リジョイス聖書日課

リジョイス聖書日課

By RCJメディアミニストリーReligion & SpiritualityChristianity
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リジョイス聖書日課 episodes

  • 夕べがあり、朝があった(創世記 1章)
    初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
    「光あれ。」
    こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
    (創世記1章1節~5節)
    神は最初の光を創造されて、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれました。そのあと、この命の光がしみとおっていくようにして、世界の基が整えられていきます。そして、「夕べがあり、朝があった」と六度繰り返され、最後は満たされた安息に至ります。「夕べがあり、朝があった」その順序が問題です。
    朝をスタートとして、夜に向かうと考えるのが世の常かもしれません。人間の生涯もしかりです。夜明けの少年期を駆け抜け、日の光の満ちる昼の最盛期を過ごし、哀愁のただよう黄昏時をもって、死という人生の夜にたどりつく。しかし、聖書においては、夜で終わる物語はないのです。夕べの後に、朝がくる。混沌の夜があっても、必ず希望に満ちた朝がくるのです。
    新約聖書でも同じです。主イエスが十字架で死なれた時、真昼なのに真っ暗になったと記録されています。世界を暗闇が覆いました。しかし、その十字架の絶望の夕べのあとに、復活の命の希望の朝が来たのです。
    この1年もそのようにして、どのような夜があろうとも必ず光の朝へと至るのです。
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  • 言が肉となった(ヨハネによる福音書 1章)
    言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。…わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
    (ヨハネによる福音書1章14節~16節)
    初日の出を拝むため山に登る人がいます。太陽は大きな存在(地球の約130万倍!)だからでしょう。しかし、それを造られたのは神です。その神が人となって来られたのは驚嘆畏怖する出来事です。
    神が人となって来られたのは、人間が堕落したからです。人はきょうも神から与えられた自由の行使を誤り、罪と悲惨の中に生きています。だれでも救われる必要があります。神はこれをまず律法によって明らかにされました。律法も恵みであり、神の愛が証しされています。
    しかし神の赦しの恵みと真理は何よりもイエス・キリストにより、その十字架の死と復活において現されました。主イエスだけが律法を完全に守られました。そして、私たちに代わって律法の呪いをその魂と肉体において引き受けてくださいました。
    主イエスはいつも共にいてくださり、主に信頼して歩む道には必ず「恵みの上に、更に恵みを受け」る喜びが備えられています。ですから、私たちは安心してこの年も歩みを続けることができます。耐え難い試練に遭うことがあったとしても、です。
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  • クリスマスの心・感謝(詩編 30編)
    わたしの魂があなたをほめ歌い
    沈黙することのないようにしてくださいました。
    わたしの神、主よ
    とこしえにあなたに感謝をささげます。
    (詩編30編13節)
    今年を振り返りながら、神に感謝をささげましょう。
    感謝は神が与えてくださる恵みです。感謝には正しい出発点があります。それは主イエスによって与えられている救いの恵みを信じる信仰です。
    主によって与えられた救いの恵みが感謝の源流です。主イエスの十字架の愛によって、この世のすべての悲惨と自分の汚れた罪から救われていること、主イエスの復活によって永遠の命が与えられている恵みに目を留めましょう。ここからたくさんの感謝が湧き出てきます。神に愛されていることに感謝しましょう。1年間の罪が赦されていることを信じて感謝をささげましょう。
    個人的な体験のなかで与えられた神の助けや救いの恵みを思い起こし感謝しましょう。
    苦しみや不安の中に置かれている方々は、やがて、困難を通り抜けて神に感謝をするときが必ずやってきます。
    天の国籍が与えられている恵みに感謝をささげましょう。神の栄光を現すという人生の目的が与えられていることに感謝しましょう。悲しみも、喜びも感謝の心に変えてくださる神をほめたたえましょう。感謝をささげながら新年を迎えましょう。
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  • アーメンを唱えつつ歩む(コリントの信徒への手紙二 1章)
    (キリスト)において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。
    (コリントの信徒への手紙二1章20節)
    「アーメン」。この小さな言葉を唱えつつ、私たちは祈りの道を歩んでいます。
    「アーメン」とはヘブライ語に由来し、「真実です」という意味です。私たちは祈るとき、「真実です」という真剣な思いをもって「アーメン」と唱えます。確かに私たちの祈りの真実さは大切です。しかし、それ以上に重要なことは、神の真実さに目を注いで「アーメン」と唱えることです。
    神こそが真実なお方です。神はご自分の計画において長い歴史を貫いて救いを約束してくださいました。その約束はイエス・キリストにおいて「然り」、「アーメン」となったのです!(2コリ1章20節)
    神は今も生きておられます。キリストにおいて救いを真実に実現してくださった神は、「アーメン」と祈りつつ歩む神の子たちに最善をはかって確かに祈りを聴いてくださいます。『ハイデルベルク』問129の答が「わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれている」と語るとおりです。この神の真実に励まされ、「アーメン」と唱えつつ御国への道を歩むのです。
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  • 何でもかなえられるとは?(ヨハネによる福音書 14章)
    わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。
    (ヨハネによる福音書14章13節)
    この御言葉はなんと力強い言葉でしょうか。しかしこの御言葉はよく注意をしないと、文脈を無視して、祈れば願うことは何でもかなえられると読んでしまいます。では主イエスが語られた「何でもかなえてあげよう」とはどういう意味でしょうか。
    主イエスは12節で「わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである」と語られました。主イエスはこの言葉で弟子たちを福音伝道に派遣されました。弟子たちはパレスチナの地でなされた主の働きを継続します。弟子たちによって福音が全世界に宣べ伝えられます。
    主はこの福音伝道と教会形成の業には、たいへんな困難と弟子たちの苦難があることを予知されて、この御言葉を与えられたのです。伝道の進展を見ることが困難だからこそ、きょうの御言葉の約束を握りしめましょう。
    主イエスは復活した後、父なる神のみもとに行かれ、福音伝道で労苦する弟子たちの祈りをとりついでくださいます。主は聖霊によって弟子たちと共に働かれ、弟子たちの祈りは神の栄光となります。
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  • 主の名を呼び求める者はだれでも救われる(ローマの信徒への手紙 10章)
    「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
    (ローマの信徒への手紙10章13節)
    私たちは、私たちの罪のために十字架で死なれた主イエスを、神が死者の中から復活させられたと心で信じ、口でイエスは主であると公に告白して神の救いをいただきました。「主の名を呼び求める」とは、心で信じて義とされ、口で公に言い表すことです。
    私たちは主の名を呼び求める信仰によって神に義とされました。その信仰によって罪の赦しと、新しい命と、復活の希望をいただきました。私たちの自分の業によらない、神の絶対的で主権的な恵みによって今の救いの中に入れられています。
    そしてここで間違えてはならないことは、主の名を呼び求める信仰も私たちの自分の力によらない、ということです。私たちは自分の力で、心で信じ、口で言い表すという自分の立派な行いによって義とされたのではありません。
    主イエスが、聖霊によって私たちの心に働きかけてくださいました。イエスは主であるという信仰の言葉と、それを心で信じ公に告白する力とを与えてくださったのは、私たちの内に働く聖霊です。信仰が神によって与えられたものであることを、私たちは今もこれからも信じ続けます。
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  • 全く聖なる者とされるとき(テサロニケの信徒への手紙一 5章)
    どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。…わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。
    (テサロニケの信徒への手紙一5章23節)
    私たちが聖なる者、非のうちどころのない者とされるときが来ます。それは私たちの主イエス・キリストの来られる再臨のときです。主イエスは私たちの罪のために十字架で死なれ、3日目に復活して、天に昇られ、いつかもう一度この世に来られます。
    私たちがこの世の旅路を終えるとき、主を信じて亡くなった者の魂は、確かに、みもとで神にまみえるほど完全にきよくされています。そうではありますが、なおも体の完全な贖いを待ち望んでいます。この完成は、再臨に訪れます。
    このとき主は神のご支配を完成され、父なる神に神の国を引き渡されます。主にあって召された者は復活の体を与えられ、再臨の主と出会い、いつまでも主と共にいるようになります。再臨の時に生きている者も、復活の体に変えられて聖なる者とされます。これが私たちに与えられる主の救いの完成です。
    私たちは、この世にあっては、罪深さを嘆きながら歩みます。しかし、希望があります。ですから私たちは、すべてを主に委ね、主に赦されている罪人として、与えられた課題を懸命に果たし、きょうという日を生きるのです。
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  • 希望を誇り、苦難を誇る(ローマの信徒への手紙 5章)
    そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
    (ローマの信徒への手紙5章3節~4節)
    私たちはさまざまな苦難を経験します。だれでも思いがけない病気や考えてもいなかった災いに襲われる可能性をもっています。そして苦難の中から逃れたい、どうにかして元の生活に戻りたいともがきます。
    しかし主が苦難の中で私たちに与えようとしておられるのは、私たちが希望を誇り、苦難を誇るという勇気ある生き方です。例えていえば、苦難は希望に至る登山口であると語っています。そして希望の山頂を見つめながら、苦難と忍耐と練達というような行程を進みます。私たちは人生の苦難の中で、忍耐を学び、人生に熟練していくのです。そして人生の熟練が、鍛えあげられた誇らしい希望を生み出します。
    ここで注意すべきことは、御言葉は苦難がそれ自体で忍耐を生み、忍耐も熟練もそれ自体で希望につながると語っているのではありません。苦難が段階を経て希望につながるのは、聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれているからです。聖霊が私たちの中で神の愛を働かせてくださるので、私たちは希望を誇り、苦難を誇るのです。
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  • 主は私たちを憐れんでくださる(詩編 103編)
    主はわたしたちを
    どのように造るべきか知っておられた。
    わたしたちが塵にすぎないことを
    御心に留めておられる。
    (詩編103編14節)
    主は私たちの弱さとはかなさをよくご存じです。主がそのように私たちを知っておられるのは、主が人間を土の塵から創造されたからです。そして主は私たちが塵にすぎない者であることをお忘れになりません。
    では主が私たちの成りたちを覚えておられることに意味があるのでしょうか。それを解く鍵は、14節の文頭にある「なぜなら」という語です。日本語訳聖書ではそれが省略されています。12節と13節では、主が私たちの背きの罪を赦してくださること、父がその子を憐れむように私たちを憐れんでくださることが語られています。そして14節は私たちに対する神の憐れみの理由を語っています。それは私たちが塵にすぎない者であることを主が覚えておられることです。
    私たちは日常生活の中でしばしば自分が塵にすぎない者であることを実感します。そしてその弱さやはかなさに意味はないと考えてしまいます。あるいは、空しさを覚えます。
    しかし主は、塵にすぎないことを御心に留めて、憐れんでくださいます。私たちは、塵に過ぎないという自覚から、主の恵みを見上げます。
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  • クリスマスの心・愛(ヨハネの手紙一 4章)
    わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
    (ヨハネの手紙一4章10節)
    クリスマスは、救い主イエスがお生まれになったことに思いを集中する時です。
    この聖書の言葉は、主イエスの誕生に神の愛があると伝えています。クリスマスは、「わたしは神に愛されている」ことを知る時です。神は、わたしが神を愛する前に、わたしを愛してくださいました。
    私たちは神の子どもですが、不従順な子どもでした。神に反抗して家を飛び出した子どもでした。神に対する感謝を忘れ、恩を忘れて、自分で大きくなり、自分で生きていると思いあがっている子どもでした。神に対して不従順な罪を重ねた子どもでした。父なる神の家に帰る道を完全に見失ってしまった迷子でした。
    神は、その私たちを愛して本当の神の子にするために、唯一残された方法をお選びになりました。それは、主イエスにすべて私たちの罪を背負わせて身代わりとして十字架にかけて殺すという方法です。主イエスは、自ら進んで私たちのために命を捨てることをお選びになりました。神の愛と主イエスの愛は一つです。
    クリスマスは、主イエスの誕生に心を寄せ、わたしに対する神の愛を知り、感謝と喜びの中で神をあがめる日です。
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リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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