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
    その根からひとつの若枝が育ち
    その上に主の霊がとどまる。
    知恵と識別の霊
    思慮と勇気の霊
    主を知り、畏れ敬う霊。
    (イザヤ書11章1節~2節)
    1節に、「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち」とあります。「エッサイ」はダビデ王の父親です。「株」とは切り株のことであり、主なる神の裁きがイスラエルの民に臨んで、エッサイの子ダビデの子孫を含めて切り倒されてしまったことが示されています。
    けれども、それでおしまいではありません。「ひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち」と言われるとおり、エッサイの株から、新しい命が芽吹くものとされたのです。
    イスラエルは不信仰のゆえに神に裁かれ、切り倒されてしまいました。しかし、神は、その切り株から新しい芽を生み出し、若枝を育て、神によってもたらされる救いを実現してくださるお方なのです。
    やがて主は、イスラエルの聖なる方、主に真実に依り頼み、主を畏れ敬う者である神の御子を、「ダビデの子」としてこの世に遣わしてくださいました。そのお方こそが主イエス・キリストです。歴史の中に生きて働かれる摂理の神の働きこそ私たちの希望です。
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  • わたしたちのために生まれた主(イザヤ書 9章)
    ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
    ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
    権威が彼の肩にある。
    その名は、「驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君」と唱えられる。
    (イザヤ書9章5節)
    アハズからヒゼキヤに王位が引き継がれました(王下18、19章)。ヒゼキヤは、ダビデのように主の目にかなう正しいことをことごとく行い、イスラエルの神、主を固く信頼し、その戒めを守りました。アッシリアがユダの各地を征服してエルサレムを包囲し、全面降伏を勧告したときも、ヒゼキヤはイザヤに執り成しの祈りを要請しました。
    神がヒゼキヤの求めに応えて、「アッシリアの王がエルサレムに入城することも、矢を射ることも、盾を持って向かって来ることも、都に対して土塁を築くこともない」と約束され、その言葉のとおり、主の御使いが一晩のうちに18万5千人の兵を撃ちました。
    神は祈る者を力ある御業で守られます。ここで「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた」というのは、子どもの誕生というより、王の即位を知らせる言葉だと言われます(詩2編7節)。その王は、名を「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君。」やがて、その方が救い主イエス・キリストとして、私たちに与えられました。
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  • 神を畏れ、神に従う(イザヤ書 8章)
    あなたたちはこの民が同盟と呼ぶものを
    何一つ同盟と呼んではならない。
    彼らが恐れるものを、恐れてはならない。
    …
    万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。
    あなたたちが畏るべき方は主。
    御前におののくべき方は主。
    (イザヤ書8章12節~13節)
    アッシリアと同盟を結ぶと語る王に、イザヤはそれは降伏以外の何物でもないと警告を発してきました。人びとにも繰り返し繰り返し、神を畏れ、神を信頼するようにと説いてきました。
    けれども、功を奏しません。それは、6章10節で、「この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ。…悔い改めていやされることのないために」と言われていたとおりです。イザヤはその辛い現実に直面しなければなりませんでした。
    それでも、イザヤが待ち望んでいたのは、自分と同様、イスラエルの家、ユダの民が罪を悔い改め、清められること、救われることでした。「わたしは主を待ち望む。主は御顔をヤコブの家に隠しておられるが、なおわたしは、彼に望みをかける」(17節)と語っているところにも、そのことが言い表されています。
    現状を打開する鍵は、人間的な策略や同盟を結ぶことではなく、主を畏れ、主に聞き従うことであるというイザヤの言葉は、今日の私たちへの言葉でもあるでしょう。
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  • 主が与えてくださる救いのしるし(イザヤ書 7章)
    イザヤは言った。
    「ダビデの家よ聞け。
    あなたたちは
    …
    わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。
    それゆえ、わたしの主が御自ら
    あなたたちにしるしを与えられる。
    見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
    その名をインマヌエルと呼ぶ。」
    (イザヤ書7章13節~14節)
    アラム・エフライム連合軍の攻撃に対して、アハズ王はアッシリアに使いを送り、援軍を頼みました(王下16章5節以下)。アッシリアの王ティグラト・ピレセルは、アハズの頼みを受けてアラムの都ダマスコに攻め上ってこれを占領し、王レツィンを殺しました(同9節)。また、ピレセルは、北イスラエルの全地方を占領し、住民を捕囚として、アッシリアに連れ去りました(同15章29節)。
    6章10節で言われているとおり、アハズ王は主なる神の御前に心を頑なにして、「悔い改めていやされることのない」者です。そこで神は、アハズ王に一つのしるしを与えられます。「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」。インマヌエルとは、神が我々と共におられるという意味です。
    私たちは真の「インマヌエル」を知っています。それは、どのようなときにも共にいて、私たちの罪を贖い、私たちを守ってくださる私たちの救い主、イエス・キリストです(マタ1章23節)。
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  • 暗闇に輝いた大きな光(マタイによる福音書 4章)
    「ゼブルンの地とナフタリの地、
    湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
    異邦人のガリラヤ、
    暗闇に住む民は大きな光を見、
    死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
    (マタイによる福音書4章15節~16節)
    主イエスが伝道活動を始められたガリラヤは、ユダヤ人と異邦人が雑居し、さまざまな民族の文化が混合していました。そのためにエルサレムのユダヤ人からは嫌われ、宗教的にも軽蔑と憎しみしか受けられない地になっていました。
    しかし、旧約聖書のイザヤ書に約束されていた通り、この地で主イエスは伝道の第一声を上げられました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マコ1章15節)。神が繰り返し預言してこられた救い主が天からこの世に来られ、いよいよその働きを開始されたのです。
    私たちは自分で選んで「神の国」に入れるようになったのではありません。先ず、神が私たちを愛して呼んでくださったので、主イエスを知ることができました。それは一方的な恵みであり、神自ら私たちを罪の暗闇の力から引き揚げてくださいました。
    呼んでくださったお方は、大きな光であり、光そのものです。そして、「罪の赦し」という福音の中に、生涯私たちを固く守ってくださるお方なのです。
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  • イザヤの召命(イザヤ書 6章)
    そのとき、わたしは主の御声を聞いた。
    「誰を遣わすべきか。
    誰が我々に代わって行くだろうか。」
    わたしは言った。
    「わたしがここにおります。
    わたしを遣わしてください。」
    (イザヤ書6章8節)
    6章には、イザヤが預言者に召されたときのことが記されています。それは、ウジヤ王が死んだ年のことでした。主なる神がご自身の姿をイザヤの前に現されました。これは、出エジプト記19章18節と同様であることを示しています。
    それを見たイザヤは、「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た」と言います(5節)。罪深い人間は本来、聖なる神を見ることができません。
    そのときセラフィムが祭壇の炭火を取ってイザヤの口に触れ、「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された」と言いました(6、7節)。イザヤはそこで神の声を聞きます。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」。イザヤはすぐに応えました。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」と。
    主はきょう、私たちにも同じ言葉を語られるのではないでしょうか。「誰を遣わすべきか、誰が我々に代わって行くだろうか」。
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  • 主にあって実を結ぶ(イザヤ書 5章)
    イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
    主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
    主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに
    見よ、流血(ミスパハ)。
    正義(ツェダカ)を待っておられたのに
    見よ、叫喚(ツェアカ)。
    (イザヤ書5章7節)
    神は、ユダの人びとを、ぶどう畑にたとえています。神は労を惜しまず、手塩にかけて甘いぶどうが実る良いぶどう畑を夢見つつこれを育てられました。しかし、実際にできたのは酸っぱいぶどうの畑でした(2節)。
    礼拝に心が伴わないということは、信仰者の生活のさまざまな場面にあらわれてきます。主なる神は、貧しい者や弱い者が守られる、公平で豊かな社会が築かれることを願われました。しかし、ユダでは強い者が弱い者を食い物にして、血が流され、その叫び声が響き渡っていました。それは決して神の御言葉に耳を傾け、その御心に従おうとする姿勢ではありませんでした。
    私たちは、良いぶどう、酸っぱいぶどう、どのような実を結んでいるでしょうか。豊かに良い実を結ぶために、主イエスを信じ、謙って御言葉をしっかり聴く者となりましょう。御言葉をしっかり聴くとは命令を守ることです。その命令とは、主イエスが私たちを愛されたように、私たちが互いに愛し合うことです。それが、主イエスの期待されている良いぶどうの実です。
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  • エルサレムの残された者(イザヤ書 4章)
    その日には、イスラエルの生き残った者にとって主の若枝は麗しさとなり、栄光となる。この地の結んだ実は誇りとなり、輝きとなる。そしてシオンの残りの者、エルサレムの残された者は、聖なる者と呼ばれる。
    (イザヤ書4章2節~3節)
    1節は3章26節の続きで、シオンの娘たちへの裁きが語られています。その日、裁きの日には、豪華な生活をする女たちが頼りにする男たちが戦いに倒れ、数少ない男性に群がる終末的混乱があるというのです。
    2節以下でエルサレムの将来の栄光が語られます。「若枝」はヘブライ語で「生える」という動詞から派生した名詞で、植物の新芽を意味します。絶望的な主の裁きの後、地から主の新芽が生え出で、裁きを逃れた者たちを祝福するものになるというのです。それは滅ぼすための裁きではありません。神がご自分の民を聖別し、新しい未来を産み出すための裁きです。ですから、残された者は「聖なる者と呼ばれる」のです。
    裁きによって残された者は、立派な者、非の打ちどころのない者ではありません。神は、裁きの霊と焼き尽くす霊をもってシオンの娘たちの汚れを洗い、すすぎ清めると語られています(4節)。本来滅ぼされるべき者が、裁きの日に残されて聖とされるのです。ここに神の恵みと救いがあり、十字架の福音があります。
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  • 頼みとしているものを取り去られる神(イザヤ書 3章)
    見よ、主なる万軍の神は
    支えとなり、頼みとなる者を
    また、パンによる支え、水による支えをも
    エルサレムとユダから取り去られる。
    (イザヤ書3章1節)
    神は、人々が頼みとしているものを取り去られます。2節以下に、彼らが頼みとしていたものとして、「勇士と戦士」が挙げられています。彼らが軍事力あるいは軍事的な指導者を頼みとしていたことが分かります。続いて「裁きを行う者と預言者」が挙げられて、法的、宗教的指導者を頼みとしていたことが分かります。そして「占い師と長老」を挙げて、占いや呪いにより、あるいはまた長い人生経験をもとに助言、指導を与える指導者を頼りとしていたことが示されます。
    この預言が語られた頃は、南ユダ王国はまだその平和と繁栄を謳歌している時でした。当時の人びとは、主ではなく、別のものに依り頼んでいました。イザヤの預言をそのまま受けとめる人はまことに少数でしかなかったと思われます。
    やがて、イザヤの預言が実現し、彼らが頼みとしていたあらゆるものが取り去られる時が来ます。その時に初めて、本当の支えを知ります。「しかし言え、主に従う人は幸い、と。彼らは自分の行いの実を食べることができる」(10節)。
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  • 主がもたらしてくださる平和(イザヤ書 2章)
    主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
    彼らは剣を打ち直して鋤とし
    槍を打ち直して鎌とする。
    国は国に向かって剣を上げず
    もはや戦うことを学ばない。
    (イザヤ書2章4節)
    2節に言われている「終わりの日に」とは、この世の終わりの日のことを指しています。つまり、それはイザヤの預言の射程が、今のこの時代を超えて、世の終わりの日、はるか未来に及んでいるということです。
    イザヤが召命を受けた紀元前740年ごろ、中東ではアッシリアが世界帝国の道を歩んでいました。彼らはシリアを占領し、北イスラエルを滅ぼし、この時には南ユダ王国に迫ってきていました。このような危機の中で、イザヤは「アッシリアは神の鞭であり、イスラエルが主に信頼しない時に、主はアッシリアを用いて、イスラエルを撃たれる」、そればかりでなく、傲慢なアッシリアをも撃たれると預言しました。
    私たちには、この世にあってはさまざまな困難や苦しみがあります。しかし、イザヤは主なる神がもたらしてくださる平和、私たちのまことの希望を語ります。「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」その日が来たときには主こそ真の支配者であることがわかると宣言しています。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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