リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 心をご覧になる神(イザヤ書 1章)
    お前たちのささげる多くのいけにえが
    わたしにとって何になろうか、と主は言われる。
    雄羊や肥えた獣の脂肪の献げ物に
    わたしは飽いた。
    雄牛、小羊、雄山羊の血をわたしは喜ばない。
    (イザヤ書1章11節)
    イザヤが活躍していた時期は、アッシリア帝国の興隆期にあたります。紀元前8世紀、アッシリア帝国はシリア、北イスラエルを征服したのを皮切りに、ペリシテ、エジプトを撃破、その勢いのまま南ユダに攻め込み、あと一歩でエルサレムを陥落させるにまで至りました。
    このアッシリアによる南ユダへの攻撃を、イザヤは神の裁きと考え、ユダの民に悔い改めを説きました。イザヤとは「主は救い」という意味です。そのような名がつけられたのは、主の救いを味わって感謝していたという意味もありますが、困難の中にあって主の救いを期待しているという意味を感じさせられます。
    ユダの民はその時、神を信じていなかったわけでも、礼拝をしていなかったわけでもありません。冒頭の聖句のように形だけの礼拝行為をすれば、神が喜ばれるということではないのです。
    神が求められるのは、形ではなく信仰です。神は私たちの心をご覧になります。神の教えに耳を傾け(2、10節)、悪を行うことをやめ、善を行うことを求められます(16、17節)。
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  • キリストとの出会い(ヨハネによる福音書 1章)
    その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」
    (ヨハネによる福音書1章29節~30節)
    人びとに悔い改めを説き、洗礼を授けていたヨハネの周りには多くの人が群がり、彼の弟子になる者たちも出てきました。しかし、ヨハネは自らに与えられた「証人」という使命を忘れることはありませんでした。
    彼は近づいて来られる主イエスを見て「世の罪を取り除く神の小羊だ」と宣言しました。さらに、主イエスこそわたしが予告していた人であり、わたしよりも先におられた方だと紹介しています。「先に」という言葉は、「まだこの世界に何もなかった時に、すでに存在しておられた方」ということです。
    この証言によって、まず洗礼者ヨハネの弟子たちが主イエスに出会いました。その一人アンデレは、まず最初に兄のシモン(ペトロ)を主イエスのもとに連れて行きました。
    ヨハネの一言があったとはいえ、この出会いは偶然だったのでしょうか。決してそうではありません。出会いは人の思いを超えた神の恵みのご計画に他なりません。私たちが導かれる礼拝も出会いであり、神の恵みに満ちた招きなのです。
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  • 神の逆説(マルコによる福音書 8章)
    「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」
    (マルコによる福音書8章35節)
    この直前に主イエスは「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われています。主に従うのは自分の命を得たいから、と多くの人は考えるのではないでしょうか。しかし従うことは自分を捨てること、命を失うことが救うことだと言われます。
    主の言葉は逆説に満ちています。しかしそもそも私たちに与えられている命は神から来たものです。私たちの命は、本当は私たちのものではありません。ここを間違えると、とりかえしのつかない損失につながると言われるのです。
    主イエスの自己犠牲の歩みの終着点である十字架、それは死によって終わるものではありませんでした。神は主イエスを3日目に復活させられたのです。主イエスの死は、人の命を罪の支配から買い戻すためのものでした。それを得るために私たちがすべきことは、全存在を傾けて神に向かうこと、唯一無二の救い主であるイエスに従って歩むことなのです。肉体の死によって終わらない永遠の命を喜びつつ受け取りたいと思います。
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  • 回復を与えてくださる神(マルコによる福音書 7章)
    「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」
    (マルコによる福音書7章37節)
    主イエスは耳が聞こえず舌の回らない人を癒やされました。それを目撃した人たちは大変驚きました。この癒やしの記事に触れるとき、自分は耳が聞こえるし舌も動くので自分とはあまり関係がないと思われるかもしれません。あるいは、体の不調等を覚えられる方であれば、自分の困難をも取り除いて欲しいと切実に願うかもしれません。しかし主イエスが与えてくださるのは、体の癒やしよりもっと深く広く根源的なものです。
    私たちは多くの言葉を語っても、また多くの言葉を聴いても、心が晴れないという経験をすることがあります。人と心を通わすことができない孤独や、神と相通じることのできない不安を、誰もが持っているのではないでしょうか。
    しかし主イエスは、十字架の贖いを通して、人と神、また人間同士の交わりを回復してくださるお方、命の言葉を与えてくださるお方です。私たちが注目すべきは、癒やしや奇跡よりも、この救いの御業の実現です。確かに「この方のなさったことはすべて、すばらしい」と私たちも告白します。
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  • 憐れみ深い飼い主(マルコによる福音書 6章)
    イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。
    (マルコによる福音書6章34節)
    主イエスは弟子たちに休息が必要だと感じ、共に人里離れた所に行こうとされます。しかし主イエスを見失うまいと一斉に駆けつける人びとがいました。
    前の段落には洗礼者ヨハネが領主ヘロデに殺された事件が描かれています。ヘロデは権力欲に取りつかれ、見栄を重んじ、無実の人の命と神の言葉を抹殺しました。そのような人物の支配下にある人びとが主イエスに希望を見出して追って来たのです。
    主イエスは彼らの有様を見て、「飼い主のいない羊のよう」であると思われました。誰も導いてくれる者がおらず、自力では正しい道に進むことができない、滅びに至るしかない、有様を見て取られました。
    主イエスは、ご自身も休息を必要とされていたにもかかわらず、憐れみの思いを抑えきれませんでした。彼らが満腹になるほどの食べ物を与えられます。彼らは主イエスの愛に満たされました。主イエスこそ憐れみによってご自身を命のパンとして与え、私たちを天に導いてくださる真の飼い主であり、王です。
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  • 汚れた霊からの解放(マルコによる福音書 5章)
    イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、2千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。
    (マルコによる福音書5章13節)
    異邦人の地に、一人の男に取りついてその人を苦しめていた悪霊がいました。「レギオン(大勢)」という名のこの悪霊はこの地にやって来た主イエスを恐れ、豚に乗り移らせてほしいと懇願します。主がそれをお許しになると、2千匹もの豚が湖へと暴走し溺死しました。他方、悪霊に苦しめられていた人は正気を取り戻しました。一人の男が命を回復し、多くの豚が死んだのです。その様子を見た人びとは、あろうことか主イエスをその地方から追い出そうとしました。豚は彼らの経済の基盤でした。苦しむ人が救われることより経済活動の方が彼らには大切だったのです。
    自分たちの繁栄のためには他人に犠牲を強いても良いという考えは、悪霊に取りつかれた神なきこの世にいつも現れてくるものです。それは共に死に向かって暴走する結果へと結びつきかねません。しかし主イエスはそうした世のただ中にいる私たちに、「主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」と促されるのです(19節)。
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  • 信仰によって生きる(マルコによる福音書 4章)
    イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
    (マルコによる福音書4章40節)
    旧約の族長の一人、ヨセフは、兄たちに売られたエジプトの地で、王の見た夢を解き明かし、宮廷の責任者として、7年の豊作の間に、7年の飢饉に備える働きをしました。そして、飢饉の中でエジプトに穀物を求めに来た、兄たちとの感動の再会を果たします(創37、41、45章)。
    神の御手の中で、「…木の葉も草も、雨もひでりも、豊作の年も不作の年も、食べ物も飲み物も、健康も病も、富も貧困も、すべてが偶然によることなく、父親らしい御手によって、わたしたちにもたらされるのです」(『ハイデルベルク』問27答)。
    エレミヤの言葉は、「肉なる者を頼みとし その心が主を離れ去っている人」(5節)に対して、「主に信頼する人」は、神の摂理の御手の中で、「干ばつの年にも憂いがなく、実を結ぶことをやめない」と約束しています。それは、ヨセフのように、主の御手の中で御業を信じて、感謝に導かれる人の抱く、希望の約束です。
    主の深い憐れみの中で、「打ちひしがれている」(マタ9章36節)人々を知るとき、主の祈り手とされて、感謝と希望を新たにしましょう。
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  • 神の御心を行う(マルコによる福音書 3章)
    「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
    (マルコによる福音書3章34節~35節)
    最初の人間が創造されたとき、人は神と共に生きる者であり神の家族の一員でした。しかし罪を犯して神の家にいられなくなってしまいました。神はそのような人類を深く憐れんでくださり、再び神の家族として迎え入れるために主イエスを遣わしてくださいました。
    その主イエスは神の御心を行うようにと人びとに呼びかけられました。それは罪人にとって難しすぎることのように思われます。しかし主イエスは決して実現不可能なことを命じられたのではありません。この後、主イエスはゲツセマネの園で「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(14章36節)と祈られました。そして神の御心に従って十字架の死をその身に引き受けられたのです。
    その主イエスを信じ、その言葉を聞き、主に従って歩むことを通して私たちもまた神の御心を行う者とされます。本当に神の家族とされるのです。
    そうした人たちが現にここにいる。主イエスはこのように示しつつ、今、私たちを招いておられます。
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  • これはわたしの愛する子(マタイによる福音書 3章)
    イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。
    (マタイによる福音書3章16節~17節)
    神の御子イエスは罪の無いお方であるにもかかわらず、罪を悔いて洗礼を受ける人びとの中に加わってくださいました。それは、主イエスが罪を持たれないまま、しかし、私たち人間と同じように罪人の一人となられたということです。このお方は私たちの罪にまみれ、苦しみに満ちた生活を知らない救い主ではありません。
    主イエスがヨハネから洗礼を受けられると、天が開けて神の霊が降り、主イエスは神が愛し喜ばれる子であることが天から宣言されました。いよいよ「愛する子」の時代が始まろうとしていました。
    多くの時代、苦しむ民衆のために犠牲になっていった勇敢な人びとはたくさんいたでしょう。しかし、人を罪と死から救うために死ななければならなかった人はイエス・キリスト以外にはおられません。なぜなら、罪を持つ人間は自分の罪も他人の罪も解決することができないからです。その人間の罪を解決するために、主イエスが、神でありながらも、罪なき人間となって来られたのです。
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  • 安息日の主(マルコによる福音書 2章)
    「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」
    (マルコによる福音書2章27節~28節)
    ファリサイ派の人たちは、安息日規定を細部まで正しく守ることが神の民の義務だと考えていました。やがてその中に誤った意識が入り込み、自分は規定を守っていると自負し、守れていないと思われる人を蔑むようになってしまいました。
    本来、安息日とは、自分と自分の周りのすべて命あるものが休息し、命を回復するために神が定められたものです。彼らの姿勢はこの目的とは正反対のものでした。彼らは主イエスの弟子たちが安息日に麦の穂を摘んだことを咎めますが、主イエスはダビデが供えのパンを食べた例を示されます。
    神が求められることは、神の教えの核心を受けとめ、生きることです。主イエスは、安息日を本当の意味で実現させるために来られた方です。ご自身を神聖な供えのパンとして私たちに差し出され、永遠へとつながる命と安息を与えてくださいました。
    私たちは安息日の主である主イエスのもとで心から安んじ、感謝をしつつ、安息日だけではなく日々の生活を喜んで生きたいと思います。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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